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贄の少年

残酷な描写がございます。

苦手な方はご注意ください。

出された『餌』に顔を突っ込んだ途端、真向かいから女の悲鳴が上がった。


「ーーーーっ!!」


(……うるさい)


心の端で思いつつ、少年は、熱い粥を口いっぱいに頬張る。

がふがふと犬のように食事を始めた少年を、女は急いで皿から引き離そうとした。が──骨と皮ばかりの身体の、どこにそんな力があるのか──ビクとも動かない。それでも女は必死になって少年の細い肩を掴みにかかる。

──それは少年にとって、いつぶりとも知れぬまともな食事だった。

故に少年は、女を無視し、顎や首が汚れるのも厭わず、目の前の『餌』を喰らい続けた。

(死んでも離すものか)

故郷──海を超えた異国の地で奴隷として飼われていた少年は、そんな食べ方しか知らなかったし、許されていなかったのだ。



少年──(エン)の故郷は腐敗していた。

盗み、殺しは日常で、生まれ育った貧民街には、疫病まで蔓延していた。

母親は梅毒に罹って死んだ──そんな商売をしていたのだから不思議でも珍しくもなかったが──ともかく苑は、そうしてひとり、幼くして孤児となった。

無論、父親など在るはずもなく、貧民街の片隅で苑もまた、他の人々と同様に盗みと物乞いをして暮らし始めた。

その日々は暗く鬱々としていた。けれど幸いにも、苑の身体はほかより多少頑丈に出来ていたようで、腐った食べ物で腹を下しても、大人たちから暴力を受けても、死に至ることはなかった。

いつでも湿っているような日の挿さない路地の影で。苑は、姑息な大人たちから隠れるようにして暮らした。ゴミを漁り、鳥を捕まえ、食べられるのとそうでない植物をより分け、街の同胞とも呼べぬ悪童と共に、こそこそと生き延びていた。

それがなんの因果だろうか。

苑の容姿はその街において、ひどく目立つ物だったらしい──街を裏から取り仕切る女のひとりに、目を付けられてしまった。


苑の居場所を売ったのは、街の悪童のひとりだった。昨日までいっしょに悪巧みをしていた、黒い髪をした溌剌とした少女。

苑を見つけた男たちは、それこそ野良犬でも狩るかのように網をかけて苑を捉えた。

少女は男たちから金を受け取ると、こちらなど一瞥もせずに駆けて行った。彼女には幼い弟たちがいた。それと苑とはなんの関係もなかったが、ほんの少し、苦しかった。


苑はそれから、いやに立派な建物に連れて行かれた。

ボス、と呼ばれた女の足元に転がされ、睨みあげると微笑まれた。


「なるほど、見事な銀髪だ。それに顔も整っている。これはいい贄になるだろう」


苑の母は黒髪だった。最期は白いものがいく筋も混じっていたが──だから苑の銀髪は、見たこともない父親譲りなのだろう。

ボス、と呼ばれた妙齢の女は、苑に顔を近づけると、うっそりと瞳を細めた。


「気に入った。形になるまで、しばらく私が飼ってやろう」


──欲望はさまざまな形で現れる。

その一つが支配だ、と苑は思う。

ボス──アンディックは、他に何人もの玩具を所有していて、その一つに苑も加えられることとなった。そこで強制されたのは従順であることと、アンディックの〝いうこと〟を聞くこと。そのふたつだった。

背後手に手枷を嵌められたまま、苑はアンディックの部屋の隅に繋がれた。


アンディックの側にはいつも屈強な男たちがついていて、苑が少しでも反抗する素振りを見せれば、顔以外に暴力を振るわれた。苑の顔に傷がつくのを、アンディックが嫌がったからだ。

玩具仲間と会話をすることは許されなかった。

どうしてかアンディックにとりわけ気に入られた苑は犬用の首輪を嵌められ、その先を持ったアンディックに容姿を褒められることが増えていった。


(いつかこいつの喉を食いちぎってやる)


必ずだ。思い、苑はそのときを虎視眈々と狙い続けた。

アンディックは飄々としているようで、その実一切気を抜くことはなかった。それがたとえ、玩具相手だったとしてもだ。

それに運よくアンディックを殺せたとして、苑はすぐ彼女の護衛たちに仕留められるに違いなかった。──果たせたとして、刹那の満足を得られるだけ。

それでもよかった。

どうせ長くはないだろう身。

であれば、自分を玩具と呼び弄ぶこの女に、一矢報いないではいられなかった。命を賭けても。




「動くな」


アンディックの玩具になって数ヶ月が経った、ある夜。玩具仲間のひとりが寝台に抑えつけられ、はだけたその背中に熱したコテが押し当てられた。叫び声がこだました。鼻をついた悪臭に、苑は僅かに顔を顰める。次は、自分の番だった。

「怖いかい?」

アンディックが面白がるように目を細める。苑は左右に首を振った。アンディックは上機嫌に唇の両端をしなりあげる。そうすると、まるで花が綻ぶようだった。

長い艶やかな黒髪を赤く塗った爪の先に絡めながら、アンディックは言う。

「私はね、おまえのその気高さが好きなんだ。無様に叫んでなどくれるなよ」

……そうだったのか。

苑は寝台に抑えつけられながら瞳を閉じた。

──だったら、情けなく泣け叫び、助けてくれと乞い願えばアンディックの執着から逃れられたのだろうか。失敗した。

じゅう、と背中に熱いものが押し当てられる。

「…………っ」

歯を食いしばり、拳を握りしめ、溢れる汗もそのままに、ひたすら耐える。

──……違う。この女はどうせ、俺を離す気はない。

泣き叫べば叫んだところで「その顔もいい」だとか気色の悪いことを言い出すに違いなかった。

……屈しない、絶対に。

気を失いそうになったところで、アンディックに抱き起こされる。

「偉いよ、よく耐えたね」

にっこりと笑った女と目が合う。気分は最悪だった。



それが『贄』に付けられる印だとわかったのは数日後のことだった。苑の背に軟膏を塗りながら、アンディックは歌うように語る。

「いい贄に育ってくれてよかった。私もとても鼻が高いよ」

「……贄?」

「神に捧げる贄だ。〝彼〟はとても強欲でね、汚れない魂を望むらしい」

その口ぶりは小馬鹿にしているようにも聞こえて、苑は怖気を抑えて振り返る。

女はやはり笑っていた。

「明日でお別れだ、苑。楽しい時間をどうもありがとう。儀式は聖なる地で行われる。君は明日、船に乗って異国へいくんだよ、酔わないようにね」

「…………」

ふざけるなと思った。不安定な寝台の上で、苑はアンディックの喉を食らおうと襲いかかる。が、それは女の護衛たちの手によって、儚く遮られた。首を掴まれ、いとも容易く持ち上げられる。足が宙を掻いた。

「殺しちゃ駄目だよ。私が殺されてしまう」

アンディックは微笑み、寝台を降りた。首を締め上げられながら、苑は血走った目を女に向ける。女の全てを脳裏に焼き付けようと思った。

いつか必ず、殺すために。

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