第3話 失われた命
悲劇は、突然やってきた。
マルタ、27歳。結婚して、2年。幸せな日々が、一瞬で崩れ去った。
◇
それは、冬のことだった。村で、奇妙な病が流行し始めた。
高熱。激しい咳。呼吸困難。
最初は、数人だった。でも、すぐに村中に広がった。
「マルタさん! 父が倒れました!」
「うちの娘も!」
「助けてください!」
次々と、患者が運び込まれてきた。
私は、必死に治療した。解熱の薬草。咳を鎮める調合。呼吸を楽にする蒸気吸入。師匠アデラから学んだ、すべてを使った。
でも、効かなかった。患者は、どんどん悪化していった。そして、死者が出始めた。
◇
「マルタ」
師匠アデラが、私の元に来た。72歳の師匠は、疲れ切っていた。
「師匠…」
「この病は、普通の風邪じゃない」
アデラは、厳しい表情をしていた。
「疫病だ」
「疫病…」
その言葉に、私は震えた。疫病——村を全滅させることもある、恐ろしい病。
「私たちにできることは、限られている」
アデラは、静かに言った。
「でも、諦めるわけにはいかない」
「はい」
「一人でも多く、救おう」
師匠と私は、不眠不休で働いた。朝から晩まで。患者を診て。薬草を煎じて。看病して。
でも、死者は増え続けた。村人の3分の1が、感染した。そして、10人以上が亡くなった。
◇
ある日。トーマスが、咳をしていた。
「大丈夫?」
私は、心配になって聞いた。
「うん。ちょっと喉が痛いだけ」
トーマスは、笑った。
「マルタこそ、無理しないでね」
「…はい」
でも——翌日。トーマスが、高熱を出した。
「トーマス!」
私は、彼のそばに駆け寄った。額が、熱い。激しく咳き込んでいる。まさか、疫病…?
私の手が、震えた。
「大丈夫…すぐに治るから…」
私は、必死に治療した。解熱の薬草。咳止めの調合。水分補給。すべてを、試した。
でも、トーマスの容態は悪化していった。
◇
3日目。トーマスは、ほとんど意識がなかった。
呼吸が、浅い。顔色が、青白い。
「トーマス…お願い…死なないで…」
私は、彼の手を握って泣いた。
「私たち、結婚したばかりなのよ…」
「これから、子供を作って…幸せになるはずだったのに…」
涙が、止まらなかった。
トーマスは、かすかに目を開けた。
「マル…タ…」
「トーマス!」
「ごめん…な…」
「謝らないで!」
「…お前と…結婚できて…幸せ、だった…」
「トーマス…!」
「ありがとう…愛してる…」
その言葉を最後に、トーマスは目を閉じた。
「トーマス? トーマス!」
私は、彼の体を揺すった。でも、返事はなかった。脈が、止まっていた。
「嫌…嫌よ…!」
私は、彼の胸に顔を埋めて、声を上げて泣いた。
「トーマス…! トーマス…!」
愛する人が、私の腕の中で死んだ。
◇
トーマスの葬儀は、簡素だった。疫病が流行している中、大勢は集まれなかった。
私は、何も感じなかった。ただ、空虚だった。心に、穴が空いたような。
「マルタ…」
母が、私を抱きしめた。
「辛かったわね…」
でも、私は泣けなかった。もう、涙も出なかった。
◇
葬儀の翌日。私は、再び患者の治療に戻った。
何もしないでいると、トーマスのことを考えてしまう。それが、耐えられなかった。
だから、働き続けた。一人でも多く、救おうと。トーマスを救えなかった私が、せめて他の人を救おうと。
◇
でも、さらなる悲劇が待っていた。
ある日。師匠アデラが、倒れた。
「師匠!」
私は、駆け寄った。72歳の師匠は、激しく咳き込んでいた。まさか、師匠も疫病に…?
「大丈夫…マルタ…」
アデラは、弱々しく微笑んだ。
「私は、もう歳だ…」
「そんなこと言わないでください!」
私は、師匠を家に運んだ。そして、必死に治療した。
でも、師匠の容態も悪化していった。
◇
2日目の夜。師匠が、私を呼んだ。
「マルタ…」
「はい、師匠」
「お前に…伝えたいことが…」
「無理に話さないでください」
「いや…今言わないと…」
アデラは、息を整えた。
「お前は…立派な薬草師になった…」
「師匠…」
「私が…教えられることは…全部教えた…」
「…」
「これからは…お前が…村を守るんだ…」
「師匠…死なないでください…」
私の目から、涙が流れた。
「マルタ…泣くな…」
アデラは、優しく微笑んだ。
「お前は…強い子だ…」
「…」
「知識を…継承しなさい…」
「…はい」
「いつか…お前も…誰かに…」
師匠の声が、弱くなった。
「…伝えて…くれ…」
「師匠…!」
「薬草の知識は…人類の…宝…だから…」
その言葉を最後に、師匠アデラは静かに息を引き取った。
「師匠…!」
私は、師匠の手を握って泣いた。
またか。また、大切な人を失った。トーマスに続いて、師匠まで。
なぜ…なぜ私は、誰も救えないの。
◇
師匠の葬儀も、簡素だった。
村人たちは、皆悲しんでいた。アデラは、50年以上、この村で薬草師として働いてきた。多くの命を、救ってきた。その人が、疫病に倒れた。
「マルタさん、これから私たちをどうか…」
村人が、私に言った。
「師匠アデラの後を、継いでください」
私は、何も答えられなかった。ただ、頷くことしか。
◇
疫病は、3週間続いた。そして、ようやく終息した。
村の人口は、3分の2に減っていた。30人以上が、亡くなった。その中には、トーマスがいた。師匠アデラがいた。
そして、私の心も死んでいた。
◇
すべてが終わった後。私は、一人で師匠の家を訪れた。
誰もいない、静かな家。庭には、薬草が植わっている。でも、師匠はもういない。
私は、師匠の机に座った。そこには、師匠が残してくれた薬草の記録があった。
古い巻物。ノート。何十年もかけて、記録してきた知識。
私は、それを手に取った。
師匠、私はこれを継承します。そして、いつか誰かに伝えます。
涙が、また溢れた。でも、今度は、ただの悲しみではなかった。決意の涙だった。
トーマス。師匠。あなたたちの分まで、私は生きる。そして、この知識を守る。
27歳の冬。私は、すべてを失った。
愛する人を。師匠を。そして、幸せを。
でも、同時に使命を得た。薬草の知識を、継承すること。いつか、それを誰かに伝えること。




