#85 暑さかあるいは居心地の悪さか
「……暑い」
ゼーレが、ボヤくようにそう言う。
「まあ、夏だからな」
至極当然だろう、と。そう言わんばかりにエアハルトはそう返した。
ゼーレがやってきてからしばらく。季節は移り変わり、夏真っ盛りになりつつあった。
おかげさまで、そのあおりは当然ながらにエアハルトたちの家にもやってきていて。むしろ、強いて言うならば森の中にあるだけ、この家は暑さという意味ではマシなのだが。
「たしかこの付近は領域制圧下なんだろ? なら、冷却魔法で涼しくできるんじゃないのか?」
「……まあ、できなくはないが」
実際、魔力効率などを無視すれば領域制圧を行っている範囲を冷却することはできなくはない。この魔法は、厳密には指定領域に対して魔法を付与する、というものなので、そこに魔法を追加するだけで可能ではある。
現に、家の中に関して言えば、冷却用の魔法を行使して過ごしやすい環境にしている。こちらは領域制圧を介していないとはいえ、行っている魔法の理屈的には同じである。
「じゃあ、過ごしやすい気温にしてくれていいんじゃない? エアハルトだって、暑いでしょ?」
「それはまあ、そうなんだが」
ぐでん、と。人型で地面に溶けるように寝そべるゼーレ。こちらの形態を維持するには若干の魔力を要するらしいのだが、発話が人語になるためエアハルトはともかくとしてルカとの意思疎通が楽になること、ついでに、この暑さでは狼の姿ではあまりにも暑すぎる、ということでこちらの形態をとっている。
まあ、本人曰く。契約の関係で魔力の猶予がかなりあるからこちらの形態で過ごし続けても問題ないので、冬場で寒くならない限りはこっちでいてくれる、とのことらしいが。
「エアハルトも暑いのに、どうしてそのまんまにしてるのさ。魔力効率云々の話もあるだろうけど、お前ならそのあたり問題はないだろう?」
領域制圧経由の魔法は、標識針を介して行われる都合、通常の魔法より魔力の変換効率は落ちる。
ついでに、この家を囲っている範囲は、広大というわけではないが決して狭くもない。領域制圧を行う範囲としてみるのならば、かなり広い方ではある。
そこ全体を冷却するとなると、必要な魔力量が多くなるのは当然……なのだが。
エアハルト、ゼーレ。その両者の見解が一致しているとおり。正直、そこについては微塵も問題にしていない。
そのくらいであれば、エアハルトは十二分に魔力を賄えるから、だ。
「……ったく、そんなに暑いなら家に入ってろ。中は涼しいだろ」
「わかってて言ってるだろ。……中は、地味に居心地が悪いんだよ」
ムスッと不機嫌な様子を見せながら、ゼーレはそう言った。
暑い暑いと文句を言いながらもゼーレが外に出てきている時点でエアハルトは察していたが。やはり、彼女も今の屋内の空気感はどうにもやりにくいらしかった。
「だから、外を快適にしてくれればなにの問題もないんだよ」
「とはいえ、それはそれで問題なんだよ」
そう言いながらエアハルトが視線を送ったのは、家の前にある、畑。
現在、水属性の魔法の練習も兼ねて、魔法で水やりをしているルカがそこにおり。そして、腰ほどまで、あるいはモノによってはエアハルトの背丈くらいまで伸びた、青々とした植物たちがそこに実っていた。
ちょうど、夏野菜がいい感じに育ってきているのだ。
「ゼーレ。あれが仮に枯死したら、お前責任取れるのか?」
「……すまん、さっきまでの戯言は忘れて」
植物が元気よく育つためには、水と、日光と、栄養と。そして、適切な気温が必要だ。
エアハルトやゼーレも手伝いこそしているものの、主にはルカが手塩にかけて育てたものたちである。なにかがあったとき、彼女が怒るということは考えにくいが。その代わりに、めちゃくちゃに悲しむのが想像に難くない。
エアハルトはもちろん、共同生活中でなんだかんだ愛着の湧いたゼーレとしても、ルカが悲しむのは本意ではない。
「というわけだから、暑いのを我慢するか、居心地が悪いのを我慢するか、選べ」
「ぐぬぬ……」
「そもそも今の家の中の状況を引き込んだのは、半分ゼーレが理由だろう?」
エアハルトがそうツッコむと。図星だったのだろう、彼女はひょいと首を明後日の方に向ける。
現在、家の中にいるのはミリアだった。
彼女は今、少々事情があってエアハルトの家に寝泊まりしていた。
と、いうのも。
「あああああっ、ぜんっぜんわかんない!」
家の中からこぼれ出てくるほどの大きな怒声で、ミリアが吠えているのがわかった。
現在、ギルド員になるための入試に備えて、勉強中の彼女なのだが。ダグラスとミリアは元々農村出身で、なおかつそこが魔法使いに襲われてしまったがために村を捨てて移り住んできた。
その際に多少の保険金等が国から支給はされているものの、基本的にはそこまで余裕のある生活、というわけではなく。その上、多くの冷房機器については高級品の類なため、極貧というわけではないものの、裕福ともいえないミリアたちには、手が出ないシロモノだった。
そんな頃合いに、いつものようにお使いに向かったゼーレがミリアのもとを訪ねた際に、その悩みを聞いて。
ならば、エアハルトたちの家で勉強してはどうか、と。
エアハルトとしては特段断る理由もなく、むしろ遠慮を仕掛けたのはミリアだったのだが。
しかし、彼女の体調が夏バテ気味で芳しくないことに気を揉んでいたダグラスが、その提案に乗っかり。こうしてミリアはエアハルトたちの家で勉強することになったのだが。
「どうにも、かなり根を詰めているよなあ」
エアハルトとて、彼女の様子が気にならないわけではなかった。
ギルド員、と簡単に言うが。実はかなり難しい職業だった。
正式には、冒険者ギルド職員。ダンジョン攻略や魔物退治。あるいは傭兵業や賞金稼ぎなどを生業としている冒険者たちをサポートする冒険者ギルドの、その職員。それだけなら事務作業を基本とするそこまで難関の職業には見えないが。
彼ら彼女らには、持ち込まれた物品の目利きが技術として必要になってくる。
野生動物の皮や肉程度であれば一般の店でも売買が可能ではある一方で、これが魔物素材や遺跡などからの遺物などになってくると話が変わる。
そういった物品を正確に目利きできる店は稀有であり、大抵の場合は店と冒険者の間で争いになる。
そこで、冒険者ギルドはそういった売買の難しい物品の買い取りも行うことになっているのだ。
とはいえそれはすなわち、一般の店に要求されない審美眼を、今度はギルド員に要求される、という意味合いであって。
そのためにギルド員は非常に高級取りな公務員である代わりに、とてつもなく、難しい職業となっている。
まあ、逆に言うならその見極めができるのであれば、本人の貧富関係なく高級取りになれるので、ある意味では成り上がりの職業でもあるのだが。
「しかし、あの気の張りようは、心配になるところがあるよなあ」
どうにかリフレッシュさせてやりたいところだが。と、そんなことをエアハルトが思っていると。クククッとゼーレが軽く笑ってから。それくらいなら、わけないだろう、と。
「リフレッシュさせるだけなら然程難しいことでもないだろう。ちょうど夏なのだから、海なり山なりどこか連れて行ってやればいい」
「……なるほどな」
そういえば、以前ルカと一緒にファフマールに行ったときも、彼女は少し行きたがっていたような、そんな気がしないでもない。俺の気のせいかもしれないが。
それならば、提案してみてもいいかもしれない。
ちょうど、ルカもそういうところに行きたい、と。きっと言うだろうし。




