推しのアイドルが電撃結婚→「はぁ?お前に幾ら貢いだと思ってんだぁ?」ガチ恋勢の僕、怒りの末に能力覚醒。『脳姦』を手に入れた僕はもう止められない。本当の女の喜びを教えてやる。
※作者と作品を同一視しないで欲しいなと思ってます。
26000文字程度あるので、覚悟して読んで下され。
「デュふふふふ。あかりん、僕はキミが好きなのだぁ。なんちゃってぇー。デュふふふ、デュふふふふ……」
玄関前の鏡に向かって、僕はキメ顔をして愛の告白練習。
一生訪れるはずがないのは承知の上。でもいいじゃん。
少しぐらいは夢を持っていても。
冴えない僕でも、アイドルに告白して。
見事、結婚。始まる二人の愛溢れる新婚生活。
「あかりんぃぃ……だいしゅき、だいしゅき、だいしゅき」
我を忘れて、鏡にマジキスしてた。
ねっとりとした唾液がたらぁーんと垂れていく。
「ああああああぁーん、あかりん会いたいよぉ。あかりんと幸せになりたいおおおぉ。あかりん、しゅきだぁしゅきだよぉ」
僕の心はロックンロール。
あかりんの心に届けよ、僕の純情な想い。
今日の僕は一段とそわそわしているな。
でも、それは仕方ない話か。
本日は何と、マイラブリーエンジェル、あかりんの。
何と、あの超最強アイドルあかりんの生誕20歳LIVEなのだ!
数千、数万の倍率を突破し、無事にチケット入手。
流石は僕だ。もう選ばれし人間としか言いようがない。
「いや……こ、これは違う。これはもう、運命だぁ!」
ハァーと臭い息を吐いて、鏡を曇らせる。
そして、僕は人差し指で相合い傘を描いて。
「キモカワオタオ……あかりん……はぁーと♡」
って、僕は何をやっているでござるかぁ。
僕の名前と、あかりんの名前を書いてしまうとは。
「デュふふふふ……デュふふふふ、僕としたことが」
引き笑いを終えて、僕は曇った鏡をゴシゴシと磨く。
今まで隠れていた部分が見えるようになった。
汚いものには蓋をしろと言うが、その通りである。
「……誰だよ、このデブは。誰だよ、このブサイクは」
僕の目に映るのは、体重100キロ超えの巨体。
頭には赤色のバンダナで、リュックサックを背負って。
で、チェック柄の服を着て、ジーンズも入れぱん。
「マスクをしても……気持ち悪さが滲み出るなぁ。どうすればいいんだ。ダイエットしてみたけど……何も変わらなかった」
一目見ただけで吐き気を催すレベル。
小学校、中学校、高校と、ずっと虐められてきた。
見た目のせいで。必死に挽回しようとした。
それでも、全てが無駄だった。
友達も彼女も、おまけに家族も居ない。絶縁状態。
職場では「きもい」「くさい」と言われる生活。
上司には毎日理不尽に怒られ、雑用をさせられる日常。
死のうと思った。死んでやろうと思った。
大量殺人を起こして、全員道連れにしてやろうと思った。
でも、僕は一人の女神に出会って救われたんだ。
「あかりん……今、すぐに会いに行くからね。あかりんは僕が居ないと、何もできないんだ。そして、僕もだよ。僕も、あかりんが居ないと、何もできないんだ。共依存って言うんだよね。デュふふふ……僕とあかりんは愛し合ってる、大好きだ」
ルンルン気分で僕は家を飛び出した。
息切れを起こしても、三段腹が揺れてもお構いなし。
「あかりん……僕はキミが欲しい。あかりんの全部が」
***
五年前。
僕とあかりんは運命的な出会いを果たした。
あかりんとの出会いは、小さなライブハウス。
別段、音楽に興味があったわけではない。聞くと言っても、アニソンを齧っている程度。
そんな半端人間の僕が行く場所ではない。
なのに、どうして居たのか?
実は普通に道を歩いていたら、ホスト集団に絡まれたのだ。
気持ち悪い容姿だから。うざいから。キモいから。
たったそれだけの理由。
両腕を強引に捕まれた。抵抗する僕を無理矢理に引っ張り、辿り着いたのは路地裏。
そこで、僕は殴る蹴るの暴行を受けた。
挙げ句の果てには、財布を取られて身ぐるみを脱がされた。
裸で千鳥足になった僕を嘲笑い、ホストたちはSNSにも動画を投稿するとか言ってた気がする。
自分の姿がネット上で笑い者になっているのだろうか。
怖くて調べられるはずがない。
「どうして……僕は生まれてきたんだ、どうして……」
生まれてきたことを後悔した。
親に言いたかった。どうして僕を生んだのかと。
どうして僕みたいな存在を生み出したのかと。
返ってくる言葉は分かりきっている。
死にたいなら、勝手に死ねだろうな。もしくは、お前みたいなゴミが生まれるとは思ってなかっただろう。
物思いに耽け、僕が人生百回目近い自殺を考えた時——。
「私の夢は武道館でLIVEすることです」
舞台に立つ少女の言葉を聞き、誰もがクスッと笑った。
不可能だ、無理だと決めつけるような嫌な空気。
それでも、少女は前を見据えて、準備を整える。
頭が弾けそうなポップ曲が流れ始め、一人の少女が歌い出す。
「な、なんて……う、美しいんだ。なんて……」
特別、容姿が優れているわけではない。
特別、歌唱力があるわけではない。
特別、華やかさがあるわけではない。
ただ、目の前に立つ少女には——。
長い黒髪と白い肌が特徴的な少女には——。
僕を虜にする、健気なさと、誰もを癒す笑顔があった。
マイクを握り笑みを絶やさず、歌って踊るアイドル。
そうだ、彼女こそが、あかりんだ。僕が愛してしまった。
と言っても、客は誰一人としてあかりんを見ようとしなかった。ていうか、全員が全員がスマホを弄ってるだけ。
当時のあかりんは人気が絶望的になかった。
一般人以上の可愛さはあるものの、地下アイドル程度。
売れなくて当たり前。売れないのが当たり前の存在。
顔立ちだけは整っていたので、さっさとAV堕ちすればいいと誰もが思っていたはずだろう。
舞台で無邪気な笑みを浮かべ、夢を追いかける少女に対し。
「あ、あかりん……が、頑張れ……が、頑張れ、あかりん」
柄にもなく、僕は熱くなっていた。
拳を握りしめて、必死に叫んでいた。
彼女に同情していたのだ。いや、共感だな。
僕と彼女は同じ境遇なのだ。
世の中には理不尽なことが多い。例えば、容姿。
生まれてきた時点で、勝ち組と負け組に分けられる。
勝ち組と負け組の間には絶望的な壁が存在する。
「あなたの人生が楽しいですか?」と訊ねてみればいい。
負け組は口を揃えて言うだろうな。
楽しくない。死にたいと。
「がんばれぇ!! あかりん、がんばれぇ!! 僕は見てるぞぉ!? 周りの奴らがどう思ってようが、僕はあかりんを見てる。ずっとずっと見てるぞぉ! 頑張れぇ! 夢を叶えろ!」
あかりんは希望の星。月とすっぽんだと理解してる。
それでも、僕は共感して、頑張って欲しいと思ったのだ。
弱い人間が努力を続ければ、いつの日か夢を叶えられると。
証明して欲しい。
努力して勝ち上がるシンデレラストーリーが現実にあると。
この世界もまだまだ捨てたもんじゃないと。教えて欲しい。
ライブが終わった後、僕の心は高揚していた。
鳴り止むことがない心臓を止めようとするものの。
一切、止まらない。僕は魅せられてしまったのだ。
あかりんというダイヤモンドの原石の魔力に。
「あの……少しだけお時間をもらってもいいですか?」
後ろから声をかけられ、振り返る。相手は——。
「あかりん……!! ど、どうして……?」
舞台から降りたアイドルは、ただの人と言う。
でも、僕にとっては普通の方が魅力的に見える。
突然、あかりんは僕の手を握ってきて。
「ありがとうございました。ライブ中、勇気付けられました」
女性と触れ合うのは生まれて初めて。
こんなにも柔らかいのか。マシュマロみたいだな。
「あの、もし良かったらお名前だけでも教えてくれませんか?」
「ぼ、僕なんて名乗るほどのものじゃありませんよ」
「いいえ、知りたいんです。個人的に、私が」
どんな意味なのかと思いつつも、僕は軽く頷き。
「キモカワオタオ……あの、オタオと呼び捨てでも」
「オタオさんですね。今日は本当にありがとうございました」
話を切り終わって、あかりんは一礼して離れていく。
スタスタと歩いていくにつれて、甘い香りが流れてくる。
あかりんのにおい。
少しだけ汗っぽくて、でもストロベリーっぽい。
「あかりんっ!! ま、待ってくれぇ!!」
女性を呼び止めるなど、一度もしたことがない。
「んぅ……? どうかしました?」
あかりんは、顔色を少しだけ曇らせている。自分が変な対応をしたのかと、疑問に思っているようだ。謙虚な女の子だな。
「僕はあかりんに救われた。実は僕自殺しようと思ってんだ」
何を言ってるんだ。こんな話したら嫌われる。
ていうか、あかりんが困るだけだ。それなのに、僕は。
あかりんは唇をむくっと尖らせて、人差し指を立てて。
「ダメですっ! そんなのダメですっ!」
「あ、あかりん……? ちょ、ちょっと、近い、近い」
僕は手をパタパタ振るけど、あかりんは動じる様子はない。
僕の顔へと、グッと自らの顔を近づけて。女神の笑みで。
「死んではいけません。オタオさんは素敵な人ですよ」
この後の展開は知らん。素敵な人ですと言われたのだ。
自分の存在を、初めて認められた気がした。
僕を見てくれる人が居る。僕を認めてくれる人が居る。
それだけで、僕は救われた気がした。
「オタオさん、人生は山あり谷ありですけど」
あかりんは僕の手をギュッと握ってきて。
「お互いに頑張りましょうっ! 苦しいこの世界で」
「うんっ!? ぼぼぼ、僕も頑張って。デュふふふふ……もしも二人の夢が叶ったら、けけけけ、結婚とかもいいかも」
「二人の夢……?」
あかりんは首を傾げてしまう。何を言いたいの、と疑問を抱いているようだ。どんな宝石にも負けない瞳に見つめられると、僕は照れてしまい顔を逸らしてしまう。
「あかりんの夢は武道館でLIVEをすること」
そして、と呟き、僕は飛びっきりのニタニタ顔で。
「僕の夢はあかりんの夢を支えることだよ」
気持ち悪い僕の返答を聞き流し、あかりんは頬を緩ませて。
「そうですね。もしもお互いの夢が叶ったら、そんな未来があってもいいかもしれませんね」
「本当っ!? あかりん、いいのぉ! デュふふふふ、あかりんの夢が叶ったら、僕たち二人は結婚っ! 結婚だよぉ、デュふふふ、最高の結婚式にしようねぇっ!」
調子に乗って新婚旅行まで考える僕を片手に、あかりんは冷静な女の子だった。
「気が早いですよ、オタオさん。現在はアイドル戦国時代と呼ばれていて、成功するのは難しいと言われているんです」
「任せてぇ! あかりんっ! あかりんの為なら、僕何でもするからぁ。今後は給料の八割以上は、あかりんの為に使う。他にも、あかりんを有名にするために手段を選ばないよ」
「えっ……ちょっと怖いです。オタオさん」
「大丈夫大丈夫。如何わしいことは何もしないよ。絶対にあかりんには、迷惑をかけない。それだけは約束するからさ」
「オタオさん……危険なことをしようと思ってませんか?」
「デュふふふ、僕を舐めないでよ、あかりん。現実世界でも、ネットでも、僕は危険なことばっかりやってきたからさ」
現実世界の危険と言っても、ホストに絡まれるとか、万引きするように強要されるとかなどの類だけどな。
危ない橋を渡ってきたというか、渡らせられてきたと言うべきかな。
「とりあえずさ、あかりん。僕を信じてくれよ。キミを一流のアイドルのしてみせる。僕の手腕で。デュふふふふ、今に見てろよ、ゴミ人間共め。僕とあかりんの最強ラブラブコンビで、絶対に見返してやるからなぁ。デュフふふふ」
「あの……オタオさんって独特な笑い声ですね?」
「デュふふふ、そうかな? 男らしい?」
こうして、もう一度僕は頑張ろうと思ったのだ。
あかりんを一流のアイドルにするために。
僕とあかりんの幸せな未来を築き上げるために。
自宅に戻った僕は、早速パソコンの前に座る。
「手始めににちゃんねるでも荒らすか……」
『お前ら最強美少女アイドルあかりん知らないの? だっさ、知らないとか時代遅れ過ぎるだろ』
適当に煽るような言葉を使っていく。
人間の大半が知ったかぶりなのだ。知らないくせに、やけに知っている風を装い出す。で、これだけで良いのだ。
あとは、僕が一つずつ、情報を教えてあげるだけで。
「次はキッズ大好き、Youliveで連投コメと。おお、良いところに、バチャ民大好き奈落ちゃんが居るな。バチャ豚共、僕に利用されろ。お前らと僕はもう違うんだよ、上で待ってるぞ」
『あかりんあかりんあかりんあかりんあかりんあかりんあかりんあかりんあかりんあかりん』
「よしっ……残るは……嘘松おばさん必見のSNSと。中高生を対象にした動画作りが大切だな……ネタ度が必要となると……仕方ない、自己犠牲しかないな。内容はそうだな……」
初めての動画撮影で上手くできたか知らん。
あかりんの写真を特大サイズにコピーしてと。
で、その写真を抱き枕をペタリと張りまして。
残るは……気持ち悪さが半端ない僕が勇気を振り絞り。
『あかりんんぃいいぃぃ、愛してるぉぉぉぉぉ。一緒に、武道館に行こうねぇ。武道館に行って、一緒に幸せになろうねぇええええ。あかりんぃぃぃぃぃー、だいしゅきっ! だいしゅきだいしゅき、絶対に離れないでぇー。僕だけの、僕だけのまいらぶりーエンジェル、あかりんぅううううう』
あかりん抱き枕に甘い口付けを交わし、自宅をゴロゴロと転がり回り続けてみた。気持ち悪さ、百倍、オタパンマン。
「うわぁ……最低だな。気持ち悪い……でも、確実に上手くいくだろうな。『キモオタが美少女アイドルにガチ恋している様子がこちら』みたいなタイトルにして、にちゃんでスレ立てたろ」
一週間後。
僕の予想は完璧だった。ていうか、予想以上の反響。
特に、僕出演の動画が物の見事に大ヒットっ!?
もしかして僕ってプロデュース力があるのでは?
いやいや、調子に乗ってはいけないな。
「あかりぃーん、また今日も遊びにきたよぉー」
毎日通いたい気もあるけど、週に一回にした。
理由はただ一つ。
恋愛には引くことも大切と言うからな。
で、ちょっと落ち込んでるときに僕が甘い言葉を。
「デュふふふふふ……あかりんあかりん」
「オタオさん……どうかしましたか?」
「いやぁーん。何でもないよ。あっ、それよりさ、あかりんには現在マネージャーが居ないんだったね。だからさ、僕があかりんの専属マネージャーになって、デュふふふ。もちろん、僕がマネージャーになるからには、身体の調子を知らないといけないね。毎月の女の子の日と、一人遊びした日も報告しないとね。うんうん、まだまだあかりんは若くてエッチなことに興味あると思うけど、マネージャーへの報告は絶対。あ、もしも我慢できなくなったら、僕のところに来ていいからね。専属マネージャーとして、この僕がいっぱい慰めてあげるから。デュふふふふふ、というわけで連絡先の交換と、あかりんの家の住所を」
「ありがとうございます、オタオさん。でも、それは」
戸惑いの表情を浮かべて、あかりんは口を閉じてしまう。
何かを切り出したいのは分かるが、言い出せない様子だ。
「あかりん、大丈夫だよ。僕はあかりんの為なら何でもするから。二人の夢を叶える為なら、僕は何だって——」
捲し立てるように言い終えた僕に対して、あかりんは。
「オタオさんには感謝しかないです。オタオさんがアップした動画のおかげで、私の知名度は飛躍的に上がりました」
そうだ、僕のおかげで、あかりんはSNS内のトレンド一位に。
おまけに僕が投稿した動画が拡散され、某大手動画配信サービスでも一位に輝いた。その人気は止まることを知らず、海外にも及び。
こんなクレイジーな日本人オタクが居るのかと話題沸騰中なのだとか。
原文は読んでない。ていうか、読めない。
僕はバカだから。それでも、役に立っているはずだ。英語勉強した方がいいかもな。
将来的にあかりんは世界進出も考えてるからね。
「あかりん。僕に任せてくれ。専属マネージャーになれば、僕はあかりんを一流のアイドルに仕立てあげられる」
僕はあかりんが大好きだ。あかりんの側に居たい。
本気で好きなんだ。
生まれて初めての恋。ごめん、今のはちょっと嘘かも。
僕を虐げてきたヤンキー女を好きだったことがある。
当たりがちょっと強かったけど、愛故の行動かと本気で思っていたっけな。当時の僕はアホだなぁー。
最終的に本気で嫌ってたと知って、お布団の中で号泣したけどさ。
でも、それは遥か昔の話。ヤンキー女の太ももは最高だったけど、あんなのは恋のうちには入らない。
僕の初恋は、あかりん。そう、ただ一人なのだ。
「僕ならあかりんを幸せにできる。あかりんを日本一、いや、世界一、いいや、宇宙一のアイドルにさせてあげられる。だからさ、あかりん。僕の手を握ってくれ。頼むからさ」
頼み込んでも、あかりんは決して掴もうとしない。
「オタオさん。実は……オタオさんのおかげで、大手事務所にスカウトされて……」
「ふぇぇえぇえぇ?」
驚きを隠せなかった。
話の顛末を語ると、僕の動画が空前の大ヒットぉ!
で、あの動画の写真の女の子可愛くね?と話題に。
偶然それを見かけた某事務所の人があかりんに声をかけ。
「もうマネージャーさんが居るって本当ですか? あかりん!」
「そうです。これも全部が全部、オタオさんのおかげです」
何だよ……ビックリした。そうだよね、僕はただの素人。
逆に、現在あかりんを支えるのは敏腕マネージャーさん。
「アカリ様、只今戻りました。お茶を買ってきましたよ」
ふぅーと溜め息を吐いて、一人の好青年が現れた。
誰だ……コイツ? 僕のあかりんに馴れ馴れしいな。
「ありがとうございます。黒井さん」
それよりも、と呟き、黒井さんとやらはあかりんの耳元で何かを話しているようだ。こちらをチラチラと見てくる。
うっざたいな。男ならもっと堂々としろよ。ってかさ、人の前でコソコソ話をするな。マジで腹立つんだよな。あと、スーツがビシッと決まっているのもムカつく。僕がスーツを着たら、ピチピチだよ。ってか、椅子に座ったらお尻の部分が裂けたわ。
「ごめんなさい。あなたがあのオタオさんでしたか」
「オタオと言うのは間違ってないが、お前に名前を呼ばれる筋合いはないっ! とりあえずあかりんから離れろ。その何を考えているのか分からない薄汚い瞳を隠して、さっさとどこか——」
途中であかりんが止めてくれた。
話を聞けば、彼こそが——あかりんのマネージャーだと。
「あのぉーすみません。うちのあかりんがお世話になっています。僕、あかりんの第一のファンであり、その運命の人と言うか……あと、プロデュース系に関わらせてもらってる者です」
「オタオさん、嘘を付いてはいけません」
しっかりと叱られた。流石はあかりん。正義のあかりん。
ちょっとした嘘でも叱ってくれるんだな。多分だけど、子供が生まれたら、僕たちの子供は真面目で堅実になるだろうな。
「とっても面白い人ですね、オタオさん。ご紹介が遅れました、黒井と申します。あかりんこと、アカリ様のマネージャーを務めさせてもらってます」
「ふむふむ。話を聞くところに寄れば、大手事務所さんだと」
腕を組んで、お父さん面で僕は答えてみせる。
「はぁー、そうですけど……何かご不満でも?」
「不満はないですな。できれば、あかりんのマネージャーは男性ではなく、女性が良かったという点ですかな。知ってますか? 女性アイドルと男性マネージャーの恋愛などなど」
一度言葉を区切り、僕は人差し指を立てて。
「そもそもな話。アイドルとは崇拝される者。好感度第一なんですよ。ファンはね、アイドルのスキャンダルなど誰も見たくないわけです。あなただって好きなアイドルに黒い闇があると知ったら嫌でしょ? 他にも処女だと宣言していたたアイドルが、実は非処女でヤリマンだったなどなど。探せば腐るほどに出てきますよ、アイドルの闇などねー」
その後も僕は散々と語り続けた。
あかりんと黒井は、うんうんと頷いて聞いてくれた。
意外と優しいじゃん、黒井。思っていた以上に良い奴。
ただな、これだけは言わなければならないのだ。
「というわけでだ。マネージャーと言えど、アイドルの近くに男が居るってのはダメだ。あかりんの好感度を下げる可能性がある。ってなわけで、黒井。お前にマネージャーを務め——」
黒井は至って冷静に、でも瞳には炎を宿らせて。
「オタオさん。あなたは、あかり様のことを本気で考えていますか?」
「黙れ、小僧っ! お前よりはしっかりと考えてるわ!」
「そうですか。あなたは考える力がなかったようだ」
「ふざけるな……僕が何を考えないんだ! 教えてみろ」
肩を撫で下ろした黒井は嘆息交じりに。
「あかり様は人気になるお方です。これから先、心優しい方だけがファンになる保証はどこにもありません。もしかしたら、今すぐにでもナイフを持った誰かが襲ってくるかもしれない。そんなとき、女性が対応できると思いますか?」
「おい、黒井。それは女性蔑視だぞ」
「そう聞こえても仕方がありません。でも男性と女性の間には大きな壁があります。俺のような腕っ節に自信がある男じゃないと……あかり様を危険に襲われる可能性が……」
「ふんっ。そうだな。瓦割り100枚。たった一度で割らせることができるのならば、お前の力を認めてやってもいい」
どうだ……できるかな、この小僧目がぁ。ふざけやがって。
僕からあかりんを奪おうと思っているのは分かってんだよ。
何がマネージャーだ。何をマネジメントする気だ?
あかりんの身体をマネジメントする気だろうが、この変態。
「黒井さん……む、無理はしないでください」
あかりんが呼び止めるけれど、黒井は格好を付けて。
「大丈夫ですよ、あかり様。俺の心配は要りません」
というわけで、早速瓦割りチャレンジ!?
準備をしたのは僕。自腹で購入してきた。
「ってなわけで、やってもらおうかな。黒井さんよぉー」
「突っかかるのはやめてくださいよ、オタオさん」
「だから、お前にオタオさんと呼ばれる筋合いはない!」
誰が好き好んで、男に名前を呼ばれたいんだ?
女性ならまだし。男に呼ばれるなんて、ごめんだね。
「く、黒井さん……そのお怪我だけはしないでくださいね」
何て優しいんだ、あかりんは。あんな色目を使う男に向かって、怪我しないでと声を掛けてあげるなんて。俺ならその言葉を聞いただけで、「瓦割りやめます。この手はあかりんを抱きしめるためのものだからね」と今すぐに抱きしめてやるってのに。ま、元々瓦割り100枚をやるとか言い出さないけどな。
「任せてください、あかり様。それよりも自分の心配をしてください。もしかしたら破片が飛び散る恐れがありますから」
クソがぁ……かっこつけやがって。本気で割る気なのか?
バカだなぁー。こんなのできるわけねぇーだろ。
ま、僕はお前の頑張りを少しぐらいは認めてやるよ。
可愛い女の目の前でわざわざ恥を掻くような真似をすることにな、デュフフふふふ。
「はああああああああああああああ」
おいおい、黒井さんよ。アンタ、どうしてしまったんだい?
ドラゴン○ールの気を溜めるような動作をして。
気合を入れるのは自由だけど、時間稼ぎを止めろよ。
「えっ……? う、嘘でしょ?」
気を溜めていた黒井の姿が消えた。
どこに行ったのか。もしかして逃げ出したのか。
そう思った瞬間である。
後ろの壁に隠れたあかりんが声を張り上げて。
「黒井さん!! あ、あんなところにぃ!」
地上から三メートルぐらいの高さの位置に居た。
居たと言っても、すぐに落下してきたけどな。
黒井さんは手をグーにして、そのまま瓦を殴りつけた。
「ふんっ……どうせ、むりだろうにゃあああ!! どういうことなんだよぉ! ありえないだろうがぁ!」
宣言通り、黒井は瓦割り100枚を粉砕した。
で、粉砕すると同時に破片が僕の方に飛んできて——。
僕は失神するのであった。全治三ヶ月の頭の怪我。
マジで許さんぞ、黒井の野郎。絶対に絶対に。
病院で目覚めたとき、あかりんと黒井の姿があったな。
「大丈夫でしたか? オタオさん?」
「あかりんを救うために、ナイフを持った男の前に飛び出すのはちょっと怖かったですよ。でも僕はあかりんのためなら」
「オタオさんは、ただ破片が当たって失神しただけです。そんなカッコいいエピソードは一つもありません」
毎度のことながら、お叱りを受けるのは楽しいね。
あかりんのお叱りボイス売ってくれねぇーかな?
「あの……オタオさん、申し訳ないです。力加減が上手くできなくて。あ、ごめんなさい。キモカワさんでしたね……あはは」
黒井が謝ってきた。礼儀正しくペコリと頭を下げて。
「いいよ、オタオで。お前は立派な男だ。僕の方こそ、悪かったな。お前を試すようなことをして。あかりんを任せられる男だと、分かったよ。それじゃあ、僕の分まで頑張ってくれよ、マネージャーくん」
黒井の肩をポンポンと叩きながら、僕は続けて。
「僕もあかりんのプロデューサーとして活躍するからさ」
ってなわけで、僕とあかりんと黒井の三人体制で。
あかりん武道館プロジェクトは始まるのであった。
「あのさ……黒井。お前、どうしてあんな力を?」
「あぁー実は二年前に『力が欲しいか?』と誰かに訊ねられて……」
「お前、絶対それ嘘だろ! 僕にも教えろ!」
「オタオさん。力に溺れるだけですよ。危険なんですから」
***
で、現在時刻に戻りまして——。
僕とあかりんが出会ってから、早五年の歳月。
一番のファンとして、僕は武道館の最前列に居る。
これも全ては、あかりんの有志を見るため。
僕とあかりんの夢が叶う瞬間を見届けるために。
歌って踊るアイドル・あかりん。
正真正銘のアイドルだ。最近の人たちは、口パクとか居るけれど、あかりんは違う。自分の実力で勝ち上がってきたのだ。
涙が出てくるね。
今まで一緒に頑張ってきたんだと思うと。
ここまでやっと来たんだと思うと。
それだけで。たったそれだけで、僕は——。
「あかりんぃいいいいいいい!!」
舞台上で歌っているあかりんに向かって、僕は叫んでいた。
この想いをどこに向ければ分からなかったのだ。
もう高鳴る感情を、どこかに投げ出したかったのだ。
僕の声に気づいたのか、あかりんは近づいてきて。
ニコッと笑顔を浮かべて、手を振ってきた。
か、可愛い。なんて可愛いのだ。最高のアイドル。
最後の曲まで歌い終わり、あかりんは声を大にして。
「ファンのみんなぁー、本当にありがとうーー!?」
白い光に包まれる舞台上で、あかりんは手を大きく振っている。元気いっぱいな姿に、僕は和まされる。あー可愛いなと。
「実は、皆さんに伝えなければならないことがあります」
あかりんはペコリと一礼して、大粒の涙を流して。
武道館に集められた歴戦の戦士たちの声が入る。
大丈夫だよぉーとか、あかりん頑張れぇーなどなど。
誰もが新曲の発表か。それとも次の夢を決めるのか。
などと考える最中——あかりんはゆっくりと語るのだ。
「実は——私、あかりんには好きな人が居ます」
誰もが予想だにしなかった展開。
どうしてここで……と誰もが口を開けている。
突然の出来事に周囲の奴らは、戸惑いの表情である。
ただし、僕だけはなるほどなと感心したもんだ。
こんな武道館で発表しちゃうのかと。こんな大舞台で。
いや、でもさ……そんなことをしたらアイドル人生が終了してしまう。僕は色々と考えるけど、照れ笑いしていた。
「突然こんな話をして申し訳ないと思っています。でも、ここで感謝の言葉を絶対に伝えなければならないといけない気がするんです。だ、だから少しだけ、一分間。いや、二分間だけで良いので、私に時間を下さい」
ペコリを頭を下げ、あかりんは自分自身の気持ちを伝え始めるのであった。
「私が好きな人とは、私の人生を変えてくれた方です。初めて出会ったときから礼儀正しく。でも少しだけ厳しくて、でも優しい一面もあって。その……私はいつもいつも助けられました」
そこからも、あかりんはその相手に対する想いを綴った。
どこまでも純粋な想い。もうこっちが恥ずかしくなるレベル。今にも飛び出して、あかりんを抱きしめたくなるね。
男らしくて、力も強いだとよ。流石は僕だぜ、えっへん。
と言っても、周りのオタク共は唖然である。
当たり前だ。あかりんを本気で愛してるのは少数。
大半の人間は隙あらば彼女とエッチしたいと思ってるのだ。
本当に気持ち悪いね。色目ばっかり使いやがって。
「ふざけんなああああああ!! オレたちの気持ちをどうしてくれてんだよぉ!」
「そうだぁそうだぁー!! 男が居るとか聞いてないぞぉ! この売春婦がぁ! このビッチがぁ!」
「どうせ、お前はイケメン俳優とかイケメンアイドルとエッチしてんだろうがぁ!」
黙って話を聞いてれば、オタク共が……調子に乗りやがって。マジで許さん。ふざけんなよ。あかりんに向かって、なんて口を聞きやがってるんだ。マジでふざけんなよ。
「ふざけているのはお前らの方だぁ! このにわかファンめぇ! どうせ話題になったから好きになっただけだろうがぁ! お前らみたいなファッションオタクが一番嫌いなんだよぉ!」
バカにされるのは慣れている。でもな、あかりんをバカにされるのは。必死に頑張ってる人に暴言を吐くのは違う。
どんな分野でもだ。
頑張る人間を、頑張らない人間がバカにする。
それはどこでも一緒だ。
芸術の世界でもスポーツの世界でも。
外野からは誰だって言えるのだ。難癖は幾らでも言える。
匿名の掲示板を見てみろ。誰もが、上から目線で発言している。自分は偉いと勘違いして。自分はこいつよりも凄いという自尊心を持って。
「お前らは知らないんだぁ! お前らは、あかりんの頑張りを知らないだろうがぁ! 毎日毎日夜遅くまで練習して。休みの日でさえ、声楽系の学校に行ってるんだぞ。少しでも歌を良くしようと思って。少しでも、僕たちを喜ばせようと思ってぇ!」
僕の怒りはまだまだ治らない。
現在が、あかりんの大事なLIVE中ってのは分かる。
さっさと黙っていた方がいいだろうな。でもな、泣いてるんだ。僕が愛した、アイドル。僕が何度も恋したアイドルが。
あかりんが——こんな最高の舞台で泣いてるんだ。
「お前ら、全員ふざけんじゃねぇーーーーーー!? 男が居たから何だよ。本当のファンなら、おめでとうと言おうぜ。それがオタクだろうがよ。僕たちはあかりんが幸せな姿を。あかりんが笑顔を絶やさない世界を夢見てきたんじゃねぇーのかよ」
そ、それなのに、と僕は歯軋りして、オタク共を睨んで。
「現在のあかりんを見てみろっ! あんなにも泣いてるんだぞぉ! 今日は、あかりんと僕たちあかりんファンにとって、最高のLIVEじゃねぇーのかよっ! 今日のために、あかりんと僕たちは一緒に頑張ろうと言ってきたんじゃねぇーのかよっ!」
だ、だから、と僕は飛びっきりの笑顔で。
「笑顔で見送ってやろうぜ。あかりんを。あかりんの幸せを」
言い終わった後、僕は急速に燃え尽きてしまった。
オタクたちはお互いに顔を見合わせて、確認しあっている。
ここで帰るか。それとも帰らないのか。
最終的に五人に一人が帰っていった。
ふざけんなよ、と暴言を吐きながら。本当に負け組だな。
素直に見守って居ればいいものを。
ブルブルと震わせながら、あかりんはマイクを力強く握りしめて。
「実は今日この会場に、私が好きな人は来ています」
突然のサプライズ。
これはまさか……その好きな人がここぞと登場か。
ふっ……もしも呼ばれたら、舞台に上がっていこう。
そう思っていたのに——どうして、どうしてだよぉ、どうしてだよぉ、どうしてだよぉ、どうして、僕じゃないんだよぉ。どうして、僕じゃなくて……アイツが呼ばれてるんだよぉ。
「さぁ、出てきてください。黒井さん。私のマネージャーさんです。実は私、マネージャーさんと結婚しますっ!」
このあと? はぁ? 知らねぇーよ。
何がアイドルは崇拝するものだ?
何がアイドルの幸せを見届けるだ?
はぁ? ふざけんなよ。
アイドルは、哀れなオタク共に夢を見せないとダメに決まってんだろうが。さっきと言ってること、全然違うって。当たり前だろうが。格好付けてただけだよ。
この僕が……この僕が……どれだけ、あかりん……キミに貢いできたと思ってるんだい? どれだけ僕がキミに一生を捧げてきたと思ってるんだい? 許さないよ、僕は一生。
僕は絶対に……許さない。この身が滅びたとしてもだ。
と言ってもだ。
さっきまでカッコいいことを言っていたのだ。
僕はもう叫ぶしかあるまい。
「うわああああああああんんんんんんんんんん。あかりぃんんんんんんんんんんんんんんんん。け、けっこん……け、けっこん……こっけん……ごけっこん……おおおおおお、おめでとう、おめどとうございますうううううううううううう」
上辺だけのおめでとう。
本当は今にも、この裏切り者がぁあああと叫びたかった。
でもだ、男はいつもクールに。
「あかりんぃん……キミは僕を裏切った」
俯いて涙を溢す周りのオタクたちは、感動している。あんなに涙を流すほどに、惚れたアイドルの結婚が嬉しいのかと。
デュふふふふふふ、あかりんは僕を怒らせちゃったよ。
「ぼくは……ぼ、ぼぼぼぼ、僕は認めない……許さない……二人の仲を……二人のけけけけ、結婚を絶対に許さないぃよ。ディひひひひひひいひひひヒッヒ、でぃひひひ。あかりん……僕を……いいや、オタクを本気で怒らせた罪は大きいぞぉ」
五年前、僕とあかりんは出会い、一つの約束をした。
夢を叶えて結婚しようねと。でも、それは嘘だった。
もしかしたら、僕の勘違いだったのかもしれない。
それでもいいさ。
現役アイドルは、恋愛禁止だ。
鉄則を破った罪を大きいと思え。
「さぁー始めよっか。この世で一番楽しい復讐劇を」
***
あかりん生誕20歳LIVEが終わった後、僕は自宅へと真っ直ぐに帰った。
そして、あかりんの掲示板を荒らして荒らして荒らしまくった。涙を流して、僕はキーボードを叩くしかなかった。
情けない。本当なら、もっと違う方法があるかもしれない。
でも、僕にはこんなやりかたしか思いつかないのだ。
連絡先も知らなければ、相手の住所も知らない。
そんな関係性なのだから。
何気なく、SNSを開くと——。
当然のように、あかりんの電撃結婚がトレンド一位。
賛否両論あるものの、『現役アイドルの恋愛はありか? なしか?』の話で持ちきりだ。
「くっそたれが……悔しいのに……幸せを祝ってやりたい気持ちもある……ぼ、僕は……僕は……」
見返したい。もう一度だけ、あかりんに振り向いて欲しい。
そんな気持ちがいっぱいあるのに。無理だと否定している、僕自身が居る。
黒井は強い。世界最強の人間と言ってもいいだろう。
頭も良くて、力もある黒井なら——あかりんを。
「いや……ダメだ……ダメだ……あかりんは僕のだぁ! あかりんは僕のものだぁ! 誰にも渡さない、僕だけのアイドルなんだぁ!」
強欲。
おぞましいほどに独占欲。
愛情が深くなればなるほどに肥大していく欲望。
幸せにしたい。もっと近くに居たい。もっともっと——。
届かない人なら、最初から近づいて来て欲しくなかった。
もっともっと酷い扱いをして欲しかった。そ、それなのに。
「にくめねぇーよ……ぼ、僕は……にくめないよぉ。あの二人を……一時の感情で流されて……不幸にさせることなんて……無理だよぉ……あかりんと黒井と一緒に過ごした時間は楽しかったよぉ……だから……ぼ、僕に代わって——」
『力が欲しいか……?』
誰かが囁いてきた。誰だ、一体誰なんだ。
僕は顔を左右に動かして確認する。けれど誰も居ない。
「お前は一体誰だぁ! 出てこいっ!」
『オレか……オレならお前の心の奥底に居るぜ、ガッハハハ』
「よしっ。とりあえず、心臓を包丁で刺す。僕が死ねば、一緒にお前も消えるんだろ。一人で死ぬのは嫌だったんだ。一緒に死のうぜ、もう一人の僕」
『待て待て待て待てぇ! 早まるな早まるなぁ! お前とオレは一心同体。お前が死ねばオレも死ぬんだ。そんなことは絶対にさせない。お前にはも、ものっっすごい力があるんだぞ』
「ものすごい力だと……? 詳しく聞かせろ、相棒」
『本当お前ってウザいな。ってか、扱い辛い。ってか、軽く消えろと思った。ってか馴れ馴れしいし、暑苦しいし。マジでゴミだわ。嫌われて当然だと思ったわ』
「本当に死のうかな? うん……多分消えちゃった方が世のため、人のためだよね……」
『ごめんごめん。オレが悪かった。とりあえず、お前には能力を開花してもらう』
「能力開花と言われても……? 僕の能力って?」
『お前の能力は『脳姦』だ。と言っても、これはただの当て字。実際はただの『脳揺らし』だがな』
「あのさ……ちょっと気持ち悪くないですか? 僕の能力」
『秘められた力は、心の奥底に眠る感情に左右される。つまり、お前は心のどこかで誰かに認めて欲しい。もっと見て欲しいと思っていたんじゃないんだろうか?』
「な、なるほど……って、脳揺らしってどういうこと?」
『車酔いとか、船酔いとかするだろ? それと同じような感覚に、相手をすることができる。おまけに……相手の脳を刺激すれば、色んな器官を敏感にさせることも……』
ゴクリと生唾を飲み込んで、僕は恐る恐ると訊ねると。
もう一人の僕は、当たり前のことを聞くなとでも言うように。
『女の子を刺激して……エッチなお汁を出すこともぉ。それも、遠く離れた位置からでもできるぞ。ちょいと、電柱前に突っ立っている金髪女に向けてやってみ』
と言われましても。
とりあえず、窓から見える位置に居る金髪女に向けて。
「くらええええ!! 僕の能力『脳姦』!!!!」
やってみたけど、不発で終わってしまった。
「何だよぉ! うそばっかじゃん。はぁーくだらねぇー。本当にくだらねぇー。マジで、楽しくねぇーわ」
その瞬間——金髪女が白目を向いて奇声を上げ始めた。
「ぎゃふふふふふふふふはあああああああああぁぁぁあぁふぁふぁふぁふぁふぁふぁふぁふぁふぁふぁふぁあふぁ」
顔色をほんのりを赤く染めて、電柱にしがみついている。
もしかして、これって効果があるのか? ま、まさかな。
僕はもう一度だけ、腕を伸ばして魔法の言葉を念じた。
金髪女は我慢できなくなったのか、失禁し、ゲロを吐いた。
脳を揺らされると、あんな目にあってしまうのか。
「うわぁー……何て酷い力なんだ、これは……」
とりあえずごめんなさいと金髪女に心の中で謝罪した。
僕の能力には一定の条件があるらしい。
①生き物には使えるが、物には使えない
②能力は僕の憎悪を糧にしている
③僕の能力が効く人と効かない人が居るらしい
④能力使用後、対象者は洗脳中の記憶を失ってしまう
この四点だ。
特に重要なのは、③だな。
僕の能力は『脳揺らし』。
つまりは、ただの車酔いや船酔いと同じ。
実際に同じ車中に乗っても酔う人と酔わない人が居るだろ。
それと同じってわけだな。
でも嬉しい誤算があった。
僕の能力には、もう一つ面白い特徴を保有していて——。
「おい……雌犬。僕にキスをしろ」
「ふぁい……ごごごごご主人様ぁ……只今、雌犬風情が、オタオ様の可愛らしい唇を頂きますね」
脳揺らし状態時のみ、相手を洗脳することができる。
つまりは——相手を思うがままに行動させることができるってわけだ。
と言えど、僕の能力は複数人同時に洗脳できない。
ってか、僕自身のマルチタスクができない。
というわけで、対象は同時に一人のみってわけだ。
僕はパソコン前に座って、あかりんのブログを開く。
『今日から私たちはハワイに新婚旅行ですー!! ファンの皆様——』
行き先だけ知れればいい。それだけで十分だ。
あかりん、僕が目を覚ませてあげるよ。
あかりんは騙されているんだ。悪い悪い狼さんに。
とってもとっても悪い狼さんを殺して、僕があかりんを。
「絶対に幸せにさせてあげるからね。本当の女の喜びを教えてあげるよ。僕が……この裏切られた僕がさ、デュふふふふふふ」
***
ハワイへと到着し、あかりんが滞在するホテルへと急ぐ。
本当バカだね、あかりんは。ブログに写真をいっぱい投稿してるから、すぐに特定できちゃうよ。デュふふふ、これも僕の愛のおかげだね。愛してるよ。愛さえあれば何でもできるんだよ。
「あかりん……すぐに会いに行くからね。キミを助けに行くよ。僕があかりんを攫って、真実の愛に目覚めようね」
タクシー運転手がミラーで僕を見てくるけど、無視一択。
「もしかして、ハワイで結婚式開くね?」
見た目は日本人じゃないのに、日本語がいけるのか。
流石だな。観光地として使われるし、これぐらいは当たり前なのかな。
「はい。ここで最高のお嫁さんが待ってるんですよ、デュふふふふ。僕だけのお嫁さん……僕の最高の——」
あかりんが泊まっているホテルへと到着。
残るは、あかりんの部屋を探し当て、乗り込むだけだ。
ロビーに向かい、従業員へ洗脳をかける。
多少の英語は分かる。
「なるほど……御苦労だったな。305号室か」
情報を聞き出した後、僕はエレベーターに乗り込む。
3階で降りて、僕は真っ直ぐに305号室へと入った。
マスターキーを貰ってきたのだ。
もう誰にも邪魔はさせない。
ドアの向こう側からは、綺麗な浜辺を一望できた。
本日の天候は快晴だし、さぞかし楽しかっただろうね。
突然の僕登場。
あかりんと黒井は顔色を変え、驚きを隠せない様子だ。
入った瞬間、お互いに肩を寄せ合ってたのに。
今は人の目があるのか、照れてしまい動けないようだな。
「やぁやぁ、お二人さん。お久しぶりーふ」
ネタを挟んだ自己紹介に、あかりんも黒井も目を点にしている。やれやれ少しぐらいは笑ってくれてもいいのにさ。
黒井は警戒心を持ち、あかりんの前に飛び出てきた。
「黒井……お前が前に出てくるとは分かっていた。でも、もうお前は要らない。お前はあかりんにふさわしくない。消えろ、いいや、ここから飛び降りて自害しろ。じゃあな、黒井」
洗脳の力は驚異。
黒井の瞳はとろーんと沈んだ。もう一度瞳を開けた際には、洗脳に掛かっていた。強い人間に弱い人間が勝つ。嬉しい話じゃないか。誰だって好きだろ、バカにされていた弱キャラが覚醒して、強キャラに打ち勝つような話はさ。
黒井は僕の指示通り、ガラスを蹴破って飛び降りた。
破片が飛び散り、風がブゥゥーンと部屋へと入ってくる。
「う、うそ……ど、どうしてぇ……どうしてぇ……」
あかりんは膝から崩れ落ちるように倒れてしまう。ダイナマイトを使ってビルを壊したらあんな風になるだろうな。多分だけど、黒井という最低な男から解放されて一安心してるんだな。あーもちろん、分かってるよ。あかりんには言葉を掛けてあげよう。優しい言葉をね。
「あかりん、もう悪役は居なくなったよ。邪魔者は消えて、やっと二人っきりになれたんだよ」
高笑いをしながら、僕は饒舌に語るのだが——。
あかりんは一切笑わずに、泣き出してしまうのだ。
やれやれ……余程、怖かったんだね。黒井の奴がさ。
「あかりん、大丈夫だよ。僕が良い子良い子してあげるからね。デュフふふふふ」
頭を撫でてあげようと、僕が手を伸ばすと。
バチンと、あかりんは僕の手を振り払ってきた。
「あれれ? あかりん、どうしたの? 大丈夫だよ、僕の胸の中で、たっくさん泣いて良いんだよ。ほらぁ、泣きなよ」
もう一度言葉を掛けるものの、あかりんは何も言わない。
逆に子供みたいに顔をぐちゃぐちゃにして泣き出す始末。
「今まであの黒井と一緒で怖かったんだね。いいよ、僕が癒してあげるからね。愛してるから、あかりん。正直になろう」
僕は腕を伸ばして、あかりんに洗脳を掛けた。
未だに多少のタイムラグがある。
だからこそ、あかりんはバカなことを言ってしまうのだ。
「黒井さんを……どうして……そんな酷いことを」
鬼のような形相で、あかりんは僕を睨み付けてくる。
大好きな人に睨まれるというのは悲しいものだ。
僕だって、もう泣いちゃいそうになってしまうね。
でもね、僕は男の子。強いところを見せないと。
ていうか、夫となる男なんだ。妻の前では強い男でありたいものだよね。
「アイツは消えなきゃいけない。僕とあかりんの愛を邪魔する奴は、この世界に要らないんだ。邪魔者は退場してもらわないと」
「私、嫌っ!! 今のオタオさんはただの人殺しよぉ! もう、オタオさんなんてだいっきぃ——」
言葉が途中で途切れ、あかりんの瞳はハートマークへ。
効き目がやっと現れたか。もう、遅いぞ、全く。
「わわわわぁあぁああああわたしぃぃぃぃ、オタオさんのことがだだだだいしゅしゅき。オタオさんのことがしゅき。もうぉおおおおお、離れたぁきゅ……ない」
やっと素直になった。これで良いんだ。これで良い。
「よしよしっ。あかりんはやっぱり良い子だね。僕も大好きだよ……でも、どうして涙を流してるのかな? 僕が舐めて拭き取ってあげるからね」
あかりんは涙を流していた。
ポタリポタリと流れ落ちる滴を、溢さないように舐めてあげる。ほおを伝う涙は、塩っぽくて、どこか切なく感じるな。
白目を剥いたあかりんを抱きしめ、僕は愛の言葉を囁く。
「あかりん、大丈夫だよ。僕が守るからね。どんな奴が現れても、僕が一生大切にするから。だからね、安心していいよ」
「おおおおおおおおたぉぉぉぉしゃん……きゃっっこいいいい……わわわわたしを……もっと……もっと……あいして」
言葉足らずだけど、あかりんは必死に答えてくれる。
僕のことが余程好きなのだろうな。そして、僕も大好き。
「あかりん……僕と一緒にセックスしよっか?」
「せ……せ、せっくしゅ……?」
言葉の意味が分からないのか、あかりんは小首を傾げる。
流石はアイドルだな。エッチな言葉を知らないのかな。
デュふふふ……流石は僕が愛したアイド——。
「ふざけんなぁ! 何をしらばっくれてんだよ。お前は婚約した男が居ただろうがぁよ! どうせ、お前は何度も何度もセックスしたに決まってる。そのくせに、今更清純振ってももう遅いんだよぉ! このゴミ女がぁぁぁ!!」
僕の怒りはまだまだ治る気がしない。頭の中はグルグルと回っている。回転寿司レーンを見守る子供が、次はアレを食べよう、次はコレを食べようと思うように、僕も次の言葉が出てくる。
「誰がお前を一流のアイドルにしてやったと思ってんだよぉ! マジでふざけんな。誰のおかげで、ここまで上り詰めたと思ってんだよぉ! お前はただの地下アイドルだったんだ。そんなゴミ溜めから、誰がお前をトップアイドルにしてやったと思ってんだよぉ!」
一度切り出した以上、もう止まらない。
「僕はあかりんに……全てを捧げたんだよ。人生を。生きる価値がないゴミみたいな人生だったけど。それでもさ、あんまりじゃないか。こんな終わり方は。こんな最悪の結末は。アイドルがマネージャーと恋愛? ふざけんなよぉ! オタクたちの……僕たちの身にもなってみろぉ! 何を恋心持って、仕事場に来てんだよ! 金を稼げているのは、僕のおかげなんだぞ。それなのに……そのお金も、お前はアイツと一緒に使ってんだろうがよぉ!!」
大声で怒鳴っているにも関わらず、あかりんは上の空状態。
洗脳に掛かっているのだ。
どうせ、使用後は記憶を全て忘れてしまうだろう。
ならいいさ。みっともなく、自分の気持ちを吐いてやろう。
「お前に幾ら貢いだと思ってんだぁ? お前さ、舐めてるよな。僕を地獄へと突き落として楽しかったかぁ? 僕が一生懸命働いてるときでさえ、お前はアイツのアレをしゃぶって、メス顔晒してんだろろうがぁああ! ふざけんなよ。お前は幸せになったらダメなんだよ。ていうか、幸せになる資格とかねぇーんだよ」
言い終わった。支離滅裂で何を言いたいのか、自分自身でもさっぱり分からない。それでも僕の心は多少落ち着いた。
重たい肩を撫で下ろすと、ドッと疲れがやってきた。
「……ええええっ……? ど、どうちて……どうちて……お、オタオさんは……な、泣いてるの?」
僕は床を叩いていた。やり場のない思いがあるのだ。
大好きな人が非処女だった気持ちが分かるか。
大好きな人が、誰かに先に犯されてしまったという気持ちが。
本人を責めたい。トコトン責めたい。
でもだ。それでは解決しないし、心の何処かでは本気で責めているわけではないのだ。愛してるからこそ、憎めない。
「ふざけんなぁ……ふざけんなぁよ……悪になりたい。悪人になりたいよぉ……僕は……人を……本気で憎めない」
なんだかんだ言いながらも、僕はあかりんを愛していた。
過去に他の男を好きになったゴミでも。
僕以外の男に、処女を奪われた非処女でも愛せる。
「前科一犯……あかりんの浮気は……本当は許されざる行為だよ。心優しい僕じゃなければ、もう死刑だ。でも……僕は優しい男だ。だから許すよ。僕は非処女のあかりんでも許す。メス顔を、アイツにも見せてたかもしれないけど……それでも僕は許す。だって……だって……僕はあかりんが好きだから。あかりんが大好きだから……だからね……うわあああああああんんんんんんんんん」
処女とか非処女とか、世の中はぐちぐちと言う。
でもさ、愛の前ではほんの少しの違いしかない。
僕が相手を愛してて。相手が僕を愛してくれていれば。
それだけで良いんだ。それが真実の愛なんだ。
「あかりん……ぼ、僕が上書きするね。僕がアイツよりも、いっぱいいっぱいあかりんを気持ちよくしてあげるからね。僕が本当の女の喜びを教えてあげるからね」
「ひゃい……わわわわたしも……オタオさんに気持ちよくして欲しい……」
***
僕はあかりんにお得意の能力『脳姦』を使用した。
「ふぇっ♡ふぇふぇふぇえあアッん、ふぁふぁふぁ♡ふぁふぁふぁんんふぁんふぁんふぁんふ♡ぁんふぁんふぁあんふぁふぁふぁふぁふぁふぁふぁ♡」
現役アイドルとは思えないほどに、あかりんはだらしない表情を浮かべている。
白い頬は赤く染まり、黒の瞳は半分白目を剥き。
艶っぽいピンク色の口元からは唾液を溢れさせて。
まだ『脳姦』を使っただけで、身体には指一本触れてない。
そのはずなのに——あかりんはアヘ顔ダブルピース状態。
「あかりん……嬉しいんだね。僕に上書きされるのが」
「違う……わ、私……本当に処女だよ。初めては大切な人にって。結婚までは絶対に取っておこうと思ってたから」
嘘を吐きやがって。何が、処女だ。笑わせんな。
テレビ番組のパネラーを見てみろ。清純振って「処女です」発言してるけど、大半の人間がスキャンダルを抱えてるんだぜ。
文春砲を食らって、一瞬で好感度を下げているのだ。
それなのに——まだ、嘘を吐くのか。
「それなら、僕が試してやるよ。本当なのかな」
ニタァと気持ち悪い笑みを作り、僕は服を脱ぎ捨て。
暴飲暴食を繰り返し、誰もを魅了する脂肪ボディを見せて。
「じゃあ、確認してあげるからさ。デュふふふふふふ」
正直に言おう。ただ、僕はセックスがしたかった。
ただ、それだけだった。本当、僕ってゴミだな。
***
結論から言ってしまおう。
実は、あかりんは処女だった。
えっ……? 嘘だろと誰もが思うはずだ。
芸能界は腐ってて、色んな男共とやってるに違いないと。
でもね、本当にそんなことはなかったんだ。
僕とあかりんは服をもう一度着た。
あかりんに洋服を着せるのは楽しい作業だ。
りかちゃん人形の洋服を決めるようなもの。
女の子が夢中になる理由が分かる気がするね。
「あかりん……ぼ、僕は信じてたよぉ。あかりんがこの世界で最強のアイドルだってこと……僕はね、あかりんが大好きだからさ。ずっとずっとキミを信じてきて正解だったと思うんだ」
僕は自分の顔を近づけて、あかりんのほおをスリスリ。
「うおおおおんー。あかりん、とってももちもち肌なのだぁー。あかりんはどこの石鹸使ってるの? 僕と新婚生活を続けるんだ。ここから先は一緒にどうしようか考えないとね」
「おたぁ……おたぁ……おたぉを……しゃん……おたおしゃん……がおたおしゃん……」
あれ? あかりんの様子がおかしいぞ?
壊れかけのラジオみたいになってしまった。
その瞬間である。耳元で悲鳴を聞いた。声の主は——。
「あかりん……? どうして? どうして悲鳴をあげているの? 僕だよ、キモカワオタオだよお。あかりんの処女を貰い、あかりんは僕の童貞を貰ったんだ。お互いの大切なものを渡しあった仲じゃないか。それなのに……酷いな——」
「……私……信じてたのに。オタオさんのこと。オタオさんは多少変わってる人だと思ってたけど、心は清くて正しい人なんだって。ずっとずっと信じてたのに。そ、それなのに……」
「あーそれのことなら大丈夫だよ。僕がしっかりあかりんに種付けしてあげたからね。それも一番奥に。多分だけど、もう少ししたら可愛い可愛い子供が生まれるんじゃないのかな」
「えっ……? う、嘘……嘘……うそでしょ?」
突然のサプライズに、あかりんは嬉しかったのかも。
洗脳中の記憶は抹消されちゃうからなぁー。
あー本当に可哀想だな。でも、僕は用意周到な男。
「あかりん、大丈夫だよ。あかりんがとっっても気持ちよくなってる動画を撮っててあげたからね。だからね、安心して」
動画を再生すると——あかりんはこの世の終わりを悟ったかのような表情になっちまった。頭を抱え込んで泣いてるし。
「あかりんが悪いんだよ。あかりんが処女だって言い張るから」
「………………」
「だからね、僕が確かめてあげないといけないと思ったんだよ。デュフフふふふ」
「あっっっはははははあははははあはははははははあはは」
あかりんが奇声を上げている。いや、喜んで高笑いしているのだ。本当に嬉しかったんだな。お腹をさすってるし。
「こ、殺してやるっ! お前をここで殺してやる!」
近くにあった花瓶を手に取り、あかりんは呟いた。
「物騒なことを言ったらダメだよ、あかりん」
僕は手を伸ばして、能力を発動——できない。
「おい……ど、どうして……どうしてだよぉ……どうして……能力が発動しないんだ。ふざけんなぁぁ! おい、もう一人の僕っ! 出てこいっ! どうしてぇ! 出てこないんだぁ」
猪のように、あかりんは真っ直ぐに突っ込んでくる。
単純な動きだったので、ギリギリで避けることができた。
でも、もう一度は無理かもしれない。ていうか、巨体だし。
僕がのしかかれば……いいんじゃないかな?
『相棒。条件を忘れちまったのか? ②能力はお前の憎悪を糧にしてるんだ。お前はもう対象に憎悪を抱いてないんだよ』
「ふざけるなぁぁ! くっそたれがぁあああ!」
もう一度だけ、僕は手を伸ばして能力を発動する。
「お……おたお……おたお……おたおしゃん」
あかりんは寝起きみたいな口振りになった。
よしっ……これで良い。これでもう一度——あかりんを。
「殺すっ! お前をここで殺してやるっ!」
すぐに元に戻ってしまった。
「おいっ! どういうことだぁ! 話が違うだろうがぁよ! おい聞かせろ、どうしてこうなるんだよぉあああ!?」
『③を忘れたのか? 効く人と効かない人が居ると』
「ふざけるなぁ! あかりんは効いたぞ。そ、それなのに」
『おいおい、一番最初に説明しただろ。お前の能力は『脳揺らし』だと。つまり、ただの酔いと同じだとさ。人間ってのは誰だって慣れるんだよ。お前だって、慣れたりするだろ?』
「くっそ、くっっそ、くっそくっっそくっそくっそくっそ!!!! うわああああああああああ、調子に乗りやがって。ふざけんんあああああああああああああああああああああああああああああ。こんなところでくたばってたまるかよ」
そうだ。一番の問題は、花瓶なんだ。
だから、あの花瓶を、僕の能力で——。
『無理だぞ。忘れたのか? ①生き物には使えるが、物には使えない』
「おいっ! 助けろぉ! 今ここで、僕を助けろっ! 僕をっ! ここで救ってみせろ。お前ならできるはずだ。お前なら、僕を救うことができる。さぁーいいから助けろ。僕を救え。お前なら……ぼ、僕を救ってみせろぉ! 僕が死んだら、お前も終わりなんだぞ。お前だって分かってるんだろうが!」
『ハァー。それを言われたら仕方ないね。お前の能力を完全体にしてあげるよ。でも、本当にいいんだね? お前はお前でなくなるかもしれないよ。それでもいいんだね?』
「あぁーいいさ。能力が完全体になれば、僕はもう一度あかりんを、あかりんを自分のものにできるんだ。だ、だから」
***
黒井サトシは病院を離れ、アカリの待つホテルへ向かう。
オタオに洗脳され、ホテルの三階から飛び降りた黒井。
武道の心得があるものの、高い場所から飛び降りて無事であるはずがない。
一度病院へ搬送された黒井は緊急手術を余儀なくされていた。
でも、彼は断りを入れ、立ち上がったのだ。
至る箇所の骨が折れ、少し身体を動かすだけで痛みが来る。
頭からは血が流れるし、出血多量で今にも倒れそうだ。
正直に言えば、ここで楽になりたかった。
それでも——黒井は愛する人を救うために。
一緒に愛を誓い合った人を救うために。
「こ、こんなところで……アカリ様を一人にするわけには」
黒井はボロボロの身体を引きずりながらも、歩いた。
何度も何度も転けては立ち、転けては立ちを繰り返している。諦めるという道は一切ない。
「たった一人の女性を守れずして、何が男だ」
黒井は拳を力強く握り締めて。
「もっと強くなりたい。もっともっと強くなりたい」
自分自身に言い聞かせるように呟く。
その瞬間——どこからともなく、声が聞こえてきた。
『強くなりたいか? それなら、俺が力を——』
もう一人の自分の声。甘い誘惑である。
少しでも強くなりたい。その気持ちはあるけれど。
「断る。俺はお前の力を絶対に借りない。だって——」
黒井はホテルへと辿り着き、急いでエレベーターへ。
ドアが開いた瞬間。
痛む身体に鞭を打ち、黒井は駆け出した。
そして、部屋を見つけて思い切り殴りつけた。
「でゅふふふっふふふふふふふふふふっふうふふふふふふふふふうはあああああああぁぁぁぁぁあぁっがんふぁふぁあいおっひおふぉあふぉあふぃおあほはふいはういふあいおふぃおあひおふぁ」
黒井が部屋に入った瞬間——。
オタオは全裸状態で、アカリに抱きつこうとしていた。
「オタオさん、俺はアカリ様を守る義務があるので」
黒井は拳に力を入れて、全力で振り上げた。
見事にクリーンヒット。
オタオの巨体は吹っ飛び、壁に当たる。
「アカリ様、無事でしたか?」
「く、黒井さん……く、黒井さん……わ、わたし……」
アカリは黒井に抱きつき、すぐに泣き出してしまった。
「大丈夫ですよ、アカリ様。俺が絶対に守りますから」
安心するのも束の間。
黒井の元へ、次から次へと物が飛んでくるのだ。
「アカリ様、危険なので俺の後ろに隠れてください」
「わ、分かりました。黒井さん」
黒井の背中にくっつくような形で、アカリは後ろに回る。
軽やかな動作で全ての物を振り払い、黒井は言った。
「あなたはもうオタオさんではありませんね」
その言葉を聞き、オタオは不気味に笑い出す。
「ガッハハハハ、へぇーオレのこと分かるんダァー」
普段は『僕』が一人称なオタオ。
しかし、現在は『オレ』と名乗っている。
何か違いでもあるのだろうか。
「能力に溺れた人の末路。欲望に身を委ねた存在」
「ぎゃはははははははは。そうだぜ、オレ。いや、オレたちはどんな奴らの心にも住みついている。欲望の塊だ」
「長話はいい。この悪魔が」
「悪魔とは失礼な。オレたちは人間に能力を授けてやってるんだぜ。オタオだって喜んでるはずだぜ、願いが叶えられて」
「弱者に救いの手を差し伸べて騙しているだけだろうが!」
「それなら、オタオに代わってあげようか? オレの相棒を」
一度、オタオが目を瞑ると——。
「ころしてくれええええええええええええ、ぼ、ぼ、ぼくをぉぉぉぉぉ、ぼきゅを、ぼきゅを……ぼきゅを……ころしてくれええええええええええええええ。たのむ……くろい……くりょい……ぼ、ぼきゅをここでうあああああああががあががががががががが、やめろぉ!! ぼくの脳をしんしょくすりゅうなななあんあなななななななな。うわあああああああああああ、もう一人のぼく……何をやってるんだあぁああああああああああああああああああああああああああ。ぼくのぼくのにょおおおおおお」
先ほどまでとは打って変わり、鼻水を垂らし涙まで流すオタオ。人が変わったとしか言いようがない姿に、黒井とアカリは思わず声を上げてしまった。
「おおっと、悪い悪い。オレの相棒が変なことを言っていたが、気にしないでくれ。コイツは、時期に消えるからさ」
「き、消える?」
「あぁー実はな、オレが全部奪ってやろうと思っているのさ。この身体の指導権を。この身体の司令塔である脳をな。これぞ、まさに脳姦だろぉ?」
愉快そうに語るオタオに対して、黒井は冷静な口調で。
「悪いが……お前はここで処分する。オタオさんの望みを叶えてあげることが、今の俺にできることだからな」
「はぁ? お、オレに勝てると思ってんの? 完全体だよ。脳姦し放題なんだぜ。それなのに、むりゅ——」
オタオは殴られたことに気がついていなかった。
そして、そのまま何度も殴られ、蹴られての繰り返し。
「人間相手だから力の加減をしていたんだ。オタオさんを殴り殺すのは、絶対にできないからな。でも、オタオさんから了承を得た今……俺はもう力の限りにお前を殴り殺すことができる」
——十分後——
「……じょ……じょうじで……お、おまえ……みたいな……にんげんぎゃ……お、オレ……お、れを……おれよりも……つ、つよいんだぁあああ?」
「愛の力だ。お前は人間の力を見限ったんだ」
黒井はポツリと呟いて。
「人間は無限大な可能性があるんだ。アカリ様は一流のアイドルになった。最初は地下アイドルだった。でも努力の末になったんだ。でもな、お前は人間の力を。人間の凄さを、まだ本気で分かってなかったのさ」
「くっそたれがあああああああああああああああ!! ふざけるなよぉおおおおおおお!! 人間共はクズだ、ゴミだ。どいつもこいつも超自然的パワーを求めている。努力なんてしたくない。努力なんてクソ食らえと思ってるんだろうがああああああ、それがこの現代の人間共だろうがぁあああ! お前だって心の中で欲しいと思ってんだろうがあああああ!! さっさと叶えちまえよ、心の奥底で念じればいいじゃねぇーかよ」
溜め息を吐き捨てた後、黒井は憐むような表情で。
「全力で働いた後のビールの美味さをお前は知らないのか」
「えっ……?」
「汗水垂らして働いたことがあるか? 本気で一度でも頑張ったことがあるのか? 本気になったことがあるか?」
「本気で頑張っても無駄なんだよ……どうせ、誰も……オレみたいなダメ人間には振り向いてくれないんだ。オレは……モテないし、頭も悪い。おまけに要領も悪ければ、汚いし、醜いし……全てが全て……悪いんだ。オレみたいな人間が生まれたことが間違いだったんだ。そうだ、オレは悪くないっ! 悪いのは親だ。親が悪いんだよ、オレは全く悪くないっ!?」
「甘ったれるなぁあああ! 全てが全てネガティブなこと。全てただの逃げだ。お前は人生から逃げているだけだ」
「ううう……そうだ……お、お、オレは……逃げてる。人生から……ん逃げてた……ずっとずっと。でも、人は変わらねぇーんだよ……どこまでもゴミはゴミなんだ。だ、だからぁ」
「アカリ様を見てください。誰が、彼女をトップアイドルに導いたと思っているんですか? 誰が、彼女を武道館で歌わせるほどの人物にさせてくれたんですか? あなたでしょ、オタオさんっ!!」
黒井の言葉を後押しするように、アカリも続けて。
「そうですっそうですっ! オタオさん、人は変われるっ!」
「黒井……あかりん……ぼ、ぼきゅは……ぼきゅは……ふざけるなぁあああああ。お、お前はでてくるなあああああああ、このゴミが。この身体はオレのものなんだぞ。黙れ、小僧っ! この身体はぼきゅのだぁ! 僕のものだぁ! お前みたいなぽっと出のモブキャラ野郎に負けてたまるかよぉ!」
オタオは戦う。もう一人の自分自身と。
否——自分の心の奥底に眠っていた本来の自分と。
「あかりん……くりょい……ぼ、ぼきゅ……ぼきゅ勝ったよ。もう一人の自分に勝てたよ……うわああああああああんんん。ぼきゅ……勝ったんだ。アイツに打ち勝ったんだよっ!」
倒れているオタオの元へ、黒井とアカリが駆け付ける。
その瞬間——。
オタオの身体が粉砕した。自爆だった。
「ガッハハハハハハハハ、誰が会心するかよ。人は変われる? ふざけんじゃねぇーよ。あー傑作だぜ。こっちが猿芝居してやったら、まんまと騙されてやがんの。オタオはな、④の条件で、記憶を失ってるんだよ。だからな、オレに洗脳されているという事実を元々認識できねぇーんだよ、バァーカ」
粉砕した身体の破片が集まり、一つの形へと変化する。
最終的に出来上がったのは、赤黒い色をした巨大な脳。
全長は5メートルを超えて、ぷかぷかと浮いている。
「バカはお前だ。チャンスは与えたつもりだ。だが、お前は会心するつもりもなければ、対等に話すつもりもないみたいだ」
黒井とアカリは生きていた。
アカリを庇うように抱きしめた黒井は火傷を負っている。
もう身体は限界のはずなのに。
もう今にも倒れてもおかしくないのに。
黒井は最後の力を振り絞って、脳を破壊するのであった。
「オタオさん……本当にありがとうございました」
「お、オタオさん……ありがとうございました。わたし……私……あなたのおかげで、トップアイドルになることができました。本当にありがとうございました」
と、そのとき——掠れた声が聞こえてきた。
「あかりんぃん……あはは……夢が叶ったね。一緒に結婚しようね……でゅふふふふ……あかりん……だい……だいしゅきだよ、あかりん……結婚しようね……デュふふふぅぅ……あとぉ……あかりんの……処女ごちそうさまでしたでゅふふふ」
アカリは顔を俯かせて、黒井を見ることができない。
夫が居る身分にも関わらず、処女を奪われたのだ。
全ては『黒井』のためを思って、今まで守ってきた純潔。
しかし、それをオタオに奪われてしまったのだ。
「ごめんなさい……黒井さん。わ、私は……」
返事を聞く前に、黒井はアカリの顎を持ち上げ。
——チュ——口付けを交わすのであった。
「ど、どうしてですか……? 黒井さん、私はもう汚れた女です。それなのに……どうして私を? どうして私なんかを」
「アカリ様、俺は処女とか非処女などは気にしませんよ」
だって、と呟いて、黒井は自信を持って答えた。
「愛さえあれば、そんなものは関係ありませんよ」
反出生主義とか、SNSに群がる人々、ざまぁ、NTRなどの要素を取り入れてみた。
もう一度言うけど、作者と作品の思想は違うで。