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10. モド



「――これが、この世界の真実です」

「…………そう、か」


 聞いた。全部聞いた。衝撃の事実! 急展開! ありえない現実! そんな言葉が浮かぶ。適当に振り払い天井を見上げる。


「せ、先輩? 大丈夫ですか?」

「……まあ」


 まあ、なんだろう。


「……ままならねえな、って」

「そう、ですね。……はい」


 俺はアンドロイドじゃなかった。でも、似たようなものだった。紫衣さんの「同じ」という言葉の意味がわかった。あの人がそう言うのも無理はない。こりゃ……確かに同じだ。


「……悪い。少し出てくる」

「先輩……わかりました」

「――火花」

「……あぁ。モド、悪かったな。俺のこと想って言わないでいてくれたんだろ? ありがとな」

「私も連れて行ってくださイ」

「……いや一人になりてえって」

「連れて行くのがあなたの仕事でス」

「……」

「拒否権はありませんヨ」


 強い眼差しだった。指の背で頬を撫でる。

 こいつも俺のことを想って、なのだろう。「カボス部が好き」と、そう言っていた。なら……しょうがねえか。


「はぁ……わかったよ。しょうがねえご主人様だな、ほんと」

「はイ。報酬は私の体でス」

「言い方!!」

「……二人とも、なんだかとっても仲良しさん、なんですね」


 なんとも言えない顔の陽ノ崎に見送られ、モドを背負い外に行く。

 プレハブ校舎を出て、ここではないどこかへ。


 テニスコートの横を通り、プールの柵を見ながら歩き、生徒が育てる畑の縁を進み、新校舎の前を横切る。

 気づけば、校内随一の巨木の下へ辿り着いていた。大きな、とても大きな一本の木。


 夏の日の、二人で歩いた時間。覚えている。鮮明に思い出せる。蝉の声、照りつける太陽。ころころと変わる紫衣さんの表情。


『火花君も、長生きして歳を重ねたらきっとこんな立派になるんですね』


 あの人は、どんな気持ちであんな台詞を言っていたのだろう。

 自分が歳を重ねることがないとわかって、俺が歳を重ねられないとわかって。全部理解したうえで、言っていた。

 だから紫衣さんはよく、"今"と口にしていた。今さらわかって、どうしようもなくほろ苦くなる。

 まだ何も知らなかった頃の自分が恨めしく、羨ましい。


「火花。思い出しましたカ?」

「あぁ。それなりにな」


 おかしな感傷から引き戻される。いつまでも立ち止まっているな、ということなのだろう。優しく厳しいアンドロイドだ。


「そうですカ。ならばやはリ、あとは火花の気持ち次第ですネ」


 何を、と聞こうとして、ぐりぐりと肩に顎を押し付けられて痛んだ。降ろせのサインだ。仕方なく巨木を背にして腰を下ろす。

 シートも何もなかったので、俺の上にモドを座らせる形だ。


「ん、相変わらず座り心地が微妙な椅子でス」

「嫌なら地面に座れよ」

「馬鹿ですカ?」

「……はいはい」


 頭で胸を圧迫してくるので文句はやめた。手の置き場はモドのお腹である。このアンドロイド、毒舌な割に寂しがりでスキンシップ好きなのだ。こうして優しくハグしてあげると、露骨に体の力を抜いてリラックスする。


「それデ。火花、記憶の整理をしておきましょウ」

「あいよ」


 冬の寒さから身を守るように、ぎゅっとモドを抱く。いつもとは逆だ。肩はポジションが微妙だったので、頭に顎を置かせてもらった。


「無礼ですネ」

「今くらい許してくれ」

「別にいつでも構いませんヨ」

「……お前、なんか俺への好感度高くね?」

「紫衣と同じですからネ」

「……そうだったのか」


 紫衣さんは俺のためのカウンセラー。俺のあらゆる情報を知っている。モドもまた、役は違えど立場は同じ。俺の全部を知っていた。


「……ありがとな」

「どういたしましテ」


 目を閉じて泣くのを我慢する。熱い感情の波を、冬の寒さが紛らわせてくれる気がした。


「俺の名前は朝崎火花。普通の高校二年生」

「漫画の導入みたいな言い方はやめてくださイ」

「……俺は朝崎火花、高校二年生」

「名前は言わなくていいでス」

「どうしろと!」

「うるさいでス。頭に響きまス」

「ごめん」


 本当にこのアンドロイド俺のこと好きなのか? 傷心中の男に厳しくないか。


「厳しくありませン。愛情でス」

「お前、まさか読心まで使えるのかよ……」

「はイ」

「だから時折先読みしてたのか……!」

「気づくのが遅いでス」

「……オーケー。ちゃんと話すよ」

「最初からそうしてくださイ」

 

 心優しく厳しいアンドロイドに、ぽつぽつと話していく。


「俺の両親は離婚予定だった。……別に、嫌い合ってたわけじゃない。逆に言えば好き合ってたわけでもないんだけど。"嫌いじゃないけど、もう愛せない"。そう言ってた。理由は知らねえ。本人じゃねえからな」

「火花ハ、止めようとしたのですネ」

「ああ。何度も説得して、無駄だって悟って、どうにもならない現実がしんどくて……ままならねえなぁ、なんて黄昏れる余裕もなかったよ」

「そうですカ。それで病院送りにされたのですネ」

「展開がはえーよ。いやまあ間違ってねえけど……。電車でさ。掏りを見たんだ」


 女の子から財布を奪う現場。手際は鮮やかだった。ただ俺が見ていた。そして俺はむしゃくしゃしていた。それがあの掏り屋にとっての不運だった。


「誰でも良かったんだろうな。ストレスの捌け口が欲しかった。文句を言える相手が、もやもやをぶつけられる相手であれば誰でも良かったんだ」

「そして正義感に酔い強盗犯を咎メ、殴られ殴り返シ、病院送りになったト」

「言い方よ」

「事実でス」

「……そうなんだけど」


 なんだかなぁと思う。顎でぐりぐりすると「痛いでス」と抗議してきた。ついでに「慰謝料でス。頭を摩ってくださイ」などと要求してくる。

 可愛い願いには軽く笑って応えてやる。「70点」とか言う高いのか低いのかわからない点数に頬が緩む。


「病院送り自体は……まあいいんだよ。スッキリしたし」

「不良少年ですネ」

「まあな。でも、そこからが悪かった」


 呼吸をする。肺に溜めた空気を飲み下し、モドの体温に集中する。息苦しさは少しだけ薄れた。


「病院で、母さんと父さんが事故で死んだって聞いた」

「はイ」

「意味わからなかったよ」

「はイ」

「よくわかんねえまま、葬式だ遺産だ色々あって……気づけばこの世界だ。夢遊病に近いらしいな」

「正確には起眠時夢行症です」

「へえ。なんでもいいけど、珍しいんだろ?」

「はイ。起床時も睡眠時モ、常に夢の中に居るような状態でス。まともに行動できない人も居れバ、火花のように日常生活を熟せる人も居まス」

「熟せるだけで、送れてはいないんだろ」

「はイ。現に、病院暮らしでの記憶はありませんよネ?」

「ああ」


 病院暮らしの記憶なんて俺にはない。この、作り物の世界に入った理由、治療の説明やら何やらを受けた記憶だけはある。これはなんでなのだろう。


「それはあなたがあなたである所以でス」

「……そうか」


 俺が俺である理由。紫衣さんに「同じ」と言われた所以。作り物の世界に見合った、作り物の俺。それなら納得できる。


「……モド」

「はイ」

「母さんと父さんが死んだって、今ならなんとなく理解できるんだ」

「そうですカ」

「涙が出ないのは……たぶん、本当はもっと前にわかってたからなんだ。葬式とか、家で一人になった時とかさ」

「そうかもしれませんネ」

「……大参さんの気持ちが、ほんの少しだけわかったよ」


 モドは何も言わないでくれた。

 想いは残る。何もないように思えても、確かにそこには積み上げた想いがあった。自分を形作る、記憶と感情の欠片たち。

 目を伏せ心の海に沈む。しばらくそのまま。波が落ち着くまで、言葉なく、静かに……。


「……火花。浸るのは構いませんが、眠らないでくださイ」

「……悪い。話、続けるか」

「はイ」


 心の疲れと、モドの体温の心地良さと、冬の冷たい空気が今の俺にちょうど良かった。眠気を散らし思考を引き戻す。


「これで記憶の整理は終わりか……」

「はイ。では火花、紫衣をどうするのでス」

「もうちょっとこう、話の余韻とか持たせてくれよ……」

「時間は有限ですヨ」


 感傷に浸りたいのに、その時間さえ与えてくれない。いや充分浸ってたけど……ただまあ、モドの言葉の意味も今なら理解できるから……何も言えない。そう、時間は有限だった。とはいえ。


「……どうしようか。あの人、全部わかってたんだよな。俺が同じだってことも、思い出作っても意味ないってことも」

「はイ」

「だから無知でガキな俺の台詞で悲しくなって泣いた……泣かせちまった」

「はイ」

「……大人でも、やっぱり結構感情的になるもんなんだな」


 ボランティアで会ってきた人たちは、皆大人だった。

 別れを知り、受け入れ、悲しみながらも前に進むことを選んだ人たち。俺のように死別を受け入れきれず、記憶を消して逃げたりする人はいなかった。人は皆、大小問わず現実の苦しみを抱えて生きているというのに……。ままならない世界を、泣いて笑って生きているすごい人たちだ。


 紫衣さんもまた、そんな大人の一人だと思っていた。美人だし、俺の先生でカウンセラーでお姉さんだし。でもさっきの姿は……不安に揺れて逃げる姿は、俺と同じ子供に見えた。


「? 紫衣は子供ですガ」

「……は?」

「紫衣は子供でス」

「いや大人だろ。美人だし」

「そう作られたからでス」

「んな馬鹿な……」

「火花も似たようなものでしょウ?」

「そうだけど、そうじゃねえだろ」

「あなたには現実と言う名の過去がありまス。では紫衣ハ?」

「……何もない、か」

「はイ。無から過去は作り出せませんヨ。できるのは知識の授与だけでス」

「……子供?」

「はイ」

「紫衣さんが?」

「はイ」

「…………いくつだ」

「最新のミシェラですかラ、三歳でス」

「………………子供じゃねえか」

「だからそう言っているではないですカ」


 それ以上モドの声は聞こえなかった。

 ガツンと頭を殴られたような気分だった。


 紫衣さんが子供。まだ生まれて三年の、幼い子供。

 作られた存在だから知識はある。俺の人生をざっくり追体験しているから、朝崎火花という人間を誰より理解できる。共感できる。でも、本物は知らない。食べ物も、景色も、感情も。何も、何一つ知らない。


 時折ひどく子供っぽいところを見せていたのは、性格でもなんでもない。ただただ単純に、本当に幼かったから。それだけのこと。


「……」


 言葉が出なかった。

 『お姉さんですからね』とか『カウンセラーです!』とか『先生ですよ?』とか。全部正しくて本当ではあったけれど、あの人は、あの人は……。


「……何が、大人だよ。ずっとずっと、俺よりずっと子供じゃねえか」

「泣いても構いませんガ、私の頭を濡らさないでくださイ」

「……ハンカチくれ」

「どうゾ」

「……小せえ」

「文句は受け付けませン」

「……ありがと」

「どういたしましテ」


 少しだけ泣いた。紫衣さんを思って、頑張ってお姉さんに成ろうとしていた紫衣さんを想って、少しだけ。


「……なぁ、モド」

「はイ」


 銀のアンドロイドを抱きしめ、冷たい温もりに感謝して、冬の空気を浴びながら思う。


「俺、馬鹿だ」

「知っていまス」

「紫衣さんのこと好きだ」

「でしょうネ」

「俺の全部わかってくれて、認めてくれて、記憶取り戻してくれて」

「はイ」

「自分も手探りなの隠してさ。時間制限付きだって、死ぬってわかってるのに今を楽しんで生きてたんだ」

「はイ」

「ずっと"今"って言ってたの、俺知ってるんだよ。あの人の話、ちゃんと聞いてたから」

「そうですカ」

「紫衣さんさ。俺より頭良いだろ?」

「そうですネ。馬鹿ですガ」

「綺麗で、可愛くて、大人っぽくて、お姉さんだよな」

「はイ。私の方が可愛いですガ」

「モドも可愛いけどジャンルが違うだろ……。紫衣さんはさ、美人なお姉さんなのにすげえ子供っぽいんだ」

「そうですネ。火花より子供ですかラ」

「ああ……。本当はガキの俺より子供だった。消えるの嫌で怖いだろうに、俺のことばっか考えて大事にして……。ちゃんとカウンセラーしてくれてたんだよ」

「はイ。紫衣は火花が大好きですかラ」


 大好き、大好きか。馬鹿な人だ。俺もだけど、紫衣さんだって大馬鹿だ。我慢なんてするなよ。最初からもっと我儘言ってくれれば……無理か。トラウマしかない俺に、そんなこと言えねえか。俺の全部、知ってるんだもんな。


「ままならねえな」

「はイ」

「それでも」


 ままならなくても。現実は変わらなくても、やっぱり。


「俺、紫衣さんが好きだよ」


 言葉にすると想いが深まる。

 結果が見えた恋だとしても、最後に絶対の別離が訪れると知っていても、それでも俺は紫衣さんが好きだった。大人でお姉さんで、どうしようもないほど子供な紫衣さんが好きだ。


「でハ、どうするのですカ?」


 平坦な疑問に、軽く笑って答える。


「――皆に聞いてみようと思う」


 今度は俺が、最高の別れ方を聞く番だ。


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