EP:07
(生きて、この場所から出られたとして、私は、何をする……?)
また聖女として、その役割を果たさねばならないのか。
(……嫌だ、絶対に嫌)
もう、目の前で苦しむ誰かを見捨てたくない。
ならば、身分を隠して生きていく?
……それも、難しい。
「聖女」の称号は、他に誰も持っていない。
隠蔽魔法は数あれど、すべての調査の目を掻い潜れるわけではない。
それに……
この肩に刻まれた主従の印が、私を“奴隷”であると告げてしまう。
《奴隷が主人の下から逃げた》
そんな噂が広まれば、生きる場所など、どこにも残らない。
いっそ、一人で暮らすか。
……それなら、叶うかもしれない。
人里離れた地で静かに生き、たまに訪れる人々を癒せたら。
(……さすがに、それは夢を見すぎか)
癒しの魔法を行使できる者自体が、極めて少ない。
私の事が広まれば、必ず調査されてしまうだろう。
私の存在が広まれば、いずれ必ず調査が入り、「聖女」の役割を、あの重荷を、再び背負わされるだろう。
(あぁ……)
ただ、私は、私の力で、誰かを助けたいだけなのに。
「助けて」という声に「もう大丈夫だよ」と応えてあげたいだけなのに。
どうして、どうして――。
「コンコン」
ノックの音に、反射的に身体が動いた。
瞬時に臨戦態勢を取る。
身体は思うように動く。
命令されなければ、逃げれる。
……。
(……逃げて、だから、その後はどうするの……?)
正直に言えば、私は人生を諦めていた。
「聖女」の称号を得てから、多くの我慢と、幾度も味わった絶望。
そして、人生を諦めてからの地獄のような時間。
何も為せず、何も掴めず、私の人生に価値があったのだろうか。
(生き延びたところで……)
そう、思わずにはいられなかった。
「ガチャ」
ドアが開き、容姿端麗な悪魔が笑みを浮かべて部屋に入ってくる。
私の傍らに近づき、椅子に腰掛け、手に持っていた食事を傍らに置いた。
「やあ。気分はどうかな?」
「……」
「怪我は、もう癒えたろう?」
「……えぇ」
「ありがとう、くらい言えないの?」
「……」
「そんなに怒って、何が気に入らないの?」
「……」
「うーん。どうにも会話にならないね」
悪魔は立ち上がり、何かの呪文を口にした。
(……何をしているの?)
すぐに再び、コンコン、とノックの音が響いた。
「入りなさい」
扉が開き、部屋に入ってきたのは、三匹の小さな悪魔。
まるで人間の子供のような可愛らしい姿。
小さな角、尖った耳、そして愛らしい尻尾。
小さな悪魔は、声を揃えて言う。
「ご主人様。お呼びでしょうか」
悪魔は笑顔のまま、私を見た。
「君に紹介しようと思ってね」
「……」
「左からララ・ルル・ミミ。君の世話をしてくれた俺の眷族だ」
「……」
「ララは回復魔法が得意でね。毎日君の傷を癒してくれた」
「ルルは身の回りの世話を担当してくれた。君が不快な思いをしないように努めてくれたよ」
「ミミは健康状態を常に観察してくれてね。人間に必要な物を取り揃えてくれたよ」
「……ありがとう」
「やっとお礼が言えたね、素晴らしいことだ」
「……」
「さて、自己紹介も終わったところで、君の番だ。名前を教えてくれるかな?」
「……」
「命令してもいいんだけど……できれば、自分の意志で答えてほしいな」
「……」
「はぁ。仕方ない。君が答えないなら、順に眷族を殺そうか」
「……!」
「左からでいいか、ララから順にね」
「ま、待って」
「なに?」
「貴方の、仲間でしょう?」
「眷族?眷族は眷族だよ。仲間ではない」
「家族、でしょう?」
「いいや、家族じゃない。眷族だ」
(……何を、言っているの?)
「何故、貴方の眷族を殺せば私が話すと思うの……?」
「何故って、君が人間だからだよ」
「……どういう意味?」
「人間は、恩のある者には“情”を抱くんだろう? だから紹介したんだよ」
「……何を、言っているの?」
「ララは君を癒した。なら、ララを殺すことに、君は抵抗があるはずだ」
「……」
「人間の感情は理解できないが、そうだろう?」
「……いいえ」
「そうか、なら殺そう」
私の声よりも早く、悪魔の手が動いた。
ララの首が、跳ねた。
鮮血が、視界を染めた。
(え……? なに……? え……?)
ドクン、と心臓が鳴った。
(……ちがう。何かの幻、いや……そんなはずが)
血の匂いが、現実だった。
声が、出ない。
あまりに突然で、あまりに、冷たくて。
(え……?)
「な、なんで……どうして……?」
「なんでって、君の抵抗を引き出せなかったのは、ララの落ち度だろう?」
(……な、なにを言っているの……?)
「次はルルだ。ルルを殺されることに、君は抵抗を覚えるかな?」
「や、やめて……お願い、殺さないで」
「殺さないさ。君が名前を教えてくれたらね」
「い、言う。言うから……目の前で殺さないで……!」
「うん、理解が早いね」
悪魔は素直に頷き、自身の爪を元の短さに戻した。
(何が、起こってるの……?)
自分の眷族を平気で殺せる感覚も。
私の言葉一つで殺されてしまった現実も。
目の前で助けられなかったその命も。
全てが、目の前の全てが理解できなかった。
「な、名前を言う。だから、もう誰も殺さないで」
「わかった、わかった」
「名前は、アリシア。アリシア・ウォール」
「アリシア。とても良い名前だね」
「ちゃんと、話す。そう……話がしたいんでしょう?」
「そう。アシリアと会話がしたくてね」
「わかった。だから、もう……殺さないで」
「うん。君の抵抗力が残っていたみたいで嬉しいよ」
悪魔はまるで友人のように嬉しそうな声で言い、椅子へと再び腰を下ろした。
「さて、アリシア、気分はどう?」
「……最悪」
「なぜ? 傷は癒えたはずだ」
「……体に……問題は無いわ」
「では何が不満? どうして怒っているの?」
「……悪魔の事が、理解できないからよ」
「そうか、アリシアは俺がララを殺したから怒ってるんだね?」
「……そうね」
「なら、生き返らせればいいんじゃない?」
(この悪魔は……何を、言っているの?)
何もかもが、追い付かない。