第6話 王都からの招聘
第06話 王都からの招聘
手紙を、何度も読み返した。
「貴殿の論文『水系感染症の原因特定と対処法について』を拝読しました」
「その独創的な視点と、実践に基づく知見に感銘を受けております」
「つきましては、当医学院の病理学研究者として、お越しいただけないでしょうか」
署名は——ヴィルヘルム・フォン・シュタイナー。
医学院の院長代理だった。
◇
「王都に……」
私は、呆然と呟いた。
「行くのですか?」
妻が聞いた。
「……分からない」
二十年間、この町で医師をしてきた。
患者たちとの信頼関係。
築き上げてきたもの。
それを捨てて、王都へ行くのか。
「でも……」
私は、手紙を見つめた。
「これは、千載一遇の機会だ」
◇
私は、ハイムダル領を訪ねた。
リーゼに、相談するために。
「王都からの招聘……」
リーゼは、驚いた顔をした。
「すごいですね、ハインリヒ先生」
「いや、私だけの力ではない」
私は、正直に言った。
「君から学んだことを、まとめただけだ」
「……」
「君がいなければ、あの論文は書けなかった」
◇
リーゼは、少し考え込んだ。
そして——
「行ってください」
「え?」
「王都に行って、病理学を広めてください」
リーゼの目は、真剣だった。
「私一人では、この国の医学を変えられません」
「でも、ハインリヒ先生が王都で教えれば——」
「多くの医師が、新しい知識を学べます」
「……」
「それが、患者を救うことに繋がります」
◇
私は、胸を打たれた。
十二歳の少女が、ここまで大きな視野で物事を見ている。
「私は……」
言葉に詰まった。
「君と離れることになる」
「はい」
リーゼは、寂しそうに微笑んだ。
「でも、いつか——」
「いつか?」
「いつか、王都で再会できます」
「私も、王都に行く日が来ると思います」
「……」
「その時は、一緒に医学を発展させましょう」
◇
私は、決心した。
王都に行く。
病理学を、この国に広める。
それが、リーゼから学んだ知識を活かす道だ。
◇
妻に、決意を伝えた。
「そうですか」
妻は、穏やかに頷いた。
「ついて行きますよ」
「いいのか?」
「あなたが選んだ道です。私は、支えます」
「……ありがとう」
「それに——」
妻は、微笑んだ。
「王都は、一度行ってみたかったんです」
◇
出発の日。
診療所の前に、多くの患者が集まっていた。
「先生、行ってしまうのですか……」
「すまない。でも、後任の医師を紹介する」
「寂しくなります……」
「私も、この町が恋しくなるだろう」
私は、一人一人と握手した。
二十年間、共に過ごした人々。
別れは、辛かった。
◇
馬車に乗る前、最後にハイムダル領を訪ねた。
「お元気で」
リーゼが、見送りに出てくれた。
マルタも、エーリヒもいた。
「リーゼ君」
私は、深く頭を下げた。
「君には、言葉では言い表せないほど感謝している」
「いえ……」
「君が教えてくれた病理学——私は、それを王都で広める」
「そして、いつか君が王都に来た時——」
「一緒に、この国の医学を変えよう」
リーゼは、目に涙を浮かべながら頷いた。
「はい。必ず」
◇
王都への道中、私はずっと考えていた。
一年前——私は、リーゼを批判するつもりで訪ねた。
無資格の子供が医療行為をしている、と。
それが今では——
彼女から学んだ知識を、王都で広めようとしている。
人生は、分からないものだ。
◇
王都に到着した。
巨大な城壁、立ち並ぶ建物。
「これが、王都か……」
田舎の町とは、まるで違う。
「緊張しますね」
妻が、私の手を握った。
「ああ……」
でも、不思議と怖くはなかった。
リーゼから学んだ知識がある。
それを伝える使命がある。
それだけで、十分だった。
◇
医学院は、王都の中心部にあった。
威厳のある建物。
「ハインリヒ先生ですね」
出迎えてくれたのは、長身の男だった。
「私は、ヴィルヘルム・フォン・シュタイナー」
「院長代理を務めております」
「ハインリヒです。このたびは、お招きいただき……」
「いえいえ。あの論文を読んで、ぜひお会いしたいと思っておりました」
ヴィルヘルムは、穏やかな笑顔を見せた。
「素晴らしい内容でした。実践に基づいた知見——それが、何より価値があります」
◇
ヴィルヘルムは、私を院内に案内した。
講義室、研究室、図書館——
すべてが、最先端の設備だった。
「ここで、研究と教育を行っていただきます」
「病理学という分野は、まだこの国では新しい」
「先生の知見が、大きな力になると確信しています」
「……光栄です」
私は、身が引き締まる思いだった。
◇
「ところで」
ヴィルヘルムが、興味深そうに聞いた。
「あの論文の着想は、どこから?」
「実は……」
私は、正直に話すことにした。
「ハイムダル領に、リーゼという少女がいます」
「リーゼ……?」
「十二歳の少女ですが、驚くべき医学知識を持っています」
「私は、彼女から多くを学びました」
ヴィルヘルムの目が、光った。
「十二歳の少女が……」
「はい。神の啓示を受けたと言われていますが——」
「その知識は、本物です」
◇
ヴィルヘルムは、しばらく考え込んだ。
そして——
「ぜひ、詳しく聞かせてください」
「その少女のことを」
「もちろんです」
私は、リーゼについて語り始めた。
彼女の診断能力。
病理学の知識。
集団食中毒を止めた手腕。
すべてを、詳しく伝えた。
◇
話し終えると、ヴィルヘルムは深く頷いた。
「興味深い……」
「いつか、その少女に会ってみたいものです」
「きっと、会えると思います」
私は、確信を込めて言った。
「彼女は、必ず王都にやってきます」
「そして、この国の医学を変えるでしょう」
ヴィルヘルムは、微笑んだ。
「その日を、楽しみにしています」
◇
こうして、私の王都での生活が始まった。
病理学研究者として。
そして——リーゼが来る日を待ちながら。




