第6話 微生物の発見
二十三歳の秋——顕微鏡の完成から一週間、私は様々なものを観察し続けた。
◇
池の水、井戸の水、雨水——
どの水にも、小さな生き物がいた。
形は様々だ。
楕円形で、縁に細かい毛のようなものが生えているもの——それが波打つように動いて、水の中を滑るように進んでいく。
細長い棒のようなもの——じっとしているかと思うと、突然くるくると回転し始める。
丸い球状のもの——単独でいるものもあれば、二つ三つと連なっているものもある。
ひらひらと長い尾を振りながら泳ぐもの——まるで蛇が水中を這うように。
「こんなにも……」
私は、スケッチブックに形を描き留めた。
目に見えない世界は、想像を超える生命で溢れていた。
◇
次に、私は腐った肉を観察した。
一週間放置した、羊の肉の切れ端。
悪臭を放ち、表面はぬめぬめしている。
「これを……」
私は、表面の汁を少量採取し、ガラス板に載せた。
顕微鏡を覗き込む。
「……!」
無数の生き物が、うじゃうじゃと蠢いていた。
水の中の生き物より、はるかに多い。
「腐敗と……この生き物は……関係がある……」
私は、確信を深めた。
◇
「次は、人間だ」
私は、クラウスに相談した。
「病人の血液を観察したい」
「病人の血液?」
「お産の熱で死んだ人の」
クラウスは、顔をしかめた。
「それは……難しいな」
「分かってる。でも、必要なんだ」
「……」
「証拠が必要なんだ。この生き物が病気の原因だと、証明するために」
◇
マリアが、手配してくれた。
「産科病棟の医師に、知り合いがいます」
「本当ですか」
「お産の熱で亡くなった方の血液を、少量いただけるそうです」
「ありがとうございます……!」
私は、深く頭を下げた。
マリアがいなければ、この研究は不可能だった。
◇
数日後——
産科病棟から、小さな瓶が届いた。
お産の熱で亡くなった若い母親の、血液。
「……」
私は、瓶を見つめた。
この中に、真実がある。
前世で見えなかったものが、今日、見える。
◇
震える手で、血液を一滴、ガラス板に垂らした。
顕微鏡を覗き込む。
「……見える……」
赤い円盤——血球が、無数に浮かんでいる。
その赤い円盤の間を縫うように——
「いる……!」
小さな球状の生き物が、無数に蠢いていた。
水の中で見た生き物とは違う。もっと小さく、もっと単純な形。
◇
「これだ……」
私は、涙が溢れた。
「これが……病気の原因……」
よく見ると、球状の生き物は二種類いた。
一つは、単独で漂っているもの。
もう一つは——数珠のように連なって、鎖状になっているもの。
「鎖のように連なる球……」
私は、その姿をスケッチした。丸い粒が六つ、七つと連なっている。
前世で見ることのできなかった、病気の正体。
これこそが、母親たちを殺している敵だ。
◇
確認のため、自分の血液も観察した。
指先を針で刺し、一滴の血液を採取する。
顕微鏡を覗き込む。
「……やはり」
赤い血球は見えるが、球状の生き物はほとんど見えない。
病人の血液とは、明らかに違う。
「証拠だ……」
これが、病気の原因の証拠だ。
◇
さらに実験を重ねた。
解剖実習で使った遺体の組織——微生物だらけ。
手洗い前の手を拭いた布——微生物が見える。
手洗い後の手を拭いた布——微生物が激減。
「すべて、繋がった……」
私は、記録をまとめた。
◇
一、目に見えない小さな生き物が存在する。
二、これらは腐敗した肉、汚れた水、遺体などに多く存在する。
三、病人の血液にも、健康な人より多く存在する。
四、手洗いによって、手に付着したこれらの生き物を除去できる。
五、したがって、これらの生き物が病気の原因であり、手洗いで感染を防げる。
「前世の仮説は……正しかった……」
私は、ノートを閉じた。
涙が止まらなかった。
◇
「ルートヴィヒ、どうした」
クラウスが、驚いた顔で部屋に入ってきた。
「泣いてるのか?」
「……証明できた」
「え?」
「病気の原因を……証明できたんだ……」
私は、顕微鏡を指差した。
「見てくれ……これが、病気を起こす生き物だ……」
◇
クラウスが、顕微鏡を覗き込んだ。
「……何だこれ」
「お産の熱で亡くなった人の血液だ」
「この丸いやつが……?」
「ああ。健康な人の血液には、ほとんどいない」
クラウスは、息を呑んだ。
「本当なのか……」
「本当だ」
私は、力を込めて言った。
「これで、世界を変えられる」
◇
マリアにも、見せた。
「まあ……本当に見えるのですね……」
マリアは、顕微鏡から目を離すと、私を見た。
「ベルクさん、あなたは歴史を変えるかもしれません」
「……」
「でも、気をつけてください」
マリアの目が、真剣になった。
「世界は、真実を受け入れるとは限りません」
「分かっています」
私は、頷いた。
前世で、それは痛いほど学んだ。
◇
「でも、今度は違う」
私は、言った。
「証拠があります。目で見える証拠が」
「……」
「誰でも、顕微鏡を覗けば分かります。この生き物が、確かに存在すると」
マリアは、静かに微笑んだ。
「そうですね。今度は、違うかもしれません」
「ありがとうございます。ここまで支援してくださって」
「いいえ。私こそ、あなたの研究に関われて光栄です」
◇
私は、すぐにホフマン先生に手紙を書いた。
『ホフマン先生へ。
ついに、見つけました。
目に見えない生き物——微生物が、確かに存在します。
顕微鏡という道具を作り、病人の血液を観察しました。
健康な人には見えない、小さな球状の生き物が、病人の血液には無数にいたのです。
これが、お産の熱の原因だと確信しています。
先生がおっしゃっていた「死体から何かが移る」という仮説は、正しかったのです。
詳しいことは、論文にまとめてお送りします。
ルートヴィヒ・ベルク』
◇
私は、論文を書き始めた。
「微小生物と疾病の関係についての考察」
顕微鏡で観察した結果を、詳細に記録した。
図も描いた。
球状の生き物。
棒状の生き物。
健康な人と病人の血液の比較。
清潔な手と汚れた手の比較。
◇
一ヶ月かけて、論文は完成した。
ホフマン先生からは、すぐに返事が届いた。
『ルートヴィヒへ。
論文を読んだ。素晴らしい発見だ。
私が若い頃に夢見たことを、お前が実現してくれた。
ただ、一つだけ忠告がある。
この発見は、医学界の常識を覆すものだ。
権威ある者たちは、簡単には認めないだろう。
慎重に、しかし諦めずに——真実を広めてくれ。
私は、お前を信じている。
ホフマン』
先生の忠告は、後に的中することになる。
「これを、誰に見せる?」
クラウスが聞いた。
「まずは……クライン教授だ」
「クライン教授? あの堅物の?」
「ああ。産科病棟の責任者だ」
私は、論文を胸に抱いた。
「あの人を説得できれば、手洗いを広められる」
◇
二十四歳の春——
私は、クライン教授の部屋を訪ねた。
「教授、お時間をいただけますか」
「何だ、ベルクか」
教授は、書類から目を上げた。
「相変わらず、変なことを研究しているそうだな」
「はい。そして、ついに——証拠を見つけました」
私は、論文と顕微鏡を差し出した。
「これを見てください。病気の原因を」
◇
教授は、眉をひそめた。
「病気の原因?」
「はい。目に見えない小さな生き物が、病気を起こしているんです」
「……また、その話か」
「でも今度は、証拠があります」
私は、顕微鏡を指差した。
「これで見れば、分かります。実際に、その生き物が見えるんです」
教授は、しばらく黙っていた。
そして——ゆっくりと、顕微鏡に手を伸ばした。
「……見せてみろ」




