第1話 剣と妹
俺の名は、エーリヒ・フォン・ハイムダル。
ハイムダル辺境伯爵家の長男として生まれ、13歳で騎士見習いになった。
◇
「構えが甘い!」
師匠の木剣が、俺の腕を打った。
「痛っ……!」
「痛いで済むか! 実戦なら腕が飛んでいるぞ!」
俺は歯を食いしばって、再び構えた。
騎士見習いになって3ヶ月。13歳の俺には、まだまだ足りないものが多かった。毎日が訓練の連続だった。剣術、馬術、礼儀作法。すべてが厳しく、すべてが辛かった。
でも、俺は諦めない。
騎士になる。それが、俺の夢だから。
◇
訓練が終わり、屋敷に戻ると、妹のリーゼが庭で遊んでいた。
「お兄様!」
俺を見つけると、リーゼは駆け寄ってきた。10歳の妹。銀色の髪に、紫色の瞳。可愛らしい、俺の大切な妹。
「今日も訓練?」
「ああ」
「大変そう……」
リーゼが、俺の腕を見た。木剣で打たれた跡が、赤く腫れている。
「痛くない?」
「これくらい、平気だ」
俺は強がって見せた。妹の前で、弱いところは見せられない。
「お兄様、すごいね」
リーゼが、尊敬の目で俺を見た。
「いつか、立派な騎士になるんでしょ?」
「ああ。必ずなる」
俺は胸を張った。
「そして、リーゼを守る。それが、俺の使命だ」
「お兄様……」
リーゼが、嬉しそうに微笑んだ。
その笑顔を守るために、俺は剣を振る。どんなに辛くても、どんなに痛くても。
◇
夜、自室で素振りをしていた。
100回、200回、300回……。
腕が痺れても、止めない。強くならなければ。
「エーリヒ」
父上の声がした。振り返ると、父上が扉の前に立っていた。
「まだ訓練か」
「はい」
「熱心だな」
父上は、部屋に入ってきた。俺の隣に座り、静かに言った。
「なぜ、そこまで頑張る?」
「騎士になりたいからです」
「それだけか?」
父上の目が、俺を見つめていた。見透かすような、深い目。
「……リーゼを守りたいからです」
俺は正直に答えた。
「妹を?」
「はい。リーゼは……特別です」
「特別とは?」
「分かりません。でも、あの子には何か……守らなければならないものがある気がするんです」
父上は、しばらく黙っていた。そして——
「そうか」
静かに頷いた。
「エーリヒ。お前の気持ちは分かる」
「父上……」
「リーゼには、確かに何かがある。私にも、はっきりとは分からない。だが——」
父上は、俺の肩に手を置いた。
「お前がそう感じているなら、それを信じろ。そして、強くなれ」
「はい!」
俺は、強く頷いた。
◇
翌日も、訓練は続いた。
「もっと速く!」
「はい!」
「もっと強く!」
「はい!」
木剣を振るう。何度も、何度も。
師匠は厳しかった。でも、その厳しさの中に、愛情があることは分かっていた。
「エーリヒ。お前は、なぜ騎士になりたい?」
訓練の休憩中、師匠が聞いた。
「守りたい人がいるからです」
「誰を?」
「妹です」
師匠は、少し驚いた顔をした。
「妹か」
「はい。リーゼという、10歳の妹がいます」
「……ほう」
師匠は、何か考え込むような顔をした。
「守りたい者がいる騎士は、強くなれる」
「え?」
「自分のためだけに剣を振る者は、限界がある。だが、誰かを守るために剣を振る者は——その限界を超えられる」
師匠の言葉が、胸に響いた。
「お前は、いい騎士になれるかもしれんな」
「……ありがとうございます」
俺は頭を下げた。
そして、心に誓った。
必ず、強くなる。リーゼを守れる、本当の騎士に。
◇
数週間が過ぎた。
訓練は相変わらず厳しかったが、少しずつ上達している実感があった。
「構えが良くなってきたな」
師匠が、珍しく褒めてくれた。
「ありがとうございます」
「だが、まだまだだ。本当の騎士になるには、あと何年もかかる」
「分かっています」
「焦るな。着実に進め」
「はい」
俺は頷いた。
焦らない。でも、止まらない。一歩一歩、前に進む。
リーゼを守れる騎士になるまで。
◇
ある日、訓練から戻ると、リーゼが熱を出していた。
「リーゼ!」
俺は、妹の部屋に駆け込んだ。母上が、心配そうに付き添っていた。
「大丈夫よ、エーリヒ。ただの風邪だわ」
「でも……」
俺は、リーゼの顔を見た。熱で頬が赤く、苦しそうに息をしている。
「お兄……様……」
「リーゼ、大丈夫か?」
「うん……大丈夫……」
弱々しい声。俺は、胸が締め付けられるような気持ちになった。
守りたい。この子を守りたい。
でも、今の俺には何もできない。熱を下げることも、痛みを和らげることも。
剣では、病気は倒せない。
「……くそっ」
俺は、拳を握りしめた。
無力だ。俺は、まだ無力だ。
◇
その夜、俺は庭で一人、剣を振っていた。
月明かりの下、何度も、何度も。
「エーリヒ」
父上の声がした。
「リーゼが心配か」
「……はい」
「風邪だ。すぐに治る」
「分かっています。でも……」
俺は、剣を下ろした。
「俺は、何もできませんでした。リーゼが苦しんでいるのに、ただ見ていることしか」
「……」
「剣では、病気は倒せない。それが、悔しいんです」
父上は、しばらく黙っていた。そして——
「エーリヒ。騎士の役目は、剣を振ることだけではない」
「え?」
「守るということは、戦うことだけではない。傍にいること。支えること。それも、守ることだ」
「……」
「リーゼが病気の時、お前は傍にいようとした。それは、立派な『守る』だ」
父上の言葉が、胸に染みた。
「強くなれ、エーリヒ。剣の腕だけではなく、心も」
「はい……」
俺は、深く頷いた。
◇
数日後、リーゼの熱は下がった。
「お兄様! もう元気だよ!」
庭で、リーゼが笑っていた。いつもの元気な妹に戻っていた。
「良かった……」
俺は、心から安堵した。
「お兄様、訓練頑張ってね」
「ああ」
「いつか、お兄様が騎士になるところ、見たいな」
「必ず、見せてやる」
俺は、リーゼの頭を撫でた。
「待っていろ。俺は、必ず騎士になる」
「うん!」
リーゼが、満面の笑みで頷いた。
その笑顔を、俺は一生守る。
13歳の俺は、そう誓った。




