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12/13

12 だから、僕は


 ハロー、王都。

 人生初の馬車では酔って、嘔吐しそうになったよ! 王都だけにね。


 なんて軽口を叩いているのは、緊張しているからだろう。ローマの神殿みたいな魔法研究所には、ローブを着たひとがうようよしていて、冒険者風の服を着ている僕は目立つ目立つ。

 いや、目立っているのは服装のせいじゃないよね。デュラハンだからですよね。しかもドロドロしてますしね。


 完全に「新種の魔物を捕獲してきました」状態。一緒にいるのが、ギルドの高位者ヘインズさんなのだから、余計にそう見えることだろう。

 視線が飛んでくるので、右手を挙げて挨拶してみたら、ビクっとなって逃げられた。


「レイ、大丈夫か?」

「慣れてますんで」


 ブラッディ・ハンド時代から、こんなもんですよ、ええ。

 いまにして思うと、僕はブラッディ・ハンドの見た目をしただけの人間だったので、そりゃ呼んでも誰も来ないわなっていう。

 向こうにしてみれば「いや、おまえ仲間じゃねえし」ってところだろう。指図される謂れはない。ごもっともです。


 そう考えると、同じブラッディ・ハンドとして戦闘に出ていた先輩たちは優しい。見た目に反して、紳士じゃん。

 仲間あってのブラッディ・ハンドだから、他者との関係性を大事にしていたんだろうか。魔物の生態は奥深い。



 ヘインズさんがアポは取ってあるので、僕たちは所長室へ向かっているところだ。サレヒト・ダストールさん、どんなひとなんだろう。

 辿りついた扉をノックして来訪を告げる。男の声が返ってきたことを確認してから、室内へ。

 深緑色のカーペットが敷かれた床、そこかしこに設置された観葉植物。まるで森の中にいるような感覚で、長くそこで過ごしていた僕にとって心地良い雰囲気だ。


 部屋の奥にある机に座っていた男が立ち上がった。職員が着ていたものと同じ黒いローブだけど、銀色の紐みたいなものがいくつもぶら下がっている。

 白いものが混じった濃い灰色の髪と、赤茶色の瞳。四十後半に差し掛かったばかりと聞いているけど、年齢よりも老けてみえた。


「レーゼル……」


 呟いて、ゆっくりと近づいてくる。

 近くで見ると、すごく背が高い。深く刻まれた皺、唇が震えていて、なかなか次の言葉を発せないようだった。

 これは僕から歩み寄るべきなんだろうけど、どうしたものか。この世界の常識に疎いもんだから、突拍子もないことをしかねない。先生、助けてー。


「サレヒトさん、彼がレイです」


 ヘインズ先生のナイスアシストを経て、僕はサレヒトさんの正面に立つ。

 足元から、見えない頭まで。視線を何度も上下させ、彼は僕の存在を確認していく。


「あの、僕はこんな姿で、本当に皆さんが言う人物なのか、定かではないんです。すみません」

「別人だったとしても、今の君は外見がかなり歪んでいる状態だ。元の姿を取り戻す手助けをするのは、研究所の人間として当然のことだよ」


 サレヒトさんは微笑んで、僕の肩に手を置いた。

 ぷんと、なにかの香りが鼻に届く。


 なんだっけ、この匂い。どこかで覚えがある。薬草の類かな?

 つい、鼻をクンクンさせていると、サレヒトさんがそれに気づいた。


「すまない、薬の調合をしていたんだ。かなり独特の匂いがするから、気に障っただろう」

「そんなことはないですよ、むしろなんか懐かしいというか、どこかでいだことがあるというか。わりと落ち着く匂いです」


 材料はなんですか? と問いかけると、サレヒトさんと、ついでにヘインズさんも僕を凝視した。

 あれ、なんかヘンなこと言いました?


「……これは、研究所の中でのみ使われている調合薬なんだ。外部に持ち出すことは禁止されているし、製法が特殊なため、今は別のものを使用するようになっている。僕自身、久しぶりにこれを作った。レーゼルが見つかったと知って、あの子がうちにいたころに、よく使っていたことを、思い、出して……」


 言いながら、サレヒトさんの声が震えだす。

 もう随分と作られていない、懐かしの薬。いわば復刻版。その匂いを知っているということは、つまり僕は。


「レーゼル」


 サレヒトさんが僕を掻き抱く。

 分厚い生地のローブの肌触り、薬の匂い、低いけど柔らかな声。すべてが僕を包む。


「ずっとずっと捜していた。残滓を探っても見つからないが、さといおまえのことだから、迷惑にならないようにと身を隠しているのだろうと。いつかきっと、ほとぼりが冷めたころに現れるに違いないと思っていたのに、まさか、こんなことになっているなんて思いもしなかった」


 背中にまわった腕にちからが入る。嗚咽まじりの告解に、僕はなんと応えればいいのかわからない。


「レーゼル、顔を見せてくれ」

「わからないんです。僕は、どんな顔をしていたんでしょうか」

「大丈夫だ。僕は覚えてるよ。忘れたことなんてない。目元がロウナによく似ていた。同じ黒髪だからかな、本当にそっくりだったんだ。耳が少し尖ったような形をしていてね、そうそう左耳の付け根にあざがあってさ、僕もそうなんだ。だから、なんだか親子みたいですごく嬉しかったんだよ」


 サレヒトさんが急に若々しい口調になって、僕の顔立ちについて語りはじめた。

 きっとこれが、素の姿なんだろう。所長なんていう立場にあるから、普段は取り繕う必要があるだけで。

 四十代の男性に言うのもなんだけど、可愛いひとだ。


 なんだかくすぐったくて、心があったかくなる。

 養父がどんなひとなのか、じつはすごく不安だった。前世でお世話になったおじさんのことを思い出して、ちょっとだけ気が重かった。

 でもこのひとは違う。すごく自然に信じられた。サレヒトさんは、僕のお父さんだ。

 僕を覗き込んでいるのは、光の加減によって、赤にも茶色にも見える瞳。



 ――レーゼルの瞳は綺麗だな。瞳の色は属性と加護に関係すると言われている。おまえはたくさんの精霊に愛されているということだ。

 ――じゃあぼくも、父さまみたいなすごい魔法使いになれる?

 ――魔法使いになりたいのか?

 ――うん。だってぼくは父さまの子どもだもん。



 色が一定していない自分の瞳が嫌いだった。

 みんなと違うのが不思議で、鏡も見たくなくなった。

 そのうち、知る。

 王子だから。

 だから、悪い意味で特別なんだ、と。


 こんな目玉、くりぬいちゃえばいいんだ。


 そう思っていたとき、あの子が言った。



 ――きれいないろね。



 空みたいな蒼い瞳の女の子が、褒めてくれた。

 王子だから誘拐された自分と違って、ちっとも関係ないのに巻きこまれてしまった女の子。

 知らない大人に囲まれて怖かったけれど、繋いだ手のあたたかさに救われていた。


 けれど、ここを出たら一緒に遊ぼうと約束をしたその子と引き離されて、女の子は大人たちにひどいことをされて、もう泣き声すら発しなくなって。

 あの綺麗な空色の瞳は、濁った曇り空になってしまった。


 あの子を助けたいと思った。

 助けなくちゃいけないと思った。


 だってぼくは、父さまみたいな、立派な魔法使いになるのだから。




「……父さま、僕は、魔法使いになりたかったのです。父さまみたいな、すごい魔法使いになるんだって思っていたけど、うまくできてなくて。なにひとつ、うまくできなくて」


 森の中に転移して、僕は自分が失敗したのだと思った。

 あの子を救えなかった。

 あの子を置いて、僕だけが逃げてしまった。


 なんて嫌な奴だろう、駄目な奴なんだろう。

 僕は僕が嫌いだ。王子になんて生まれなければ、きっとこんなことにならなかった。

 王子の僕なんて、いなくなればいい。

 ドロドロになったまま、消えてなくなってしまいたい。



「だから、僕は」



 身体を消した。

 心を消した。

 思い出を、過去を消した。


 だけど、繋いだ手のあたたかさだけは覚えていたのか、右手だけは残ってしまった。

 残された身体で、僕は誰かを呼んでいた。

 記憶にない誰かを求めて、右手を掲げていた。




「レーゼル」


 サレヒトさんの瞳に、なにかが映っている。

 黒い髪の男だ。

 僕は右手を伸ばして、額に触れた。

 長い前髪を掻き分けると、視界が明るくなった。

 世界はこんなにカラフルだっただろうか。解像度が急に上がった気がする。


「すごい、髪、ぐっちゃぐちゃだね」


 これはたしかに整えたくなる長さだし、櫛を通したい。ってか、洗いたい。シャンプーさせてください。


「レイ」

「なんですか?」


 ヘインズさんが、どこから持ってきたのか、鏡を差し出した。二つ折りで、開くと蓋部分がスタンドになる鏡。うわ、こういうの異世界にもあるんだ。

 受け取って、僕は自分を映してみる。


 長い前髪を掻き分けて出てきた顔は、玲の顔とは似つかないものだった。

 黒い髪だから日本人っぽくはあるけど、伸ばしっぱなしのロン毛は不衛生極まりない。

 髭も生えてるけど、こちらはそこまで伸びてないみたい。玲のときも、僕はどちらかといえば薄いほうだったので、馴染みがある感覚だ。


「父さま、お願いがあるんだけど」

「なんだ?」

「風呂に入りたい」


 切実に。

 重々しく訴えると、サレヒト・ダストール氏は一瞬の間ののちに破顔して、楽しそうに笑った。


 目元の涙が光って、ポロリと零れ落ちた。




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