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「――最後に、これは今日の議題とは関係なく、ただの僕の興味なんだけど――」
そう断ってから、ガブリエルはその少年のような瞳を輝かせ、立ち上がりかけた大天士たちを呼び止めた。
大天士長と四大天士の報告と連絡を兼ねた定例会は、中央図書館の庭の一角にある、会議スペースでお茶を飲みながら定期的に行われる。
薔薇を背に五人の大天士が揃うとあって、定例会の行われる日は図書館で整理券も配られるほどの盛り上がりで、一種のイベントと化していた。当日は、傍聴席が設えられた一階と二階のバルコニーには熱心なリーダー格の天士達が会議の始まる前から席を奪い合い、一方、図書館の周りでは一般の天士たちが、門の外に陣取って出待ちをするのが恒例となっている。
「どうした?」
まだ腰を上げていなかったウリエルが表情を動かさず、会議の延長であるかのように、重厚に応える。
既に立ち上がっていたミカエルが、問題発生とばかりに「なんだっ?」と色めき立つと、輝く金髪が波打った。
一方、『ただの興味』という言葉に興味を引かれたラファエルは、スラリとした長身のその躯体に似合わず、「なぁに、面白いコト?」と女学生のようなノリの反応だ。
ただ一人、ガブリエルの言葉に無反応でそのまま立ち去りかけたのはルシフェルだ。
天士としては異質な――漆黒の長髪の背中に向かってガブリエルは、言葉を続ける。
「最近、神々の間で悪趣味な遊びが流行ってるんじゃないかって噂でさ」
「悪趣味な――?」
その言葉にようやくルシフェルは足を止め興味を示したようだ。その表情にはまだなんの好悪も浮かんでいないが。
振り返った彼をその場に繋ぎ止めるため、ガブリエルはすぐに言葉を続ける。
「魔法界に新しい世界ができてるらしいんだけど――詳細、誰かわかる?」
その場にいた全員への問いかけの言葉だったが、ガブリエルが見つめているのは、ルシフェルだ。
「新世界?」
「真か?」
「それが本当なら、なぜ、我々に報告が来ない? 新しい世界なら、サポートが必要だろう?」
ラファエル、ウリエル、ミカエルが同時に反応した。
「どういうことか、説明してもらえるかな?」
わずかに目を細めたウリエルが、改めて静かに問う。
「わからないよ。だからみんなに聞いたんだ。ただ――」
ガブリエルの視線はルシフェルの答えを待っている。
「その世界の中ではいろいろな生物が飼育されてて、それが余計に不自然で――『今度は面白い世界ができたもんだ』ってゲートキーパーが不思議がってた」
「飼育――?」
訝しげに首を傾げるウリエルの横で、ミカエルが体を乗り出す。
「新しい世界は、どこにある?」
「魔法界の中のマスター層と無秩序の層の間で――」
「マスター層と無秩序の層の間といえば、魔力のプラスとマイナスが拮抗する――」
「0の……魔力を使えない層になるわね」
考え込むミカエルの台詞をラファエルが纏めるように呟いた。
「そんな不自由な場所にあえて生物というのは、全く不自然な話だな」
「そこ。ゲートキーパーが不思議がるのは、そこなんだよ」
「魔力の働かない世界に、生物――一体、なんのために?」
考え込む4人を、扉の前に立ったままのルシフェルが黙って見つめている。
しばらくして口を開いたのはラファエルだった。
「つまり、その世界というのは、ジオラマとか、ドールハウスみたいなものなのかしら――」
「ドールハウス……意味がわからん」
頭を抱えるウリエルにラファエルが説明を加える。
「簡単に言うと、お人形さんごっこがしたいんじゃないの?」
ラファエルが自分の言葉に納得したようにうなずいた。
「そういう意味で聞いたのではない――」と呟くウリエルの言葉の上からミカエルが上から言葉をかぶせる。
「なぜ、そんなことを?」
「しらないよ。だから誰か知らないかと聞いたんだ」
「なにかのプロジェクトかしら?」
ラファエルの言葉の通りであるなら、まだ許せるとばかりに、ミカエルが不快を露わにする。
「そうであったなら、我々になんの連絡も無く新しい世界など作るだろうか? 新世界なら神々の手足として働くなる天士が必要だろう? なら、誰か一人くらいは計画を知っている者がいてもおかしくはない――」
ウリエルが大天士達に順番に視線を投げる。
肩越しにそこまでを聞いたルシフェルは、黙ってその場を後にした。
そのまま館に戻り、いつものように報告書や企画書のチェックをしてもよかったのだが、この日のルシフェルは、図書館を出ていつも向かう方向とは反対に歩き出した。
最後にガブリエルが投げた問題が心の隅にひっかかっている。
ルシフェルは、守衛に通行証を見せて、ゲートを抜けた。
天士界、神気界、魔法界間の移動の際は、目的の世界に合わせて体を構成する粒子のレベルが変わる。――神気界はより細かく、魔法界へは大きく――その中でもマスター層よりスレイブ層のほうがより重く――。大きく重い方へ行く方は粒子が細分化されず、大きくなるだけので楽だ。
ルシフェルは、身体中の粒子が細分されていく気配に、軽くめまいを覚え、眉間を指で押さえて目を閉じた。
粒子が再構成される際、それが微細であればあるほど途中で損失されやすい。
なんの予備知識もなく不用意にゲートを使用して、再構成の際にエネルギーを奪われすぎたため動けなくなる者もいたことから、現在の天士界ではゲートの利用時には通行証の提示が必須となっている。
そんな、ダメージを伴うものであったとしても、彼はこの時空間移動を厭わない。
一旦、全て分解され、再構成されるその瞬間、自分が新しく生まれ変わるかのような――そんな感覚が彼は嫌いではなかった。
足を向けたのは、神気界の中でもとりわけきらびやかなエリアだ。
金色に輝くアーチの向こうには、大きな庭が広がっていて所々に小さな四阿が設えられている。そこでは、女神美達のグループが各界の管理を行いながら他愛無い話を、――いや、他愛ない話の合間に各界の管理を行なっている。
この日、それらの四阿の下では、ゆったりと座れる長ベンチの設えられた四阿に定員以上の女神美達が集まり、熱心に話し込んでいる様子があちこちで散見された。
ルシフェルはそのグループの女神美を確認しながら庭を歩く。
いつもなら好悪なんからの反応が見られるところだが、離れたところを歩く彼に気を払う者はいない。
シンプルな装飾の施された白い柱の四阿にいたグループの中心に一人の女神美の存在を見つけると、ルシフェルは大股で近づいていった。
女神美達の背後にまわる。彼女達は熱心に1人の女神美の膝にある小さな液晶盤を一斉に覗き込んでいる。
すぐ後ろにある彼の存在に気付いた女神美が「きゃっ」と声を上げると、一人また一人とその場から離れ、後に一人の女神美だけが残った。
「珍しいわね、あなたの方から来るなんて。私が来て欲しい時にはまったくつれないくせに」
女神美が笑いながらも、少し口を尖らせて見せると、彼はスッと自然に彼女の腰に手を回した。
女神美が笑いながらも、少し口を尖らせて見せると、彼はスッと自然に彼女の腰に手を回した。
「俺はデリバリーランチではない。ただ俺のエネルギーが欲しいだけの貴女のわがままにいちいち付き合えるか、ルミエラ」
からかうルシフェルに、ルミエラと呼ばれた女神美はツンと顔を背ける。
「あら、ランチだなんて、卑下しすぎよ。天士の――それもとびきり極上の天士長のエネルギーなんて、これほど希少で価値のあるものなんて、他にある?」
「それをわざわざ天士界まで来て求める女神美も、希少の部類にはいりそうなものだが? そこに価値があるかどうかは別にしてな」
にやりと嗤ってルシフェルは彼女の顎を取り、その唇に自分の唇を重ねた。
重なった部分から、彼女のすっきりとして微かに甘いエネルギーが流れ込んで来る。
――ルミエラの欲しがる自分のエネルギーとはどんなものだろうか――
自分の中をただ通り過ぎていくだけの、彼女のエネルギーを感じながら、頭の片隅でルシフェルは考えていた。
「――で?」
乱れた衣服を正しながら、ルミエラが聞いた。
「……『で?』とは?」
「だから、ここへ来た目的を聞いてるの。――私が行くといつも面倒な顔をする貴方が、わざわざ神気界に、こんな事だけの為に来たとは思えないわ。……あるんでしょう、ほかに目的が」
「そうだな」ふっと嗤ってルシフェルは言葉を続ける。「――魔法界に新しい世界ができていると耳にしてな」
「あら、もう天士界まで知れ渡っちゃってるの?」
口調は軽いものだったが、その裏にははっきりと動揺が見て取れた。
「知れ渡ってはいけないような口ぶりだな」
「そういうわけではないけど――」
ルミエラの目が泳ぐ。
「けど?」
ルシフェルはルミエラの手首をつかみ、息のかかるほどの距離まで顔を近づけた。
これでルミエラの目がどれだけ泳ごうとも、彼を視界の外に出すのは不可能だ。
「……正式な『新世界創造』ってわけではなかったから――」
観念したのか、しかし、それでも視線を合わせることなく彼女は小さくそう口にした。
「だろうな。正式なものなら、創造の前の段階で、天士界に通達が来る。――だから、どういうものか聞きに来た」
ルシフェルの咎めるような視線にルミエラが小さくなる。
「……ちょっと……遊びのつもりだったのよ」
「首謀者は、貴女か?」
「ち、違うわ。……でも、誰かは、言えない」
消え入るような語尾に、ルシフェルは凄味を聞かせた視線で彼女の次の言葉を待ったが、しばらくして「まあ、いいだろう」と容赦した。
「首謀者に関しては、期が来ればいずれ明るみに出よう。――で、その、遊びとはどういうものだ?」
「不自由な世界を疑似体験してみたいとか、そんな他愛のないことなの」
最悪の質問から逃れられた安心感からか、ルミエラの口が少し軽くなった。
「疑似体験?」
「だって、私達――神満も女神美も、完璧に創られているじゃない? 自分で言うのもアレだけど、不自由を知らない。――だから、それを、少し、体験してみたかったというか……。最初は小さな庭程度のつもりだったそうなの。ところが彼女がそれを始めた途端、女神美の間で我も我もとなっちゃったものだから、生物がどんどん増えていって、必然的に庭も大きくせざるを得なくて……」
ルミエラの説明があまりにも人称がバラバラだったせいか、あるいは、その内容についての言及なのか、ルシフェルは一言「ひどいな」と頭を抱える。
彼女たちの中ではもうすでに大きな問題となり始めていたのかもしれない。
「神満長は――ゼウスは、知っているのか?」
「多分、まだ知らないと思うわ。でも、もし知ったとしても、彼に私たちを咎めることはできないと思う」
そうであったから、女神美たちはこぞってこの遊びに参加したのだろう。
とすれば――
「ヘラだな?」
その名前にルミエラの表情が固まった。
「……」
「首謀者はヘラなんだな?」
女神美のトップ――最高神の妻ヘラが始めたのだとすれば、その伝播力の強さも頷ける。そして彼女の尻に敷かれている夫――ゼウスがそれを咎められないことも。
「……お前も、その不完全な生き物をつくったのか?」
「……」
ルミエラは、ちょっとしたいたずらが思った以上の損害を出して叱られている子供のような表情をする。
自分でもある段階から、手に負えなくなる予感はあったのだろう。
「そんな顔するな。別に責めてるわけじゃない――」まだ不安げなルミエラの瞳をルシフェルの視線がとらえた。「――ただ、このまま放置しておくといずれもっと大きな問題になる。それまでになんとか納めるしかなかろう」
「そう……ね。うまくいくかしら」
自信はなさそうだったが、今度は視線を外すことなく、ルミエラは賛同した。
ルシフェルは、力づけるように強くうなずく。
「まずは、その新世界のデータを手に入れたい。計画を練るのはそれを見てからだが――新世界の服務装置にアクセスできるか?」
「難しそうだけど……それしかないなら、やって、みるわ」
「後でうちのものを派遣しよう」
そう言って立ち去りかけた彼の背中にルミエラが「――ありがとう」と言葉を投げた。
「貸し、だ」
ーーー
「予想以上に、規模が大きすぎるな――」
手元に届いた分厚い書類をばさりと机に放り投げると、ルシフェルは大きくため息を吐いた。
目の前のソファにはルミエラが身を小さくして座っている。
「これでは、生物を処分して世界を消滅させるとなると、かなりのエネルギーが必要だし、それをこっそりやるのは難しい」
「消滅させることができない――?」
彼女の表情が一気に不安で曇る。
「いくら魔力のない層にある世界といっても、創造からこれだけの時間がたってしまっていては、他の時空間に対してのある程度の影響力は否定できない。ましてや、この規模だ。――これが一瞬で消滅したら、各界のエネルギーバランスが崩れ、それこそ全界の秩序が吹っ飛ぶ可能性がある」
「それじゃ――」
ルシフェルは眼を閉じた。
しばらく考えた後、「手が……ないことはないが――」と、眼を閉じたまま唇を引き結び、自分に言い聞かせるように一呼吸を置く。
「どうすればいいの?」
それでもそのまま黙考をつづけた後、仕方がないという風情でため息を吐いて、ルシフェルは目を開けた。
「貴女は知らないフリをしていればいい。――後は、俺に任せろ」