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異国の地で

翌日──アンディックの宣言通り、苑は他の贄と共に船の貨物室に詰められた。


航海は二週間にも渡ると聞いたが、その旅路は最低だった。

食事は数日に1度。

腐りかけの果物が放られる程度で、それだって他の子供との取り合いだった。

揺れる船底は不衛生極まりなく、体調を崩す者は後を絶たない。


港を離れ、数日が経ったある日。

船が激しく揺れだして、贄のうちのひとりが嘔吐した。

手足を縛られたまま、木板の壁を背に座り込んでいた苑は、そのすすり泣きを聞いていた。窓もなく灯りもない室内に、据えた匂いが充満していく。

(このまま、ゴミのように死んでいくのだろうか)

それだけは絶対に嫌だ、と強く思う。

だが、手足を縛る枷は鉄製で、安易に外すことはできそうもない。それでもこのまま、あの女の思惑通りになるのだけは我慢ならなかった。──次にアンディックの手下が『餌』を運んできたら、仲間に協力させて武器を奪うか?

そう暗闇を見つめていたところで、船が一際大きく揺れた。

「……!」

木板を伝わり感じる風は、しだいに強さを増しているようだった。

(嵐か)

無論、乗船など初めての苑には、嵐がどのように航海に作用するかなど知るよしもなかった。

けれど直感で、よくない、とはわかっていた。

実際、同時刻の操舵室では、船員が脂汗をかいているところだった。

『これはまずい』と長年の経験が語っていた。


しかし無常にも天候は荒れ続ける。


「……っ!」


船が傾き、身体ごと床を滑った。

苑は強かに右肩を打つ。


「怖いよう……!」

「助けて!!! ここから出して!!」


いよいよ恐怖が頂点に達したらしい。子供らが叫びだした。同時に、頭上も騒がしくなる。甲板だ。バキバキと何かが折れる音が聞こえ、咄嗟に苑は、入り口の近くへ這いずった。途端、扉が開かれる。

「ガキ共!表に出ろ!」

そう言われたところで、縛り上げられた子供らになすすべはない。

アンディックの手下は舌打ちをすると子供らを見渡し、真っ先に苑を担ぎあげた。苑がとりわけ商品価値の高い、〝優先すべき〟贄だったからだ。


「おらよ!」


そのまま甲板に放り出される。手下は次に優先すべき贄を運び出そうと踵を返す──数日ぶりの外は、大雨と横風に見舞われていた。夜空の中。近くでは稲光が落ち、雷鳴まで轟いている。

船員たちが慌ただしく駆け回り舵を取っているが焼け石に水だった。

大白波が船を覆い、苑を含め表に出ていた船員たちは、ひとり残らず黒い海へ投げ出される。


「……がっ!!!」


苑は塩水を飲まないよう、咄嗟に息を止めた。

だが濁流はどうのしようもなかった。

一瞬ののちに激しい波に攫われ、沖合へと流されていく。


口から空気がこぼれ出る。身体の自由が全く効かない。思ったのはたった一つ、死にたくない、それだけだった。



◆ ◆ ◆


そして次に目覚めたとき、苑は見知らぬ部屋に寝かされていた。


「…………?」


ぼんやりと瞬きをする。

視界に広がるのは、木板を張った天井と、色褪せた土色の壁。

さらに視線を動かせば、小さな窓の外に、青空が広がっていた。

……快晴だ。


(…………助かった、のか?)


あの状況で?

ひどく痛む頭を押さえつつ、寝台の上に身を起こす。

そこで苑は、自分の手足が自由になっていることに気がついた。痛いと思った頭に触れることができ、そこに布が巻かれていることを知った。

掛けられていたシーツをはぐれば、足枷も綺麗に外されている。

「…………」

まじまじと見下ろした手首には、まだ鎖の跡が色濃く残っていたが、自由の身であることは確かだった。

しかし、そこで感じたのは安堵ではなく困惑だ。

苑は改めて室内に視線を走らせる。そう広くもないその部屋には、今自分が寝ていた寝台と古びた鏡台、あとは縦長の洋服棚が一点置かれているだけだった。

扉は──無防備にも開かれている。しかもその奥からは、人、大人の話し声も聞こえていた。

アンディックの手下、ではないだろう。

彼らが苑の拘束を解いたままにするはずがない。

(だとしたら、ここは一体)

警戒を強めた苑は武器になるものを探したが、簡素なその部屋には花瓶の一つも置かれてはいなかった。

仕方なく苑は、外の様子を見ようと慎重に寝台を降りようとした。しかし年季の入ったその寝台は少しの振動でもギッとしなりをあげてしまう。

それで苑が目覚めたと気づかれたのだろう。

開かれたままの扉の向こうから、パタパタと軽い足音が響き、ひとりの女が顔を覗かせた。


「ーーーーーー!」

「……」


女は、異国人だった。

淡い金色の髪に白い肌、大きな緑色の目も見慣れないものだ。

おまけに女がなんと言っているのかも、苑には少しもわからなかった。

寝台の上で身動きしない苑に、女は何やら話しながら近づいてきた。

歳のころは十五、六だろうか。

胸元ほどまで伸びた金色の髪が柔らかそうだと、不意に思った。

草木のようなひだまりのような、いい匂いがしていた。

女は苑と目線を合わせるように少しだけ屈み、また、何かを話してくる。

「…………」

それでも答えない──答えられない苑に、不思議そうに首を傾げてくる。


「ーーーー」


と、開いたままの扉の向こうからもうひとり、今度は男が入ってきた。いやに白く丈の長い上着を羽織っている。反射的に睨みあげた苑に、髭を生やしたその茶髪の男は、苦い笑いを返してきた。

そうして二言三言、金髪の女と言葉を交わす。

「……」

目の前で理解できない言葉を用い、自分の話をされている様は、なんとも言えず不愉快だった。

男の発言を聞いた女が、少しだけ困ったように眉尻を下げる。そして考えるように数秒沈黙したあと、また、苑に言葉を──今度は手も差し出してきた。


〝いらっしゃい〟と言うように、動こうとしない苑の手を掴み、寝台を降ろさせる。


それから連れて行かれたのは、がらんとした広い部屋だった。

縦長のテーブルが2脚、等間隔に並べられていて、その一つに座るよう身振りで指示をされた。

女はまた何か言うと部屋を出ていき、すぐに戻ってきた。

手にしていたのは白い湯気の立つ浅い皿。

ふやかした米が入っている、粥だ。それも上等の。

『餌』だ、とわかった瞬間、苑は唾を飲み込んでいた。

忘れていた空腹が競り上がってくる。

真向かいの席に座った女は、何が面白いのかにこにこと笑ったまま苑の前に『餌』を置いた。

だから苑は自分に出されたのだろうと思い、身に染み込まされた習性のまま食べ始めた。

それだけだったのに。



──どうしてそんな泣きそうな顔をしているのだろう。


食事を終え、ようやく皿から顔をあげた苑の口元を、女は温い湯に浸した布で拭ってきた。

間近にあるやけに整った女の顔を見つめながら、苑はそっと首を傾げた。

(ここは一体、なんなんだ)と。

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