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夏の終わり

◇ ◇ ◇


「……なるほど──〝若い女〟、ねえ」

「ええ。もしかしたらあの子、その人を探しているのかもしれなくて……心配なの」


エンに痣のことを尋ねられた翌日──。

リーシャは、ガブリエルに事の仔細を相談していた。


ジャックがリーシャと同じ痣だと気付いたこと。

それをエンに話したこと。

聞いたエンがひどく怒りだし、痣について詳しく聞きたがっていたこと……。


居間のソファに腰掛けたリーシャは、手にしたマグを握りしめた。

子供たちを学校へ送り出したあと、孤児院はとたん別の空間のように静かになる。

朝の家事を終えたリーシャとガブリエルは、ひと息つこうとふたりでお茶をしているところだった。


「エンは【会いたいわけじゃない】って言ったの。でも多分、探してるんだと思う」


だからあんなに、とリーシャは微かに眉を寄せる。

昨夜の錯乱ぶりと、彼の身体に残っていた傷や鎖の痕を思い出せば、どうしてエンが痣について聞きたがっていたのか──その理由は、簡単に予想がついた。

真向かいのソファに腰掛けたガブリエルが、深いため息を吐き出す。

「復讐でもするつもりなんだろうが……危ねえな」

「ええ」


──エンを保護した折、市警にも連絡は入れていた。

しかしエンは異国人で、さらには言葉も通じなかったため、情報は一切集まらず。

今に至っても彼についてはわからないことの方が多かった。


リーシャは自身の左胸に手を当て、ぽつりと呟く。

「……この痣、本当に何なのかしら」

子供の頃からずっとそこに刻まれている、薄墨色のちいさな星。

成長するにつれ、それが他の子にはないものだと気づいてから、リーシャはずっと不思議に思っていた。

なのにいくら尋ねても、ガブリエルもルイも、当時の院長──今は亡きフレデリカも、真実を教えてはくれなかった。


だがこの春先。エンが街にやってきて。


その背にある〝星〟がリーシャと同じものだとわかり、ようやくガブリエルとルイは、星の正体が焼印であることを教えてくれたのだった。


しかし聞かされたリーシャの疑問は、さらに深まるばかりだった。

(いったい誰が、何の目的で、こんなひどいことを)

思考するリーシャの耳に、ガブリエルの重い声が届く。


「わかんねえけど、よくはない、ものなんだろうな」

「……そうね」


〝痣をつけられたとき〟のことを覚えているらしいエンに聞けば、なにかわかるのかもしれない。

でもそれは、彼に苦しい記憶を思い出させるということだ。

言葉だってまだ辿々しい彼に。

しかも聞き出せたとして〝その女性〟を探し出せる保証もない。


リーシャはゆるくかぶりを振って、考えを切り替えた。

今はやはり、エンの療養が優先だ。

彼の心の傷は思っていたよりずっと根深い。


「とにかく、エンのことは気をつけたいの」

「だな。あいつかなり感情的みてえだし」

「ええ」

と、そこでガブリエルが、思い出したように話題を変えた。

「ま、それはそうとして。ほら」

「え?」

「工面するのに時間かかった、悪い」

言いながらガブリエルがジャケットの内ポケットから取り出したのは、分厚い封筒だった。

差し出され、リーシャは困惑する。

「……何?」

「小遣い。お前最近、自分の金で〝色々〟してただろ。とーちゃんの目は誤魔化せねえぞ」

「………………ルイね」

ミーリアに通訳を依頼したことは、内緒にしてほしいと頼んでおいたのに。

しかしガブリエルは否定する。

「いいや。ミーリアさんから()聞いた。もうすぐ秋祭りもあるし、これで新しい服でも買え」

「……服ならあるもの」

「……──あのなあ、リーシャ」

受け取ろうとしないリーシャに痺れを切らし、身を乗り出したガブリエルは、無理やり彼女の膝上に封筒を置いた。そうして目線を合わせながら、話を続ける。

「おまえもジャックたちも、もちろんエンだって、俺の大切な子供なんだ。幸せになってほしいと思ってる」

「……あり、がとう」

「で、ここからが一番大事な話だ」

ガブリエルがぽんとリーシャの頭に手をのせた。

大きなその手は、幼い頃から何度もそうやってリーシャを褒めてくれた。

大好きな手だった。

「いつのまにか、おまえは年長になっちまって、家事とかあいつらの世話とか『自分がやらなきゃ』って気負ってるんだと思う。だがな、おまえはおまえだ。もっと好きなことをして、好きに生きていいんだぞ」

「……私、この家が好きよ?」

「それもわかってる。でも、おまえはもっと外にも目を向けるべきだ。……その、ほら、そろそろ、恋人とか、好きな奴とか……出来てもおかしくはない歳だろ」

「……ガブリエル」

「おまえは結構しっかりしてるし……おまえが選ぶ相手なら……その、俺は信用できる、と思うから」

ごにょごにょとらしくなく言葉を濁す父親代わりに、リーシャは自然と頬を緩めていた。

近い歳の兄弟は皆、この家を出てしまった。

それぞれに仕事を見つけたり、それこそ恋人と暮らし始めたり。結婚をしたりして。

そうして時々里帰りした兄弟たちから、リーシャも幸せな気持ちを分けてもらっていた。けれど。

確かにそろそろ、自分も出会いを見つけてもいい頃なのかもしれない。

思い、膝上に置かれた封筒を手に取る。

「ありがとう。じゃあ、これでとびきり素敵な服を買わせてもらうわね」

「おう。存分に楽しんでこい」

微笑んだリーシャに、ガブリエルもにっと笑う。


ヨルンドルテの夏の終わり。

畑には穂が実りだし、世界は、次の季節を迎えようとしていた。



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