EP:08
目の前の醜悪な悪魔は、あっけらかんとした表情を浮かべていた。
まるで当然の様に、当たり前の様に、何も不思議は無い、と言いたげなその表情に、私は、理解した。
そうか。
人間と悪魔が相容れない理由は、決して呪いのせいだけではなかったのだ、と。
私達が悪魔に触れると、“呪い”によって強制的に嫌悪、異物感、恐怖心が生じる。
それは人間の防衛本能とも、あるいは女神様の加護とも言われている。
その呪いに抗う術は無く、解呪も出来ない。
本人の精神力などが関係し、発動する時間に差はあるらしいが、その差も数秒程度。
だから、私は“呪い”こそが、悪魔と相容れぬ理由なのだと思っていた。
――甘かった。
悪魔は、“悪魔”と呼ばれるに相応しい存在だった。
命の価値は人それぞれと言う。
私も、その通りだと思う。
家族、友人、恋人、それと他人の命の価値が平等だと、そんな絵空事は言えない。
そんな夢理想を持っていたのなら、私は、家族が人質に取られても、目の前の小さな手を取れただろう。
聖女であっても、私は一人の人間であることに変わりない。
そんな私でも、目の前の光景は、絶対に理解出来そうにない。
命を命と思わないその言動に、個人を個人として尊重しないその様に。
そして、それが"当たり前"であるその価値観。
全てが"異質"で、そして理解し難い。
悪魔は、私たちと全く別次元に生きている。
……だから、私は、"そういうもの"だと、静かに思考を放棄した。
「1+1=2」であるように、"そういうもの"だと、結論付けた。
「……そうですね。では、生き返してください」
「分かった。君が望むなら、ララを生き返らせよう」
悪魔は自分の髪の毛を1本抜いて、それから呪文の詠唱を始めた。
何をしているのかは分からなかった。
私達人類には成し得ない。
悪魔にしか……いいえ。
悪魔なら、そんなことが可能なのか。
悪魔の声に呼応して、ララの身体の周囲に魔法陣が浮かび上がる。
膨大な魔力が空気を震わせ、光と共に魔法陣が彼女の身体を包み込む。
やがて――ララが、息を吹き返した。
彼女は自らの手足を確かめるように見つめ、それからゆっくりと周囲を見渡して、一言。
「ご主人様、ありがとうございます」
まるで幾度となく繰り返してきた儀式であるかのように。
彼女は落ち着き払って礼を述べた。
「アリシアの希望だったからね。気分はどう?」
「はい、問題ありません」
「よし。さて、君の望む結果になったよ?気分は良くなった?」
目の前の光景は、信じがたいものだった。
だって、命が、帰ってきた。
そんなことが出来たら、どれだけの涙を拭ってあげられただろう。
それは神様と変わらない。
女神様がお許しになるのなら、そんな奇跡が許されるなら――。
ララと目があえば、不思議そうに私を見た。
ハッとして、現実に帰ってくる。
何が起こったのか、何があったのか、どうやったのか。
全ては、今知らなくてもいいだろう。
そもそもの行為も許せない。
その価値観も理解できない。
でも、結果として、ララは生き返ったのだ。
その事実だけで、私は救われる。
たとえそれが、悪魔の所業だとしても。
「そうですね。はい。ありがとうございます」
悪魔は私の返答を聞いて、嬉々とした声で語りかけてきた。
「良かった!やっとまともに会話できるね」
「はい。何が知りたいですか」
「知りたいことは沢山あるよ!君の好きな食べ物とか」
「……え?」
「君が嬉しい?とか幸せ?とか、楽しい?気持ちになる為には、どうしたらいいかな?」
「……はい?」
「美味しい食事はミミに作らせるし、身の回りはルルがやってくれる。でも他に何をして欲しい?」
「……何故ですか?」
「うん?何が?」
「何故、私を幸せにしたいのですか?」
「何故って、味の為」
「……味?」
「そう。味の為だ」
「……私を、食べるのですか?」
「まさか!そんな勿体ないことはしないよ」
「……では、生きた状態で、血を食されるのですね?」
「そう!話が早くて助かるよ」
「……そうですか」
(……なるほど。少し理解してきた)
「だから、なるべく君に好かれたい。その為に努力は惜しまないよ」
「そうですね……」
吸血種に必要なのは人間の血だ。
人間の血であれば生死は問わない。
吸血種はその美貌から、人間を容易に手に入れる事が出来る。
人間にとって非常に厄介で危険な悪魔と、教えられた。
つまり、この吸血種、やはり偏食なのだろう。
血の“味”を求める、なんて話は聞いたことが無い。
その味も、感情に左右される……ね?
……無理だ、と思った。
だって、悪魔が触れるだけで"呪い"が発動するのだから。
強制的なそれに抗う術は無い。
つまり、"味"は良くならない。
(さて、どうしたものか……)
このことを正直に伝えれば、私は殺されるのだろうか。
死んでしまえば、呪いは発動しない。
(死……か。……そう。死んでもいいか)
そう、だね。
うん。もう、いつ死んでもいい。
正直言って、生きる気力が無い。
ここから逃れられたとしても。
あるいは、この場所に縛られ続けたとしても。
どちらにしても、私は、変わらない。
私の意思など、私の人生など、聖女になってから歩めていない。
……。
だから、今、もう死んでもいい。
むしろ本望だと言えてしまう。
あの時、襲撃の時、もう死を覚悟したのだから。
生きている今が、正しい運命でないのだから。
そう、思う。
だから、もう、いい――。




