8. アンドロイド
☆
「……」
目覚めて、自分が保健室にいるとわかった。
消毒液の匂い。真っ暗な窓の外。チクタクと鳴る秒針。独特の雰囲気が病院や保健室を思わせる。
おそらく場所は新校舎。時間はそれほど経っていないようだ。紫衣さんが運んでくれたのだろうか。礼を言わないと……。
「――紫衣ではなくてすみませン」
「うぉお!?」
「うるさいでス。保健室では静かにしてくださイ」
「ごめん……」
枕元の横。椅子に座っていたのはモドだった。本物の人形のように気配は一切なく、無機質な銀の瞳が俺を見つめ返す。不思議なことに、視線からは心配の色を感じた。
「火花が気絶してより二時間三分四十三秒が経過しましタ。ただいまの時刻は十八時四十二分でス。体調はいかがですカ」
「悪くはない。……忘れてたことを、思い出したよ」
「そうですカ。それは何よリ」
モドはそれきり、黙って見つめてきた。無表情のままだ。俺に何か言えと視線で訴えてきている気がする。頬を撫で、口を開く。
「俺のこと知ってたのか?」
「? それは、火花の両親が既に亡くなっていることでしょうカ」
「……あぁ。他にも?」
「火花が"患者"として紫衣の下に通っていたことでしょうカ」
「……やっぱそうだったか。そうだよな……」
起こしていた体をベッドに沈める。
そう、俺は患者だった。今まではカウンセラーと患者だなんて軽い気持ちで言ってきたが、俺と言う男はちゃんと"患者"だったのだ。
何故俺が別れを忌避していたのか。
何故俺が精神的に不安定だったのか。
何故俺が、カウンセリングを受けていたのか。
全部、思い出した。
「なぁモド」
「はイ」
「紫衣さんは、どうして急に俺の記憶思い出させようとしたんだろうな」
「良いタイミングだと思ったからでしょウ」
「なんだよ、タイミングって」
別離のボランティアを続けて、俺が両親との死別を受け入れられるようになったことだろうか。別に受け入れられてはいない。ただ理解しただけだ。
「前にも言ってたよな。時間が有限とかなんとか」
「よく覚えていますネ。無駄な記憶力でス」
「紫衣さんみたいなこと言うなよ……」
「まあいいでしょウ。火花」
「おう」
真面目なトーンには真面目に返す。無表情のモドはどこか真剣な雰囲気を纏っていた。
「紫衣のことハ、どこまでわかっていますカ?」
「カウンセラーで姉で先生で……俺の専属医師?」
「馬鹿でしたカ」
「なんだよ馬鹿って。馬鹿じゃねえよ」
「では阿呆ですネ」
「ちげえよ!」
「保健室でハ?」
「……はい。静かにします」
「よろしイ」
モドが妙に紫衣さん味を帯びてきていて、嬉しいやら悲しいやら。俺は紫衣さんの全部が好きだが、怒られたり叱られたりするのは好きじゃない。「めっ、ですよ」といった感じの紫衣さんが好きなだけで……いやこれはこれで不健全か。
「阿呆なことを考えていますネ」
「んなことねえよ」
「そうですカ。それより火花、あなたは馬鹿なのデ、馬鹿なまま突き進むのが良いかト」
「なんだよそれ」
「賢いことがいつでも正しいわけではないのでス。紫衣モ、あなたくらい馬鹿で阿呆で幼稚で単純であれば良かったのですガ」
「なんだかすげえ罵倒された気がする」
「気がすル、ではなく罵倒しましタ。褒め言葉でス」
「褒めてんのかよ……!!」
大声を出さなかった俺を褒めてほしい。思ったら、モドが手を伸ばして頭を撫でてきた。訝しげに見ると、首を傾げぱちぱち瞬きする。くそ、可愛いな……。
「何か違いましたカ?」
「いやなんでもねえ。俺は紫衣さんのところ行ってもいい、ってことだよな?」
「好きにしてくださイ。紫衣なら部室に戻っていますヨ」
「了解」
ベッドを下りて靴を履く。
気分は悪い。最悪だ。外は夜だし、晴れやかさなんて微塵もない。思い出した記憶は最低で、そりゃ現実逃避もするかと苦笑いが出る。
それでも足は軽かった。頭痛は消えた。ノイズもほとんどない。
紫衣さんと話したい。ありがとうと言いたい。ここまで俺を立ち直らせてくれて、記憶を取り戻させてくれて、現実に引き戻してくれてありがとうと伝えたい。
「よしっ」
一歩踏み出し――てすぐ、袖を引っ張られる。見れば、座ったままのモドが見上げてきていた。
「私も行きまス」
「……背負えと?」
「? それが火花の仕事ですガ?」
「オーケー。そうだったな。行こうぜ」
「物分かりがよくて助かりまス。お礼に頬をくっつけてあげますネ」
「うっぉお!?!?」
「うるさいでス」
「……俺が悪いのかよ」
「悪いでス」
「……すみません」
「はイ」
ぴとっと頬を合わせてきたモドを背に引っ付け、微妙な気分で廊下を走る。
人気のない通路は誰とすれ違うこともなく、新校舎からプレハブに向かう間も他の生徒とは出会わなかった。
寒々しい野外を抜け、プレハブ校舎の奥へ。
毎日のように通ってきた廊下を駆け抜け、ドアのガラスから明かりをこぼす部室の前で止まった。呼吸を整え、整え、整え……。
「入りますヨ」
「まっ」
静止の声は想像の数倍か細く、自分なのに自分じゃないみたいだった。
ガラガラと音を立てて開いたドアの先、教室のような部室。その奥側に紫衣さんは座っていた。いつもの席で、いつものように……けれどどこか物憂げに、アンニュイな顔で目を伏せていた。美人だ。
「早く歩いてくださイ」
「わ、わかったって」
紫衣さんに見惚れるのも束の間、顔を上げた美女と目を合わせるのをギリギリで避け、モドに急かされ部屋に入る。
銀人形を定位置に降ろし、俺もまたいつもの席へ。座り、机を見つめる。
「……」
「……」
視線を感じる。ちらと、ほんの一瞬だけ目を動かしたら紫衣さんが凝視してきていた。怖い。
「……あー」
いやどうすればいいんだ。礼を言えばいいんだろ。そうだ、礼だ。何よりまずありがとうだろ。そうしよう俺。そうしろ、俺!
「あ、ありがとうございました!」
「ごめんなさい、火花君!」
「え?」
「えっ」
「どうして紫衣さんが謝るんですか?」
「どうして火花君がお礼を言うんですか?」
「「……ふ」」
「ふふ、ははは!!」
「うふ、ふふふっ」
変なやり取りに二人して笑ってしまう。視界の隅でモドがやれやれと首を振っていた。絶対"こいつらアホだ"とか思ってる。見なかったことにしよう。
「ふふ、火花君。全然変わりませんね」
「まあ、そりゃそうっすよ。俺は俺のままです。……ていうか、やっぱ俺が記憶なくしてることわかってたんですね」
「はいっ。そのためのカウンセリングでしたから」
「俺の記憶取り戻すの、手伝ってくれてありがとうございました。おかげでバッチリ思い出せました。……内容は最悪でしたけどね」
紫衣さんは嬉しそうに笑ってくれた。ニコニコと、俺の復活を心から喜んでくれている。ありがたいことだ。さすがは俺のカウンセラーである。
「うふふ、荒療治したかいがありました。ごめんなさい、急に記憶刺激したせいで火花君倒れちゃいました」
「あぁ、それでごめんなさいか。いいっすよ別に。こうして元気になったんで結果オーライです」
少々きつかったが、紫衣さんと話せて元気になったから充分だ。あとは俺が卒業するか紫衣さんが離職するまで、カボス部で楽しく過ごさせてもらおう。両親のアレコレは……まあ、もういいだろう。過去の俺が存分に泣いて喚いて疲れ果ててくれたんだし、今の俺は少しくらい前を向いて生きよう。
「じゃあ、これからのことも全部わかっているんですね」
「そうっすね。あとはカボス部で卒業までだらだらさせてもらいます」
「――――ぇ」
「両親のことはしょうがないです。考えるのは辛いんですけど、もう忘れようとまではしませんよ。だから……紫衣さん?」
うんうんと頷きながら話していたら、紫衣さんが固まっていた。呆然とした顔で、ひどくショックでも受けたような……。俺が呼び掛けると、難しい顔のまま手を伸ばしてきた。
「火花君」
「はい? な、なんですか」
「ちょっとおでこ借りますよ」
「うぇっ」
柔らかな手が俺の額に当てられた。何のつもりが、何の意味が。今さら医者の真似事されても困るんだが。
「――……なる、ほど」
「何がわかったんですか……?」
おでこじゃ何もわからねえだろと言いたい。
椅子に戻った紫衣さんは、すごく複雑そうな顔をしていた。
「火花君」
「は、はい」
「火花君は、火花君ですね」
「なんすか、それ」
「ちょっと考え事がしたいので先に帰ります。後はモドちゃんに任せますので、お願いしますね。戸締りだけしてください」
「え、急過ぎません?」
「すみません。少し……時間をください」
「また明日」と告げて部室を後にする紫衣さんは、何かを堪えているように見えた。今にも決壊しそうな感情の波を耐えて……何の感情だったのか。少なくとも、喜や楽ではなかったろう。
「……」
俺は、あの人にそんな顔をさせたいわけじゃなかった。
天井を見て、重苦しい感情すべてを飲み込む。ここに話し相手がいてよかった。
「モド」
「はイ」
「俺、紫衣さんに何か言ったかな」
「火花は馬鹿ですからネ」
「……俺、馬鹿かぁ」
「はイ」
紫衣さんが何か傷ついていたのは確実だ。俺と話していてそうなったということは、俺に原因があるということ。それがわからない俺はつまり……。
「……はぁ」
認めたくないが、俺は馬鹿かもしれない。
――翌日。
今日も部活は始まる。十二月の中旬手前。二週間もすればクリスマスである。思春期の学生としてはクリスマスに恋人だデートだと気にした方が良いのかもしれないが、俺にそんな余裕はなかった。
席に着く。
表面上は普通だ。普通に挨拶をして、ぽつぽつと話をして、普通に過ごせている。普通のまま。いつものまま。しかし。
「……」
紫衣さんは俺と目を合わせようとしなかった。ちらちら見てくるのに、俺が見るとサッと逸らされる。悪戯してバツが悪い子供か、と思ってしまう。
ぎこちない俺たちにモドは冷え切った視線を送ってきていた。今日も陽ノ崎は休みなので、部活動は三人で行われる。
俺はどうすればいいんだ。経験値が、経験値が足りねえ。
ここで謝っても「何に対して謝ってるんですか?」とか言われたら終わる。漫画で見たことある展開だ……。よし。
「紫衣さん、さ」
「はい。何でしょうか」
「怒ってます?」
「? 怒ってないですよ」
「怒ってますよね?」
「怒ってないですって」
「……怒ってますよね」
「怒りますよ?」
「やっぱり怒ってるじゃないですか……」
「……火花君」
「う、うす」
「お説教です」
「ぇっ」
カウンセラーからガミガミとお説教を受けるはめになった。モドに目で助けを求めれば、やれやれと首を振り溜め息を吐かれた。しかも「今は私に集中してください!」と紫衣さんに怒られた。男は辛いぜ。
結局、部活はお説教とカレー屋バイトだけで終わった。紫衣さんと気まずくても、しっかりカレー屋まで来て監督役は熟してくれたので嫌われたわけではなさそうだ。いやでも仕事だからという側面も……まあ、本当に嫌いなら説教なんてしないか。
それから数日は同じような状況が続き、ひどい膠着状態にもやもやしつつも部活とボランティアに大きな変化は訪れなかった。
紫衣さんはよく「大丈夫ですか?」と心配そうに聞いてきて、その心配性な理由もまた気になって……無駄に考え過ぎる自分が嫌になり、また心配され……以降無限ループである。
ナーバスなまま時は過ぎ、クリスマスまで残り十日ほどとなった日。
「――今日、私は用事があるのでボランティアに行けません。代わりにモドちゃんが火花君を見守ります。……火花君、大丈夫ですか?」
珍しく紫衣さんは用事があると言うので、平然を装い頷く。
「っす。大丈夫です。なんとかやります」
「はい。……ありがとうございます。何かあったら連絡してくださいね」
気まずさMAXの紫衣さんは消え、今朝辺りから心配性MAXな紫衣さんが現れていた。まだあまり目は合わせてくれないので、以前と元通りにはなっていない。
俺の無限ループが功を奏したのか、見るからに疲れているからか……。考えるのはやめよう。
後ろ髪を思いっきり引かれながら早々いなくなってしまった紫衣さんに続き、俺もモドを背負って学校を出る。
プレハブを歩き、校庭を歩き、道路を歩く。木枯らしが冷たい。冬の匂いがする。
「……」
冬枯れの街に足音一つ。
良い機会かもしれない。俺一人では、もうだめだ。
「なあ、モド」
「はイ」
「俺、紫衣さんに悪いことしたかな」
「そうですネ」
「教えてくれ」
「構いませんヨ」
「いいのかよ……」
「私も見ていて疲れましタ。馬鹿二人と居ると私まで馬鹿になりそうでス」
「ひでえ」
「事実でス」
いつものように俺の肩に顎を乗せているモド。
淡々とした口調でするりと答えを言う。
「火花、隠し事をしていますネ」
「はぁ。別にしてねえけど」
「両親の死、微塵も受け入れられてなどいないでしょウ」
「――…………」
「沈黙は是でス」
「……それが、バレていたから、かよ……」
「いえ違いますガ」
「は……?」
なん、なんだ。
俺は……確かに、親の死を受け入れられてなんかいない。飲み込めてなんかいない。割り切れてなんかいない。
いくら過去の俺が泣き喚いてスッキリしたからって、感情全部なくなるわけじゃない。事実は変わらない。親にはもう会えない。
自分を誤魔化して、無理矢理に飲み下して押し込めているだけ。考えないように無視しているだけ。そうでもしないと……きついだろう。
「それは多くの人がやっていることでス。紫衣も火花が前を向こうとしていることは知っていまス」
「これが当たり前なのかよ……」
なんだよ、それ。皆、すごすぎるだろ、大人って。
溜め息を飲み込み、天を仰ぐ。嘘みたいに晴れ渡った空が綺麗だった。憎らしいほどの青空、なんて言葉はこういう時使うのだろうか。自嘲気味に笑い、モドと話す。
「……これじゃないなら、紫衣さんが気にしてるのは何なんだよ」
「火花の記憶が不確かだからでしょウ」
「……記憶?」
「記憶喪失だということは理解していますネ?」
「ああ。もう思い出したけどな」
「それが不足していると言っているのでス」
「んなことねえ、だろ……」
「どうしてすべての記憶を思い出せたと思っているのですカ?」
「……」
「紫衣は中途半端に火花を刺激シ、これまた中途半端に記憶を思い出させてしまったことを悔いているのでス」
さらりと風が流れる。
緑を失った木が音もなく揺れる。冬の空気が冷たくて痛くて、心臓までも縮むように思えた。
ちらりと、微かなノイズ。
「……中途半端か」
モドが言うなら、そうなのだろう。
俺は今の自分を信じられない。前に進んだと思っていた。あぁそれは事実、一歩二歩は進めていたのだろう。でも。
「……変な方に歩いてたんじゃ、意味ねえか」
ごちて、苦笑する。
無理して前向きになろうとしてるやつが、実はまだ病気のままだったなんて……そりゃ紫衣さんも心配するわ。
「俺、紫衣さんに話した方がいいんだな」
「そう言っているではありませんカ」
「けど、どうやって切り出せばいいんだよ」
「火花は馬鹿なのですかラ、愚直に正面から話せばよいのでス」
「記憶取り戻すの手伝ってくれ! って?」
「はイ」
「……つっても、どうして記憶喪失なんだよ、俺」
「反抗期なのでハ?」
「記憶が?」
「はイ」
「馬鹿か」
「お馬鹿はあなたでス」
「……くそ、言い返せねえ」
「さア、わかったならさっさと馬鹿者らしく突き進むのでス。それがあなたの取り柄でもあるのですかラ」
「……はいよ」
ガリガリと頭を掻こうとして両手が塞がっていることを思い出した。
「手離してもいいか?」「だめでス」「なんでだよ。頭掻きてえんだけど」「だめでス」「……なんでだよ」「代わりに私が掻いてあげましょウ」「……おい待てやめろ顎で掻こうとするんなぁだあああ!!?」なんてやり取りを挟み、俺たちはボランティア先に着いた。カレー屋だ。
そこそこ忙しくしていたらすぐにバイトは終わり、客の減った店内でカレーを食べる。今日は紫衣さんがいないので一人飯だ。やたら人間臭いモドも食べ物は食べられないらしい。
「店長」
「おう。何だ」
「俺、紫衣さんと喧嘩中?なんすけど」
「ガハハ、見りゃわかるぜ。んで?」
「いつも通りに戻ってもらうにはどうすればいいんすかね」
「そりゃオメェ、ケーキでも持って謝りゃいいだろ。ミシェラさんはとんでもねえくれぇ火花のこと大事にしてるみてぇだからな。オメェが心配でもかけたんだろ。ちゃちゃっと謝って仲直りするこったな」
「……返す言葉もねえ。店長、どうもです」
「おうよ」
ニカリと笑う店長からアドバイスを受け、ごちそうさまをする。
近所のケーキ屋を教えてもらい、急いで買って部室に向かう。定番のショートケーキとチョコレートケーキ、ついでにフルーツケーキも買わせてもらった。
電車に乗り、夜道を歩き学校へ。
冬の星空は透き通っていて綺麗だった。遠く、瞬く煌めきが眩しい。
「火花、緊張していますカ?」
「別に」
「筋肉が収縮していまス」
「……わかってるなら聞くなよ」
そういうところはアンドロイドなんだなと思う。
コツコツと、小さな足音一つ分。背中の冷めた温もりが今日はずいぶんと心地よかった。
「モド、ありがとな」
「? 何に対してのお礼でしょうカ?」
「俺のこと気にかけてくれて」
「あァ、気にしないでくださイ。私もカボス部の部員ですかラ」
「そうか」
「はイ」
沈黙もまた、悪くない。
校門を抜け、プレハブ校舎に入り、玄関、廊下、階段と通り二階へ。旧校舎は今日も静かで、俺の足音がよく響いていた。
部室まであと少し。胸の高鳴りを抑え付け、呼吸を深くし歩く。うるさい心臓はモドにも感じ取れているだろうに、彼女は何も言わないでくれた。本当に気の利くアンドロイドだ。
そして部室が見え、こぼれる光に誘われた俺を。
「――もう寿命がないんですよ!!? なのにまだそんなっ! どうしてですか……どうして!! 紫衣さん!!」
「……は……?」
ドア越しの声が襲った。
聞き覚えのある声だった。カボス部の、俺の後輩の、陽ノ崎の声だった。
「そんな大声を出さなくても大丈夫ですよ、小冬ちゃん。わかっていますから」
「だったらっ……だったら、先輩に話してあげてください……あの人はまだ、何も知らないままで…………」
「……はい。わかっては……いるんです、けどね」
紫衣さんの声は落ち着いていた。表情が目に浮かぶ。あの人は困った顔をしているのだろう。
「今週中には……ちゃんと伝えますから。ごめんなさい。小冬ちゃん、たくさん辛い思いさせちゃってますね」
「い、え。私は、いいんです。……私は紫衣さんや先輩と違います、から」
あまり話が入ってこない。頭の中がぐちゃぐちゃだった。
寿命。寿命と言ったか。文脈的に紫衣さんのか? 異動か転勤なら寿命なんて言わないだろ。ならやっぱりそうなのか。本当に……寿命、なのか…………。
「火花。ケーキは置いてくださイ。寝るなら保健室にしましょウ」
「……あぁ」
ケーキの箱だけドアの横に置き、とぼとぼと来た道を帰っていく。モドは保健室と言ったけれど、今は学校にいたくなかった。
家路を辿る。夢遊病のように歩を進め、気づいたら自室のベッドの上だった。ベッド横の椅子には銀の人形が……メタリックなアンドロイドが座っている。モドも連れてきてしまったらしい。
「……なぁ、モド」
「はイ」
「紫衣さん、寿命なのかよ」
「はイ」
「――――」
「私は知っていましタ。どうしてだかわかりますカ?」
「……」
平坦な口調のモドがありがたかった。湧き出す感情が少し落ち着く。
大の字で横になっていると、左手が柔らかな感触に包まれる。見れば、俺の手をモドが両手で包んでくれていた。無表情な彼女の優しさに泣きたくなる。
無言でモドの小さな手を握った。ひんやり柔らかな手がきゅっと握り返してくれる。嬉しくて、悲しくて……空いている手で両目を覆う。
アンドロイドのモドと紫衣さんの共通点。なんて、考えるまでもない。これまでのカボス部での生活がすべて。あの人の表情を思えば察しがつく。
それに、モドには……アンドロイド特有の継ぎ目か存在しない。
問いへの答えは、既に出ていた。
「……同じだから、だろ」
「正解でス」
「…………………………そう、かぁ」
どうしてこうなるんだろうと、胸の奥が痛かった。目元が熱いのは、きっと気のせいだ。