第4話 疫病との戦い
運命の日は、突然やってきた。
俺は15歳。リーゼは12歳になっていた。
◇
「隣町で、疫病が発生した」
その報せは、市場から伝わってきた。
「高熱と激しい下痢。もう何人も死んでいるらしい」
俺は、血の気が引いた。
疫病——それは、この世界で最も恐れられる災厄の一つだった。
「リーゼ……」
俺は、すぐに妹のところに行った。
リーゼは、すでに準備を始めていた。
「お兄様。私、行くわ」
「何を言っている! 疫病だぞ!」
「だからこそ、行かなきゃ」
リーゼの目は、真剣だった。
「私には、疫病と戦う知識がある。放っておけない」
「でも、危険すぎる!」
「分かってる。でも——」
リーゼが、俺を見た。
「助けを求めている人がいるの。見捨てられない」
俺は、言葉を失った。
◇
リーゼは、父上に直談判した。
「お父様。隣町に行かせてください」
「駄目だ。疫病の場所に、お前を行かせるわけにはいかない」
「でも、私には知識があります。人を救える知識が」
「危険すぎる。感染したらどうする」
父上の声は厳しかった。でも、その目には深い愛情があった。
俺は、二人のやり取りを見ていた。
父上の気持ちは分かる。俺だって、リーゼを危険な場所に行かせたくない。
でも——
「俺も、行きます」
俺は、口を開いた。
「エーリヒ?」
「リーゼが行くなら、俺も行きます。妹を守るのが、俺の役目ですから」
父上が、俺を見た。
「お前も行くと?」
「はい。リーゼを一人にはしません」
「……」
父上は、しばらく黙っていた。そして——
「分かった。だが、条件がある」
「条件?」
「エーリヒが同行すること。そして、絶対に無理をしないこと」
「はい!」
リーゼが、嬉しそうに頷いた。
俺も、深く頷いた。
◇
翌日、俺たちは隣町に向かった。
馬車に乗っているのは、リーゼ、マルタさん、そして俺。
「お兄様、ありがとう」
リーゼが、小さく言った。
「当たり前だ。お前を一人で行かせるわけがない」
「……うん」
リーゼは、窓の外を見ていた。その横顔は、緊張していた。
「怖いか?」
「……少し」
「正直だな」
俺は、リーゼの肩を叩いた。
「大丈夫だ。俺がいる」
「うん……ありがとう」
リーゼが、少しだけ微笑んだ。
◇
隣町に着いた時、俺は言葉を失った。
地獄だった。
通りには病人があふれている。呻き声。泣き声。そして——死臭。
「ひどい……」
俺は、思わず口を押さえた。
でも、リーゼは違った。怯むことなく、馬車を降りた。
「マルタさん、まず患者の隔離から始めましょう」
「隔離……?」
「健康な人と病人を分けるの。感染を広げないために」
リーゼの声は、落ち着いていた。まるで、何度もこういう場面を経験してきたかのように。
「お兄様」
リーゼが、俺を見た。
「お願いがあるの」
「何だ?」
「水源を確保してほしい」
「水源?」
「きれいな水が必要なの。井戸の水は汚染されているかもしれない。川の上流から、清潔な水を運んできてほしい」
俺は、頷いた。
「分かった。任せろ」
「ありがとう」
リーゼが、微笑んだ。
「お兄様がいてくれて、本当に心強い」
◇
俺は、町の若者たちを集めて、水源確保に向かった。
「川の上流から、水を運ぶぞ!」
「はい!」
樽を積んだ荷車を引いて、川の上流へ。
何度も、何度も往復した。
「リーゼお嬢様の指示なんですか?」
若者の一人が聞いた。
「ああ。きれいな水が必要だそうだ」
「12歳のお嬢様が、そんなことを……」
「信じられないだろうが、本当だ」
俺は、胸を張って言った。
「俺の妹は、天才だ」
◇
3日間、水を運び続けた。
腕は痛み、足は棒のようになった。でも、止まるわけにはいかない。
リーゼは、休む間もなく患者を診ていた。
「この人は、脱水が進んでいるわ。塩水を飲ませて」
「こっちの人は、熱が下がってきた。峠は越えたわね」
的確な指示。冷静な判断。12歳とは思えない、見事な医療。
俺は、水を運びながら、時々診療所を覗いた。
リーゼは、疲れているはずだった。でも、弱音を吐かなかった。
「お兄様、大丈夫?」
逆に、俺のことを心配してくれた。
「俺は平気だ。お前こそ、少しは休め」
「うん……でも、まだやることがあるの」
リーゼが、微笑んだ。
その笑顔を見て、俺は思った。
この子を、守らなければ。どんなことがあっても。
◇
1週間が過ぎた。
疫病は、終息に向かい始めていた。
「新規患者が減っている」
リーゼが、記録を見ながら言った。
「隔離と衛生管理が効いたみたい」
「良かった……」
俺は、心から安堵した。
「お兄様のおかげよ」
「俺?」
「水源確保、本当に助かった。きれいな水がなかったら、もっと多くの人が亡くなってたわ」
リーゼが、俺を見た。
「ありがとう」
「……当然のことをしただけだ」
俺は、照れくさくなって目をそらした。
でも、心の中では嬉しかった。
俺も、役に立てた。リーゼの力になれた。
騎士として、兄として。
◇
3週間後、疫病は完全に終息した。
死者は30人を超えた。でも、リーゼがいなければ、もっと多くの命が失われていただろう。
「本当に、ありがとうございました」
町長が、深く頭を下げた。
「リーゼお嬢様。そして、エーリヒ様。お二人のおかげで、この町は救われました」
俺は、隣に立つリーゼを見た。
12歳の少女。でも、その目には、何百人もの命を背負った者の重さがあった。
「いえ」
リーゼが、静かに答えた。
「救えなかった命もあります。それが、悔しいです」
「そんなことは……」
「でも、これからも頑張ります。一人でも多く、救えるように」
リーゼの目が、真っ直ぐに前を見ていた。
俺は、その姿を見て思った。
この子は、本物だ。
本物の医者であり、本物の救い手だ。
そして、俺はこの子を守る騎士だ。
◇
帰りの馬車の中。
リーゼは、疲れ果てて眠っていた。
俺は、妹の寝顔を見ながら、心の中で誓った。
守る。この子を、絶対に守る。
リーゼが安心して人を救えるように。リーゼの夢が叶うように。
俺は、強くなる。もっと、もっと強く。
15歳の俺は、その誓いを胸に刻んだ。




