#9 少女は街に繰り出す
「手、繋ごっか。割と人も多いし、はぐれるとマズいから」
ミリアが左手を差し出す。ルカは少しためらいながら、そっとその手をとった。
「それじゃあ、まずは靴を買いに行こうか。アイツにも言われてたし、その靴だと結構歩きにくそうだしね」
カポッ、カポッ。ルカの足の動きと靴の動きには若干のラグがあった。靴のほうが足よりもずいぶんと大きいようで、何度も何度も脱げかけていた。
「あ、えっと、わざわざ私なんかのためにごめんな――」
「ルカちゃん」
ビクッ、思わずルカは固まってしまった。
ミリアは怖い顔で言葉を遮り、しかしすぐに元の顔に戻って言った。
「こういうときは、ごめんなさいよりもふさわしい言葉があるんじゃないかしら?」
「えと、その……あ、りがとうございます……?」
「よろしいっ! それじゃあ改めて、出発としますか」
満足げに笑ったその顔は、とても優しい笑顔だった。
ミリアがぐいっとルカの手を引くと、すぐにルカはミリアのペースに飲み込まれ、一歩飛ばしだったりつんのめりかけたりと、少し危なげな足取りで歩みを進めた。
カランカラン。ドアにつけられたベルが軽い音を立てる。
「やってるー?」
「やってるやってる。というか、ドアが開いてた時点でやってるだろうが」
ミリアの質問に、男の声が反応していた。
「それもそうか」
ケラケラケラとミリアと男が笑っていた。男は机に突っ伏していた体を少し起こして、ミリアとルカの方を見た。
「なんだ、ミリアちゃん。今日はちっさい連れがいるみたいだな」
「そうなの。知り合いの子なんだけど、遊びに来たはいいけど靴が壊れちゃったのよね。だから新しく買いに来たのよ」
へえ、そうなのか。まあゆっくり見ていってくれ。男はそう言うと、また元の通りに突っ伏した。
「あ、ルカちゃん。安心してね?」
男に背を向け、耳打ちするくらいの小さな声でミリアはそう言った。しかし、脈絡なく聞かされた言葉に、ルカはひたすら疑問符を浮かべた。
「あの人ね、一応ここの店主で、ここの靴はあの人が作ってるんだけどね。こう、普段はぼっさりとした人だけど、作る靴は割としっかりしてるから」
「聞こえてるぞー。あと、割とってのは余計だぞー」
ツーと冷や汗の感覚が皮膚を伝い、ミリアは後ろを向いた。
「地獄耳も……ご健在なことで」
そう言ってミリアは苦く笑った。
「あ、ルカちゃんは選んできていいよ。お金のことは気にしないでいいから、好きなの探してきてね」
ルカは少し考えてからコクリと頷く。そうしてトテテと店の奥へと小走りで向かった。ブカブカの靴で走ったからか、途中で一度躓いて転びかけていた。
「そういえば、どうなんだい? もうすぐなんだろ」
「もちろん、今度こそは受かってみせるわ……!」
「そりゃ、結構なこったな。まあ、あんまり息巻いて根を詰めすぎないようにない」
わかってるわよ。ぼやくような声に店主が笑っていると、ルカが奥から歩いてきた。その腕には黒色の靴が抱えられていた。
「思ったより決めるの早かったね。それにするの?」
ルカは首を縦に振った。肯定だ。
「試着してみた?」
「し……ちゃく?」
重ねでミリアが尋ねると、わかりやすく首を傾げた。
「なんだ、嬢ちゃん試着したことねえのかい?」
ポカンと口を開けて二人の顔を交互に見ていた。そのルカの様子から、一体何のことなのか理解していないことが見て取れる。
「持ってきた靴、貸してみ? それからそこのイスに座って、履いてきた靴を脱いでみな」
言われたとおりにルカはイスに座ってみる。その拍子に左足の靴がコトリと落ちた。
「こりゃ、でっかい靴を履いてたんだな。歩きにくかったろう。……ま、とりあえずもう一方の靴も脱がすぞ」
残った方の靴に手をかけて足から外す。そうして今度はルカが持ってきた靴を履かせると、大きい。
「試着ってのは、こうやって買う前に一度試して、大きさとかが体に合うかを試すんだ」
靴の上から押してみたりすると、中にまあまあな空洞があることが伺える。
「っと、これはちょっとデカイな。子供の靴は少し大きめくらいがいいが、これはそれにしてもまだデカいから……ちょっと待ってな。たしかもう少し小さいのがあったはずだから」
男がよっと立ち上がり、取りに行こうとすると。
「なんだよ」
「いや? 別に」
やたらめったら冷たい視線を送り込んでくるミリアがいた。
「ただ、そういう趣味なのかなーって。そうなのかーって」
男は一瞬意味が分からなかったが、すぐに理解した。
「ちょっ、違うっ! 別にそういう目的があったわけじゃ!」
「どうだか? 私にさせればいいことをわざわざ自分でやるとか」
要は、ロリコンなのか否なのかという、そんなどうでもいい話であって。
もちろん、そんなことルカが知る由もなくて。
「奥さんに言いつけちゃおっかなー」
「やめろおおおおおお!」
ルカにとっては奇妙でしかないその光景を見ながら、脚をぶらぶらさせているのであった。
まさか、自身が話題であるだなんてことほ、もちろん知らずに。
「じゃ、ありがとね」
「くっそ、黙ってろよ……」
「わかってるわかってるー」
ぐぬぬ、と男は唸りながら、しかし机から離れようとしなかった。
カランカランと、ドアのベル。今のミリアの心情とよく似ていた。
「さーて、まだアイツは帰ってこないだろうし、次はどこに行こうか?」
「ねえ、ミリアさん」
クイクイと小さくミリアの袖を引いてそう言った。
「どうしてミリアさんは、エアのことを名前では呼ばないの? 家の中にいるときとかは呼んでたのに」
「えっ、えっと、それは」
ミリアは慌てて周りを見回した。どうやら、誰も気づいていないようだった。
「ルカちゃん、ちょっと後ででもいいかな? 具体的には、家に帰ってから」
「はい、わかりました」
「そ、それじゃあ気を取り直してどこか行こっかー! そーだ! 美味しいクレープが食べられる店が…………いや、クレープの前にご飯だな。いやいや、それもまだ時間早いし。てか、何焦ってんだ私」
ミリアはルカの手を握り直した。小さなその手を握りながら深呼吸。
少し、手が汗で濡れていないか気になったけど。
「……とりあえず、クレープにしてもご飯にしても、まだ早いから、とりあえずどこか行こっか」
「はい、わかりました」
(自分のものとは一回りも二回りも違う、一歳年下の手のひら。まだ完全には理解が追いついてなくて混乱してるけども)
しっかりと握りながら、はぐれないようにしっかりと。
(さて、どこに行こうかな。市場に行くのは私は好きだけど、ルカちゃんは楽しめるかわかんないし)
けれどミリアは、正直なところ趣味と言えるものは買い物と読書くらいで、それ以外の、例えば娯楽施設とかについてはさっぱりだった。
それに加えて最近は割と勉強詰めだったため、余計にこういうことには疎かった。
(うーん、考えが甘かったな……)
頭の中で少し反省しつつ、結局定まった目的地をルカに伝えた。
「じゃ、市場でも行ってみようか。たまに面白いものとかも売ってるし」