3話
2月14日、バレンタイン。
もちろん私はチョコを送る相手なんているわけもなく、クラスの浮かれた友達に適当に合わせて話をするくらい。
放課後になれば、やれ誰に渡しただの、何個作っただの、これから渡すだの、そんな話ばっかり。
「ふぅ……」
一区切りついたタイミングで、こっそりと会話の輪から離脱。
今日はバイトもないので、とっとと帰ってゆっくりとしよう。
そう思って教室を出た時――柚純が現れた。
「香苗ちゃん」
「柚純……」
久しぶりの再会に、懐かしさと感動が――って、まだ一ヶ月やそこらなんだよね。
「久しぶりだね」
「一ヶ月で久しぶりって言うの?」
以前どこかで私が言ったセリフを柚純が言うもんだから、今度はこっちが柚純が言ったようなセリフを返してしまう。
「ね、時間大丈夫? 今日ってバイト?」
「ん? 今日は特になにもないけど?」
「……あのね、聞いて欲しいことがあるんだ」
来たか、と思った。
きっと、どちらの答えを出したか、私に報告してくれるのだろう。
正直に言えば、そのどちらも聞きたくはない……けど。
「うん、いいよ」
応援すると決めたのだから、私はその答えを聞かなければならない。
「どうする? ……また、柚純の家とか?」
「そうしよっか」
うちには親がいるし、ゆっくりと話をするには柚純の家がベスト。
――かつ、私の欲望も多少満たされる場所である。
視覚的にとか、嗅覚的にとか、うん、いろんな意味で。
私たちは学校を出て、柚純の家へと向かった。
途中の会話は、私たちにしては距離感のあるものだった。
この後に待っている話に気が向いているのだろう。
元気だったか、なにしてた、そんな感じの世間話。
いつもより遠い、柚純との距離。
柚純の家に着くと、以前と同じように柚純が私のコートをかけ、コーヒーを用意してくれる。
「お待たせ」
「ん、ありがと」
砂糖二つの、甘いコーヒー。
見ると、柚純のコーヒーもミルクが入っていた。
「ブラックじゃないんだ?」
「うん。砂糖も二つだよ」
「私と一緒じゃん」
「うん、一緒」
柚純はなんだか嬉しそうに、こちらに微笑んだ。
「……」
ドキッとした心臓を抑えるために、コーヒーを口に運ぶ。
甘みの中に、ほのかな苦味。
うん、頭にスーッと入ってきて、落ち着く。
「……あのね、香苗ちゃん」
「うん」
「私、答え出したの。二人の好きな人、どっちが本当に私の好きな人かって」
「……うん」
本当なら、出した答えの結果を聞く必要はないのかもしれない。
でも――。
「どっちを選んだの?」
柚純が、話したそうにしているように感じた。
私を友達と思ってくれていて、そして頼ってくれていて――だからこそ話したいと思ってくれているのだと。
そう思ったら、自然と柚純に対して答えを促していた。
「うん……あのね、彼氏とは……別れてきた」
「……そっか」
一年以上前だけど、柚純に彼氏ができたときの、あの嬉しそうな顔。
それからも何度かのろけ話やらなんやら聞いたけど、いつも楽しそうで――。
でも、そんな彼氏と別れた。
たくさんの思い出がある彼氏よりも――。
「もう一人の人のこと、本当に好きなんだって……誰よりも好きなんだって、わかったから」
「……うん」
それが柚純が出した答えなら、私はそれをとやかく言うつもりはない。
「今日まで、意識して会わないようにしてたんだ。真剣に、本当に真剣に好きなのかって……本気なのかって、考えたくて」
「うん」
「寂しくて……苦しくて……悲しくて……。会いたいって思った。何度も、何度も。私の気持ちに気付いてって、何度も思った」
「……」
私も……寂しかった。
柚純は頼ってくれるって言ったのに、それから全然話もしてくれなかったし。
もちろん、答えを出すのに必要なことだったからなんだろうけど、バイトまで休まなくたってよかったのに。
「それでわかった。一緒にいたいのは彼氏じゃなくて、その人だった。これから一緒にいたいのも、その人だった」
「そっか……」
「それに……その、その人のこと、抱きしめたり、キスしたり、そう言うことしたいってのも、友達としてじゃなくて、好きなんだからだなーって」
「ちょっとちょっと、もうすでにのろけ話なの?」
「のろけたわけじゃないよぉ」
とは言うけど、少し――いや、大分嫉妬してしまう。
付き合ってもないのに柚純にそこまで思わせるとか、たいした奴じゃないか、私は認めないっとかなんとか。
「もう告白したとか?」
「……香苗ちゃん。真剣に、聞いて欲しいんだ。これから私が言うこと、嘘じゃないからね?」
「うん? どうしたの?」
柚純の声が、先ほどまでよりも更に真剣味を帯びる。
思わず飲み込んだ自分のつばの音が、大きく聞こえるくらいに私も緊張した。
「……あの……私が好きなのは――」
一度、たまった息を吐き出すようにして。
「香苗ちゃんなの」
「……え?」
「こんなこと言ったら……引かれるとは思うけど、本当に、そうなの。私、香苗ちゃんが好き」
「え? あの……柚純? 冗談――」
柚純の顔はどう見ても真剣だった。
「……嘘? うそっ!? 柚純、本気!?」
「……うん。ごめんね、ごめんなさい……」
「え? え? え?」
動揺しているだけの私とは打って変わって、柚純は口を押さえ、涙を流していた。
「ごめんね……変だよね、おかしいよね……でも……好きなの。好きなんだって、気付いちゃったの……」
「ゆ、柚純? あの……その……ね?」
いまだ動揺が収まらない。
柚純が私を好き!?
そんなのありえない!
――よね? だって、私が柚純をずっと好きだったんであって、逆なわけないし。
だから柚純が私を好きってのは、その、えーっと……。
「ひっく……ごめんなさい、これだけ、伝えたくて……も、もう、好き過ぎて、我慢できなくて……迷惑だって、わかって――」
「め、迷惑じゃないよ! な、泣かないで、柚純? ね?」
「でも……」
私は不謹慎にも、泣いている柚純を見て――可愛いと思ってしまった。
しかも、その泣いている理由が、私だ。
私のことを好きだと言って……迷惑をかけてごめんと泣いている。
私は――私は、もう柚純への愛しさを我慢することができなかった。
柚純の隣へと移動すると、頭を抱きかかえ、優しく撫でる。
「ごめっ……なさ、かなえちゃっ……! 私、好きってだけで……ぐずっ、友達で、ぅぅっ……」
柚純の言っていることは繋がってなかったのでよくわからなかったけど、今、私がするべきことはわかっていた。
「あのね、柚純。私も言わなくちゃいけないことがあるんだ」
「……?」
私の言葉に、柚純が涙を拭きながら、ゆっくりと顔を上げる。
いつもの、友達としての距離よりずっと近い距離。
柚純の細い眉毛も、ちょっと大きめの優しい目も、細かいまつげも、すっと通った鼻も。
大好きな柚純が、いつもよりすごく近くでよく見える。
「いい? 嘘じゃないからね?」
「……うん」
頷いた声がいつもよりちょっと子供っぽくて、それだけでも私の好きって気持ちが溢れ出そうになる。
「こう言う順番になっちゃって、ちょっとずるいかもしれないけど」
柚純が勇気を出して気持ちを伝えてくれたから、私にその機会が回ってきただけ。
私が気持ちを伝えられるのは、柚純のおかげなだけで、私に勇気があるわけじゃないけど。
それでも、伝えなくてはならない。
真剣に伝えてくれた柚純に対して、真剣に。
「私も柚純のこと、好きだよ。すごく、すごく……ずっと前から、好きだったよ」
「え……?」
柚純はきょとんとして、私を見つめる。
「大好きだった。けど、伝えられなかった。柚純には彼氏がいたし、友達でいたかったし……女の子同士って言うのもあったし」
「……女の子同士、なんだよね」
「うん……」
「私……すごく迷った。香苗ちゃんに迷惑かけちゃうって……。でも、香苗ちゃんの優しいとこ、甘えようとしてた。好きなまま、友達続けたいって……」
「柚純……」
柚純は本当に私のことを信頼してくれて……頼っていてくれて……そして、好きになってくれたんだ。
迷惑とか、そんなことこれっぽっちも考えられない。
ただひたすら、嬉しい。
「あのね、柚純。友達として続けていくのは……無理だよ。私にはできないよ、そんなの」
「……そうだよね、やっぱ女の子――」
「違うの!」
ネガティブに引き継ごうとした柚純の言葉をさえぎる。
「あのね、だって……大好きな柚純に好きだなんて言われたら、それ以上を求めちゃうよ。いつも考えてたんだよ? もっともっと一緒にいたいし、手を繋いで歩いたりしたいし、キスしたいって。そんなの、我慢できないよ」
「か、香苗ちゃん……ほんと、に? え? 好きって、友達として、じゃなくて……?」
「柚純は嫌? やっぱり女の子同士じゃおかしいって思う?」
「……ううん。そんなことない。だって私、さっき言ったよ」
「え?」
「……私がえっちしたいの、香苗ちゃんと、なんだよ」
「柚純……!」
自然と――ごく自然に。
私たちは恋人達がするように、キスを交わす。
産まれて初めての、好きな人とのキスだった。
柔らかい唇を感じると、胸の奥がきゅ~ってなって、頭が痺れるくらいに嬉しくなる。
「んっ……」
甘い声を漏らし、柚純が唇を離す。
でもそんなに顔を離したわけじゃなくて……おでことおでこがぶつかりそうな、そんな距離。
見詰め合う私たちは、なにかを言いかけて……でも、なにも言えなくて。
目を閉じた柚純に、私はもう一度キスをする。
もっと深くできるように顔を傾けて、唇を深く、深く。
ちょっと開いた柚純の口に合わせるように私も少し口を開けると、柚純の舌が私の舌を求めてきた。
「んんー……ちゅっ、んっ……んは……」
突付かれてびっくりしたけど、すぐに私も柚純を求める。
私と柚純の舌はくるくると絡み合う。
唇を重ね合わせて柔らかさを感じたり、その柔らかさを口に含んで吸ったり。
小さな柚純の歯はキレイに並んでいて、そんなキレイな柚純の口の中に私が侵入してるって言うことが、恐ろしいほどに私を興奮させる。
「ちゅっ……んん……」
一度口を離すと、まだお互いを求めてつんと出ていた舌と舌に、唾液が絡んでいた。
「え、えへ……糸、引いてる……」
そう言った柚純の口の周りは、私の唾液でてらてらと光っていた。
「キス、したことなかったのに……激しいよ、柚純……」
「そうなの? 私、香苗ちゃんの初めてもらっちゃった」
「ちょ、ちょっとね、そう言うこと……」
でも、初めてのキスが、本当に好きな人とって……。
「幸せ……かも」
「……香苗ちゃん、可愛いなぁ」
「え? いや、ちょ、なにいきなり」
「キス、どんな味だった?」
「……甘い、コーヒーの味」
レモンとかイチゴとかそんな果物の味ではなく。
直前に私と柚純が飲んだ、コーヒーの味。
「そう言えば柚純、どうしてコーヒー、ブラックじゃなかったの?」
「ん? ほら、キスをする前って、お互いに同じ物を飲んだり食べたりした方がいいって聞いてたから」
「えっ?」
――ってことは、コーヒーを準備する時すでに柚純は、私とキスすることを考えていたってこと!?
ちょ、ちょっとまって柚純、それは積極的と言うかなんと言うか、あ、いや、その、嬉しいことだけどさ!
「あはは、香苗ちゃん、可愛い」
「え? え? ――もしかして、からかわれた?」
「キスが理由じゃないよ。だってあの時は、ずっと友達でいられたらなって思ってただけだもん」
からかわれたことにはちょっとむっとしたけど、柚純の気持ちが嬉しすぎてなにも文句が言えなかった。
「……じゃあ、本当は?」
「香苗ちゃんの真似しただけだよ。好きな人の真似」
「……」
瞬間的に、自分の顔が熱くなるのを感じる。
柚純って本当に私のこと、好きなんだなって……ちょっとしたことで伝えてくれるのが嬉しくて……恥ずかしくて。
「柚純~! 大好き~!」
もう隠さなくていい『好き』って気持ちに正直になって、私は柚純を抱きしめた。
「か、香苗ちゃん?」
さらさらとした髪がほっぺに当たったり、柚純の息が首筋に当たるのが、少しくすぐったい。
だけど大好きだから、ずっと抱きしめていたい。
柚純は最初はびっくりしてたみたいだけど――。
「……大好きだよ、香苗ちゃん」
私の背中に手を回し、抱きしめてくれる。
甘くて――ちょっとすっぱい、果物みたいな女の子の匂い。
柚純の匂いが私をいっぱいにして、柚純の体を全身に感じる。
「……っ! 柚純っ……好きなの……!」
「うん……私も、好きだよ」
気付けば、私は、泣いていた。
苦しくて、切なくて、ずっと言いたくて……でも言葉にしてはいけない自分の気持ち。
それを伝えることができて、嬉しくて……。
「香苗ちゃんは、ずっと私のこと、考えてくれたんだよね。女の子同士だからって」
「うん……」
「……ごめんね、私は……私も我慢しなくちゃいけなかったのに、自分の気持ち、伝えちゃって」
「柚純はいいんだよ……! だって柚純のおかげで、私、気持ち言えたんだもん」
「うん……ごめ――ありがとう、香苗ちゃん」
柚純に体を押されて、距離が離れる。
0から1の距離。
そして距離が離れることで――。
「ちゅっ」
また、0の距離へとなることができる。
「……」
「……シャワー、浴びよっか」
大好きな柚純が、私を求めてくれている。
「うん」
私はその想いに応える。
いや……柚純の想いに応えられるのは、私だけなんだ。
「一緒に、浴びよ」
恥ずかしいけど……それでも、私は柚純を誘った。
「うん」
柚純はいつものように、はにかんでくれた。
優しくて、ほわほわっとする、柚純の笑顔。
それを見るだけで幸せになってしまう私。
柚純のことを好きになって、本当によかった。
そう思わせてくれる可愛い笑顔。
「香苗ちゃんの笑顔、私、好きだよ」
「え?」
「今の、その、桜みたいな笑顔」
「さ、桜って……そんな、大層な物じゃ」
それに、私は今、笑っていたのだろうか。
柚純の笑顔を見てただけなんだけど……笑っちゃってたのかな?
「香苗ちゃんの笑顔見てると、私も笑っちゃうんだ。なんか、ほわーってしちゃって」
「そ、そうなんだ」
……私の方が先に笑っていたみたいだ。
私たちはお互いに顔を見合わせて、もう一度笑った。