第02話 変わった妹
リーゼが10歳の誕生日を迎えた年。
俺は13歳になり、騎士見習いとしての訓練も本格化していた。
◇
その日は、突然だった。
「エーリヒ様! リーゼお嬢様が倒れました!」
使用人の叫び声で、俺は訓練場から屋敷に駆け戻った。
「リーゼ!」
妹の部屋に飛び込む。母上が泣きながら、リーゼの手を握っていた。
「高熱が……意識が……」
リーゼは、目を閉じたまま動かない。顔は真っ赤で、呼吸は浅い。
「医者は!?」
「呼んでいます!」
俺は、リーゼの傍に駆け寄った。
「リーゼ! 起きろ! リーゼ!」
返事はない。
胸が、張り裂けそうだった。
◇
医者が来たが、原因は分からなかった。
「高熱が続いています。とにかく、安静に」
それだけ。他に、何もできないという。
俺は、リーゼの部屋の前で立ち尽くしていた。
「くそっ……くそっ……!」
拳を壁に叩きつける。
また、何もできない。妹が苦しんでいるのに、俺は無力だ。
「エーリヒ」
父上の声がした。
「落ち着け」
「落ち着けるわけがありません! リーゼが……!」
「分かっている。だが、今できることをしろ」
「今できること……?」
「傍にいろ。リーゼが目覚めた時、最初に見るのがお前であるように」
俺は、はっとした。
そうだ。俺にできることは、傍にいること。
「……はい」
俺は、リーゼの部屋に入った。
◇
3日間、リーゼは眠り続けた。
俺は、できる限り傍にいた。訓練の合間を縫って、何度も様子を見に来た。
「リーゼ……頼む、起きてくれ……」
祈るような気持ちで、妹の手を握った。
薬草師のマルタさんが、ほとんど寝ずに看病してくれていた。
「マルタさん、リーゼは……」
「熱は、少しずつ下がっています。大丈夫、きっと目を覚まします」
マルタさんの言葉を信じるしかなかった。
◇
4日目の朝。
俺が訓練に向かおうとした時、使用人が駆けてきた。
「エーリヒ様! リーゼお嬢様が目を覚まされました!」
俺は、全速力で妹の部屋に走った。
「リーゼ!」
部屋に飛び込む。リーゼは、ベッドの上で上体を起こしていた。
「お兄……様……」
「リーゼ……! 良かった……!」
俺は、妹の傍に駆け寄った。
でも——その瞬間、俺は気づいた。
リーゼの目が、違う。
紫色の瞳は同じだ。でも、その奥にある光が——深い。まるで、何十年も生きてきた人のような、不思議な深さ。
「リーゼ……?」
「ごめんね、お兄様。心配かけて」
その声も、どこか違った。落ち着いていて、大人びている。
「大丈夫か? どこか痛くないか?」
「うん、大丈夫。もう、大丈夫だよ」
リーゼが、微笑んだ。
その笑顔は、確かに俺の妹だった。でも、何かが違う。
俺は、言葉にできない違和感を覚えた。
◇
それからのリーゼは、明らかに変わった。
言葉遣い。考え方。知識。すべてが、以前とは違う。
「お兄様、傷の手当てをさせて」
ある日、訓練で怪我をした俺に、リーゼが言った。
「大したことない。放っておけば治る」
「駄目よ。傷口から感染したら大変なの」
「感染……?」
「傷口を清潔にして、消毒しないと。目に見えない小さなものが、体の中で悪さをするの」
俺は、目を丸くした。
10歳の少女が、そんなことを言う?
「リーゼ、お前……」
「お願い、お兄様。私に任せて」
リーゼの目は、真剣だった。子供の目ではない。何かを知っている者の目。
俺は、言われるままに腕を差し出した。
リーゼは、傷口を丁寧に洗い、治療し、薬草を塗り、包帯を巻いた。その手つきは、まるでベテランの医者のようだった。
「これで大丈夫。でも、しばらくは清潔に保ってね」
「……ああ」
俺は、妹を見つめた。
何が起きた? リーゼに、何があった?
◇
ある夜、俺は父上に相談した。
「リーゼが、変わりました」
「……ああ」
父上も、気づいていたようだ。
「あの子は、以前と違います。知識も、考え方も」
「分かっている」
「何があったのでしょうか」
父上は、しばらく黙っていた。そして——
「分からん。だが、リーゼはリーゼだ」
「……」
「あの子が変わったとしても、お前の妹であることに変わりはない」
「それは、そうですが……」
「エーリヒ。お前がすべきことは、変わらない」
父上が、俺の目を見た。
「妹を守れ。何があっても」
「……はい」
俺は、頷いた。
そうだ。リーゼが変わっても、俺の誓いは変わらない。
妹を守る。それが、俺の使命だ。
◇
数ヶ月が過ぎた。
リーゼは、薬草師のマルタさんと一緒に働き始めた。薬草の知識を学び、患者を診るようになった。
10歳の少女が、医療行為をしている。
普通なら、ありえないことだ。でも、リーゼの知識と技術は本物だった。
「エーリヒ様」
マルタさんが、俺に言った。
「リーゼお嬢様は……特別です」
「……分かっています」
「私は、30年薬草師をしてきました。でも、お嬢様の知識には、驚かされることばかりです」
「……」
「あの子には、何かがあります。でも、悪いものではありません」
マルタさんの目は、真剣だった。
「私は、お嬢様を信じています。エーリヒ様も、信じてあげてください」
俺は、深く頷いた。
「もちろんです。リーゼは、俺の大切な妹ですから」
◇
ある日、リーゼが俺のところに来た。
「お兄様。話があるの」
「何だ?」
「私のこと、変だと思ってるでしょ?」
俺は、言葉に詰まった。
「……少し」
「正直ね」
リーゼが、苦笑した。
「私は、変わったわ。倒れてから、いろいろなことが分かるようになった」
「いろいろなこと?」
「医学のこと。人の体のこと。病気を治す方法」
リーゼの目が、俺を見つめた。
「信じてくれる?」
俺は、しばらく考えた。そして——
「信じる」
「……本当?」
「お前は、俺の妹だ。何があっても、それは変わらない」
俺は、リーゼの頭を撫でた。
「変わったかもしれない。でも、リーゼはリーゼだ」
「お兄様……」
「俺は、お前を守る。それが、俺の誓いだ」
リーゼの目に、涙が浮かんだ。
「ありがとう、お兄様」
「泣くな。騎士の妹が、そんな簡単に泣くな」
「……うん」
リーゼが、涙を拭いて笑った。
その笑顔は、確かに俺の知っている妹だった。
変わったかもしれない。でも、リーゼは俺の妹だ。
守る。何があっても。
13歳の俺は、改めてそう誓った。




