リチャード兄さん
「エミール。紹介したい人がいるんだ」
振り返ると、穏やかな顔をしたリチャード兄さんと、その隣には綺麗な女性が。
「彼女は、ヴィオラ。私の婚約者だ」
そう言って、幸せそうな顔で女性の顔を見ていたし、同様に、女性も兄さんを見上げて微笑み返していた。
二人の仲睦まじい様子が窺い知れた。
僕がまだ城に連れてこられたばかりの頃のことだ。
慣れ親しんだ場所から離されて、不安でいっぱいだったところに、リチャード兄さんがヴィオラさんを紹介してくれたんだ。
それからは優しい彼女が、姉のように僕に接してくれて、お茶の相手をしてくれたり、話し相手になってくれたりと、寂しい気持ちが紛らわされた。
慣れない環境下で、会ったその日からリチャード兄さんがたくさんサポートしてくれていた。
実の父親よりも、二人のことを慕っていたかもしれない。
だからあの日、ヴィオラさんを守れなかった事を、兄さん達の幸せを守れなかった事を、僕もどれだけ悔やんだことか。
二十歳になった兄さんは、ヴィオラさんと結婚した。
二人が待ち望んだ結婚だったから、とても幸せそうだったのに、あの男が、兄さんの父親でもある皇帝が、兄さんの妃となったヴィオラさんを陵辱した。
皇帝からして見れば、いつもの事だったのだろう。
見目麗しい女性が、視界に入った。
だから、自分の欲のままに、好きなようにした。
それがたまたま、兄さんの妃であっただけで。
でも、それを苦にヴィオラさんは命を絶った……
その一連の出来事は、兄さんが遠征で不在の中でのことで、ヴィオラさんの亡骸に縋り付いて泣く兄さんに、皇帝は言い放った。
代わりの女などいくらでもいる、と。
また新しい女を娶ればいいと。
その時の兄さんの絶望は、計り知れない。
その日から兄さんは人が変わってしまった。
取り憑かれたように、禁術が記された書物を読み漁るようになって、厳重に保管されている禁書にも手を出していた。
そしてその日は訪れた。
ヴィオラさんが亡くなって一年も経っていなかったその日、古びた塔の一角に、兄さんから呼び出されていた。
長い間誰も立ち入っていない場所で、こんな時に、何故こんな場所にと疑問は尽きない。
「リチャード兄さん……こんな所に何のようなのでしょうか……?」
そこにいたのは、兄さんだけではなかった。
「エミールさま……」
アリアが、第一騎士団の人達に囲まれて、その場にいた。
何が起きるのかと、戸惑いの色を浮かべて僕を見ている。
「兄さん、何故アリアをこのような場所へ?」
手荒にされているわけではないのに、言葉にできない不安が押し寄せてきて、一刻も早くアリアを解放してあげたかった。
「彼女は念の為だ。お前が俺の言う通りにするのなら、最後に家まで送って行く」
「人質と、言うことですか?」
“人質”
極自然に、その言葉が出ていた。
「そうだ」
短く肯定の言葉を口にするその顔は、能面のように無表情だ。
「……兄さんの話を、まずは聞きます」
「いいだろう」
アリアを人質にされていては何もできないのを知っているからか、僕の隣に立って話し始めた。
「クロムフィールド皇家の血は特別な魔力を宿す。その中でもお前は、特に濃い血を持つ。俺の血では、できなかった。だから、お前をこの場に呼んだ」
ドクンドクンと、心臓が嫌な音を立てていた。
「異世界から、聖女を呼び寄せる。その者が、ヴィオラを蘇らせる秘術持っている可能性がある」
「異世界?別の異なる世界が、存在しているのですか?」
「ミドルイースの初代聖女は、精霊王の呼びかけに応じた異世界の女性だったそうだ。それ以降、我が帝国は人為的にそれができないか代々研究を続けていた」
ミドルイースには度々聖女が生まれてくるし、今も一人、神託を受けた子がいたはずだ。
その子を頼るわけではなく、わざわざ別の聖女を……?
「断れば……」
「お前が俺の気持ちを理解できるようにするまでだ」
リチャード兄さんは、ただアリアに視線を送っただけで、その意図を僕に理解させた。
ヴィオラさんと同じ目に遭わせると。
だから僕は、リチャード兄さんの言いなりだった。
見たことがない魔法陣が描かれたその場でそれらは全て行われた。
坂道を転がるように、世界を破滅へと仕向けた行為は、僕に流れる血から始まった。
「エミール。手を出せ」
言われた通りに手を差し出す。
ナイフで手の平をスッと切りつけられ、血が溢れるその手を魔法陣の中央に突き出されていた。
数呼吸の間、何も起きない。
そのまま、何も起きないで欲しかった。




