果ての狂気
ー登場人物紹介ー
◆桜田風晴・・・田舎の農業高校2年。
◆大道正火斗・・・ミステリー同好会部長。高校3年。実家は大企業の財閥グループ。
◆大道水樹・・・ミステリー同好会メンバー。正火斗の妹。高校2年。
◆安西秀一・・・ミステリー同好会副部長。高校2年。父親は大道グループ傘下企業役員。
◆桂木慎・・・ミステリー同好会メンバー。高校2年。
◆神宮寺清雅・・・ミステリー同好会メンバー。高校1年。
◆椎名美鈴・・・ミステリー同好会メンバー。高校1年。
◆真淵耕平・・・灰畑駐在所勤務。巡査部長。
◆真淵実咲・・・耕平の妻。
◆真淵聖・・・耕平と実咲の長男。農業高校2年。
◆真淵和弥・・・耕平と実咲の次男。
あれは 小学校の廊下だった。
授業参観に出た後、学級懇談会は欠席にしていた。
聖の歯医者の予約が入っていたから。だが、息子が歯医者で口を開いてくれるのは、3回に1回程度だった。言い聞かせて言い聞かせて……なんとかそれを3回に2回にする。どうしても口を開くのが嫌な日もあるようで、そんな時はただ歯医者や看護師達に謝ってくる。謝って戻ってくる。それしかないのだ。今日は一体どっちだろう…………
重い気持ちで廊下を進む。
聖はもう車の中にいるが、給食袋を忘れたと言うので自分だけが戻って取りに来ていた。
教室前の廊下側にはズラリと 荷物がけが出席番号順に並んでおり、体育着袋や上着、給食袋がかけられている。
(あった……!)
真淵聖の名前を確認して近づいていく。
その時だった──
「でもおかしいんじゃないですか? たった一人のやらない子供のために、他のやりたい子供達ができなくなるって」
教室の中の学級懇談会の保護者の声だった。ハッとして
足を止める。
「ここの学校では 毎年高学年は参加していたんですよね──大縄なわとび大会。その子一人のためだけにやめなくちゃいけないんですか?」
また別の保護者の声。
「うちの子は、兄の時の大会を観に行って参加するもんだと思っていたんですよ。あの時は全国大会までいって私も感動したのに……どうして……」
また別の、今度はひどく感情的になった保護者の声。
「大会の規定が児童の全員参加なんです。そのお子さんは、怖くて大縄をくぐって入っていけないんです。ですからどうしても参加は無理と……」
教師は 歯切れ悪く説明をする。
「じゃあ、跳べなくても縄を回したらいいじゃないですか、それも児童の参加なんですよね?」
また 他の声。
「なんと言いますか……彼は、20回も回すと飽きて だいたいは、あとは回すのを止めてしまうんです。20回以上は滅多に続かない。──10以下でやめる時も。
それで、あの……これでは参加は無理だなと言うことになりまして……」
「何なんですか、その子。そんな出来損ないの子のために……」
私の中で何かが割れた瞬間
あの少し前の感情的な声の保護者だった。
給食袋には、もう手を伸ばすこともなく振り返る。逃げるようにその場を離れた。
申し訳なさ? 悲しみ? 怒り? 悔しさ? 憎しみ?
感情は渦巻いて、もはや誰に、何に対してなのかすら分からない。
ただ胸を潰す痛み……痛み…痛み 痛み!!!!!!!!
呼吸をすることすら 苦い。
世界は歪み 私にただ、ただ鋭く突き刺さる。
心は血を流す。
もうとっくに血が流れていた傷口を、切り開かれ、塩を塗られ、握り潰される。
その痛み も 感じなくなった とき
私は どこに行くんだろう?
あの子と 共に
いつの間にか自分の車の前に立っていた。中には聖が待っている。
ドアを開けて車に乗り込む。エンジンをかけて、ハンドルを握った。
アクセルを踏んで走り出す。
でも、もう歯医者には向かっていなかった。
日が沈む海岸線──
私は車を走らせて 聖と、聖の好きな水族館に向かう道路に入った。途中、途中に海の眺めの良い高い岩壁がある。
そのうちの一つに止めた。
場所で選んだのではなく、時間で選んだ。
あぁ……今なら 夕焼けが一番きれいだ。
学級懇談会の保護者達には、どうしても怒りを向けることは出来なかった。自分もあちら側だったら、同じように考えてしまっていたかもしれない。
同時に怒れない自分は、母親として失格なような気もした。何故聖のために私は怒ってやれないんだろう。あの教室に一喝してやれたなら、むしろもっと楽だったろう。
どこかで 自分が 思っているのだろうか。
あんなひどい言葉ではなくても
息子はどこかが 人より至らない 駄目だ ──と。
私から産まれた私の息子
誰よりも 愛しているのに
誰よりも 愛すべきなのに
私は汚い
私は醜い
私は邪悪で
残酷で卑怯だ
私は……
……………
顔を覆っていた両手を外す。
涙に光る両眼で前を見据えた。
眼前は、ただ木に巻きつけられた針金のようなお飾りの柵があるだけ。
その先は海だ
飛び込めば全てが終わる
苦しみから……
解き放たれる
翔べ!
アクセルを踏み込もうとした その瞬間──
「お腹…………空いた」
後ろから声がした。
ハッとして振り返る。
見ると、久しぶりに息子が視線を合わせてハッキリと
「お腹空いた……お母さん」
と言った。言ってくれた。
言ってくれたんだね。
「そうね。…………帰らないとね」
この子に ご飯を作らないと。
食べてくれる種類も限られているけれど。
そうだ、今夜はカレーにしよう。
あの人もきっと喜ぶ。
そうして、車をUターンさせて家路に向かった。
──向かうことができたんだった。
あの時……
実咲は目を開いた。
白い天井が見えて、一瞬 自分がどこにいるか分からなかった。──家じゃない。
やがて 自分の身体についている呼吸器やチューブに気づく。
(ああ、病院なんだ。私、私は……助かってしまった?)
心は安堵より むしろ絶望した。
全てを終わらせれば、パンドラの箱は守られるはずだったのに。
永遠に。
そういう約束だった。
私から申し出たんだ。
桜田風晴にも
桜田風子にも
そして、彼らにも。
病室の扉が空いて人が入ってくる。
それは夫でもなく看護師でもなく、清掃員の男だった。
呼吸器を自分で外して なんとか上半身を起こす。
「残念だったな。でもチャンスは、またやるよ」
駐在所にかかってきた電話の声だった。その後は 私のスマートフォンに。──この男なんだ。
「秘密が守られるなら」
実咲はその男を見上げて言ったが、瞳は何も映してはいなかった。
彼女はただ思った。
聖ガ 守レルナラバ
転落編・空中これにて終了となります。
転落編・飛翔に続きます。
私は作者として更なる転落を張り巡らせていますが、皆様お気づきの通り、正火斗、風晴達も もう抵抗の心構えです。
転落編・飛翔では、以前後書きで予告した通り、極限下での智力と勇気を振り絞って、更なる悲劇を止めるために駆け回ることになるはず。
聖は?安西は?水樹は?の答えもここで出すつもりでおります。どうか、次なる転落編・飛翔にお付き合いください。
読んで頂きまして、誠にありがとうございました。
本当に心から。
ありがとうございます。
シロクマシロウ子




