第09話 疫病の町
リーゼの質問に、私は答えていった。
「症状は、高熱、激しい下痢、嘔吐です」
「発症から何日くらいで重症化しますか?」
「二日から三日です。脱水症状で衰弱していく患者が多数います」
「水のような便ですか? 血が混じることは?」
「水のような便です。血は混じっていません」
リーゼは、真剣な目で聞いていた。その質問は、的確で無駄がない。
「水源は?」
「町の井戸です。複数の井戸がありますが……」
「何箇所ありますか? 場所は把握していますか?」
「八箇所です。町長が詳しく知っています」
「発生した順序は、分かりますか?」
「順序……?」
「どの地域から患者が出始めたか、です。最初の患者の住所、次の患者の住所——感染が広がった経路を追いたいのです」
なるほど。感染経路を特定しようとしている。
「……確か、町の東側から始まりました」
リーゼが、頷いた。
「東側に、井戸はありますか?」
「ある。三つほど」
「その井戸を使っている家から、最初の患者が出た可能性が高いです」
「調べさせてください」
◇
リーゼは、町長の案内で井戸を見て回った。
「この井戸は、いつから使っていますか?」
「ずっと昔からです」
「最近、何か変わったことは?」
「いいえ、特には……」
リーゼは、井戸の周囲を観察した。
「……ここです」
「え?」
「この井戸が、汚染源です」
◇
リーゼが指差したのは、町の東端にある古い井戸だった。
「なぜ、分かるのですか?」
町長が、驚いて聞いた。
「井戸の周囲を見てください」
リーゼが、地面を指差した。
「排水溝が近くを通っています。雨が降ると、汚水が染み込む可能性があります」
「そんな……」
「それに、この井戸を使っている家から、最初の患者が出たのではありませんか?」
町長の顔が、青ざめた。
「確かに……そうです……」
◇
私は、リーゼの推理に驚いていた。
「君は、どうやってそれを……」
「水が汚染される経路を、考えただけです」
リーゼが、答えた。
「この病気は、汚染された水を飲むことで感染します」
「汚染された水……」
「目に見えない小さな悪いものが、水に混じっているのです。それを飲むと、病気になります」
◇
「目に見えない……」
その言葉に、私は息を呑んだ。
160年前の医学書——ゼンメルワイスの著書に書かれていたことと、同じだ。
「君は……それをどこで学んだ?」
「……」
リーゼは、少し困ったような顔をした。
「生まれつき、不思議な知識があるのです。なぜか分かりませんが」
「生まれつき……」
普通なら、信じられない話だ。
しかし、この少女の目は嘘をついていなかった。
◇
「まず、この井戸を封鎖しましょう」
リーゼが、提案した。
「それで、新たな感染者は減るはずです」
「本当に、それだけで……」
「はい。同時に、患者の治療も行います」
リーゼの声には、確信があった。
「治療法があるのか?」
「脱水を防ぐことが、最優先です」
「脱水を……」
「水に塩と砂糖を混ぜたものを、患者に飲ませてください」
「塩と砂糖……?」
「経口補水液と言います。体液に近い組成の水を補給することで、脱水を防げます」
◇
私は、その話を聞きながら——衝撃を受けていた。
この少女は、本物だ。
その知識は、この国の医学をはるかに超えている。
20年以上かけて、私が追い求めてきた真実。
それを、この12歳の少女が、当たり前のように語っている。
「先生」
リーゼが、私を見た。
「一緒に、この町を救いましょう」
その目は、真剣だった。
十二歳の少女とは思えない、強い意志が宿っていた。
しかし同時に、不安も見えた。
自分の言葉が信じてもらえるかどうか——その不安だ。
私は、この少女の味方にならなければならない。
◇
「……分かった」
私は、頷いた。
「君の言う通りにしてみよう」
「本当ですか……?」
「ああ。君の理論は、筋が通っている」
私は、リーゼに向き直った。
「私も、以前から同じようなことを考えていた」
「先生も……?」
「ゼンメルワイスという医師を知っているか?」
リーゼの目が、わずかに見開かれた。
「……はい」
「あの人の理論と、君の話は一致している」
「……」
「だから、信じる」
リーゼの目に、涙が浮かんだ。
「ありがとうございます……」
その言葉には、深い感謝が込められていた。
◇
「では、まず井戸の封鎖から」
リーゼが、気持ちを切り替えた。
「町長さん、お願いできますか?」
「は、はい……」
町長が、慌てて頷いた。
「使用禁止の札を立てて、住民に知らせてください」
「分かりました」
「マルタさん、薬草の準備をお願いします」
「分かりました」
薬草師の女性が、鞄から薬草を取り出し始めた。
「エーリヒ様、清潔な水の確保を」
「任せろ」
「他の井戸の水を煮沸してから使うようにしてください」
てきぱきと指示を出す姿は、熟練の指揮官のようだった。
私は、その姿に圧倒された。
◇
私は、その姿を見ながら——
不思議な感覚に襲われていた。
「この少女は、一体何者なのだ……」
十二歳の子供が、なぜこれほどの知識を持っている?
なぜ、これほど的確に行動できる?
「生まれつきの知識」——
それは、あり得ない話だ。
しかし、目の前の現実は——
あり得ないことを、証明していた。
◇
その夜、私はリーゼと二人で話す機会があった。
「リーゼ」
「はい」
「君の知識は、どこから来ている?」
「……」
リーゼは、しばらく黙っていた。
「正直に言うと、私にも分かりません」
「分からない?」
「十歳の時、高熱で倒れました。目覚めた時には、不思議な知識が頭の中にあったのです」
「高熱で……」
「神様からの贈り物だと、父は言っています」
リーゼの目が、遠くを見つめていた。
「私も、そうかもしれないと思っています」
◇
神からの贈り物——
私は、教会の教えを信じていなかった。
しかし、この少女を見ていると——
何か、超越的な力を感じずにはいられなかった。
「リーゼ」
「はい」
「君は、すごい子だ」
「……」
「私は、20年以上医学を学んできた。だが、君のような知識は持っていない」
「先生も、すごい方です」
リーゼが、微笑んだ。
「私の話を、信じてくださいました」
「……」
「普通なら、子供の戯言だと相手にしないでしょう」
「それは——」
私は、言葉に詰まった。
「先生は、真実を見る目を持っています。だから、私の言葉が正しいと分かってくださった」
「……」
「私は、先生のような方と出会えて、嬉しいです」
◇
リーゼの言葉が、胸に響いた。
「私も——」
私は、小さく言った。
「君と出会えて、良かった」
リーゼが、嬉しそうに笑った。
その笑顔は、年相応の少女のものだった。
しかし、その瞳の奥には——
深い知性と、強い意志が宿っていた。




