第3話 孤独な闘い
医学院での生活が始まった。
私は十五歳——医学院一年生だ。
◇
入学初日、私は現実を知った。
「女が医学院に?」
講義室に入った瞬間、視線が突き刺さる。
「どうせ、すぐに脱落するさ」
「嫁に行けなかった令嬢の道楽だろう」
男子学生たちの声が、至る所で聞こえた。
私は黙って席に着いた。
◇
講義が始まった。
解剖学の基礎——人体の構造を学ぶ授業だ。
「人体には二百六個の骨がある」
教授が説明を始める。
私は真剣にノートを取った。
これまで独学で学んできたが、体系的な知識はまだ不足している。
一つでも多くのことを吸収しなければ。
◇
授業が終わり、昼食の時間になった。
食堂に入ると——
誰も私の隣に座ろうとしなかった。
「あいつ、女だぜ」
「関わると変な目で見られる」
「放っておけ」
ひそひそ話が聞こえる。
私は一人で食事を取った。
パンの味が、よく分からなかった。
◇
午後は実習の時間だった。
「二人一組になって」
教師の指示が出る。
周りを見渡す——誰も私を見ていない。
みんな、素早くペアを作っていく。
私だけが——残された。
「あの……」
声をかけようとしたが——
「悪いな、もう決まってるんだ」
冷たく断られた。
◇
結局、私は一人で実習を行った。
教師は何も言わなかった。
むしろ、同情するような目で見ていた。
「女性には、医学は向いていませんよ」
ある教授が、授業後に言った。
「血を見ただけで気絶するのでは?」
「……私は、気絶しません」
「そうですか。まあ、いずれ分かりますよ」
教授は嘲笑を浮かべて去っていった。
◇
寮に戻り、一人で夕食を取った。
窓の外を見る。
星が輝いている。
「ルーカス……」
弟のことを思い出す。
今頃、何をしているだろうか。
元気にしているだろうか。
「私は、負けない」
小さく呟いた。
「弟を救うまで、絶対に諦めない」
◇
一ヶ月が過ぎた。
状況は変わらなかった。
孤立したまま、授業を受ける日々。
しかし——
成績だけは、誰にも負けなかった。
◇
「ブルーメンタール嬢」
ある日、教授が私を呼んだ。
「前回の試験、最高点だったな」
「ありがとうございます」
「……驚いたよ」
教授は、複雑な表情を浮かべた。
「女性で、ここまでの成績を取るとは」
「……」
「しかし、成績だけでは医師にはなれん」
教授は厳しい目で言った。
「実技、臨床——全てで結果を出さなければならない」
「分かっております」
私は、まっすぐ答えた。
「全てで結果を出してみせます」
◇
教授は、少し驚いた顔をした。
そして——
「期待しているよ」
それだけ言って、去っていった。
期待——その言葉が、嬉しかった。
初めて、認められた気がした。
◇
しかし、男子学生たちの態度は変わらなかった。
「女のくせに生意気だ」
「男を出し抜こうとしている」
むしろ、嫉妬と敵意は強くなった。
ノートを隠される。
実習の道具を壊される。
陰湿な嫌がらせが続いた。
◇
「やめてよ!」
ある日、我慢の限界が来た。
「私が女だから、何がいけないの!」
男子学生たちが、驚いた顔で見ている。
「私は、弟を救うためにここにいる」
「馬鹿にするな」
「私だって——必死なんだ!」
涙が溢れてきた。
悔しくて、悲しくて——
でも、泣きたくなかった。
◇
「……行くぞ」
男子学生たちは、気まずそうに去っていった。
私は——その場にうずくまって泣いた。
「なんで……」
「なんで、こんなに辛いの……」
弟を救いたい——ただ、それだけなのに。
なぜ、こんなに苦しまなければならないのか。
◇
その夜、故郷から手紙が届いた。
弟のルーカスからだった。
『お姉ちゃんへ
元気ですか? 僕は元気です。
お母さんが、お姉ちゃんのことを心配していました。
大丈夫? 辛くない?
お姉ちゃん、無理しないでね。
でも、僕は知ってるよ。
お姉ちゃんは強い人だって。
だから、きっと大丈夫。
僕、お姉ちゃんのこと、待ってるよ。
いつか、また一緒に遊ぼうね。
ルーカスより』
◇
手紙を読み終えて——
私は、また泣いた。
でも、今度は違った。
嬉しくて、温かくて——
心が満たされる涙だった。
「ルーカス……」
弟の顔を思い出す。
あの笑顔を守りたい。
あの子が大人になる姿を見たい。
「私は、負けない」
手紙を胸に抱きしめた。
「絶対に、負けない」
◇
翌日から、私は変わった。
嫌がらせがあっても、黙々と勉強を続けた。
無視されても、一人で実習をこなした。
成績は、常にトップだった。
実技も、誰にも負けなかった。
「……あの女、すごいな」
いつの間にか、そんな声が聞こえるようになった。
「認めたくはないが……実力はある」
少しずつ、風向きが変わってきた。
◇
一年目が終わる頃——
私は、孤立したままだった。
しかし、認められ始めていた。
「ブルーメンタール嬢」
ある教授が言った。
「二年生になっても、この調子で頑張りなさい」
「はい」
「君のような学生がいることを、誇りに思う」
その言葉が——何よりも嬉しかった。
◇
春休み、故郷に帰った。
「お姉ちゃん!」
ルーカスが駆け寄ってきた。
「おかえり!」
「ただいま、ルーカス」
私は弟を抱きしめた。
「元気だった?」
「うん! でも、ちょっと寂しかった」
「ごめんね」
「いいよ。お姉ちゃん、頑張ってるんでしょ?」
「うん。頑張ってる」
私は、笑顔で答えた。
「弟を救うために」
◇
「エリーゼ」
母が、私を呼んだ。
「辛くない?」
「……辛いです」
正直に答えた。
「でも、諦めません」
「……強い子ね」
母は、涙を浮かべた。
「本当に、強い子……」
「お母様……」
「あなたを、誇りに思うわ」
母の言葉が、心に染みた。
◇
父は——
「……」
何も言わなかった。
しかし、私が帰る日——
「エリーゼ」
父が声をかけてきた。
「頑張りなさい」
たった一言。
でも、それで十分だった。
父も、認めてくれている。
私の選んだ道を。
◇
二年目が始まった。
私は十六歳——医学院二年生だ。
状況は、少し良くなっていた。
成績優秀者として、一目置かれるようになった。
しかし——
まだ、本当の友人はいなかった。
孤独な闘いは、続いていた。
◇
そんなある日——
噂が流れてきた。
「知ってるか? 十二歳の少女が入学するらしい」
「十二歳? 嘘だろう」
「本当だ。疫病を封じ込めた天才らしい」
十二歳——私より四歳も年下。
しかも、女性。
(この子は……どんな子なんだろう)
私は、その少女に興味を持った。
同じ女性として——
同じ医師を目指す者として。
◇
その出会いが——
私の人生を大きく変えることになる。
しかし、それはまだ——
先のことだった。




