第12話 希望の灯火
疫病の町を後にする日が来た。
◇
「先生、お気をつけて」
町長が、頭を下げた。
「この町のこと、忘れません」
「私も、忘れない」
私は、町長の手を握った。
「皆、元気でな」
「はい。先生も」
◇
リーゼたちとも、別れの時が来た。
「先生」
リーゼが、私の前に立った。
「王都で、お待ちしています」
「……はい」
リーゼが、頷いた。
「必ず、行きます」
「ああ。待っている」
私は、リーゼの頭を撫でた。
「君は、この国の希望だ」
「先生……」
「その才能を、大切にしてくれ」
「はい」
リーゼの目に、涙が浮かんだ。
◇
「先生」
エーリヒが、声をかけてきた。
「妹を、よろしくお願いします」
「ああ。必ず、守る」
「……ありがとうございます」
エーリヒが、深々と頭を下げた。
「マルタさんも」
私は、薬草師の女性に声をかけた。
「リーゼを、よく育ててくれた」
「いいえ、私は何も」
マルタが、微笑んだ。
「あの子は、自分で成長しました」
「……そうか」
「でも、これからは先生にお任せします」
「ああ。任せてくれ」
◇
馬車に乗り、私は町を後にした。
窓から、リーゼたちの姿が遠ざかっていく。
リーゼが、手を振っている。マルタが隣に立ち、エーリヒが見守っている。
「また、会える」
私は、手を振り返した。
「……」
町の姿が見えなくなるまで、窓から目を離さなかった。
そして、私は胸に手を当てた。
「20年以上、一人で戦ってきた」
母を亡くしてから、ずっと。
ゼンメルワイスの理論を信じ、改革を志し、教会と戦い続けてきた。
「諦めかけていた」
父が死に、味方もおらず、もう終わりだと思っていた。
「でも——」
私は、微笑んだ。
「もう、一人じゃない」
小さな仲間が、できた。
◇
王都に戻った私は、すぐに準備を始めた。
「リーゼを、医学院に迎え入れる」
そのための根回しが、必要だった。
「12歳の少女を、医学院に?」
保守派の教授たちは、当然反対した。
「前例がない」
「子供に、何ができる」
「院長代理の正気を疑う」
しかし、私は引かなかった。
◇
「彼女の実力を、私は直接見た」
会議で、私は主張した。
「疫病を封じ込め、94人の命を救った」
「それでも、信じられないか?」
「……」
教授たちは、黙った。
「もし、彼女の知識が広まれば——」
私は、真剣な目で全員を見回した。
「この国の医学は、大きく前進する」
「救える命が、増える」
「それでも、反対するのか?」
◇
長い議論の末——
リーゼの受け入れが、認められた。
「ただし、条件がある」
保守派の教授が、言った。
「彼女の教えが異端でないか、監視させてもらう」
「……分かった」
私は、頷いた。
今は、これでいい。
リーゼが来れば、すべてが変わる。
◇
数週間後——
リーゼが、王都にやってきた。
「先生!」
リーゼが、馬車から降りてきた。
傍には、兄のエーリヒもいる。
「よく来たな」
私は、二人を出迎えた。
「長旅で疲れただろう」
「いいえ、大丈夫です」
リーゼの目が、輝いていた。
「王都は、すごいですね。こんなに大きいなんて」
「ああ。慣れるまで、時間がかかるかもしれない」
「頑張ります」
リーゼが、にっこりと笑った。
◇
医学院に案内すると、何人かの教授が待っていた。
「これが、例の少女ですか」
保守派の教授が、リーゼを見下ろした。
「本当に、子供ではありませんか」
「見た目は子供だが、知識は本物だ」
私は、言い返した。
「疑うなら、試してみればいい」
リーゼが、落ち着いて質問に答えた。
その的確さに、教授たちは言葉を失った。
◇
その日から、リーゼの医学院生活が始まった。
最初は、多くの人が彼女を疑っていた。
「子供に、何ができる」
「生意気だ」
しかし、リーゼは気にしなかった。
「私は、結果で証明します」
そう言って、黙々と学び、実践した。
◇
ある日、リーゼが私のところに来た。
「先生」
「何だ?」
「私、この医学院で頑張ります」
「ああ」
「たくさんのことを学んで、たくさんの人を救います」
リーゼの目が、輝いていた。
「だから、見ていてください」
「……ああ。見ているよ」
私は、微笑んだ。
「そして、支えていく」
◇
私の名は、ヴィルヘルム・フォン・シュタイナー。
王立医学院の院長代理。
15歳で母を亡くし、医師を志した。
18歳で医学院に入り、22歳で医師になった。
ゼンメルワイスの理論を信じ、20年間改革を志してきた。
何度も壁にぶつかり、何度も諦めかけた。
教会に睨まれ、同僚に疎まれ、孤独に苦しんだ。
父を亡くし、老院長を亡くし、すべてを諦めかけていた。
だが、今は違う。
一人の少女が、私に希望を与えてくれた。
12歳の天才医師——リーゼ・フォン・ハイムダル。
彼女との出会いが、私の人生を変えた。
◇
「先生」
リーゼが、窓の外を見ていた。
「私、この国の医学を変えたいです」
「……」
「先生と一緒に」
リーゼの目が、真剣だった。
「時間はかかるかもしれません。でも、いつか必ず」
「ああ」
私は、頷いた。
「一緒に、変えよう」
◇
二人で、窓の外を見た。
王都の街並みが、夕日に染まっている。
この街で、この国で、私たちは戦い続ける。
改革者の孤独は、もう孤独ではない。
小さな仲間と、希望の灯火と共に。
私は、歩み続ける。
◇
42歳の私と、12歳の少女。
奇妙な組み合わせだが、志は同じだ。
この国の医学を変える。
一人でも多くの命を救う。
その夢を、共に追いかける仲間ができた。
「一緒に、この国を変えよう」
私たちは、固く手を握り合った。
長い戦いの始まりだった。
しかし、もう——
私は、一人ではなかった。
(外伝 改革者の孤独 完)




