始まりは帝国で
「───様」
「エミール様、起きてください」
その声に眠りから引き起こされる。
寝起きの頭は、信頼を寄せる相手の聞き馴染みのある声を認識したから、少しだけ気を緩めてしまっていた。
「父からの命令で貴方をお迎えにあがりました。リチャード様が動きました。すぐに、皇宮を出る支度を」
はっきりと頭が覚醒する前に、その相手から言葉が続けられていた。
そこで、一気に目が覚める。
「兄さんが……」
僕を起こしてくれたのは、専属護衛騎士のジスランだった。
伯爵家の嫡男で第三騎士団に所属しているが、今は勤務時間外のはずだ。
「詳しくはまだ情報収集の最中ですが、リチャード様が第一騎士団を引き連れて王族の居住区へ入っていきました」
「そうか……」
「ここは離れているとは言え、いつ巻き込まれるか分かりません。ひとまず私の家へ」
「分かった」
ジスランに促され、取るものもとりあえず急いで着替えて部屋の外に出た。
黒い外套を頭から被り、闇に紛れる。
妙に静まり返った回廊を走って、皇宮の外を目指していた。
ここは多くの皇族が居る区画とはまた別の離れた皇宮になるから、全容は把握できない。
耳をすませば、遠くで人の騒ぎ立てる声が聞こえる気がしたけど、やはり何かを把握する事は難しかった。
本来いるはずの衛兵や騎士がいないくらいで……
思えば、それがすでに異常な事ではあった。
「この数日は、第一騎士団が夜間警護の担当だったよね」
「はい。なので、この時を狙っていたのでしょう」
「これも前から計画していた事なのか……」
兄さん……
やはり、こうなってしまったか……
リチャード兄さんは、第二皇子。
存在自体を今まで否定されていた僕と違い、リチャード兄さんの母親は公爵家出身の皇妃だ。
それでも皇位継承権は第三位。
でも兄さんの直接の目的は皇位ではないはず。
兄さんを動かしているのは、皇帝に対する憎悪……
恐らくその命を奪い、そして他の皇族の命も絶ち、兄さんが皇帝に就く。
皇帝の愚行を含めて、ここまででも、もう十分国が乱れる出来事だ。
問題は、そこから先だ。
この先、成そうとされること。
兄さんの最側近のジルベールさんも危惧していた事は、さらなる禁術を使うつもりではないかと。
それを成すためにどれだけの犠牲が出るのか。
「エミール様、大丈夫ですか?間もなく伯爵家の屋敷が見えてきます」
走りながら長い事考え事をしていたから、心配したジスランに声をかけられていた。
「ごめん、大丈夫だよ。ちょっとリチャード兄さんの事を考えていたんだ」
「お気持ちは察することしかできませんが、私は最後までエミール様のお側でお仕えしますので」
「ありがとう……」
ジスランの後ろをひた走り、煌々と明かりの燈る伯爵家に無事に辿り着く。
ここはまだ静かなものだったけど、扉の前で不安げに立っていた子が僕の姿を認めると、すぐに声をかけてくれた。
「エミール様、ご無事ですか?お怪我はありませんか?」
「ありがとうアリア。待っててくれたんだね。ジスランが連れ出してくれたから、ここまでは何もなかったよ」
伯爵家の次女のアリアは、僕と同じ歳の乳姉弟であり、共に育った幼なじみだ。
生まれてすぐに母から引き離された僕は、伯爵家に預けられて、ここで彼女達の両親に10歳になるまで育ててもらった。
皇宮暮らしの4年よりも、ここで過ごした時間の方が長い。
僕にとっては幸せな時を過ごさせてもらった。
「お体が冷えてしまっています。すぐに温かいものを用意しますね」
アリアが僕の手に触れて握ってくれたから、その温かい体温が伝わってきた。
正直、ホッとした。
でも今はこの手に甘えている時じゃない。
「もう夜中だから、気を遣わなくていいよ。僕は平気だから。それよりも、ラウファー伯はいるかな?」
「はい。今は騎士団から情報を集めている最中です」
アリアとジスランの家は、帝国の第三騎士団を預かる家だ。
「私は父の元へ行って詳しい話を聞いてきますが、エミール様はどうされますか?」
「僕も行くよ。リチャード兄さんの事が気がかりだ。アリアはゆっくりできないだろうけど休んでて」
「はい……」
表情を曇らせたままの彼女からは、弱々しい声で返事が返ってきた。
屋敷の中に入るとアリアとは別れて、ジスランと共に屋敷の当主の元へ向かった。
そこは、慌ただしい声が飛び交っていた。
「ラウファー団長!」
その中心にいる人物に声をかけると、顔を上げてこちらを向いた。
鋭い眼光が、僕を見て少しだけ和らぐ。
「殿下、ご無事でしたか……」
「ジスランを遣わせてくれてありがとう。おかげで命拾いした。それで、今はどんな状況だ?」
「リチャード様が第一騎士団を動かして、皇帝陛下をその手にかけました」
第一騎士団は、リチャード兄さんの母君の生家であり、マクミラン公爵家預かりだ。
そして側近のジルベールさんも、第一騎士団所属だ。
「皇帝陛下だけではありません。皇太子様や、他の皇子に加えて、皇女様まで。ご自分以外の皇族を皆殺しにするつもりです」
「ジョージまでもなのか?」
末弟皇子のジョージはまだ6歳だった。
ラウファー団長は無言で頷く。
「エミール様を差しだせと言われれば、お守りすることが叶わないかもしれません。その前に、どうかジスランと国を脱出してください」
「でも、それで、この第三騎士団は大丈夫なのか?おそらく、兄さんは魔物をも従えて……」
「私共は何とかします。今は、貴方まで失うわけにはいきません。身を隠し、機を窺い、そして、この国を救ってください。リチャード様の凶行は、必ずこの国を滅ぼします」
「……分かった」
悩むまでもない。
ここにいては、騎士団にも伯爵家にも迷惑になる。
「身の回りの世話をするために、どうかアリアもお連れください」
「だが……いいのか?」
「はい。あの子も喜ぶことでしょう」
「報告します。団長、ここも囲まれているようです」
外を警戒していた騎士から報告がはいる。
第一騎士団が、もうこちらにも来たのか。
想定よりも、早過ぎる。
「もう皇宮を掌握したのだろうか?」
「いや、まだ偵察の段階だと思われます。急ぎましょう、エミール様」
ジスランは団長と僕を脱出させる段取りを相談している。
どれだけの人が、僕の為に動いてくれているのか。
自分の行動に、後悔しかない……
僕は、
生かされるべきではなかったのに。




