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5. カレーと大人



「らっしゃっせー」

「一人です」

「お好きな席にどうぞー」

「……」

「お冷でーす」

「あの、注文いいですか?」

「了解です」

「この、熱カレーっていうのお願いします」

「熱カレー一つですね。かしこまりましたー」

「あと、ナシゴレン一つでお願いします」

「了解です。ご注文は以上でしょうか?」

「はい」

「了解でーす。熱カレー一つにナシゴレン一つですねー。しばらくお待ちくださーい」


 店内に響く緩い敬語。元気さはあまりないが、サクサクと受け答えをして素早く注文を承っていた。


「店長、熱カレーにナシゴレンです」

「おうよ。任せな。すぐ用意するぜ!」

「うっす」


 店長に注文を伝え、一人ほっと息を吐く店員。名前を朝崎火花と言う。つまり俺。


「……」


 何故俺がカレー屋でアルバイトをしているのか。それは今より二週間前に遡る。



 ――二週間前。



 夏の終わりのボランティアより時は過ぎ、秋も深まる十月下旬のこと。いつものようにカボス部へ赴いた俺を、紫衣さんはニコニコと素敵笑顔で待っていた。


「火花君! ボランティアです! カレー屋さんでアルバイトしましょう!」


 そして俺は、カレー屋でボランティアと言う名のバイトをすることになった。



 ――現在



 別に思い返すほどのことでもなかった。紫衣さんからの説明は少なく、拒否権もなく。気の良い店長とバイト仲間に受け入れられ、俺は一端のアルバイターになった。

 勤務時間は学校の部活と同じなので、早くて十六時開始、遅くて二十時終業。その間紫衣さんはずっと店内に居座っているため、ちゃんとカウンセリングは続いている。カボス部としては問題ないのだろう。……問題ないのか?


「おう火花。今日も晩飯、食ってくだろ? 先に準備しとくぜ?」

「ありがたくもらいますけど、昨日みたいにワサビカレーとかやめてくださいよ。マジで」

「ガハハ! 味は悪くなかっただろ? 味は」

「それは……まあ」

「ハハハハ! くくく、楽しみにしておけって。オメェなら気にいるはずだぜ」


 平日夕飯時の客入りは上々。個人店であまり大きくないので、席はテーブル二つにカウンター七席しかない。満席ではないが、いつも数人の客がいるくらいには繁盛している店だった。

 我が物顔でテーブル席を占領する紫衣さんは、不思議なことに誰からも咎められることがなかった。俺は学校からこのカレー屋に金が払われているのではと疑っている。


 疑問はさておき、そこそこに忙しく働いていればすぐ退勤時刻となった。

 先輩のバイトは午前中から昼過ぎまでメインと、休日メインの二人なのであまり会うことはない。


「店長さん。私の分もくださいね!」

「お、おうよっ。任せな……!」


 紫衣さんがテーブルから声を掛ける。

 店内はカウンターキッチンのように席から厨房が見えているので、会話もしやすい。

 露骨に照れて「へへっ」とか言っている店長は、別に紫衣さんに惚れているわけではない。ありとあらゆる"大人の女性"と相対するとこうなる超初心少年のような純粋オジサンなのだ。


「店長。そろそろ紫衣さんに慣れたらどうですか? あの人割と子供っぽいですよ」

「ばっかろお前……美人だろうが!」

「……店長って顔と体しか見てないですよね」

「声も聞いてるぜ?」

「……そっすね」


 ひどい大人だ。内面は見ないのか、内面は。


「おう火花。待たせたな。今日はジンジャーカレーだぜ」

「どうも」

「ミシェラさんも、どうぞ! 是非感想を教えてくだせえ!!」

「うふふ、はいっ」


 バイト用のエプロンと帽子を外し、紫衣さんの前に座る。


「お疲れ様です。火花君」

「はぁ。お疲れ様です。紫衣さんは今日もいっぱい食べましたね……」

「ふふー、美味しいものはいくらでも食べられちゃいますね!」

「太らないといいですね」

「ふふん、私、太らない体質なのでっ」

「……ならいいんじゃないっすか」


 多くの女性を敵に回す、とかそんなありがちな発言はやめておいた。「いただきます」と口にしカレーを食べる。


「……うまいな」


 ワサビカレーより断然うまい。店長に味の報告をし、食事を進めながら紫衣さんと話をする。


「で。このボランティアいつまで続けるんですか?」

「そうですねぇー……」


 髪を耳にかけて上品にカレーを頬張り、「美味しいですねー!」とニッコリしている。可愛いと綺麗を両立させている器用な美人だ。


「火花君。二週間経ちましたけど、色々わかったことあるんじゃないですか?」

「それは」


 わかったこと。カボス部であることを念頭に置いての話か。


「……後でいいですか?」

「ふふ。もちろんです」


 店内では話しにくいので、と伝えたら柔らかく微笑まれた。この人は全部わかっているらしい。そりゃそうか。だから"ボランティア"で、"カウンセリング"なんだ。なんとなく少しだけ、俺がアルバイトをさせられている意味がわかった気がする。このバイトもれっきとしたボランティアだ。無論、カボス部としての。


「……店長。俺もナシゴレン欲しいです」

「あん? オメェ、金払うならいいぜ」

「うふふっ、店長さん。私もお代わりいただきたいです!」

「お、おう! ハハハ! ミシェラさんにゃサービスするぜ!! たくさん頼んでもらってるからよぉ!」

「やたっ。ふふー、ありがとうございますっ」

「落差がひど過ぎる……」


 悲しいな。これが男子高校生と美人のカウンセラーに対する扱いの差か。けど俺が店長でもたぶん同じことするから何も言えねえや。


 何はともあれ、食事を終え、バイトを終え、紫衣さんと二人カレー屋を後にした。

 既に日は落ち、街はすっかり夜の色。暗幕の天上には幾らか欠けた楕円の月。満月はもうそろそろといったところ。


 秋と言えば月見。そんなイメージがあるのは何故だろう。


「夏は蒸し暑く、冬は肌寒い。観月には秋の季節が適しているのですよ。月の出も夏と比べて早いですからね」

「普通に読心しないでもらえます?」

「うふふ、月を見上げてぼんやりしていたら、聞かなくてもわかりますよ」

「……そっすね」


 ちょっと恥ずかしいか。仕草がガキっぽかったかもしれない。

 月光照らす夜道を並んで歩く。コツコツと、小さな足音二つ分。……頃合いか。


「……店長、離婚するらしいです」

「そうですか」

「奥さんのこと、大好きらしいです」

「素敵ですね」

「奥さんも、店長のこと大好きらしいです」

「両想いですね」

「でも、離婚するらしいです」

「そうなんですね」

「どうしようもない、らしいです」

「そうですか」

「知ってましたね」

「はい」


 立ち止まる。

 一歩、二歩先で止まり振り返った紫衣さんは、いつも通りの微笑みを浮かべていた。月明かりの影響か、僅かに紫混じりの赤茶色の瞳が淡い紫一色に染まって見えた。

 瞬きですぐいつもの色に戻る。気のせいだったようだ。頭を振り、話を続ける。


「知ってたのなら、どうして俺を連れてきたんですか」

「ボランティアですから」

「そうじゃなくて。……さすがに気づきます。なんで俺を、別れに引き合わせようとするんですか」

「バレちゃいましたか」


 てへりと頬に手を当てている。あざといのか上品なのかわからない人だ。そんなことより。


「真面目に聞いてくださいよ。俺はっ」

「はーいお口チャックですよー」

「む……」


 気づいたら目の前にいた紫衣さんに口を塞がれる。柔い手のひらがしっかりと唇を包み、一切動かせなくなってしまった。

 紫衣さんは優しい顔で……ひどく優し過ぎる大人の顔で俺を見つめる。


「……」


 ずるい人だ。なんでそんな顔をする。どうしてあんたが、下手したら泣きそうな、儚く消えてしまいそうな顔をするんだよ。……そんなの、何も言えないじゃないか。


「ごめんなさい、火花君。でもこれはあなたに必要なことなんです。私はあなたの何ですか?」


 そっと手が外される。この問いかけは、いったい何度目だろうか。答えは決まっている。


「カウンセラーだろ……」

「正解です。火花君のカウンセラーです」

「……これも、治療のためって言うのかよ」

「はい」

「俺を別れに引き合わせるのがかよ」

「はい」

「どうして俺を……」


 ずきりと頭が痛む。ひどいノイズだ。視界が霞む。


「火花君」


 頭痛の隙間を縫うように声が届く。そっと、頭に感触があった。


「火花君、私を見て」


 次第に痛みが薄れていく。

 別離を嫌う自分の心がわからなくて、謎のトラウマに振り回される自分が情けなくて。無理やりに溜め息を飲み込み、ゆるゆると顔を上げる。

 淡い紫色の瞳が俺を見つめていた。


「私を信じてください」

「……」

「この経験が未来のあなたの力になる――なんて言葉は無駄ですね。私たちは今を生きていますから」

「……あぁ」

「なので火花君」

「……なんだよ」


 ニッコリと、子供のような笑みを浮かべて紫衣さんは告げる。


「私と、デートしませんか?」

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