#7 大罪人は恩を礼で返す
翌日のこと。エアハルトの体調は好調……とまでは行かなかったが、随分と快復している様子だった。
『おっさん』
『なんだ』
『なんか手伝わせろ』
『命令口調とは、舐めやがって』
旗から見れば、一体どんな会話なのだとツッコみたくなるような会話だったが、二人の顔に浮かんでいたのは、不器用な笑顔だった。
『つい昨日までずっと横になってやがったガキはもう一日くらい休んでいやがれ。んで明日くらいに出ていけ』
『断る。恩義には礼儀を返せと言ったのはおっさんだろうが。俺の気が済むまで手伝ってから勝手に出ていってやる』
『言いやがる……。好きにしろ』
そこから、エアハルトとおっさんの生活が始まった。一日が経って。二日が経って。三日四日、五六七。
一体どれくらい経ったろうか。エアハルトはおっさんの手伝いをしながら魔法の練習もしていた。というか、魔法を使いながら手伝いをしていた。
風の魔法で木を切って。火の魔法で火をおこして。そうやって少し少し練習して。はじめの頃は失敗をしてとんでもない事故を引き起こしたりもしていたけれど。
人を傷つける魔法じゃ無く、守れる魔法に、助けられる魔法に。そのために、調整は必要だと思ったから。
そうしてそのうち、エアハルトは魔法をしっかりと扱えるようになっていた。
『おっさん、明日は何したらいい?』
『んー? ああ、そうだな』
おっさんは口に加えていたキセルを左手の指で挟む。どうやら、一日一回吸うのが日課らしい。エアハルトが見た限り、欠かしている日を見たことはない。
エアハルトとしては、この煙は苦手なのだが、居候の身である訳だし、何よりおっさんの数少ない趣味なので、容認していた。
『んじゃ、コレ』
空いている右の手でズボンのポケットを弄って、ポイッと何かをエアハルトに投げた。落とさないようにと、エアハルトが慌てて取ると。
『なんだコレ。水晶のネックレス?』
『まあ、言ってしまえばお守りみたいなもんだ』
『お守り? いや、なんでそんなもん』
『明日、出てけ』
シン、と。突然静寂が訪れた。エアハルトの体から力が抜けていって、思わずネックレスを落としそうになる。
『おい、え、どういうことだよ!』
『そのまんまの意味だ。体調も快復してる。魔法もすっかり扱えるようになった。これ以上俺が関わる必要があるか?』
エアハルトは言葉を詰まらせた。反論できなかった。
おっさんの言う通りだった。確かに、これ以上――。
『で、でも! ……手伝いが』
『十分だ。十分すぎるくらいだ。釣りが返ってくるくらいにな。んで、ネックレスが釣り』
グッと。エアハルトの体に力が籠もった。ギッと唇を噛んだ。けど、抑えた。
『そ……か。そうだよな』
(所詮、俺は魔法使い。おっさんは人間。一緒にはいられない)
そう繰り返し頭の中で。まるで洗脳するように。そうして何とか抑えて。
『さて、最後の晩餐だ。しっかり食えよ』
おっさんが出してきた料理は、エアハルトがここに来てから初めて見るくらいに豪勢なものだった。
『さっ、手を合わせて』
エアハルトもテーブルの前に座り、目の前のおっさんに倣って合掌した。
『いただきます』
『じゃ、元気でやれよ』
『わかってる。おっさんこそ』
小屋の前。エアハルトはその小さな体でおっさんの顔を見上げていた。
『もし、ピンチになったときは、その水晶を割ってみろ』
『……? お守りじゃないのか?』
『お守り、だからこそだ』
相変わらずおっさんの言うことはよくわからない。エアハルトは不思議に思いながら、けれども頷いた。
『それじゃ、今度こそ』
『あっ、待って』
今度はエアハルトが止めた。
『おっさんの、名前は?』
『…………なるほど、確かに気になることだな』
おっさんは手を顎に当てて。ときおりエアハルトの顔を見ながら。
『まあ、俺は俺。おっさんはおっさんだ。それ以上でもそれ以下でもない』
『はあ?』
『そういうことに、しておいてくれ』
そう、ニッと笑い。誤魔化した。
『それじゃ、今度こそ、だな。お別れだ、エアハルト』
『おっさんこそ、簡単にくたばるなよな』
『じゃあ、また』
『……また』
「結局名前は教えてくれなかったんですよね」
「今の君がある、その原因となったそのおっさんと言う人に、私もあってみたいものだ」
ダグラスはフッと笑いながらそう言った。エアハルトにはそれが本気で言っているのか冗談で言っているのか判断がつかない。
(おっさん……元気でやってるだろうか)
実は、以前小屋のあった場所に訪れたことがあった。しかしそこには廃屋跡だけがあって、小屋もおっさんもなかった。
エアハルトは不安に思った。けど、それと同時に面白くも思った。
見透かされていたのだろうか、と。試されているのだろうか、と。
いつかエアハルトがおっさんに会いに来るときに、ここに来るだろうと。そんな安直な考えでは、通用しないぞ、と。
会いたければ、実力を備えて会いに来るか、あるいは。
……何が起こるかわからない、水晶に頼るか。
エアハルトのズボンのポケットには、クリスタルのネックレスが入ったままである。ルカへの返礼として渡そうかと一瞬思ったこともあった。けれど、やめた。
たとえ何が起ころうと、これだけは離さない、と。それが、エアハルトの中にある、最上級の欲だった。
と、会話が途切れたとほぼ同時。隣の部屋のガヤガヤも止んだ。
バンッ! 勢いよく扉が開かれたかと思うと、そこに立っていたのはミリアだった。
「どう!? すっごいかわいく仕上がったわよ!」
「どう、と聞かれてもな。そもそもルカはどこにいるんだ?」
エアハルトが尋ねると、壁の影からサラリと髪が見えた。黒色の髪は間違いなくルカのものだったが、どうやら濡れているようだった。
「風呂、入ったのか」
ちょっとだけ出ていた頭がコクリと動いた。
「温かいお風呂に入ったの……久しぶり……。なんか、ゴワゴワする。ちょっとだけ、好き、違う」
「もー、女の子はちゃんと清潔にしとかないとなんだよ? あ、エアハルトもちゃんと入りなさいよね」
「へいへい……で、いつまでルカはそこにいるんだ?」
ビクッと、明らかに反応した。
「ほら、せっかくおめかししたんだし、披露しないと」
「ううう……やだあ、恥ずかしい……」
また壁の中に引っ込んで抵抗するルカだったが、「もう、観念しなさい!」とミリアによって引きずり出されてしまう。
「へえ、かわいいじゃん」
「やああ……」
ルカの真っ白な肌が真っ赤っかになっていた。相当に恥ずかしいということが伺える。
「こんな、ふわふわな服、着たことないよお……」
俯きながら、手で顔を隠していた。そのルカの服装はというと、ついさっきまで着ていた、黄ばみのこびりついたシャツとは比にならないくらいに真っ白な、ワンピース。ちゃんとしたワンピース。
ところどころレースがあしらわれていて、確かにルカの形容したとおり、ふわふわした印象を受ける。
「ホントはね、もっとカラフルな服を着せようとしたんだけど、断固として拒否されちゃって」
認めてくれたのは、白色と黒色の服だけだったらしい。
「しかしまあ、やっぱり白いな」
エアハルトはルカの体を見てそう言った。その服も真っ白なら、それに負けないくらいにルカの肌も真っ白だった。
「肌が白いと髪の毛の黒がより引き立つのよね」
羨ましいわー、などというミリアの声が聞こえる。
「あ、そういえばさっき気づいたんだけどね?」
ミリアは、ルカが顔を隠していた手を無理に外して、その顔をエアハルトに向けさせた。
カアアッと余計に紅潮したその顔。そして、
「この子の目って、真っ赤なのね」
顔の色よりさらに赤い、瞳がそこにあった。