2033年 黄昏行く秋に
2033年 晩秋 黄昏行く秋に思うなどと言ったら、あまりにも凡庸な言い方に笑われそうですが、今の後期高齢者の私には、この言葉が一番の枕言葉、ぴったりします。
先日、ネットで自殺者数を見ると昨年が年間21,881名、1日あたり約60名、気になったのは男性が女性よりも多く、女性の約2倍でそうです。やはり、男は私を含めて弱いのでしょうか。
著名人でも玉川上水に入水しての太宰治、ガス管をくわえての川端康成、風呂場で手首を切っての江藤淳、多摩川に入水した西部邁など、男性が目立ちます。江藤淳と西部邁は、愛妻を亡くされたことも理由の一つとの見方もあるとのことですが、私も、愛妻と言うほどのものではないにしろ、妻を3年前に亡くしました。
午後4時を過ぎると秋の落日は準備段階に入ります、先日ホームセンターで購入したロープとカラビナをナップザックに入れて落日の準備段階に入りました。
今は住むのは私ひとりとなった我が家は、私が40歳代後半に建てたものですが、丁寧に住んでいたからでしょうか、それほどの痛みは見えません。かつてここには、妻も娘たちも犬もいました。妻は亡くなり、娘たちはとっくに所帯を持ち、我が家から出て行きました。
各部屋を確認していきます。戸締りは辞めました。今さら盗られるものもありません。ただ火事を起こして隣近所に迷惑をかけては申し訳ないので、ブレーカーはすべて落とし、ガスの元栓はしっかりと締めました。
午後5時を過ぎました、つい2,3日前までは、この時間でもまだうすぼんやりしていた戸外もすっかり暗くなりました。祖父の代からの古びた仏壇に手を合わせました。仏壇に遺書を置きました。
娘たちよ、世間を騒がす方法で人生早仕舞をする父を許していただきたい。登記書類や年金証書、預金通帳(大した額ではないが葬式代にはなるでしょう)やカードなどは、仏壇の引き出しに仕舞ってあります。
中村メイコが、老後は永遠に春の来ない巣ごもり、とか何とか言っていました。小説家のような名文の遺書は書けませんが、それぞれのやり方で今後の人生を生きて行ってください。
君たちが家族ともども、大病を患うことなく、大けがをすることなく、安泰な人生を歩んで行けることを祈るばかりです。
玄関を出ると振り返って我が家を仰ぎ見ました。40歳代後半からの30年ローンはきつかったが、そのローンも終わりました。土地と家屋が残ったのはうれしい。あとは娘たちが適当に処分してくれるでしょう。多少の遺産となるはずです。
80歳の若干早い店仕舞で娘たちや孫に迷惑をかけるかもしれません。しかし、これ以上生きていて、寝たきりや認知症等になればもっと迷惑をかけることになる。とは言え、自殺は自分勝手のこととは、よく承知はしています。自裁、自死、自殺、何と言おうと後ろめたいことには変わりはありません。
家を出て行くと夕刊を取りに出てきた向かいのおやじさんが「お散歩で」と声をかけてくる。私の夕方の散歩は風呂に入る前の日課となっているので、いつもの挨拶です。私は、いつものように片手を上げて挨拶をする。このおやじさんは、私よりも一回り上だから90歳前後だろう。見かけは元気そうだ。ただ耳がひどく遠く、家の奥からはテレビの音が騒音のように聞こえてくる。
私は戦後、東京は大井町で生まれました。あの頃は、大井町はすぐそこに海がありました。それから80年、自分の人生、記憶を辿れば様々なことがあったことは事実でしょうが、今の私にはそれを事実と認める勇気はありません。
記憶は惨めで、悲しかったこと、辛かったこと、屈辱を受けたこと、後悔したことなど暗いものばかりで、ほのぼのと思いだすようなものはほとんどありません。それは、楽しい思い出も無かった訳ではありませんが、ただ思い出さない、と言うだけのことかもしれませんが。
私は幸いにも今のところ交通事故を含めて人を殺めたことはありません。故意で人を傷つけたこともありません。そうかと言って、他人を肉体的ではなく精神的に傷つけたことはなかったか、と言われれば疑問も残ります。
引きずっている記憶があまりに辛いと、この記憶は何者かが私の頭脳に虚偽の記憶を埋め込んだ、と思うようになりました。自分はたった今生まれたばかりで、自分の記憶もあったかのごとく埋め込まれた、と言ったSFのような話を本で知ると、時々その妄想に耽るようになりました。私が60歳を過ぎたころからだったでしょうか。
簡単に言うと、自分はこの一瞬にしか存在していない。その一瞬、一瞬ごとに、虚偽の過去の記憶が埋め込まれるから、継続して長年生きてきたと錯覚する。しかし事実は、今日この今の一瞬しかない。だから惨めな過去の記憶はないも同然、一瞬しか存在しない自分には過去も未来も存在しえないのだ、と思うようになりました。
こんなことは他人には言えません。他人がこれを聞いたら、年寄りの冗談と思ってくれればいいでしょうが、悪くすれば精神科に連れて行かれるでしょう。
もっと奇妙なことを話しましょうか。この世界に人間は自分一人で、あとの人間たちは皆神様が作った役者たちだと言うことです。神様は役者たちにいろいろやらせて、その対処を私にさせているのだ、そう思うこともありました。
もっと、極端な話ですが、この広い宇宙空間に小さな私と称する頭脳が浮かんでいる。その頭脳がなんだかんだ、あれやこれや考えている。つまり、それが私の人生と称するものであったり、今の私の人格であったり、肉体であったり、食欲、性欲、名誉欲であったりするのです。
つまり、地球も日本も、人間も、何もかも存在しません。私と称する頭脳が勝手に、そう感じているだけです。何にも存在しないのだから、生きていようと、死のうと、何の変化もありません。最初から、何にも存在しないのですから。
こんなことも、決して人には言えません。
私は40歳代後半に東京の大井町から埼玉との県境にある武蔵村山市に引っ越ししてきました。当時はモノレールもなく、線路のない陸の孤島として、変な意味で有名な町でした。
私の自宅からは旧青梅街道を横切って北へ5分も進めば、狭山丘陵の一角で里山のような雰囲気です。ここへ引っ越してきたばかりのころ、小学校に入ったばかりの一番下の娘とこの山道を散歩すると、春でしたからあちこちから鶯の鳴き声が聞こえてきたのには驚きました。あの頃が一番楽しかったのかなとも思います。自分も40歳代で、それほどの責任ある仕事をしていたわけではなく身軽でしたし、親もまだまだ元気でした。
ところで、10歳代や20歳代の自分は自分であることに変わりがなく、30歳代や40歳代の自分も自分には変わりがなく、50歳代や60歳代の自分も自分です。
ところが、過去の自分を見るに付け、特に若い頃の自分を見ると、これって本当に自分なのだろうか、と思うのです。
こんな奴は張り倒してやろうかと思う男が、こんなけたくそ悪い男が、気持ち悪い男が、唾棄したい男が、本当に過去の自分なのだろうか。そんなことを思うのです。
こんなことは親兄弟子孫にも、決して言えません。
そうかと言って、今の自分が高尚な、まともな、品行方正、人格高潔な自分であるとも思いませんが。それぞれの年代の自分は、自分なりに一生懸命に生きてきただけなのかもしれません。
山道からちょっと脇へ入ったところ、そこには目星をつけて置いた松の木があります。今朝方草むらに隠しておいた脚立を取り出し松の木の下にセットしました。いよいよ早仕舞準備開始です。脚立に上がりロープをカラビナを使って枝に括り付けると、輪を前にしてスマホを取り出しました。
無様な私の首吊り死体を第三者に見られる前に、素早く迅速に警察官に処理してもらうために発見者を装い110番通報をしようと思ったのです。女性や子供が首吊りを見たらトラウマになりかねません。
110をプッシュしようとした、まさに、その時、スマホから大きな音がしました。
「地震です、地震です」
地震の緊急警報でした。それとほとんど同時に、脚立が倒れ、私は地面に転びました。
大きな地鳴りがしていました。立ち上がろうとしたのですが、大地が揺れていて立ち上がれませんでした。尻もちをついた状態で町を見おろすと、電線が大きく揺れていました。まるで漫画のような展開に私は私を笑っていました。
腰を打ったようでしたが、骨折はしていませんでした。大地の揺れがおさまってから、ゆっくりと立ち上がりました。何とか立ち上がることができました。今さら首吊りに戻る気はなくなりました。枝に引っ掛けたロープと脚立はそのままにして、山道を降りました。街へ出てもそれほどの被害はなさそうでした。倒れている家屋もなく、火災の発生も見て取れませんでした。
帰ることはないと思っていた我が家へ帰りました。何もかもが倒れ散乱していました。電気は点きました。倒れていたテレビを起こしてスイッチを入れると、津波が下町を襲っていました。アナウンサーが高台へ避難するように絶叫していました。幸い私が住む多摩地方には津波の心配はありません。2階のベランダから周囲を見ると、倒壊した家屋はなさそうでした。
下町の津波はそれまでも何回も繰り返してそのシミュレーションなるものを見ていましたが、現実もシミュレーションと同じ悲惨なものでした。そうだ、こうしている場合ではない。食品の買い出しだ。自殺をするつもりでほとんど買い置きがありません。スーパーに駆けつけました。思いは皆同じで大勢の人がいました。それでもパンやカップ麺やビールを買うことができました。自宅に帰って風呂に入りました。再び日常が帰ってきました。
下町の人々が苦しんでいるときに申し訳ないと思いながら、ビールを飲みました。その時、携帯がなりました、娘からでした。「お父さんの方は大丈夫」、「それならいいけど、由香の方も大丈夫だって」
娘たちは二人とも埼玉で安心しました。もし、地震が来るのがあと1分でも遅かったら、「こんな時に自殺するなんて、もういい加減にしてよ」
と娘たちに怒られたかもしれません。警察もこの非常時に、首吊りの処理などしていられなかったでしょう。
私はこの展開に神に感謝しました。そして、思いました、
「青年よ大志を抱け」ではありませんが、「高齢者よ小志を抱け」
で、もう少し生きてみようか。