#79 大罪人の指示内容
領域制圧範囲から出ないよう、ルカとミリアが周辺を走り込みをする。
その範囲については、ミリアは察知できないもののルカが把握できるので、彼女の先導のもと、走る。
エアハルトの言うとおり、素の脚の速さだけでいえばミリアのほうが速かった。だが、道が草木の生い茂る悪路であること。そして、最近まともに身体を動かしていなかったことなどが影響し、道に慣れているルカのほうがササッと道を抜けていってしまう。
ミリアはそんな彼女を必死で追いかけながら、しかし、同時に気になったことについて声をかけてみる。
「こっちの脚の速さがホントの速さってのはなんとなくわかったんだけどさ。それならそれでさっきのはなんだったの?」
ルカの様子を見る限り、体力作りの走り込みなので全力でこそないものの一切手を抜いていないことはわかる。……というか、体力作りで手を抜いていたら本末転倒だ。真面目なルカがそんなことをするとも思えない。
しかしそうなると、今度は先程の脚の速さが不可解になる。
「あれは、魔法の力だよ」
「魔法? 脚が速くなる魔法なんてあるの?」
「あるよ! 正確に言うなら、脚が速くなるというか、身体能力を向上させる魔法なんだけど」
ルカは魔力による身体強化の説明をする。それの使用中であれば、ルカでも普通の成人男性くらいなら凌駕できるくらいの身体能力になることができるとエアハルトに言われたことも。
「そんな便利なものがあるのねぇ」
ミリアとしては若干半信半疑に感じないところがなくもなかったが、しかし同時に、先程のルカの移動速度にも合点が行く。
「あれ? でもそんなものがあるのなら、ルカちゃんはなんでこんなトレーニングなんかしてるの?」
お手軽に自分の身体能力を強化できるのであれば、不必要なのでは? と。ミリアがそう尋ねる。
ルカは自分がエアハルトに同じく質問したときと全く一緒だ、と。すこしフフッと笑ってから、またこちらも言われたことと同じように説明を返す。
「身体能力を魔力で補強して伸ばす魔法だから、素の身体能力が高いに越したことはないの。そっちのほうが少ない魔力で、より強くできるから」
「あー……なるほど、たしかにそれはそうね」
「それに、今の私が抱えてる問題のひとつが持久力不足なの。で、魔力は自分の体力に依存して保有量が変わるから」
「こうして走り込みでスタミナをつけてるってわけね。……まあ、そう簡単にうまい話はないってことか」
そして、エアハルトが魔法禁止で走り込みをさせている理由も理解する。不必要である他に、それに依存しない部分での体力向上をさせたいのだろう。
「まあ、そういうわけだから。実はミリアさんが思ってるほどには、大変な作業じゃなかったの。開墾」
まあ、実際には身体強化ではなく土塊でほとんどやっているので、そうであった理由は別のところにはあるのだが。
「それでも、私が思ってるほどは、ってことは大変ではあったんでしょう?」
「それは、まあ」
いくら魔法依存でできるとはいえ、持久力不足であったルカにとってはそこそこな重労働だったことだろう。
それを見たエアハルトが、こうして体力作りをさせているのだろうし。
(うん、やっぱり一発くらいしばいておいた方がいいんじゃないだろうか)
あの男は、いくばくか自分のことを変に過小評価する。
己の力を驕り、見誤り、失敗しない。と、そういえばいいようにも思えるが、同時に自分にできるのだから他人にもできるだろう、というように思うことも少なくはない。
もちろん、普段からそういうことがあるわけではなく。基本的には常識的に物を言う人間ではあるのだが。相手が「ある程度それができる」という状態であれば、じゃあ多分ここまでできるだろう、と。かなり高いラインに期待値を設定しがちになる。
(これで、できないラインを設定してきてるのであれば、強い言葉で止められるんだけど)
そこはエアハルトという人間。ちゃんと、と言っていいのか微妙ではあるが「めちゃくちゃ頑張れば」できる範囲のことしか要求しない。
相手の能力をちゃんと見てるのか、見ていないのか。
……いや、見てはいるのだろう。だが、それを見た上で。
そこに積み重ねる必要のある努力を、当然とばかりに見做している。
「これで、采配としては間違ってないから。ほんっと憎たらしいというか厄介というか」
反論の余地がないから、彼の指示内容には結局従うしかなくなってしまう。
チラリとひたむきに走り込みをしているルカを見て、ミリアは大きくため息をついた。
今回の旅行の最中、かなりの局面に遭遇したという彼女。魔法使いとの接触だけでも相当な大事なのだが、それ以外にもダンジョンアタックを行い、更にはその後にあろうことか他の魔法使いとの戦闘も経験したらしい。
それも、相手側は本気でこちらを殺しに来ていた、という。
こればっかりはミリアも即座にエアハルトの頭を丸めた紙束で殴りつけたが、彼からも一切の抵抗はなかった。
むしろ、その行動に対して食いついてきたのはルカの方で。戦うという選択肢をとったのは自分で、エアハルトは逃げの選択肢も普通に提示してくれていた、と。
(仮にそうであったとしても、保護者としてルカちゃんの身を案じようとか思わなかったの?)
いや、案じはしただろう。だが、それでもなお彼女の選択を尊重し、その上でできうる限りのサポートをしてきたことだろう。
結果論ではあるが、こうして五体満足でルカちゃんが帰ってこられているのがその際たる裏打ちになる。
「ほんっと、めんどくさい男ね……」
森の草木ですら聞き取れないほどの、そんな小さな声でミリアはそうつぶやいた。
一瞬、走る足の緩んだ彼女を不思議に思ったルカが振り返ってくるが、なんでもないとそう告げて、すぐさま追いかけるように走り始める。
「おつかれ、とりあえず風呂でも入ってこい。入れといたから」
家につく頃には、ミリアは肩で呼吸をしていて。もうこれ以上動くのは、というような様子だった。
ルカはというと流石に少しは体力がついてきた様子で、まだ動ける、とでも言いたげだった。
「ともかく、今日は一旦ここまでだ。汗と汚れを落としてきたら、昼飯にするから。せめてなにかするにしてもその後にしとけ」
「はーい!」
「……うあぁ、疲れた」
エアハルトの話も半分ほどしか入ってきていないミリアは、ルカに引っ張られながらそのまま家へと入っていく。
エアハルトが「飯食ってくか?」と聞いても「うあう」というどういう意図なのか微妙なものしか返ってこなかった。
ならばとりあえず、用意をしておくに越したことはないか。
キッチンに立ちながら、適当に腸詰めと野菜とを切って鍋に入れていく。
水を注いだら竈に魔法で火を入れて、煮炊きをする。
「あとは、そうだな」
街中で以前に買っておいたパンをいくつか食料庫から出してきて、適当な大きさにスライスしておく。
ついでに、チーズも用意しておこうか。
「ふむ、それにしても少しストックが減ってきたな。……また買いに行ってもいいが」
あんまりエアハルトが表に出ていくのは好ましいことではない。代わりにルカに頼みたいところではあるのだが、よくわからない紙が出回っている以上、それも完全に安全というわけではない。
で、あるならば。
「手数料を払ったら、おそらく買ってきてはくれるだろうが」
今日たまたま来ているミリア。彼女に頼めばたしかに買ってきてくれるだろうが、食料補充のたびに彼女に頼むのも、と思わなくもない。
ここに来るまでの道のりもそこそこに悪路なこともあるし。彼女にとっての運動という名目にできなくもないが、それにしてもちょっと申し訳なく感じる。
「どうしたものか……」
なにかいい方法はないだろうか、と。そう思いながら。
鍋を焦がさないように、ゆっくりとかき混ぜておく。




