第11話 奇跡の治療
一週間が過ぎた。
疫病は、終息に向かっていた。
町には、少しずつ活気が戻り始めている。窓が開き、人々が通りを歩き、子供たちの笑い声が聞こえるようになった。
◇
「信じられない……」
私は、呆然と呟いた。
朝日が差し込む部屋で、治療記録を見つめていた。
「本当に、収まってきた……」
「はい」
リーゼが、微笑んだ。疲労の色はあるが、目は輝いている。
「先生のご協力のおかげです」
「いや、これは君の功績だ」
私は、首を振った。
「私には、こんな知識はなかった。井戸の封鎖も、経口補水液も、すべて君の発案だ」
「でも、先生が信じてくださったから——」
「私一人では、何もできませんでした」
リーゼの目に、感謝の色があった。
「君がいなければ、この町は滅んでいただろう」
◇
最終的な結果は、こうだった。
感染者——128人。
死者——34人(リーゼ到着前に亡くなった人々)。
回復者——94人。
リーゼが来てからの死者は、わずか3人だった。
そして、その3人も、到着時にはすでに重篤な状態だった。
「94人を、救った……」
私は、数字を見つめた。
この一週間で、94人の命を救った。
「これは、奇跡だ」
いや、奇跡ではない。科学だ。
正しい知識に基づく、正しい治療。それが、命を救ったのだ。
◇
町の人々は、リーゼを英雄として称えた。
「リーゼ様、ありがとうございます」
「あなたは、私たちの命の恩人です」
「本当に、神様の使いだ」
リーゼは、照れくさそうに頭を下げた。
「皆さんが、協力してくださったからです」
「私一人では、何もできませんでした」
その謙虚な姿に、人々はさらに感銘を受けた。
◇
町長が、私のところに来た。
「先生、本当にありがとうございました」
「いえ、私は何も……」
「謙遜なさらないでください」
町長が、深々と頭を下げた。
「先生がいらっしゃらなければ、リーゼ様の治療も実現しませんでした」
「……」
「お二人のおかげで、この町は救われました」
◇
その夜、私は一人で考えていた。
町長の屋敷の窓から、夜空を見上げる。
「リーゼの知識は、本物だった……」
目に見えない小さな生き物が、病気の原因——
160年前、ゼンメルワイスが唱え、誰にも信じてもらえなかった理論。
それが、正しかったのだ。
井戸を封鎖し、衛生管理を徹底することで、感染は止まった。
汚染された水を断つだけで、新規感染者がゼロになった。
経口補水液で、軽症患者は回復した。
根気強い看護で、重症患者も救えた。
「これが、証明だ」
私は、拳を握りしめた。
「ゼンメルワイスは、正しかった」
「そして、リーゼの知識も、正しい」
涙が、目に浮かんだ。
25年間、追い求めてきた真実。
それを、この少女が証明してくれた。
「お母様……」
私は、空を見上げた。
「やっと、見つけました」
「あなたを救えなかった理由が、分かりました」
「そして、これからは——」
「もっと多くの人を、救えます」
◇
翌日、私はリーゼと正式に話をした。
「リーゼ」
「はい」
「君の知識は、この国の医学を変える力がある」
「……」
「私は、20年以上改革を志してきた。だが、何も変えられなかった」
「先生……」
「しかし、君がいれば——」
私は、リーゼを真っ直ぐに見つめた。
「変えられるかもしれない」
◇
「先生、私は……」
リーゼの声が、震えた。
「まだ、12歳です」
「分かっている」
「こんな子供が、医学を変えるなんて……」
「年齢は関係ない」
私は、言い切った。
「大切なのは、知識と志だ」
「……」
「君には、両方がある」
リーゼの目に、涙が浮かんだ。
◇
「リーゼ」
私は、決意を込めて言った。
「王都に、来ないか?」
「王都……」
「王立医学院で、学んでほしい」
「医学院……」
「君の知識を、もっと多くの人に広めたい」
「……」
「もちろん、危険はある。教会との軋轢も、避けられないだろう」
私は、リーゼの目を見た。
「だが、私が守る。院長代理として、できる限り君を守る」
◇
リーゼは、しばらく黙っていた。
そして——
「行きたいです」
小さな声で、言った。
「私も、もっと多くの人を救いたい」
「この領地だけでなく、もっと広い世界で」
「そうか」
「でも……」
リーゼの声が、震えた。
「家族と、離れるのは……」
「それは——」
私は、言葉に詰まった。
12歳の少女に、家族と離れることを強いるのは——
正しいのだろうか。
◇
「考える時間をやろう」
私は、言った。
「すぐに決める必要はない」
「……」
「家に帰って、家族と相談してくれ」
「はい……」
リーゼが、頷いた。
「ありがとうございます、先生」
「私も、王都に戻ったら準備を始める」
私は、微笑んだ。
「いつでも、君を迎え入れる用意をしておく」
「……はい」
リーゼの目に、涙と希望が入り混じっていた。
◇
数日後、疫病の終息が正式に宣言された。
町の広場に、人々が集まった。
「この町は、救われました」
町長が、宣言した。声は震えていたが、顔には笑みが浮かんでいた。
「二週間前、私たちは絶望していました」
「毎日のように人が死に、誰もが恐怖に怯えていました」
「しかし——」
町長が、私とリーゼを見た。
「王都から来てくださったヴィルヘルム先生と、ハイムダル領のリーゼ様のおかげで——」
「私たちは、救われました」
町の人々が、歓声を上げた。
「リーゼ様、ありがとう!」
「先生、ありがとうございます!」
「命を、救ってくれてありがとう!」
私とリーゼは、並んで立っていた。
人々の感謝の声が、耳に響いている。
「先生」
「何だ?」
「私、決めました」
リーゼが、真剣な目で私を見た。
「家族と相談して——」
「王都に、行きます」
◇
その言葉に、私は胸が熱くなった。
「そうか……」
「はい。もっと学びたいです」
「もっと多くの人を、救いたいです」
「この町だけでなく、この国全体の医療を変えたいです」
「……」
「先生と一緒に」
リーゼが、微笑んだ。
その笑顔は、希望に満ちていた。
「待っている」
私は、言った。
「王都で、君を迎える準備をしておく」
「はい」
「一緒に、この国の医学を変えよう」
「はい。必ず」
私たちは、固く握手を交わした。
25年間の孤独な戦いが、終わりを告げようとしていた。
これからは、一人じゃない。
リーゼと一緒に、歩んでいける。




