#90 薬師見習い
「失礼する。ルーナ女史」
店舗の入り口から男性が入室してくる。
ほぼ同時、ちょうど店舗エリアに来ていたルカとばったり出くわす。
「あっ」
「む?」
目と目が合って、そして。お互いに、どこかで会ったことがあるような、そんな奇妙な感覚に襲われる。
「おい、ルカ。どうし――」
「え、エアハルト!?」
「……げっ」
今度はエアハルトと男性が顔を合わせる。こちらはルカのときとは違って、お互いにハッキリとした面識があった。
そして、ルカについても、メンバーの組み合わせから、お互いに誰だったかを思い出す。
そうだ、以前に出会った、警備隊の男だ。
「クケケケケッ、久しぶり、だあねェ」
楽しそうに笑いながらやって来たルーナと、その後ろについてきたミリア。
張り詰めた空気感を感じ取ったミリアは、少し不安そうに状況を見ている。
「ルーナ、これは、どっちだ?」
臨戦態勢をとりつつも、少し冷静になりながらエアハルトは彼女にそう尋ねる。
ルーナは相変わらずの渇いた笑い声を出しながら、大丈夫、安全だ、と。
「そいつは今日は私を訪ねて来たのさ。なァ?」
「ああ、そうだ。……まあ、厳密には後ろのこいつが、なんだが」
そう言いながら男がスッと横にズレると、その背中からは縮こまった女性が現れる。
彼女は「ぴゃあっ!」と、甲高い声を上げると再び男の背中に隠れようとする。
「ま、マルクス隊長! ど、どうして避けるんですか!」
「お前が志望してのことだろう。私はあくまで付き添いで来ているだけだ」
「それに、あそこにエアハルトが、魔法使いがいますよ!?」
「私もまさかいるとは思っていなかったが。……だが、今回は見なかったことにする。向こうも、争う気はない」
男性のその言葉に、エアハルトも警戒を解く。
「まあ、とりあえずあがりな。お互い、積もる話もあるだろうさね」
クケケケケッ、と。ただにひとりだけこの状況を楽しんでいるルーナが先導する形で店の奥へと引っ込んでいった。
元々そんなに大きくないテーブルに、ルーナの散らかしている紙類などが積み上がっていることもあり、6人で座るには流石に無理があったため、ルカとミリアは部屋の端っこに座っておくことにして、残りの4人がテーブルを囲むことになった。
「……その、久しぶりだな。エアハルト」
「お前とこうして落ち着いた場でその言葉を言う日が来るとは思わなかったよ」
たいていの場合、彼と面と向かって顔を合わせるときといえば捕物帳である。久しぶりという挨拶が成立するとしても、こうしてお互いに敵意無く話すことはまずない。
「というか、お前、マルクスって言うんだな」
「……そうか。名乗ったこともなかったな」
追う側だったマルクスはともかくとして、追われる側だったエアハルトにとっては相手の名前など重要ではなく。たしかに、気にしたことも聞いたこともなかったことを自覚する。
「ちなみに、魔薬の現状についてはどうなってる?」
ふと、エアハルトが気になったことを訪ねてみる。
というのも、バートレーとグウェルについての後始末を任せたのは彼らだった。エアハルトは立場などの都合もあってずっと滞在するわけにもいかなったために、どうなったかの顛末を知らない。
「ひとまず、ファフマールでの魔薬被害の件数は減ったと聞いている。併せて、周辺地区での流通量も減っているとのことだ」
「……その言い方だと、ゼロにはなってないってことだよな」
「まあ、あのふたりだけが生産していた、というわけではないだろうからな」
当然といえば当然だ。だがしかし、市場規模は大きく縮小したのも事実。
なにせ、隠れ蓑だったファフマールの行政が摘発されてしまったのだ。これでは、大規模に行うこともできず、更には他の行政についても同じく警戒が強まることだろう。
「まあ、それについても私も同意見さね」
ルーナも、同じく首を縦に振っていた。
「……だ、そうだ」
「ふぇっ!?」
急に話を振られたルカが驚いたような声を出す。
実は、このことについて一番気にしていたのは彼女だった。
市場で出会った子供たちや、廃してしまった人たちのことを思って考え込んでしまうことがしばしばあったり。
はたして、あれで本当によかったのだろうか、なんて。責任を考えたりすることもあった。
「お前の決断は、間違いなく人を救ったってことだ」
「……うん」
ルカは少し満足げに、そう答える。
うんうんとその様子を温かい視線で見守っていたルーナは、パンと手をひとつ打ち鳴らしてから、それじゃあ話を変えようか、と。
「エアハルトの要件がすんだのだから、今度はマルクスの方の要件さあね」
「……ああ。ただ、ルーナ女史には事前にも伝えていたとおりだが」
「ったく、その呼び方はやめてくれと言ったはずだが?」
「テトラ。ここから先はお前が自分で説明しろ」
ルーナの言葉を無視して、マルクスは女性――テトラにそう声をかける。
テトラと呼ばれた彼女はぴょんと飛び跳ねたのではないかというくらいの勢いで背筋を伸ばすと、あわあわとした様子で話し始める。
「あっ、あの! ルーナさん!」
「はあい、ルーナさんだァよ」
「その、私を弟子にしてください!」
「うん、嫌だァね。面倒くさい」
ハッキリと、あっさりと、きっぱりと。そう断られてしまった。
少しの静寂が流れてから。「うわああああん、隊長、だめでしたああああっ!」と、テトラの悲しみの声が叫びだされる。
「ルーナ女史、そこをなんとか頼めないだろうか」
「そうさねェ。お国の方からの命令ってェなら流石に断りはしないだろうけど、報酬はそれなりにふんだくるし、それに……お国のお偉いさんどもは私のことを認めないだろうさあね」
「……それは、そうだろうが」
マルクスも、困ったような表情をする。
そんなやり取りを隣で見ていたエアハルトが、
「つまり、なんだ? そこのテトラって子がルーナに弟子入りしたくて、マルクスはその付き添い。で、ルーナは面倒くさいから受け入れたくない、と」
「そういうことさね」
「彼女も警備隊の人間なのだけれども、どちらかというとバックアップや治療などを中心に行っている人員でね。……それで、私が懇意にしている薬師がいるという話をしたら、ぜひとも弟子入りしたいと」
「だって、だって! ルーナさんの経歴ってすごいじゃないですか! 元宮て――」
「今は、犯罪者さね」
テトラが言葉を続けようとしたところを、ルーナがかなり強引に切る。
「うう、それは否定できないんですけど。でも、ルーナさんの薬、本当にすごいんですよ?」
「そこを褒められるのはありがたいけんど、それとこれとは話が別さね」
うう、と。テトラは俯きながらそう唸る。
マルクスもどうにか手助けをしてやりたいが、やり方をどうにも思いついていない様子。
仕方ないか、と。エアハルトがひとつため息をついて。
「……面倒くさいから、が理由なんだよな?」
「んあ? ああ、そうさね」
「つまり、その面倒くささを超えるメリットがあれば、いいんだよな?」
「……まァ、そうなるさね」
エアハルトの言葉に、ニィッと笑ったルーナは。そうさねぇ、と、楽しそうになにかを思案し始めた。
「あとはそっちで頑張れ。……話し合いの場だけは用意しておいた。ここからは、あいつの無茶振りに答えられるかどうか、だ」
「無茶振りとは、酷いこと言うさね。それに、ここまで煽っておいてエアハルトがなーんにもってのもなんか違うと思うのさね」
そう言うと、ルーナは決めた、と。
「薬用の魔物素材。……そうさね、ちょうど、海方面の素材は最近手に入ってないからね。それを、質のいい状態で持ってきたら、考えてやるさァね」




