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異国の少年

◇ ◇ ◇


「これはね、こうやって使うのよ。……ほら、こうして」

言いながらリーシャは、手本を見せるようにリゾットを掬ったスプーンを自分の口に運んだ。その一部始終を銀髪の少年、エンが、隣からじっと見つめてくる。

(……なんだか、照れるわ)

そんな風にまじまじと食事風景を見られたことなんてなくて、リーシャは少しだけ気恥ずかしくなった。咀嚼を続ける口元を片手の指先でそっと隠す。その所作さえ瞬きもしないエンに見つめられていた。



薄闇迫る夕食時。

孤児院の食堂には、院中の子供が集まっていた。

長方形の大テーブルには火の入った燭台と大皿の料理がいくつか、それからそれぞれの前に取り分け用の皿が置かれている。

子供たちはみな、自分の皿に料理を粧いながらも〝新入り〟のエンをしきりに気にしていた。

無理もないことだと、リーシャは思う。

明らかに異国人だとわかる顔立ちに、綺麗な銀髪。着ている服の作りも全く違っていて、そのうえ彼は、にこりともしないのだから。

目を引くのも当然だった。


(……ミーリアさんは〝了国の子〟だって言ってたけど……)


見様見真似だろう。

エンがそっとスプーンを握って、リーシャをちらと見上げてきた。

これであっているのか? と聞かれているような気がして、リーシャは笑顔を作って頷く。エンはやはりにこりともしなかったけれど、覚束ない手つきで、目の前の皿からリゾットを掬うと、自身の口に運び入れた。

「熱くない?」

思わず尋ねてしまったリーシャを、咀嚼し始めたエンがなんともなさそうに見返してくる。

昼食も──食事の仕方には驚いてしまったけれど──完食していたことだし、味に抵抗はないらしい。

生国が違うと食べ物を受け付けないこともあると聞いていたから、リーシャはほっとして、食事を続けるエンを見守った。

「ゆっくり食べていいのよ」

言葉が通じないとわかっていても、つい話しかけてしまう。そんなリーシャの隣でエンは黙々とスプーンを運んでいった。


流れる星のような銀髪を一本の三つ編みにした、あどけなくも素っ気ない異国の少年。────今朝、海辺に倒れていたエンを見つけたときは、心臓が止まるかと思った。

リーシャはその瞬間のことを思い出す。


海に面した地方都市──ヨルンドルテはのどかな港街だった。

魚や貝が主な特産物で、それらを使用した料理と美しい風景が評判となり、最近は観光客も増えてきている。中心街には新しい店が立ち並ぶようになり、それに付随するように人口も多くなっていた。


リーシャは、そんな街で育った娘だった。

とはいっても、両親がヨルンドルテの住人だったかは定かではない。

リーシャは赤子の頃、街にひとつしかないこの孤児院に捨てられていた、そうなのだ。孤児院の現院長、ガブリエルが言っていたのだから間違いない。

子供の頃、その話を聞かされたリーシャはただぽかんと聞いていた。よくわかっていなかったのだ。でも、十六になった今は流石に理解出来ている。

普通の人には両親が存在すること。でもリーシャにはいないこと。両親の代わりに孤児院の人々が育ててくれたこと。

子供らしく、父母なるものを欲した時期もあったけれど、今はそれも通り過ぎた。

リーシャは自分を拾い、ここまで育てあげてくれたガブリエルに感謝し、孤児院を手伝うことで恩を返し続けていた。


そんな日々のさなか。

朝の市に出かけたリーシャは海辺に倒れていたエンを見つけたのだった。

朝市に並ぶ魚のどれをどのくらい買おうかと吟味していた折、背後で何かが煌めいたような気がして振り返った。

夏には海水浴客で賑わう浜辺が、朝日を受けて眩しいくらいに輝いている。

そこに、エンが倒れていた。

リーシャは急いで浜辺に降りた。

砂と海水まみれになっていたエンはぴくりとも動かなくて、最初は死んでいるのかと思った。けれど声をかけ肩を揺すると僅かに眉を寄せてくれて、それで生きているのだとわかった。

リーシャはエンを背負い、急いで院に戻り、自分の部屋に寝かせた。そうしてガブリエルにエンを託すと、すぐに顔見知りの街医者──ルイの元へ走った。

ルイはまず手枷と足枷を外そうと腕まくりをした。

鉄なんて滅多に手に入るものではない。

──大方、趣味のいい金持ちにでも飼われてたんだろうな

言ったルイの呟きが、耳をついて離れなかった。

どうしてこんなことをできる人間がいるのだろう。

ベッドに寝たまま動かないエンの首にも枷の跡が残っていた。

リーシャは泣きたいのを堪えて、エンの身体を湯に浸した布で拭いていく。

孤児院に預けられる子供のなかには〝そうした〟事情を抱える者が少なくなかった。

しかもその傷は、実の両親や金持ちが娯楽でつけるというのだ。

信じられないことに。


幸い──と呼ぶのが妥当かはわからないけれど──リーシャはそんな目に遭ったことはない。

小さな頃から育ったこの家が、同じ孤児が、ガブリエルが家族で、寄付金に頼るその生活は裕福とは呼べないけれど、手を挙げられたことはなかった。


「病気はないみたいだな。歯も綺麗なもんだし、骨にも異常はなかった」


エンの診察を終えたあと、一服しながらルイは言った。いつもくたびれたような寄れた白衣を纏うルイだけれど、その腕は信用できる。リーシャも彼には何度も助けてもらっていた。子供は突然熱を出す生き物だからだ。


「ありがとう、ルイ。いつも急にごめんなさい」

「どういたしまして……ところで、ミーリアさんに渡してたのおまえの小遣い銭だろ。ちゃんと院長に請求しろよ」

「ええ」


通訳をしてくれた女性、ミーリアは高名な言語学者だった。

今は翻訳業を営んでいる。

ヨルンドルテでも一、二を争う商家の生まれで、生活に困った様子はない。けれど彼女の請求する報酬は高額で、悪魔だとか、無慈悲だとか、よく裏で罵られていた。それでもミーリアの仕事はミーリアにしか出来ないものばかりだから、ヨルンドルテの人々は不満を述べつつも、彼女に頼るしかないのが現状だった。


「噂には聞いていたけど、本当に高いのね。びっくりしたわ」


リーシャがガブリエルに請求するつもりがないのを見越したのだろう。ルイが深く眉根を寄せる。

「リーシャ」

「わかってる。無理はしないわ、私が生活できなくなったら、それこそ本末転倒だものね」

「だったら」

言いかけたルイの言葉を笑顔で制止する。

「あのね、ガブリエルも最初は自分のお金を使って私を助けてくれたんですって。あの子を拾ったのは私だし、順番が巡ってきただけだと思うの。だから、気にしないで」

院の経営は困窮しているわけではないが、かといって余裕があるわけでもない。

街の名士や議員らが慈善活動やチャリティーを名目に寄付してくれるものと、バザーなどで得る収入。それらを頼りに生計を立てている。

そうしてその中からガブリエルは〝隙〟を見つけては子供たちに小遣いを渡していた。

祭りの前の日や、新年が明けたときなどに。

──おまえの分だよ、リーシャ

列に並び、お金をもらったとき、リーシャはいつもその使い道に迷っていた。

市でお菓子を買うのもいいし、新しい髪飾りもほしかった。

けれどそのどれもしっくりこなくて、いつからか、お金を貯めておく癖がついていた。本当にほしいものが見つかったとき、困らないように。

そして今朝エンを助けて、彼が言葉を話せないと知った瞬間思ったのだ。ああお金を貯めておいてよかったと。




「! 全部食べたの?」

気づくとエンの皿は空になっていた。

リーシャは嬉しくなって、無意識に彼の頭に手を伸ばしていた。と、エンがびくりと肩を震わせてしまって、慌てて手を引っ込める。

「ごめんなさい。……あの、お代わりはいる?」

皿に料理を注ぎたそうかと身振りで尋ねると、エンはこくりと頷いてくれた。

その口元に汁が一滴、飛び散っている。

「ちょっといい……?」

迷いつつリーシャはエンの口元に手巾を寄せる。慣れたのか、それには大人しくされるがままだったけれど。言葉の壁も心の壁も、まだまだ厚いのに違いなかった。

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