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第10話 その指先に触れるまで時間のかかったじれったい恋物語(下)

 帝国兵は彼が私の味方だと気付くと、こぞって殺到しました。


 私の前で彼の首を落とし、見世物にする予定だったのでしょう。


 しかし彼は軽く息を吸い、ふーっ、と呼吸をついた直後、電光石火の如き速さで戦場を駆け抜けていきます。


 その後は、まさに彼の独壇場でした。


 彼の剣は一振りで大地を削り、ひとたび足を蹴り上げれば幾百の兵士が、宙を舞いました。銃撃が仮に命中しても、彼には傷ひとつつきません。


 最大の違いは、彼は人間に致命傷を与えることができました。


 彼は私に唾を吐き捨てた男を睨みつけ、容赦なく身体を袈裟斬りにしました。


 泡を喰ったのは帝国軍です。彼等の人海戦術は、私の魔法に殺傷力がないことを前提の上に成り立っていました。牙のない虎を追い詰めたと思っていたら、突如として怪獣が現われた訳ですから、帝国兵が恐れおののくのも無理はありません。


 逃げ惑う敵兵に対し、彼は私を苛めたものだけは的確に斬り飛ばし、他は蛛の子を散らすように追い返していきます。


 そして指揮に当たっていた帝国の将軍を、彼はひょいと捕まえて告げました。


「次に彼女に手を出したら、必ずその首を頂きます。……二度目の忠告は、ありません」


 敵将軍はぶるぶると震えながら頷き、彼が手を離すと兎のように逃げていきました。帝国兵は逃亡し、それから二度と、白の国の台地を踏むことはありませんでした。




 なんとか身体を起こし、私の絞り出した声は「どうして」と。


「柏原さん。事故にでも、あったのですか?」


 彼もまた、私のように非業の死を迎えたのか。


 そう尋ねると、彼はくすっと笑います。


 私の知る、懐かしい高校時代の優しい笑い方でした。


「城木さん。今のあなたは数百年も生きるようなので、時間の感覚が違うのかもしれませんが……あなたが亡くなってから、もう、八十年が経ちました」


「……そんなに……?」


「はい。という訳で、俺は寿命を迎えたんです」


 寿命。それは確かに、一切の非がない死因でした。


 彼はニコニコと微笑み、いや本当に困りました、と。


「長くかかったうえに、大変でした。一切の非があってはいけないと聞きましたから、健康に気を遣いましたし、事故にも気をつけました。おかげで病院のみんなには、あいつは健康マシーンだ、なんて言われたりして」


 それから彼は、人生の軌跡をゆっくりと語りました。


 彼は無事に医者として仕事につき、その身で多くの患者を救い続けました。それだけに留まらず、彼は医学研究にも精を尽くしたと聞きました。


 現代日本ではその後少子高齢化が進行し、七十代の老人でも介護用パワードスーツを応用した職場用スーツで働く時代を迎えているそうです。そのような世代変化が進む中、彼は救急医に身を置くことで多くの人命を救助し続けました。


 彼が助けた者の中には、後の有名な科学者や、未来の医者が含まれていたと聞きます。彼はやがて功績を認められ、救急医としては極めて珍しい、医学なんとか賞を頂くほどに有数の医師となったのです。


 彼の話を聞いた時、私は、一つの答えに辿り着くことができました。


「そういうこと、だったのですね」


「え。何がですか?」


「……いえ。私の、力の根源です」


 たんなる小娘であった私が、他の転生者や万の兵士を相手取り、規格外の強さを持つに至った理由。私一人の力で、帝国という巨大な国に、八十年近くも持ちこたえられた真相。


 かつて姫様は、魔法の力は良き行いをすると、魂の繋がりが強くなる、と語ったことがあります。


 それは私が、彼を救ったからではなく。


 のちに多くの命を助ける彼を救ったからこそ、得られた力だったのです。


 私の結界は、私自身ではなく、彼の英雄性からこぼれ落ちた欠片だった。そう気付けば、結界の意味も理解できます。


 私の結界は、私自身が誰かを守りたいと願う力であったと同時に、最後の紙一重まで私を守り続けるものだった。


 私は、この世界に来てからずっと彼に守られていた――そう。


 守護霊が、ついていたのです。


 その事実に気付いた途端、気付けば、涙が溢れはじめていました。


「え、あ、あのっ。城木さん?」


「ごめんなさい。……ただ、嬉しくて。私はずっと、あなたに守られていたのですね」


 ぽろぽろと泣き出す私に彼は困惑し、戸惑っていました。九十を超えた人生を送れば、酸いも甘いも嫌というほど経験した筈なのに、彼は未だ女性には慣れてないとばかりに慌てふためいているのです。


 その姿がおかしくて、私は泣きながら笑いました。


 そうしてひとしきり涙を流した後、ふと、思います。


 彼は未だ、泣きじゃくる私に支えの一つも出しません。


 ……久しぶりの再会で困惑しているとはいえ、少々冷たくないでしょうか?


「柏原さん」


「は、はいっ」


「女性が泣いているのに、手の一つも貸さないのは失格だと思いませんか」


 意地悪に告げると、彼は困ったように頭を搔いて、しかし、と。


「その。まだ、許可を貰ってないものですから」


「……許可?」


「ですから、えっと」


 彼は困ったような、恥ずかしいような照れ顔で、後ろ髪を掻いて。


「その指先に触れても良いという、あなたの許可です」


 そのとき、私のなかで懐かしい気持ちが芽吹くように吹き抜けました。


 夕暮れ時の美術室。白いカンバスと絵の具の香りと共に、彼とはじめて結んだ約束のこと。


 ――沢山の人を救い、数多の帝国兵を追い払ったにもかかわらず。


 彼は私に対して、まだ、その指一つ触れることすら躊躇っていたのです。


 空を見上げると、戦を繰り広げた平原には、うっすらと赤い夕日が沈みつつありました。赤焼けた平地のなか、彼の顔を見上げて私は思い返します。


 これは、あのときの続きなのだと。


 終業式を迎え、子供が母親に手を引かれて帰宅する学校帰り、その続きなのだと。


 私はあのときと同じように髪を弄り、すこし目をそらして。


 前からずっと決めていた覚悟の通り「はい」と言葉なく頷きました。


「その指先を、どうぞ。柏原さん」


「……ありがとう、ございます」


 私の声かけに、彼は恐る恐るといった様子で手を伸ばしました。


 ……どこに触れられるのだろう。ぼろぼろの自分の身を恥ずかしく思いつつ、瞳をきゅっと閉じた私は、まず頬に触れられる予感を抱きました。


 しかし彼は私の肩にそっと触れ、黒の衣服についた埃を払い落とし始めます。もどかしい程にじれったく。私がそこに居るという事実を確かめるかのように、優しく。


 昔は、大切な手順だと思いました。


 私は臆病で、彼に触れることを許しませんでした。


 でも、さすがに待たせすぎです。


「柏原さん。ひとつ、お願いがあります」


「え、な、何でしょう。俺はまたなにか失礼を……?」


「いえ。もう少し、激しくできませんか」


「え!?」


「お願いします。いくら私にでも、さすがに焦らしすぎです」


 私はとても長く待ちました。


 彼も、もちろん。


 長く時を隔てた再会の喜びを、いまは胸いっぱいに感じたい。


 ひとつ風が吹き、彼の前髪がゆるやかに揺れました。


「――はい。本当に、お待たせしました」


 彼は微笑み、やがて大きな両腕で私を抱き留めてくれました。彼の全身の熱が私を包み、胸の奥に炎が灯るようでした。


 ぼんやりと顔をあげれば、おのずと柔らかく微笑む彼と、視線が絡みます。


 焼けるような夕日の中、私はそっと背伸びをして、彼の唇を塞ぎます。


 彼はとても驚いたようで、その頬が真っ赤に染まってしまったことが私はとても満足でした。


 くすくす微笑んで、意地悪く続けます。


「柏原さん。ご存知の通り、この世界への転生者は、とても長く生きることができるそうです」


「え、ええ。それは聞いていましたけど」


「八十年も待たせたのです。残り数百年、しっかりと私を幸せにしてください。……いえ、幸せになりましょう。そして、とても遅くなりましたが――私も、あなたのことが大好きです。不束者ですが、今後とも末永く宜しくお願いします」


 私の告白に、彼はすこしだけ呆然として。


 ただひとつ「その言葉が聞きたかった」と口にしたのち、もう一度だけ私の額に、ゆるやかに唇を降ろしたのでした。




 元は人の身でありながら、このような幸福は身に余る贅沢かもしれません。


 ですが神様も、許してくれることでしょう。


 なにせ彼の指先に触れるまで、八十年もかかったのですから。

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