Scene-5 / 緑の友人
(ほほう、珍しい。実に珍しい。長生きはしてみるものよのう)
人影が差し出した手の先には、緑色に光る球体が浮かび、視界を緑一色に包んだ。
左手を額にかざし、光を避けながら、人影を見た。
子供ぐらいの背丈だろうか。何か、民族衣装のようなロープを着ているようだ。石か水晶が編まれた首飾りや、腕輪などをいくつも身につけている。
袖から見えた腕はひどく細い。
顔は彫りが深く目鼻立ちがはっきりしているがかなり幼く見える。
耳が、人のそれとは違う。
横にまっすぐ伸びており、時折、猫や犬のそれのように、パタパタと動く。
「誰だ?」
掠れた声が尋ねた。小さいが、静かな小屋の中で鋭く響く。
私の声だ。
(ほっほっ。猫や犬とやらと一緒にはせんでおくれ。わしはエレンディールという。
ただの気の良いエルフじゃ。そう警戒しなくともよい)
「なんだ、これは」
頭の中で声が聞こえたように感じた。
幻聴なのかも知れない。
眼の前にある顔は微動だにせず、唇が動いたようにも見えなかった。
わたしは目の前の存在の目を見つめた。
その瞳は無垢な子供のようであり、いたずら者のようでもあり、全てを見通した優しげな老人のようでもあった。
(まぁ、落ち着きなされ。
これは、そう、お前さんの世界の言葉で言えば、テレパスというものじゃ。
心の中で念じたことを相手に伝える術での。
生憎と、お前さんの世界の言葉がわからぬでな、思念で会話しておるのよ。)
私は目を細めながら、目の前のエルフと名乗る存在を眺めた。
人なのか、どうかはわからない。エルフというのが、人種のことなのか、人とは全くことなる生き物なのかもよくわからない。
薄暗い小屋の中で緑の光に照らされたその肌は、白人種とも違う白さを持っているように思えた。もしかすると緑色の肌なのかも知れない。
頭の中に響くその声は、慈悲と叡智に満ちているようだが、見た目は10歳ぐらいにしか見えない。
(おまえさんが念じたことも、わしには伝わってくる。
なに、この世界ではわしはなかなかの力の使い手での、お前さんの考えだけでなく、お前さんの知識や記憶も多少は読み取ることができなくもない。)
(お前さんの世界?
ここはどこだ?
お前さんの世界とはなんだ?
お前は何者だ。)
(わしはただのエルフじゃ。それもとびきりの年寄りのな。
ふむ。
お前さんが暮らしていた世界にはエルフ族が居ないか、滅びてしまったようじゃな。
なに、わしたちエルフ属と人族は元をただせば、同じ種から生まれておる。なもので、遠い親戚のようなものと思えば良い。
恐れることはない。
ふぉっふぉっふぉ。
いきなり言われてもよくわからんじゃろうが、ここはお前さんが生きていた世界とは別のものじゃ。
別の世界ということになる。
お前さんは、、
そう、地球という惑星・・・・銀河系という宇宙に故郷があるようじゃの。
しかし、ここは、その地球とやらが存在する宇宙、その空間とは全く異なる次元に存在する世界になるかの。
世界を創生した存在、神々さえも知らぬ創生主さまだけが通じる回廊で繋がれた別の世界じゃ。)
私は右手の人差し指と中指を頭に近づけた。
右目の少し上、額の右側に当てた。
何度か、トントンと叩く。
(そうじゃの。
今、この瞬間が夢ではないかと疑うのは当然かもしれん。
そしてまた、何故、この世界に居るのか不思議になるのもまた当然じゃろう。)
(Uh-huh。
そうか、では、気の良いエルフ殿、聞かせてもらいたい。
何故、俺はこの世界に居る。どうして、この世界に居る?
俺は誰だ?
俺はどうしたら記憶を取り戻せる?)
(落ち着きなさいな。落ち着きなさい。
といっても無理じゃろうが。ふぉっふぉ。
お前さんはこの世界の人間たちに召喚された転移者じゃ。こちらでは異世界転移者と呼ばれておる。)
私はうめきながら、起こしかけた上体をまた横にした。エルフの表情を見つめて話の続きを待った。
(うむ。まず、お前さんがどこの誰かはわからん。おそらくこの世界でその答えを持っている者は居ないじゃろう。
それから、どうして召喚、つまり、この世界に呼ばれたかは気になるじゃろうが、わしは詳細については話せん。これについてはの、話してはな、してはならぬ掟なのじゃ。
この世界の調和のために、転移者は進むべき道というものを自らの意志で選択せねばならん。
といっても、そもそも私はおまえさんの事情について、詳細は知らんがの。
召喚の秘術をした者たち、お前さんを呼び出した者でさえ、本当のことは知るまいよ。
今や、きゃつら、己たちが何をしているのかもわかっとらん。)
(・・・?)
(記憶についてはおそらく取り戻すことはできんじゃろう。
転移者は其の者が持つ魂の成熟度や元の世界での役割によって、その世界と深い結び付きをつくっておっての、召喚というのは、その繋がりをぶった斬って、無理やりこちらの世界に呼び出す方法でな。元の世界と深く繋がっている者ほど、その者の過去の記憶が元の世界に残留してしまってな、こちらの世界には持って来れんらしい。)
(ほう・・・)
(何が、ほう、じゃ。
よくわかっておらんだろう。。
いや、そうでもないのか。
ふん、なかなか、お前さんは面白い。
どれ。)
不意にエルフが動いた。
それまで差し出していた腕とは逆の手を私に向けた。
微かに唇が動く。
見覚えがある文字が目の前に浮かんだ。
崖で見た光る文字だ。
内容も同じに見える。
ただし、前回とは反転している。エルフのほうに向けて、文字が現れたようだ。
(「破壊不能の精神」とはな。
お前さん、この年寄りエルフさえ見たこともない珍しい加護を持っておるの。
なるほど、お前さんが苦労するのは運命的なものじゃな)
(何の話だ?)
(ワイバーンに眷属のブレスを受けたじゃろ?
その大火傷の原因じゃ。
まあ、詳しいことは言えんのじゃが、お前さんは、そう、挫けぬ心を求められて、この世界に呼ばれたといえよう。)
(挫けぬ心・・?)
エルフは文字の前に差し出していた腕を軽く振った。
光る文字はすっと消えた。
(まあ、この話はこれで終わりじゃ。
一度休むが良い。
少し身体が楽になってきたじゃろ。
この緑の光は、お前さんの身体を回復させる治癒魔法の一つじゃ。)
(魔法というのは、文字通り魔法じゃ。お前さんの世界では失われた技術のようじゃがの。)
(今は、お前さんの傷を治しておる。
少し黙っておいてくれ。
集中せんと、治癒が進まんのじゃ。
お前さんがくらったのはただの肉体的な火傷ではなくて、結界のようなものが肉体に染み込んだような状態での、肉体の治癒とブレスの効果の解除を同時に行うのが、なかかに骨が折れる。)
私は溢れ出ようとする質問を抑えた。
しばらく黙ることにして目を閉じた。
エルフの言った通り、体中を焼き尽くすような痛みが徐々に軽くなっている気がしていた。
自分が一体誰で、ここがどこで、何が起きているのかもわからない。しかし、どうにかできるようなことではないらしい。
少なくとも、会話ができる存在に出会い、身体を回復させてくれる存在が居る。それだけで今は満足すべきだろうと考えた。