第4話 隣町の集団食中毒
リーゼと知り合って、半年が過ぎた頃のことだった。
◇
「先生、大変です」
その日、私の診療所に慌てた様子の男が駆け込んできた。
「どうした?」
「隣町で、伝染病が発生しました」
「伝染病……?」
「はい。激しい腹痛と嘔吐で、次々と人が倒れています」
「すでに死者も出ているとか……」
私は、顔を青くした。
隣町——私の町から半日ほどの距離だ。
「分かった。すぐに行く」
◇
隣町に到着すると、惨状が広がっていた。
多くの患者が、激しい腹痛と嘔吐に苦しんでいる。
悪臭が漂い、道端で倒れている人もいる。
「これは……」
私は、絶句した。
医師として二十年やってきたが、これほどの集団食中毒は見たことがなかった。
「先生、お願いします……」
町の人々が、縋りつくように言った。
「何とかしてください……」
「……」
私は、途方に暮れた。
どこから手をつければいいのか。
何が原因なのか。
分からなかった。
◇
その時、私は——リーゼのことを思い出した。
「病気には、必ず原因がある」
「その原因を突き止めれば、対処法も見えてくる」
彼女の言葉が、頭に浮かんだ。
「……リーゼ君に、助けを求めよう」
私は、使いを出した。
ハイムダル領のリーゼに、来てもらうために。
◇
翌日、リーゼが到着した。
マルタと、兄のエーリヒも一緒だった。
「ハインリヒ先生、状況を教えてください」
リーゼは、着いてすぐに質問を始めた。
「症状は、激しい腹痛、嘔吐、下痢」
私は、報告した。
「発症者は、現在五十人以上。死者は八人」
「いつから発生しましたか?」
「三日前から」
「患者に共通点はありますか?」
「分かりません……ただ、市場の近くに住む人が多い気がする」
リーゼは、頷いた。
「分かりました。まず、現場を見せてください」
◇
リーゼは、町を歩き回った。
患者の家、市場、食料品店——あらゆる場所を観察する。
「最近、何か特別なものを食べましたか?」
患者たちに、同じ質問を繰り返す。
「三日前に、市場で魚を買いました」
「私も、同じ店で魚を……」
「うちも、あの店の魚を……」
リーゼは、メモを取りながら頷いた。
そして——
「分かりました」
「え?」
「原因は、市場の魚屋です」
◇
リーゼが指差したのは、町の中央にある市場の一角だった。
「なぜ、分かるのですか?」
私は、驚いて聞いた。
「患者全員に聞き取りをしました」
リーゼが、メモを見せた。
「発症した人の大半が、三日前にこの店で魚を買っています」
「そして、この店で買わなかった人は、発症していません」
「発症パターンと購入履歴が、一致しています」
私は、愕然とした。
「魚が……原因だったのか……」
「はい。おそらく食中毒です」
「腐敗した魚を食べたことで、中毒症状が広がっています」
◇
リーゼの指示は、的確だった。
「まず、この店の魚をすべて廃棄してください」
「まだ食べていない人がいれば、絶対に食べないように警告を」
「患者には、経口補水液を——塩と砂糖を水に溶かしたものを飲ませます」
「嘔吐と下痢で失われた水分を補うことが、最優先です」
「症状が落ち着くまで、消化の良いものだけを少しずつ」
町の人々は、言われた通りに動いた。
私も、できる限りの手伝いをした。
◇
三日目。
新たな感染者は、激減していた。
「信じられない……」
私は、呆然と呟いた。
「原因を特定しただけで、これほど早く収束するとは……」
「病気には、必ず原因があります」
リーゼが、言った。
「原因を断てば、被害は止まります」
「これが、病理学の力です」
私は、深く頷いた。
身をもって、病理学の重要性を知った。
◇
一週間後、集団食中毒はほぼ終息した。
死者は出たが、最悪の事態は防げた。
最終的な死者——十二人。
しかし、リーゼが来る前の三日間で八人が亡くなっていたことを考えると——
リーゼが来てからの四日間で、死者は四人だけだった。
「リーゼ君」
私は、深い敬意を込めて言った。
「君がいなければ、もっと多くの人が死んでいた」
「いえ。みなさんの協力があったからです」
リーゼは、謙虚に答えた。
「ハインリヒ先生も、たくさん手伝ってくださいました」
「私は、ほとんど何もできなかった」
私は、正直に言った。
「君の知識には、遠く及ばない」
「……」
「でも、だからこそ——もっと学びたいと思った」
◇
町に戻った後、私は妻に報告した。
「大変だったようですね」
「ああ。でも、リーゼ君のおかげで、なんとか収まった」
「あの子は、本当にすごいですね」
「ああ……」
私は、窓の外を見つめた。
「今回の経験で、確信した」
「何をですか?」
「病理学を、本格的に学ぼうと思う」
妻は、少し驚いた顔をした。
「本格的に……?」
「今回の集団食中毒で、病理学の重要性を身をもって知った」
私は、拳を握りしめた。
「傷んだ魚が原因だと特定できたから、被害を止められた」
「もし原因が分からなければ、犠牲者は増え続けただろう」
「病気の原因を追求する——それが、医学の未来だ」
◇
「あなた」
妻が、静かに言った。
「変わりましたね」
「え?」
「半年前までは、二十年の経験に満足していたのに」
「今は、まるで学生のように熱心です」
「……」
私は、苦笑した。
「リーゼ君に出会ったからな」
「あの子は、私の目を覚ましてくれた」
「まだまだ知らないことがある——それを、教えてくれた」
妻は、微笑んだ。
「いいことですね」
「学び続ける姿勢——それこそが、医師として大切なことです」
「ああ……そうだな」
◇
その日から、私は病理学の研究を本格的に始めた。
リーゼから学んだことを、整理し、体系化する。
症例を記録し、分析する。
病気のパターン、原因、治療法——すべてを追求していく。
「病気には、必ず原因がある」
その言葉を胸に。
私の新しい道が、始まった。




