#80 サラダ泥棒と少女の追跡
風呂から戻ってきたミリアとルカたちが食卓につき、エアハルトが昼食を並べていく。
ルカは目を輝かせ、ミリアもそれをまじまじと見つめる。
「ほら、見てるだけだと冷めるぞ? さっさと食べな」
エアハルトはまだ少し残っている調理を先に終わらせるため、キッチンに戻る。
「それじゃ、それじゃ! いただきまーす!」
「……いただきます」
ルカがフォークを手に持ち、まずはサラダに手をつけようとする。
葉野菜が適当に盛り付けられているだけの大皿を近くに寄せ、フォークで刺そうして。
「……ほえ?」
ほぼ、同時。ルカがそんな間の抜けた声を出した。
ミリアも、自身の目の前に起こった不思議な現象に唖然としていた。
「どうしたんだ? ふたりとも」
キッチンにいたエアハルトが、そんなふたりの異変に気づき。火の様子を見ながらの片手間にそう尋ねる。
ルカとミリアは戸惑いながらも、とりあえず今の状況をなんとか咀嚼して。
「えっ、とね? サラダがなくなっちゃったの」
「サラダがなくなった? まあ、たしかに食べたらなくなるが」
「そういう話をしてるんじゃなくって。……ほんとに、文字通りなくなっちゃったの!」
ルカのそんな主張に、エアハルトが「ん?」と言いながら振り返る。
たしかに、そこにあったのは空っぽになった大皿。3人分と思って皿の上にはサラダが盛られていたのでそこそこの量があったはずだが。しかし、それがなくなっている。
今の一瞬で食べ切ってしまったにしては、たしかに量も釣り合わない。
「……なにが起こったんだ?」
エアハルトは、事件が起こったときのことを見れていない。しかし、ルカもミリアも首を傾げるばかりで、いったいなにが起こったのかということは理解できていない。
「強いて言うなら、ルカちゃんがサラダを取ろうとしてお皿を近づけて、フォークで刺そうとしたらその瞬間になくなっちゃった?」
「……気のせいじゃなかったら、目の前に誰かが通っていったのかもしれない」
じいっと、食卓の上を見つめながら、ルカはそう言う。「嘘っ、私にはなにも見えなかったよ!?」と、ミリアがキョロキョロと周囲を見回す。
「……なるほどな。ルカも、それ自体は見えてないのか」
「うん。でも、この跡は」
「もー! エアハルトもルカちゃんも、自分たちだけがわかったふうに見せかけて、勝手に話を進めないでよ!」
どうやらふたりだけで話がどんどんと進んでいっていた状態が気に食わなかったらしく、ミリアがそう怒る。
ハッと気づいたふたりが謝りつつ、話を一旦元に戻して。
「ルカが見てるのは、実際にサラダを奪った犯人じゃない。ただ……そうだな。足跡、とでも言えばいいのかな」
「足跡? そんなものついてないけど」
「足跡ってのはただの比喩だ。……それで、こればっかりはミリアには悪いが、お前にゃ見えん」
「ええっ!? いったいどういうことよ」
「……俺だって、ルカがそれを凝視してなかったら見落とすところだったくらいだしな。全く、以前から思っていたが、ことこの分野に関しては、お前はすごく得意みたいだな」
エアハルトがコンロの火を消して、ルカに近づく。
そして、彼女の頭をわしゃわしゃっと撫でてやって。……風呂上がりだからか、まだ少し湿っていた。
「魔力の跡だよ。こればっかりは、魔法使いじゃないと、原則的には観測ができねえからな」
辿れるか? と、エアハルトがそう尋ねると、ルカはコクリと頷く。
残っている残滓としては微かなものだが、それでもルカには検知できるらしかった。
(……ほんと、この分野に関してはルカの才能はとてつもない)
それこそ、彼女が魔法使いになる以前から、どうしてか彼女は魔力が検知できていた。
ここで、それは敢えて言いはしないが。
(全く。どこの世界にもイレギュラーってのはいるもんなんだな)
エアハルトは、小さく息をついた。
「ね、ねえエアハルト。その、ホントに魔力の跡? てのがついてるの?」
「ああ、ミリアには感じ取れないと思うが」
可能なものなら、彼女自身が直接見えるようにしてあげたいところだが。自分の使った魔法ならいざ知らず、他者が使った魔法を見えるように、となるとさすがに技術的に厳しいものがあった。
これ以外の方法となると、それこそ魔法使いになるでもない限り、エアハルトは方法を知らない。……そして、それはミリアにとってはありえない選択肢だろう。
てっくてっくと歩いていくルカに、少し距離をおいてから見守るようにして、並んでついていくエアハルトとミリア。
「しかし、なにが犯人なんだろうか」
「えっ? 普通に魔法使いなんじゃないの? だって、ここまでの話を聞く限り、姿を消す魔法を使ってるっぽいんでしょう?」
「ミリアは忘れてるかもしれないが、ここには隠れ家という魔法がかかってるんだ」
隠れ家は魔法自体は複雑であるために、実際にエアハルトが標識針の領域制圧経由で使用しているように、それ単体で使うことは少なく、他の魔法と組み合わせての範囲や効果量を指定して使うことがほとんどになる。
しかし、返していえばしっかりと組みさえしてしまえばその効果は絶大で。案内無く近づいてきた人を、気づいたときには元来た道を辿らせて帰らせたり。外からの観測ができなくなったり、と。文字通りその場所を隠れ家にしてしまう。
それすなわち、他の人が「たまたま辿り着く」ということはあり得ない。仮に森の中を彷徨っていて偶然に近づいてくることがあったとしても、そのときには魔法が働いてその人は元来た道へと引き戻されてしまう。
そんな魔法を突破して通り抜けられるのは、術者のエアハルト。そしてそんな彼が掛けた道案内の魔法の仕込まれた指輪持ちのミリア。
そして、魔力探知においてエアハルト以上である、ルカだった。
「えっと、つまりどういうこと?」
ミリアは、ここまでの説明を受けて首を傾げる。
「要するに、仮にここに来たのが魔法使いなのだとしたら。そいつはルカと同じく、魔力探知において俺の隠れ家を正面から突破したやつ、ということになる」
「あっ」
すなわち、相当な手練だ。
むしろ、ルカがイレギュラーな存在なだけであって、魔力探知が伸びているということはほぼイコールとして本人の魔法使いとしての経験が高いということにも繋がる。
本来、魔法を扱っていくとともに感覚を養っていくものなので、練度とほぼ比例していくのだ。
「つまり、仮にそうだとすると今度はサラダだけ奪ってどっか行ったというのが不可解だ。そんな強い魔法使いが食べ物に困ってる……というのは割とあり得る話ではあるが、それならサラダだけでなく他のやつも奪えばいい」
ルカの探知が森の方に続いているところを見るあたり、どうやら犯人は逃げにある程度リソースを割いているように見える。
ということは、エアハルト、あるいはルカに対して勝てないとそう判断し、そして逃げに徹したのだろう。
てっきり、追尾などされているとも思わずに。……いや、この追尾が可能というのは、ルカの探知能力がおかしいという方が正しいが。
「……じゃあ、エアハルトは誰が犯人だと思ってるの?」
「誰が、というよりかはなにが、のほうが正しいな」
エアハルトがパッとそう言って。ミリアが、そういえば最初にもそう言ってたわね、と。
「さっき言ったように、隠れ家は範囲の他に、効果の量も指定してからかける。そのときに俺は人間をここから遠ざけるように魔法をかけたんだが、返していうと人間以外は別に近づいてきてもそのまま通す」
実際、普通に野生動物なんかは家の周りまで来たりしている。
「ええっと、じゃあ、つまり?」
「やってきたのは――」
エアハルトが答えを言おうとした、そのとき。
「エアハルト、ミリアさん! 捕まえたよ!」
そんな明るい声が、前の方から飛んできた。




