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第2話 吸血鬼、隣人の世話になる

「くちゃい」


 彼女は部屋に上がるなり、そんな感想を漏らした。


 名前は箕作紬希みづくり つむぎ

 高校の制服を適度に着崩した彼女は、世間一般に、ギャルと呼ばれる生物だ。

 15歳という若さでありながら、毎朝鏡の前でじっくり化粧を施し、オシャレなアクセサリーに身を包む。

 髪を染め、爪を輝かせ、常に最高のスタイルを保つために自己管理を欠かさない。

 その甲斐あって、男子からはよく告白されるし、モデルにスカウトされたこともあるとか。


 そんな彼女だが、部屋に充満した異様な、にんにくと酒の入り雑じった悪臭を前にしては、鼻を摘まみ、部屋の主たるシンクを半目で見とがめずにはいられなかった。


「そんなに臭いかなぁ」

「何をどう表現したって臭いから。このまま髪に臭いが染みついて、明日学校でハブられるんじゃないかってくらい」

「はははっ。大丈夫だよ、ツムギなら。可愛いから、にんにくの臭いもオシャレだって受け入れてもらえるよ」

「いや、嬉しくないし」


 能天気に笑う部屋の主を一瞥しつつ、ツムギと呼ばれた少女は遠慮なく窓を全開にした。


 春の陽気が部屋に入り込み、空気をかき乱す。

 籠った臭気が外へ逃げ出し、おかげでツムギは塞がれていた片手を解放できた。


「うん、換気しただけで全然違う。シンク、ここ賃貸なんだからちょっとは気をつけてよ?」

「はーい」


 畳に寝そべり、適当な返事をするシンク。

 そんな彼女に呆れつつ、ツムギは座布団大のクッションに座る。

 これはかつてツムギが持ち込み、この部屋に置きっぱなしにしているものだ。


「つか、今度は何やってたの」

「美味しいお酒を飲んでたんだ」

「いや、よくぞ聞いてくれたって感じのドヤ顔してるけど……そのために何やってたのって意味。なんで、にんにく?」

「うん。特売だったからちょっと買ってみたんだ」

「……ちょっと?」


 ツムギは部屋の隅に置かれたスーパーの袋を見る。会話しながら見つけたそれには、ぎっしりと、大量のにんにくが詰められていた。


「……詰め放題だったんだ」

「にんにくの詰め放題って……」


 どこからツッコめばいいのか。

 ツムギの呆れた視線に、シンクは首をかしげた。


「シンクさぁ。あまり言いたくないけど……」

「ん?」

「もっと吸血鬼の自覚持ったら?」


 ツムギは着飾ることなく、真っ直ぐな指摘をぶつけた。


「吸血鬼ってにんにく苦手なんだよね?」

「広義的に見れば、そうだね」

「……広義的ってことは、にんにくが好きな吸血鬼もいるの?」

「いるんじゃない? わたしは会ったことないけど」

「じゃあいないんじゃん」


 深く溜め息を吐くツムギ。


 ツムギはシンクが吸血鬼だと知っている数少ない人間だ。


 元々、シンクは自身の正体を隠さないまでも、積極的に晒してもいない。

 人間社会に溶け込んで生きる彼女にとって、自分の正体が知られて得など一つも無いというのは理解している。

 しかし、だからといって、自分の正体を完全に隠し通そうとしているかといえば、そうでもない。


 だから、このアパートに引っ越し、初めてツムギと対面したとき、


――お姉さん、吸血鬼、ですよね!?

――え、あ……うん。


 銀色の髪、真紅の瞳、日本人離れした顔立ち――それらを見たツムギの、当てずっぽうな感想に、つい正直に頷いてしまったのだ。

 まあ、だからといってシンク本人に後悔があるわけではない。


 ここに住み始めて一年あまり、シンクの生活にはすっかりツムギが溶け込んでいた。


「そうだ、シンク」

「なに?」

「これだけにんにくあったら大変だしさ、あたしが何か作ってあげよっか」

「え!」


 ツムギの申し出に、シンクは跳ねるように起き上がった。


 ツムギの趣味は料理。そして、趣味にしておくにはもったいないくらいに腕が立つ。

 ここに引っ越し、ツムギに正体を知られ……そして今日まで共に過ごす中で、シンクはツムギの料理にがっつり胃袋を掴まれていた。


 ツムギの料理を食べるのは特別珍しいイベントでもないが、それでもテンションが上がるのは間違いない。

 しかも今回に至っては、さらに特別な興味もあった。


 吸血鬼の天敵たる、にんにく。

 それがツムギの手でどんな変貌を遂げるのか。

 先ほどは食べるだけでダメージを受けたにんにく。

 もしもそれを美味しいと感じることができたら……シンクは口の中にじんわりと湧き出した涎を、ごくりと飲み込む。


「吸血鬼が、にんにく料理で涎垂らすとか……」

「垂らしてない。飲み込んだ!」

「はいはい、そうね」


 ツムギはそう呆れつつ、戸棚をまさぐる。

 そして、ピンクのエプロンを引っ張り出した。これも当然、ツムギの私物だ。


「そもそも、なんであんなににんにく臭かったの?」

「と、いうと?」

「シンク、殆ど料理しないじゃん。なのにどうやってにんにく食べたのさ」


 にんにくは外皮を纏っている状態では、臭いといっても特別不快感を抱かせるものではない。

 その真価をを発揮するのは、外皮を脱ぎ去り、熱を通されたり潰されたりすることで、内に秘めたるモノ(ジアリルジスルファイド)を放出した時である。


「まぁ、こう……がぶっとね」

「がぶ?」

「マルカジリ」

「丸かじり!? 生で!?」

「うん」

「にんにく生で食べるとか、お腹壊すよ……!?」

「ふふん。実際ダメージは受けた」

「いや、なんで胸を張るのか分からんけど」


 にんにくを丸ごと一個、生で食べるなど、人間でも腹を下しかねない行為。

 吸血鬼である彼女がそれを行い、「ダメージを受けた」と言うのがどれほどのものか……そもそも、吸血鬼にとってにんにくは天敵と言われるのだから、軽く済んでいる方がおかしいのかもしれないが。


「……あのさ、自分で料理するって言った手前、アレなんだけどさ……本当に、食べて大丈夫なわけ?」

「大丈夫、大丈夫。死ぬわけじゃないし。なんたってわたし、不死だから!」

「死なないからオッケーって話でもないんだけど……まぁ、今更始まった話じゃないか」


 一年あまり一緒に過ごし、シンクからだけでなく当然、ツムギもシンクの姿を見てきた。

 彼女を知れば知るほど、「吸血鬼とはなにか」というおそらく人生で全く役に立たないであろう疑念が膨れ上がってきたものだ。


 その経験と知識に基づけば……確かに、にんにく程度、大したことないと言われた方が納得がいく。


「はぁ……とにかく、ちょっと待ってて」

「あいさ~」


 ツムギはとりあえず疑念を頭の片隅に蹴飛ばし、キッチンへと向かう。

 直後、彼女の背後から「カシュッ」という小気味よい音が響いた。

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