第5話 王都からの使者
疫病との戦いが終わって、数週間が過ぎた。
俺たちは、ハイムダル領に戻っていた。
◇
「エーリヒ様。お客様です」
使用人の声で、俺は訓練を中断した。
「客?」
「王都から、医師の方が来られています」
王都?
俺は、急いで屋敷に戻った。
◇
応接室には、見知らぬ男が座っていた。
40代くらいだろうか。知的な顔立ちで、穏やかな雰囲気を持っている。
「初めまして。ヴィルヘルム・フォン・シュタイナーと申します」
「エーリヒ・フォン・ハイムダルです」
俺は、警戒しながら挨拶した。
「王都の医師だそうですね。何の用ですか?」
「リーゼお嬢様に、お会いしたいのです」
「リーゼに?」
「はい。隣町での疫病対応の噂は、王都まで届いております」
ヴィルヘルムの目が、真剣だった。
「12歳の少女が、疫病を食い止めた。その話を聞いて、ぜひお会いしたいと思いまして」
俺は、眉をひそめた。
「何が目的ですか?」
「目的……」
「リーゼを利用しようとしているなら、帰ってもらいます」
俺の声は、冷たかった。
ヴィルヘルムは、少し驚いた顔をした。そして——
「なるほど。良い兄君ですね」
「……」
「安心してください。私は、リーゼお嬢様の才能に興味があるだけです。害を加えるつもりはありません」
「信用できません」
「ごもっともです」
ヴィルヘルムが、微笑んだ。
「ならば、まずはお話だけでも。リーゼお嬢様ご本人に判断していただければ」
俺は、しばらく考えた。
「……分かりました。リーゼを呼んできます」
◇
リーゼは、ヴィルヘルムとの会話を楽しんでいるようだった。
「感染症の原因について、どうお考えですか?」
「目に見えない小さな生き物……微生物が原因だと思います」
「なるほど。興味深い」
二人は、医学の話で盛り上がっていた。
俺には、半分も理解できない話だった。でも、リーゼが嬉しそうにしているのは分かった。
「お嬢様の知識は、この国の医学を遥かに超えています」
ヴィルヘルムが、感嘆したように言った。
「ぜひ、王都の医学院で学んでいただきたい」
「医学院……」
リーゼの目が、輝いた。
俺は、胸がざわついた。
◇
その夜、リーゼの部屋を訪ねた。
「王都に行きたいのか?」
単刀直入に聞いた。
リーゼは、少し困った顔をした。
「……正直、興味はある」
「そうか」
「でも、まだ決められない。お父様やお母様のこともあるし……マルタさんのことも」
「……」
「それに、お兄様を置いていくのも……」
リーゼが、俺を見た。
「お兄様は、どう思う?」
俺は、しばらく黙っていた。
正直、複雑だった。
リーゼが王都に行けば、離れ離れになる。守ると誓った妹を、傍で守れなくなる。
でも——
「行きたいなら、行けばいい」
俺は、言った。
「え……」
「お前には、もっと大きな世界がある。この領地だけじゃ、もったいない」
「お兄様……」
「ただし」
俺は、リーゼの目を見た。
「俺も、一緒に行く」
「え?」
「騎士見習いを終えたら、近衛騎士団を目指す。王都に行けば、お前を守れる」
リーゼの目に、涙が浮かんだ。
「お兄様……」
「だから、待ってろ。俺が追いつくまで」
「……うん」
リーゼが、頷いた。
「待ってる。絶対に」
俺は、妹の頭を撫でた。
「約束だ」
◇
それから、俺の訓練はさらに厳しくなった。
近衛騎士団に入るには、相当な実力が必要だ。領地の騎士とは、レベルが違う。
「エーリヒ、最近気合が入っているな」
師匠が言った。
「目標ができましたから」
「ほう。何だ?」
「近衛騎士団に入ることです」
師匠が、目を見開いた。
「近衛騎士団? それは大きく出たな」
「妹が王都に行くかもしれないんです。俺も、追いかけなければ」
「……なるほど」
師匠が、微笑んだ。
「良い目標だ。だが、簡単ではないぞ」
「分かっています」
「お前の実力なら、可能性はある。ただし——」
師匠の目が、鋭くなった。
「今の倍は努力しろ」
「はい!」
俺は、力強く答えた。
◇
数ヶ月後。
リーゼは、まだ王都行きを決めていなかった。
「もう少し、考えたいの」
そう言って、領地での医療活動を続けていた。
俺は、訓練を続けながら、リーゼを見守っていた。
ある日、父上に呼ばれた。
「エーリヒ。近衛騎士団を目指しているそうだな」
「はい」
「理由は、リーゼか」
「……はい」
父上は、しばらく黙っていた。そして——
「良いだろう」
「え?」
「お前の志を、認める。近衛騎士団の推薦状を用意しよう」
「父上……!」
「ただし、リーゼが王都に行くと決めてからだ。それまでは、ここで訓練を続けろ」
「はい! ありがとうございます!」
俺は、深く頭を下げた。
◇
その夜、庭で剣を振っていると、リーゼがやってきた。
「お兄様」
「どうした?」
「お父様から聞いた。近衛騎士団の推薦状……」
「ああ」
俺は、剣を下ろした。
「お前が王都に行くなら、俺も行く。そのための準備だ」
「私のために……?」
「当たり前だ。お前を一人で行かせるわけがない」
リーゼの目に、涙が浮かんだ。
「お兄様、ありがとう」
「泣くな」
「泣いてない」
リーゼが、涙を拭いた。
「お兄様がいてくれるから、私は強くなれる」
「俺もだ。お前がいるから、俺は強くなれる」
二人で、星空を見上げた。
「いつか、一緒に王都に行こうね」
「ああ。約束だ」
俺たちは、そう誓い合った。
15歳の兄と、12歳の妹。
まだ子供だった俺たちは、それでも未来を見ていた。
一緒に、もっと大きな世界へ行くことを。




