表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生したら十歳の幼女医師でした~前世の医学知識で異世界医療を改革します~  作者: NN
外伝 マルタ編 三十年の薬草師

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

113/132

第8話 託された場所

別れの日が、やってきた。


マルタ、52歳。リーゼお嬢様が、王都に旅立つ日だった。


   ◇


数日前、リーゼが私のところに来た。


「マルタさん……実は、王都から正式な招待状が届きまして」


手紙を見せながら、すべてを話してくれた。ヴィルヘルム先生の提案。伯爵様の言葉。エーリヒ様の決意。そして、リーゼ自身の決断。


私は静かに聞いていた。そして——


「やっと、決心がついたのですね」


「……はい」


「リーゼ様、あなたがここ一ヶ月、ずっと悩んでいたことは知っていました」


リーゼの手を握った。三十年以上の経験が刻まれた、私の手。


「行きなさい」


私の声は、穏やかだった。


「王都で、もっと多くのことを学んできてください」


「でも、マルタさん一人では……」


「大丈夫です」


私は懐から手紙を取り出した。


「実は隣町のハインリヒ先生が協力してくれることになったんです。週に一度、こちらに来て診療を手伝ってくれるそうです」


リーゼは安堵の表情を見せた。


「それなら……安心です」


「ええ。だから心配せずに王都へ行ってください」


   ◇


リーゼの目に、涙が浮かんでいた。


「マルタさん……一緒に来てほしい、って言いたかった」


「…」


「でも、分かってるの。この診療所を、誰かが守らなきゃいけない」


私は頷いた。


「この村の人たちは、まだ私たちを必要としています」


「はい」


「お嬢様が王都で学んでいる間、私がここを守ります」


リーゼが、私を見つめた。


「だから、安心して行ってください。お嬢様の帰る場所は、ちゃんと守っておきます」


「マルタさん……」


リーゼが、私に抱きついてきた。小さな体。でも、その中には前世の記憶を持つ大人の魂が宿っている。


「ありがとう……ありがとう……」


私も、リーゼを抱きしめた。


「こちらこそ」


   ◇


私は棚から、古い巻物を取り出した。


「これを、持っていってください」


黄ばんだ羊皮紙。古い薬草の知識が、丁寧な文字で記されている。


「これは……」


「私の師匠から受け継いだものです」


私は大切そうに巻物を撫でた。


「三世代にわたって受け継がれてきた、薬草の知識。そして今、あなたに託します。四世代目の継承者として」


リーゼは震える手で巻物を受け取った。


「必ず……必ず、大切にします」


「ええ。そして、いつか戻ってきた時——」


私は微笑んだ。


「もっと多くの知識を加えて、次の世代に受け継いでください」


「はい」


リーゼの紫の瞳から、涙が流れた。


「マルタさんは、私にとって単なる師匠じゃありません」


「…」


「お母さんのような……いえ、かけがえのない友人です」


その言葉に、私も涙が溢れた。


「私も……同じ気持ちです」


私たちはしばらく、抱き合っていた。別れの涙。でも、悲しみだけではない。新しい出発への、希望の涙でもあった。


   ◇


出発の朝。


屋敷の前に馬車が用意されていた。荷物はすでに積まれている。


「マルタ」


伯爵様が、私に声をかけてくださった。


「リーゼがいない間、診療所を頼む」


「はい。お任せください」


私は深く頭を下げた。


「必ず、この診療所を守ります。お嬢様が帰ってこられる日まで」


伯爵様は満足そうに頷いた。


「信頼している」


   ◇


リーゼとエーリヒ様が、馬車に乗り込む準備をしていた。


私は、二人の前に立った。


「リーゼ様。エーリヒ様」


「マルタさん」


「どうか、お体に気をつけて」


私の声が、少し震えた。


「王都は、知らない場所です。危険もあるでしょう。でも——」


私はリーゼの目を見つめた。


「あなたなら、大丈夫です。私は、信じています」


リーゼが、私の手を握った。


「マルタさんも、体に気をつけてね」


「はい」


「無理しないで。ちゃんと休んで」


「はい」


リーゼが微笑んだ。その笑顔は、2年前に初めて会った時と同じ——でも、もっと強くなっていた。


「いってきます」


「いってらっしゃいませ」


馬車が動き出した。


私は、馬車が見えなくなるまで手を振り続けた。


   ◇


馬車が地平線に消えた後も、私はしばらく立ち尽くしていた。


胸の中に、ぽっかりと穴が空いたような気持ち。


2年間、毎日一緒にいた。薬草の手入れをして、患者を診て、夜は星を見ながら話した。


それが、なくなる。


「マルタさん」


振り返ると、村人が立っていた。


「診療所、今日はやってますか?」


「……はい」


私は、背筋を伸ばした。


「もちろんです。いつも通り、開けていますよ」


   ◇


診療所に戻ると、すべてがいつも通りだった。


薬草の棚。診察台。記録ノート。リーゼと一緒に整えた、この空間。


「さあ、仕事を始めましょう」


私は、エプロンを締め直した。


リーゼがいなくても、私はここにいる。この診療所を守る。村人たちを助ける。


それが、私の役目だから。


   ◇


午前中、3人の患者が来た。


風邪の子供。腰痛の老人。軽い切り傷の農夫。


いつもの患者たち。いつもの治療。


「マルタさん、リーゼ様は王都に行かれたんですよね」


農夫が聞いた。


「はい。医学院で学ばれます」


「寂しくなりますね」


「……ええ」


私は正直に答えた。


「でも、お嬢様はきっと、もっと立派な医師になって帰ってこられます」


「そうですよね」


農夫は微笑んだ。


「楽しみですね。リーゼ様が帰ってくる日が」


「はい」


私も微笑んだ。


「楽しみです」


   ◇


午後、ハインリヒ先生が訪ねてきた。


「マルタさん、今日からよろしくお願いします」


「こちらこそ、よろしくお願いします」


ハインリヒ先生は、隣町で開業していた医師。リーゼが診療所を始めた頃、「子供に医療をさせるなど危険だ」と批判していた。


でも、リーゼの実力を目の当たりにして、考えを改めてくれた。疫病の時も、一緒に働いてくれた。今では、良き理解者だった。


「リーゼ君は、無事に出発しましたか」


「はい。今朝、馬車で」


「そうですか」


ハインリヒ先生は、診療所を見回した。


「ここは、よく整っていますね」


「リーゼ様と一緒に、整えました」


「素晴らしい」


先生は頷いた。


「週に一度、私が来て診療を手伝います。それ以外の日は、マルタさんにお任せします」


「はい。よろしくお願いします」


私たちは握手をした。


新しいパートナー。リーゼほどではないが、信頼できる人だった。


   ◇


夜。診療所の片付けを終えて、庭に出た。


星が、美しく輝いている。


「リーゼ様……」


私は、空を見上げた。


「今頃、どこにいらっしゃるのでしょうね」


同じ星を、リーゼも見ているだろうか。馬車の窓から、空を見上げているだろうか。


「お嬢様」


私は、星に向かって呟いた。


「私は、ここで待っています」


「この診療所を、ちゃんと守っています」


「だから、安心して学んできてください」


風が、優しく吹いた。まるで、リーゼが答えてくれているような。


   ◇


部屋に戻り、机に向かった。


引き出しから、新しいノートを取り出す。


「記録を、つけましょう」


リーゼがいない間の、診療記録。治療した患者。使った薬草。効果と経過。


すべてを、丁寧に記録する。


リーゼが帰ってきた時、見せられるように。「ちゃんとやっていましたよ」と報告できるように。


「今日の患者。3名」


ペンを走らせる。


「1人目。6歳男児。風邪。カモミールとエルダーフラワーの煎じ薬を処方」


「2人目。68歳男性。腰痛。温湿布と——」


記録を書きながら、私は気づいた。


これは、師匠アデラがしていたことと同じだ。


師匠も、毎日記録をつけていた。患者のこと。薬草のこと。すべてを。


そして、その記録を私に継承してくれた。


今度は、私がリーゼに継承する番だ。


   ◇


ベッドに入り、目を閉じる。


長い一日だった。初めて、リーゼのいない日。


寂しかった。胸が締め付けられるほど。


でも、悲しくはなかった。


なぜだろう、と自分でも不思議だった。


   ◇


考えてみれば、分かった。


25年前、トーマスと師匠を失った時。あの時は、本当に悲しかった。二度と会えないから。永遠の別れだったから。


でも、リーゼとの別れは違う。


必ず、帰ってくる。成長して、もっと立派になって。その日を、私は待てばいい。


別れではなく——再会への序章なのだ。


   ◇


リーゼは、遠くに行ったわけではない。心は、ずっと繋がっている。


そして、いつか必ず帰ってくる。


それまで、私はここで待つ。この診療所を守りながら。


   ◇


翌日から、日常が始まった。


朝、薬草園の手入れ。昼、診療所で患者を診る。夕方、薬草の調合。夜、記録をつける。


リーゼがいた時と、同じ日々。でも、一人。


最初は寂しかった。でも、すぐに慣れた。


私は、30年間薬草師をしてきた。そのうち25年は、一人だった。一人で働くことには、慣れている。


でも、リーゼと過ごした2年間は、特別だった。


あの2年間があったから、今の私がある。


   ◇


1週間が過ぎた。


リーゼから、最初の手紙が届いた。


「マルタさんへ」


「無事に王都に着きました。医学院は、想像以上に大きな場所です」


「たくさんの本があります。たくさんの学生がいます。みんな、真剣に学んでいます」


「私も、負けないように頑張ります」


「診療所のこと、よろしくお願いします。マルタさんがいてくれるから、安心して学べます」


「また手紙を書きます。体に気をつけてね」


「リーゼ」


私は、手紙を何度も読み返した。


そして、返事を書いた。


「リーゼ様へ」


「お手紙、ありがとうございます。無事に着かれて、安心しました」


「診療所は、順調です。ハインリヒ先生も、よく手伝ってくださっています」


「今週は、12人の患者を診ました。皆さん、リーゼ様のことを心配しています。元気でやっていると伝えておきますね」


「どうか、お体に気をつけて。勉強、頑張ってください」


「いつでも、待っています」


「マルタ」


   ◇


それから、月に2回ほど、手紙のやり取りが続いた。


リーゼの手紙には、王都での出来事が書かれていた。


医学院の授業のこと。同級生たちのこと。新しく学んだ知識のこと。


時には、困ったことも書かれていた。


「年上の学生たちに、子供扱いされます」


「でも、負けません。実力で認めさせます」


私は、手紙を読みながら微笑んだ。


ああ、リーゼらしい。


そして、返事を書いた。


「お嬢様なら、大丈夫です。私は信じています」


   ◇


季節が変わった。


春が過ぎ、夏が来て、秋になり、冬が訪れた。


診療所は、変わらず続いていた。


村人たちが来て、治療を受けて、帰っていく。


「マルタさん、ありがとう」


「また来ますね」


「リーゼ様によろしく伝えてね」


みんな、リーゼのことを覚えている。帰ってくる日を、楽しみにしている。


私も、同じだった。


   ◇


ある冬の夜。


手紙を書き終えて、窓から外を見た。


雪が降っている。静かな、美しい雪。


「師匠」


私は、空に向かって呟いた。


「トーマス」


「見ていますか」


風が、窓を叩いた。


「私は今、とても幸せです」


「リーゼ様という、素晴らしい人に出会えました」


「その人のために、この診療所を守っています」


雪が、優しく降り続けている。


「いつか、リーゼ様が帰ってきます」


「その時、私は胸を張って言えます」


「『ちゃんと守っていましたよ』って」


涙が、頬を伝った。


「だから、見守っていてください」


「私は、最後まで頑張ります」


   ◇


52歳の冬。


私は、ハイムダル領の診療所にいた。


リーゼが王都で学んでいる間、この場所を守る。それが、私の使命だった。


20歳で薬草師になってから、32年。


たくさんのことがあった。喜びも、悲しみも、絶望も、希望も。


そして今、私は一つの役目を果たしている。


知識を守ること。診療所を守ること。そして、リーゼの帰りを待つこと。


師匠アデラから受け継いだものを、リーゼに託した。


でも、私の仕事は終わっていない。


この診療所を守り続けること。村人たちを助け続けること。


それが、私に残された使命だった。


   ◇


窓の外を見る。


雪が止み、星が見え始めた。


同じ星を、王都でリーゼも見ているだろうか。


「おやすみなさい、リーゼ様」


私は、星に向かって呟いた。


「明日も、頑張りましょうね」


返事は、もちろん聞こえない。


でも、心は繋がっている。


離れていても、私たちはパートナーだ。


いつか再会する日まで、お互いの場所で頑張ろう。


三十年の薬草師。


その旅は、まだ続く。


(外伝 三十年の薬草師 完)





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ