4. 雨とアンドロイドとボランティア
☆
夏の海の清掃ボランティアよりひと月。九月も終わりが見え、そろそろ秋の気配を感じる季節である。
「……」
しとしとと降り続く雨が眠気を誘う。
今日は校庭も静かだ。普段なら運動部の掛け声で溢れる場所も、雨に打たれしんと静まり返っている。プレハブ校舎に残っているのはほぼ活動していない委員会や有志が集まった同好会程度。あとは過去の部活の備品や器具置き場、倉庫といったところか。
何にしても、俺のような暴行事件帰り――一応被害者扱い――のはみ出し者にはうってつけの場所だ。
「火花君火花君」
「はい、はい。なんすか」
「今日搬入予定のモドちゃんですが、いつ来るでしょうか?」
「そのうちじゃないですか。知りませんけど」
「さっきもそう言ったじゃないですか。私の話、聞いていますか?」
「聞いてますよ」
「ならちゃんと私の方見て言ってください」
顔を上げる。携帯の美人から現実の美人へ。むすっとした顔の紫衣さんがいた。何故こんな拗ねているのか。……素直に白状するか。
「それで、何の話でしたっけ」
「やっぱり聞いてないじゃないですか!」
「すみません。陽ノ崎の写真選びしてたんで」
「……むぅ、それ、今月最初のお願いですよね?」
「っすね」
「今ですか?」
「……っすね」
「遅いですね」
「……っす」
「怠惰で緩慢でお馬鹿な火花君」
「いや馬鹿はだめでしょ馬鹿は」
「おばか、なのでセーフです」
「……そういうもんか?」
「そういうものです」
「そっかぁ……」
えっへんと胸を張っている。目を逸らした。
ちょっとは機嫌が直ったようでよかった。話を続けよう。
「で、何の話でしたっけ」
「モドちゃんのことです」
「あぁ」
モドちゃん。
先月俺たちが海岸で見つけたアンドロイドの名前だ。部室に運んだは良いものの、結局しっかり壊れていたので修理依頼を出すこととなった。依頼費は紫衣さんのポケットマネー。俺のカウンセリング代から出ていると言う。
たまに忘れそうになるが、紫衣さんは学校から金をもらって俺のカウンセリングをしているのだ。これはれっきとした仕事なのである。
「ふふふー」
なんだかお子様のように楽しく笑っている。これが仕事人の姿か?
話は戻ってモドのこと。型はあるが性別はない。名前もない。ということで紫衣さんが勝手に名付けた。由来は「藻が生えてたアンドロイド」なのでモド。修理されたモドが喜ぶことを願おう。
「何時に来るかでしたか」
「はい」
「そっすねぇ……」
今日は平日。既に十七時を過ぎているので、そろそろ来てもおかしくない。
――♪
「お」
「来ましたね!」
タイミング良く紫衣さんの携帯が鳴る。見れば表情を輝かせ、ぶんぶん頷く美人がいた。俺に「いそげー!」と手で合図してくる。しょうがない。受け取りに行こう。
「ありがとうございました」
ぱぱっとモドを受け取り、用意しておいた壁際の椅子に安置する。
ごちゃごちゃと説明書を見ながらセッティングし、電源をON。
「――こんにちハ」
「わぁ、こんにちは。あなたの名前はモドちゃんです」
「私はモドチャン」
「いや、モド、が個体名だよ。ちゃん、は敬称だ」
「私はモド。あなた方ハ」
「ふふん、私は紫衣。彼は火花君ですっ」
「ちなみにくん、も敬称な」
「紫衣、火花。よろしくお願いしまス」
見た目はメタリックな人形。顔の造形はしっかりしているが、口調は平坦で表情も動かない。全身銀色の、SF映画の敵キャラみたいな姿をしている。全体的にちんまりしており可愛らしい。
受け取った時に知ったが、モドの見た目は女性型だった。そのため髪は長く、色を変えたら日本人形や西洋人形のようにも見えるかもしれない。
「私は何をお手伝いすればよろしいでしょうカ」
「モドちゃんは火花君の話し相手になってあげてください。火花君は可哀想な病気の男の子なので、いっぱい話し相手が必要なんです」
「微妙に間違ってないから何も言い返せねえ……」
病気はともかくカウンセリング受けてるのは事実だし、傍から見たら可哀想なのも事実だ。悲しいよ、俺は。
「わかりましタ。では火花。お話をしましょウ」
「はいはい。じゃあ写真選び手伝ってくれるか? ここは学校の部室で、カボス部って部活やってる場所なんだ。部員は俺と紫衣さんと、あと後輩に陽ノ崎小冬って女子生徒がいる。その子が写真を結構撮っててな。思い出にしたいからって話で、大量にある中から一部抜粋してるところなんだよ」
「状況把握完了しましタ。では火花。こちらへ来てくださイ。私は動くととてもエネルギーを使うのデ、あまり動けないのでス」
「オーケー」
場所を移す。位置は窓際、紫衣さんの横、陽ノ崎の席の近くだ。逆サイドにしておけば動かなくて済んだが……まあいい。
ああでもないこうでもないと写真選びを続け、だらだらと時間を過ごす。
なんでもない九月の雨の日の出来事。
陽ノ崎が「私たちの"今"は大切ですから。忘れないように、思い出せるようにしておきたいんです」と携帯を片手に、はにかみながら、どこか寂しさを滲ませて言っていた。彼女の気持ちが少しだけわかった気がする。
未来に別れがあると分かって、だからこそ今を楽しむ。惜しみつつも全力で。
今日のようななんでもない、意味のない"ただの一日"がいつかの思い出に変わるのだろう。あんなこともあったな、と。
「火花、どうかしましたカ?」
「いや、なんでもねえ……」
首を振り、益体の無い思考を捨てようとする。つい紫衣さんを見てしまって、にこやかに俺とモドを眺めていた美人と目が合う。彼女は髪の房を弄りながら首を傾げ、視線で「どうかしました?」と聞いてきた。
「――」
今。今か。そうだよな。俺が別れを嫌っているとはいえ、未来はいつかやってくる。今は今のまま、なんだよな。だったら。
「紫衣さん!」
「は、はいっ?」
「俺とモドと、三人で写真選びません?」
「えっ」
「ついでに三人で写真撮って、陽ノ崎に送り付けてやりましょう。あいつ、割と寂しがりなんでヤキモチ焼きますよ」
「それは、ええと、可哀想な気がしますけど」
「その時は俺たち全員で撮り直せばいいんですよ。な、モド」
「よくわかりませんガ、思い出の写真は大切だと私の基礎知識にもありまス。ぜひ撮りましょウ」
表情の変わらないモドと二人、うんうん頷く。紫衣さんは俺たちを見て、困惑から喜びへと顔の色を変えていく。
「うふふ、じゃあ撮りましょうか! モドちゃん入部記念! あと雨の日記念です!」
「記念はわかりませんけど、撮りましょう!」
「私はカボス部に入部ですカ? 入部届が必要と知識にありまス。紙とペンをくださイ」
科学の塊のようなアンドロイドが紙の入部届を求めていて、変に笑ってしまった。
三人でしばらく写真を撮り合い、結構な数を撮り溜める。どうせならと全部陽ノ崎に送り付け、「拗ね顔の小狐スタンプ」をもらってしまった。
モドには入部届へのサインとグループチャットへの招待を行い、晴れてカボス部入部となった。
その晩。
【伝え忘れていましたが、今週末にボランティアをします!】
紫衣さんからチャットが飛んできたのでカレンダーアプリを開く。
今日は金曜日。携帯には"今週末"という単語が映る。
「明日じゃねえか!!」
そんな俺の叫びを読んだかのように連絡は続いた。
【あ、安心してくださいね。集合場所は学校ですから問題ないです!】
「問題しかねえだろ……」
陽ノ崎からの「びっくり小狐スタンプ」と「了解小狐スタンプ」を見て、モドの「OKサイン小鳥スタンプ」も見て、一言「了解」とだけ送った。
「……」
明日は、何をするのだろう。今日は雨だったから明日は晴れるといい。
皆でボランティアをすることにワクワクする自分が不思議だった。苦笑し、気づく。
なんだかんだ言いつつも、俺は俺なりに"今"を楽しんでいるらしい。
――翌日
朝の十時。カボス部にて。
「さて、三人とも。今日はボランティアの日です!」
「あい」
「はい」
「はイ」
本当は九時に揃っていたのだが、モドと陽ノ崎が自己紹介し合ったり、全員で写真を撮ったりとして一時間経ってしまった。
「今日もどっか行くんですか?」
「もちろんです」
「超雨ですけど」
「行きます!」
「そっすか……」
「はいっ」
外は雨。小雨より少し強い程度。あまり積極的に出かけたくない天候だ。まあ出かけるんだけど。
「紫衣さん、えっと……モドちゃんは雨の中連れ出しても大丈夫なの、でしょうか?」
そういやそうだなとモドを見つめる。銀の人形は小首を傾げ、俺たちを順に見つめた。
「私は防水機能搭載なので問題ありませン」
「そ、そうなんですねっ。それなら安心です……!」
ほっとした様子の陽ノ崎に、モドはうむりと頷いた。表情変化はないが割と感情豊かなアンドロイドである。
「とはいえ、です。モドちゃんはあんまり歩けませんから、火花君が背負っていきます」
「え?」
「よろしくお願いしまス、火花」
「お願いしますね、火花君」
「お、応援してます、先輩っ」
「……おう」
モドは俺が背負うらしい。決定事項だ。拒否権はない。
メタリックドールのことはさておき、今日のボランティアについて聞いておこう。紫衣さんに目で訴える。こくりと頷いてくれた。さすがは読心術の使い手だ。こういう時だけは便利である。
「先に伝えておきますが、今日のボランティアもお掃除です」
「掃除か」
「はい。場所は秘密です」
「……そっすか」
「えと、私だけ教えてもらえたり……」
「だめです」
「そ、そうですよね……」
「私は知っていまス。今回のぼらんむもむむ」
「お口チャックですよー、もうっ」
急いでモドの口を塞ぐ紫衣さんだった。
依頼人は現場にいるということで、俺たちも学校を出る。俺の背中にはひんやり冷たい、しかし動力のおかげか温もりを感じる銀色人形。「火花君の話し相手」を全うするために、耳元で延々話しかけてくる。
モドは女性型で声もソプラノだ。ひそひそ耳元ボイスは妙な気分になるからやめてほしい。
「火花、何か音楽を聴きますカ?」
「え。モド、そんな機能あるのか?」
「ありますヨ」
「じゃあ頼むよ。雨の日に合うジャズっぽいやつで」
「わかりましタ。でハ」
そして、耳通りの良いソプラノボイスがアカペラで「ちゃっちゃらら、ぱぱーん、たったたた、ぱー」と流れ出した。
「いや歌うのかよ!」
さすがにツッコミを入れざるを得なかった。モドの顔は見えないので……いや見えても表情はわからないか。
「? 不満がありましたカ?」
「音楽って、楽器とかそういうのじゃねえの?」
「? いくらアンドロイドでも私の口は楽器に成り得ませんヨ」
「だよな。知ってた。音楽はいいよ。適当に話そう」
頬を撫でようとして、両手が塞がっていて苦笑する。前を歩いていた二人が振り返って笑っていた。やり取りが聞こえていたのだろう。
「火花、体温の上昇を確認。私は冷却機能搭載ですガ、顔を冷やしますカ?」
「……参考までに、どうやって冷やすんだ?」
「こうやってでス」
背負っていたモドが身動ぎし、ぴとりと頬を合わせてきた。冷たい頬が俺の頬と密着する。
「うぉぉ!?!?」
「?? 体温の上昇をさらに確認。火花、病気であれば監督者の紫衣に相談するべきでス」
「い、いや違うから!――二人も別になんもねえしこっち見なくていいから!」
「うふ、ふふふっ、火花君とモドちゃんがイチャイチャしていますっ!」
「えへへ、先輩、顔真っ赤になってます」
頬の熱さはどうしようもないので、モドには正直に「これは羞恥心的なアレだ」と伝えておいた。その間も俺の頬にはぺたりとひんやり柔らかな頬が押し当てられており、"女性型"というのを強制的に意識させられた。当のモドは「なるほド。あなたは思春期の男性でしたネ。女性型の私に性を意識するのは仕方のないことですが私にそういった機能は――」云々かんぬん。皆まで言うまい。
酷い辱めの記憶は早々に捨て、努めて無心で目的地に向かう。
モドを椅子に座らせたり背負い直したり、紫衣さんにからかわれたり、陽ノ崎に慰められたりして、電車に揺られ一時間とちょっと。
見知らぬ駅で降りると人が待っていた。
紫衣さんとその人は顔見知りらしく、挨拶を交わしている。
「お久しぶりです。紫衣さん」
「大参さん、お久しぶりです」
その人――大参さんは初老の女性だった。背筋がピンと伸びた姿はドラマや映画の中の教頭先生を思い起こさせる。灰色を基調とする上品な格好がよく似合っていた。
紫衣さんから紹介を受け軽く挨拶する。真剣な眼差しは俺たちを推し量るようにも見え、少々肩が強張る。
「そう緊張なされなくても結構です。ただのボランティアですから」
大参さんは薄く笑って、リラックスして良いと言った。陽ノ崎と小さく苦笑し合い、頷く。思ったよりは話しやすい人のようだ。
目的地までは車で移動らしく、大参さんの運転で連れられる。
助手席には紫衣さん。後ろにモドを挟んで俺と陽ノ崎だ。
「火花先輩、私たち、どこに向かっているのでしょうか」
「どこだろうな」
窓に伝う雨粒を撫で、天の雲を見つめる。広々とした田畑に、遠くは山。繁茂した緑は残暑の香りを漂わせているが、本日は生憎の雨。夏の日差しも鳴りを潜め、このまま秋になるんじゃないかと錯覚してしまう。
「ヒントが必要ですカ?」
「いいのか? 紫衣さんから"ネタバレはだめですよ?"とか言われてただろ」
「ヒントは良いと私の知識にありまス。匂わせは良いのでス」
「じゃあ、えっと、お願いしてもいいかな?」
「お任せヲ」
匂わせはよくねえだろ、の一言は飲み込んでおいた。なんでもかんでも否定はよくない。なんとなくモドが自信ありげだし、全否定は可哀想だ。
「これより向かうは霊園でス」
「「……」」
れいえん。霊園。ヒントというか……。陽ノ崎に目配せし、モドをフォローしようと話す。
「はは。そっか。そこで掃除かぁ。大変そうだな。わかんねえけど」
「え、えへへ。大変だと思う、なぁ。モドちゃん、皆で頑張ろうねっ。わ、わかんないけど」
ヒント下手くそ過ぎるだろと思ったけど、俺たちも人のことを言えねえ。誤魔化し方が下手過ぎる。
「はイ。霊園は広く静かなのデ、厳かな気持ちで臨みましょウ。故人を悼みながら掃除に挑むのでス」
「「……うん」」
ふんす、と両手を胸の前で握って張り切る銀色人形だ。俺と陽ノ崎はそっと頷き、前を向いた。
目的地の霊園に着いたのは車に乗って二十分ほど経った後だった。
停車後に礼を告げて降りると、正面遥か遠くの山まで田んぼが広がっていた。傘を開き、ドアを開けたまま屈んで待つ。肩と背中に温もりと重みを感じたところで立ち上がった。
「俺、支えなくても大丈夫か?」
「旧式とはいえ、私は完璧な修理と最新アップグレード済みでス。お任せくださイ」
「ちゃんと掴まるんだぞ」
「はイ」
モドは地味にポンコツ臭を漂わせる時があるので、しっかり注意してあげよう。これでも部活の先輩なのだ。
カボス部一同に大参さんを加え、五人で霊園を歩く。
真っ直ぐの一本道が長く続き、左右の道に墓石がずらりと並ぶ。どれだけのお墓があるのか。枝分かれした道は数え切れず、それだけ暮石も多い。整備された通路からは草取りの跡が見え、全体的に小綺麗な印象を受けた。
「ここです」
辿り着いた先にあったのは周囲とそう変わらない簡素な墓石だった。
石には「大参家」と刻まれている。
「それでは綺麗にしましょうか。皆で手分けしてやりましょう!」
紫衣さんの言葉に頷く。大参さんも含め五人での掃除だ。
暮石の清掃、花と供え物の入れ替え、草取り、線香の用意。傘を差しながらなのでやりにくかったが、俺には背中の相棒がいる。足腰でしっかりホールドし、片手で傘を持ってくれた。
二人三脚で掃除を行っていたら、後片付けまで短時間で終わった。それもそうだ。暮石は一つだけ。五人もいれば清掃はすぐに済む。何なら大参さん一人でも簡単に済ませられそうなものだが……。
「貴方。今日は優しい方々が来て下さったんですよ」
愛おしげに暮石の縁を撫でている姿を見て理解した。その表情はひどく柔らかく、親愛に満ちていて……俺なりに気を引き締める。
「――お線香、共に入れてくださいますか?」
大参さんの言葉に全員で頷く。雨で消えないよう火に付け、順番に香炉へ置いて行く。
手を合わせ、祈る。
「――」
知らない人だ。名前ですら、さっき見たばかりの人。ただのボランティアで来ただけの俺に祈られても困るかもしれない。でも、大参さんの表情を見てしまったから、せめてそれだけは祈らせてほしい。
死した貴方を、大参さんは想っている。出会いも別れも、積み重ねた時間も何も知らないけれど、大参さんがどれほど貴方を愛していたのかはわかる。一目見ただけでわかってしまうくらい、優しい顔をしていたんだ。
何も知らない他人の俺だけど、そんな風に想われて羨ましいくらいだよ。いつか俺が死んだ時、貴方がどんな人なのか教えてほしい。それじゃあ、また。
「……」
目を開けた。意外にも大参さんは素早くお祈りを終えており、優しい顔で俺たちを見つめていた。目が合うと軽く頷かれた。会釈しておく。
全員のお祈りが終わり、忘れ物がないか確認して撤収だ。ほんの三十分足らずの滞在時間だった。移動時間の方がよっぽど長い。
「火花君」
「はい」
「死した後も、人はあれだけ人を想えるんですよ」
「……そうですね」
「例え二度と会えないとしても、想いだけは永遠なんです」
「そうかもしれませんね」
「だから、お別れをそう毛嫌いしないでください」
声が出なかった。
隣を歩く紫衣さんの瞳が俺を映していた。深呼吸し、雨の香りで肺を満たし気を落ち着ける。
「……気づいてたんですね」
「ふふ、あなたのカウンセラーですから」
指で頬を撫でる。困ったな。ここまでお見通しだったとは。
「やっぱ別れは……苦手なんですよ。自分でもこんな嫌ってたのが驚きなんですけど」
口の中が苦く感じる。
「誰だって得手不得手はあります。仕方のないことです。お別れを受け入れろとは言いません。でも、いつかは訪れるものだと理解はしてください。そして、寂しくても辛くても、ちゃんと温かな気持ちだってあるんだと忘れないでください」
「……そう、みたいですね」
大人びた……事実大人らしく微笑んで紫衣さんは言った。
今日は三度目のボランティア。一度目も、二度目も、三度目も。皆が皆、形は違えど別れを想っていた。別れを経験し、飲み込み、しっかりと前に進んでいた。進めていた。
それはきっと、大人だから、ではないのだろう。俺のように子供だった人たちが、たくさんの別れを経験して大人になったのだ。
別れなんてありふれている。当たり前で、ごく普通なこと。
「……」
はぁと小さく息を吐く。理解はできている。そんなの前からだ。交通事故、天災、事件。いろんな不幸で人は傷つくし、永遠の別れにだって成り得る。子供だろうが大人だろうが、別れは平等に訪れる。
わかっては、いるのだ。
「……紫衣さん」
「はい」
「まだ飲み込めないけど、無くならないものもあるってのは覚えておきます」
そう簡単に納得はできない。諦められはしない。大事な人との離別なんて嫌だ。受け入れたくない。でも、ちゃんと跡に残るものもあるんだってのはわかったから。
壱橋さんの歌を。弐織さんの言葉を。大参さんの表情を。
忘れることはできないし、見聞きしなかったことにもできない。
だから、別れの後のことは覚えておこう。少なくとも、悲哀だけが残るのではないと……そう、心に刻んでおく。
「ええ。ふふ、それでいいですよ。充分です。偉い子です、火花君は」
傘の間を縫って手を伸ばし、そっと頭を撫でてくる。
普段は逃げて避けて振り払うが……今はそんな気分じゃなかった。紫衣さんの優しさが、ささくれだった心を癒してくれるような気がした。