1話
誰かを好きになるって、素敵なことだと思う。
その人のことを想うと胸がきゅ~ってして、ほかほか~って暖かくなって。
一緒に歩くだけで……話をするだけで、心の底から笑顔になれる。
幸せってこう言うことなんだなって、実感できる。
私は今、幸せなんだって。
だけど……気付けば、それ以上を求めるようになってしまう。
一緒に歩いてるだけじゃ嫌。
話をするだけじゃ嫌。
ただの友達じゃ嫌。
素敵だったはずの『好き』って気持ちは、私の胸を苦しませるようになる。
もっと近づいて、いっぱい、色んなことしたい。
ずっとずっと一緒にいて、いっぱいの時間を過ごしたい。
でもそれは――叶わない思い。
伝えてはならない気持ち。
胸が苦しい……痛い……痛いよ……。
「春海さん? 春海さんってば」
「えっ?」
一瞬、今の状況がわからなくなっていた。
「あれ? えっと……」
私の目の前には、いかついヒゲの似合う、ダンディなおじさま。
「これ、3番さんね」
「え?」
わけもわからず渡されたトレイの上には、カプチーノとシフォンケーキが並んでいた。
「……ああ!」
ようやく状況を理解する。
どうやらバイト中によそ見――と言うか、仕事以外のことに集中してしまっていたようだ。
「ああ! じゃなくてね……大丈夫? なんかボーっとしてたみたいだけど」
「すみません、大丈夫です。3番さんですね?」
「うん」
「了解でーす」
とりあえず接客スマイルをおじさまにも振りまいておき、客席へと向かう。
言われた席には、男性のお客さんが一人。
「お待たせしました。カプチーノと、シフォンケーキでございます」
こちらを見て、嬉しそうなお客さん。
注文の品が届いたからか、はたまた別の理由か。
「ご注文の品はおそろいでしょうか?」
「あ、は、はい」
どちらにせよ、笑顔になってくれるお客さんには、こちらが送る笑顔も自然な物になる。
「それではごゆっくりとおくつろぎください」
うやうやしく礼をしたあと。
「ご主人様」
今できうる最上級の笑顔を残し、席を離れる。
アニメソングの流れる店内に、訪れる客層は男性がメイン。
店内を動き回ってるのは、メイドの服装をした女の子たち。
そう――ここは、メイド喫茶だった。
カウンターの奥に引っ込んで料理を作ってる店長以外は、みーんな女の子。
お客さんの要望があれば私たちが料理をすることもあるけど……うん、店長に任せといた方が確実なのは言うまでもない。
ま、ここに来るお客さんは男の店長が料理を作ってるってことをわかってる上で来てくれてるし、苦情とかは全然ないんだけどね。
「てんちょー、5番さん、オムライスです」
カウンターに戻り、途中で受けた注文を店長に伝える。
「春海さん、店長じゃなくてマスターね」
「……はい、マスター」
別に店長でも良いじゃんって思いながら、次の仕事を探す。
――けど、今はそんなに混んでないので、取り立ててやることはない。
「うーん……」
とりあえず、どんな状況にも機敏に対応できるように、店内全体を見渡す。
「お?」
少し遠くのお客さんが手をあげたように見えたけど――汗を拭っただけだった。
「フェイントかよ」
小声でこっそり。
「ナイスフェイントだね」
「うん、思わず引っかか――」
独り言に同意をされたのも驚いたけど。
「ゆ、柚純……?」
「ん? どしたの、香苗ちゃん」
私の隣に来ていたのは、同じくアルバイトで働いている、真白 柚純だった。
さらっとしたポニーテールがなびき、柚純の香りがする。
「あ、い、いやあ、なんでも。あはは……」
「?」
自分でも怪しいごまかしっぷりだなと思いつつも、とりあえず笑っておく。
わからない、と言った風に首を傾げた柚純に、思わずはっとしてしまう。
細い眉毛に、ちょっと大きめの、優しい目。
鼻はすっと通っていて、小さな唇はリップでほのかに色がついていた。
キレイな白い肌に、色とかはつけてないけどちゃんと手入れしてるんだろうなって感じの、つやつやした黒髪。
ここのメイド服を完璧に着こなしているのは、柚純以外にいないだろう。
いや……柚純なら文句なしで、メイド服ナンバーワンに輝ける!
――そんなのを決める大会があるのかは知らないけどね。
「香苗ちゃんって、今日、あがるの一緒だよね?」
「え? あ、うん、だったと思うけど」
今日のシフトのことだったら、一緒の時間にあがれるとチェックしていたので、間違いない。
「あのね、ちょっとお願いがあるんだけど――終わったあと、時間くれる?」
「別に……良いけど?」
両手を合わせてのお願いに、断る理由なんてなにもなかった。
「お願いってなに?」
「……相談したいことがあるんだ。そんなに時間はかからないと思うけど」
「そうなの? うん、いいよ」
「よかった。ありがと、香苗ちゃん」
「う、うん」
お客さんへのスマイルに負けない笑顔をくれる柚純に、ちょっと――いや、かなり照れてしまう。
「あっと、オーダーかな」
柚純はそう言うと、少し遠くのテーブルへと向かっていった。
その動きを目で追う。
歩き方、注文のとり方、話してる時の笑顔――どれもこれも可愛い。
「……」
気付けば私は口を半開きにして、ぼーっと柚純を見つめてしまっていた。
「春海さん、春海さん」
「ひゃいいっ!」
てんちょ――マスターに声をかけられて、慌てて意識を戻す。
「なな、なんですか?」
「……なんでそんなに驚いてるの?」
「あ、いえ、なんでもないですよ、なんでも」
いけないいけない、これでさっき失敗したのに、またボケーっとしてしまっていた。
「ふーむ? とりあえずこれ、8番さんね。5番さんのも、もうすぐできるから」
「りょ、了解です!」
渡された品を運んでるときに、柚純とすれ違う。
――そんな、すれ違うちょっとした動作ですら、私の心を掴んで離さない。
はぁ……。
溜め息は、思わず息を止めてしまうくらい、ドキドキしていたから。
っと、さすがにもうボーっとするわけにはいかない。
気合いを入れて、仕事に励む。
「お先でーす」
「お疲れ様でした」
「はーい、お疲れ」
マスターに挨拶をして、私たちはアルバイトの時間を終えた。
裏口から出ると、表通りとは一変して、暗い世界が広がる。
「寒いぃ」
手をすり合わせても、何の足しにもならない。
「風が冷たいね」
柚純の吐く息は白く、空へと昇っていく。
私はポケットに手を突っ込み、柚純と並んで歩く。
「……それで、相談って?」
帰り道がしばらく一緒なので、早速聞こうとするけど。
「うん……あの、私の家でもいい? お茶くらい出すよ」
「え? い、いいけど……」
柚純の家は、私の家とバイト先のメイド喫茶の、真ん中ら辺にある。
通り道になるので、寄る分にはまったく構わない。
「どうせ明日はなにも予定ないし、多少遅くなっても問題ないよ」
「ありがと。って言っても、そこまで遅くはならないと思うけど」
花の週末だけど、彼氏はおろか遊ぶ予定すら入っていない私だった。
「……柚純んち行くのも久しぶりだね」
「そうだっけ?」
「うん。一ヶ月ぶりくらい?」
「それって久しぶりなのかな……」
「久しぶりだよぉー」
私にとっては久しぶりだけど、柚純にとっては違うのかな。
柚純にも私と同じ気持ちになって欲しいって思っちゃったりするのは、私の勝手――なんだよね。
「確かに久しぶりじゃないかも」
そう思ってさっきの自分の言葉を取り消そうとするけど。
「でも、香苗ちゃんが来てくれなくて寂しかったんだよ。最近忙しそうにしてたから、誘うのも悪いかなって」
「え、そ、そうなんだ?」
ちょっと前に、意識して柚純を避けようとしたことがあった。
――けど、出来なかった。
柚純を避けるという行為は、私にとってすごく苦しいことだった。
それは自分の気持ちを押さえつけるよりも、ずっと苦しくて……。
「ごめん、ちょっと家の方でバタバタしててさ。もう大丈夫だから」
「そうだったんだ?」
「うん。だから、また遠慮なく呼んでよ」
「わかった、呼んじゃう」
はにかむ柚純に、頬が熱くなる。
やっぱり柚純を避けて苦しい思いをするよりも、柚純の笑顔を近くで見ていたい。
私自身がなにも言わなければ、柚純に迷惑になることもない……はずだし。
「そう言えば香苗ちゃん、そろそろ誕生日だよね。なにか欲しい物ある?」
「え!? ああ、えーっと……」
覚えててくれたんだって言う驚きと喜び――そして、頭の中にぽっと浮かんだ言葉が、私を戸惑わせる。
柚純が欲しい……とか思っちゃったりして。
ああ、こんな可愛い柚純を一日好きに出来るとしたら、それは――なんて幸せなことなんだろう。
思わず鼻を押さえるけど、大丈夫、鼻血は出ていなかった。
「? なになに、なにかあるの?」
答えに詰まった私に興味を示したのか、柚純が身を寄せて聞いてくる。
「え、あ、その……と、特には、ないかな?」
できるだけ柚純の方を見ないように答えたのは、頬が上がってしまうのを我慢するため。
柚純、近いって! ちょっと離れてくれないと、嬉しすぎて困る!
「そうなんだ? また考えておくけど、なにかあったら言ってね」
「う、うん」
柚純が私の誕生日にって言ってくれるのはすごく嬉しいけど、私の願望はヨコシマ。
そんな自分が嫌で、ちょっと後ろめたい気持ちになった。