#69 大罪人は不意をつく
だんだんと人かどうか怪しい見た目になってきたバートレーに向けて、エアハルトは黒槍を構える。
真っ黒な切っ先が月に照らされて微かに光る。
「おとなしく治療されやがれっ!」
「治療とはなんのことかなっ! 俺は、至極正常だ!」
一気に距離を詰めたエアハルトに、バートレーは即座に距離を取って対応する。黒槍の射程に入らないよう、そして、自身の魔法の届くよう、適切な距離を保ちながら。
「わからないかい! こうして今、俺はさらなる次元へと到達しようとしている。その崇高な考えがわからないかっ!」
果たしてそれがバートレーの意見なのか、それとも魔を宿したがゆえの発言なのか。その判断すらつかない状況に。エアハルトは小さく吐き捨てる。
攻防は続き、何発かの攻撃は通ったものの、しかし変質したバートレーの身体の防御力は凄まじく、十分な吸血量には至らなかった。
「……やはりその武器は厄介だな。遺物魔法なだけはある。だがしかし、性質上、それを維持するのもかなりキツイなのではないか?」
「ご心配をどうも。……まだいけるさ」
そう空元気を見せるが、事実として少しずつキツくなっておるのもエアハルトの本音だった。
血吸之黒槍は維持コストを吸血によって肩代わりする魔装具だ。そのため、ここまで吸血がままならないとなると、維持にかかる魔力がかなり多くなってしまう。
魔力の所持量が多いエアハルトではあるが、ここまで長く対峙しつつ、吸血が十分に行えていない現状はかなり苦しいものだった。
(とはいえ、吸血が現在わかってる唯一の解決方法なんだ。これを下手に収めるわけには行かねえ)
バートレーから魔薬を抜き去る為には、血吸之黒槍による吸血が、現状のエアハルトがわかっている唯一の方法だった。だから、高い維持コストに目を瞑ってでも、これを維持しなければいけない。
「さて、そろそろおしゃべりもこのあたりにしようか。貴様は疲弊し、そして私の身体が完成しつつある今。そろそろ決着と行こうじゃあないかっ!」
バートレーがそう叫び、天に向けてその腕を掲げる。
魔力の流れからも、彼がなにかしら大きな魔法を使おうとしているのは確かだった。
バートレーの身体が変質しているのは確かだった。それは、間違いなく魔法に耐えられるように強化されていっていた。
だがしかし、彼が今扱おうとしている魔法は、どう考えてもその域を大きく超えているように見える。
「おい、その魔法は死ぬぞっ!」
「いいや、死ぬのはお前だエアハルトッ!」
「……チィッ!」
完全に暴走状態になっている。自身の魔力の規模と、身体の耐久力とが一気に伸びたせいで、己の限界値を見失ってしまっている。
エアハルトは慌てて命令式を組もうとするが、だめだ。鎮まれや消えろを撃つにしては魔法の規模が大きすぎる。自身のキャパ限界まで引き出せばギリギリ収めることができなくはないかもしれないが、それをしてしまっては今度は俺が動けなくなる。敵を助けて自分が動けなくなっては世話がない。
そもそも、鎮まれや消えろはその性質上、小規模ではあればそこまで問題はないものの、大規模になればなるほど命令式の組み上げに時間がかかる。バートレーが今組み上げているものを打ち消すとなれば、命令式の組み上げの時間が間に合うか、かなり怪しいところではあった。
「さあ、そろそろ覚悟でもすることだなっ!」
バートレーの頭上に、異常なまでの熱が集まってくる。相当に強力な炎属性の魔法であることが伺える。
たしかに、あれをまともに喰らえばエアハルトとてただでは済まない。一旦回避してから反撃を、と。そう考えたとき。
「おい、バートレー。その魔法を止めろッ!」
「止めるわけがないじゃないか! 今更になって恐怖を感じ始めたか!」
「そうじゃない! やっぱり、耐えられていないじゃないかっ!」
バートレーの腕が焼け爛れ始めている。魔力の異常解放にのり、肌が割れ始めている。
あのままこの魔法を使えば、下手をすればバートレーの半身が吹き飛ぶことになる。
このまま避けに徹すれば、ほぼ確実に事実上エアハルトの勝利になる。なにせ、バートレーが自爆する。
だがしかし、それには。……あまりにも寝覚めが悪い。
「テメエには生きて償う責任があるんだよっ!」
そう言って、エアハルトは黒槍を投擲する。
強大な魔法を準備する際、十分に身体を動かすことはできなくなる。それは魔法の規模が大きくなればなるほどに、動きが制限されていく。だからこそ、バートレーがそのまま飛んできた黒槍に、当たる。
……かと思われたが。彼はフッと一笑して。
「なんだ、ヤケにでもなったか? 私のことをただの魔法使いと思ってもらっては困るよ。なにせ、今の俺は魔人なのだからな」
それくらいならばなんとでもない、と。そう言うかのようにして彼はひらりとそれを躱した。
虚しくも空を裂き、地面に突き刺さっていった血吸之黒槍を見て、バートレーは高笑いをする。
「ふはははっ! 距離を詰めるのが悪手ととって、投擲に切り替えたか。しかし、結果的に武器を失ってしまったなあ!」
「……それはどうかな」
バートレーは背後からしたその声に、ゾワリという悪寒を感じる。
「ありがとう。油断をしてくれて」
「なに、貴様いつの間にここまで!」
バートレーが黒槍に意識を持っていかれたその一瞬の隙をついて、エアハルトはバートレーの背後にまで詰め寄った。
炎属性の魔力が集まりつつある現状、近距離にいるだけでも危険な状態ではあったが。しかし、打開するにはこれが最善手。
「だが、血吸之黒槍はお前が投擲したせいで遠方にある。詰め寄ったからといって貴様になにができる! せいぜいこの魔法を俺共々喰らう、ただの自爆しかできないだろう! まさか、その程度で俺がこの魔法を収めると思ったら大間違いだぞ」
魔人なのだから、この程度で死ぬ貴様とは大違いなのだ! と。自信満々にそう宣言する彼に。
「……なにも、自爆するつもりなんてないさ。それに、いつ俺が武器がひとつだと言った?」
「なにを――」
「《魔装:血吸之黒剣》」
そう唱えて、エアハルトは2つ目の魔装具を展開する。
背後。至近距離で不意をつく形でそれを発動したこともあり、バートレーはそれに反応することができず、エアハルトは彼に黒剣を刺すことに成功する。
「遺物魔法……2個目だと……? いや、それだけではない。そのクラスの魔装具を2個同時に展開など……」
「黙ってろ。今集中してるんだ」
「お前、本当にただの魔法使いか?」
「……黙ってろってんだ、死ぬぞ」
吸血の量を、どこまでなら大丈夫かを、必死で探る。
バートレーが起動していた魔法も、吸血伝いで彼の魔力を奪い去っていることもあってか、だんだんと収まってくる。
次第に彼の皮膚も元に戻っていき、人ならざるものから、人らしい姿へと。
そして、その皮膚が少しずつ白んできて。
「このあたりが限界だな。解除」
魔装具を解除する。黒槍と黒剣が消え去り、バートレーがその場に崩れ落ちそうになる。
その身体をエアハルトは支える。
ボロボロになった様子の中、意識はなんとか保っているらしいバートレーが弱った声色で話しかけてくる。
「……礼など、絶対に言わん。だが、ひとつだけ聞かせてくれ。なぜ、私を助けた。あのまま逃げていれば、それで終わっただろう」
バートレーは意識を魔薬に奪われている中で、自身の最期を悟っていたのだという。しかし、そんな中でエアハルトは彼を助ける判断をした。
なぜ、敵とわかっていながら、そんなことをしたのかと。
「……人である限り、助けられるものなら、助けたいんだよ。俺は。たとえそれが、魔法使いであろうが、人間であろうが。俺を敵視していようがしていまいがな」
だからこそ、吸血によって突破口が見えたとき。エアハルトはバートレーを救出する方向に完全にシフトした。
「俺が、自分を魔法使いであり人間ではないと呼称しているのにか? あのとき、魔人に堕ちていたのにか?」
「俺には、人間に見えたからな。まだ、ギリギリ」
エアハルトがそう告げると、バートレーはフッとひとつ、鼻で笑い。
「酔狂な魔法使いだ。……その力を人間を滅する方向に使えば、魔法使い連合の幹部も確実だろうに」
「同じこと、別の魔法使いにも言われたよ」
「だろうな。……魔法使い連合は未だにお前のことを欲しがっているからな」
バートレーはそう言い、目を伏せてから。少し考えて、
「もし、貴様が人間を守りたいなどと言うのであれば、気をつけたほうがいい。……魔法使い連合は、今、戦争を仕掛けようとしている。俺が魔薬を売りさばいているのも、魔法使い連合がお前を欲しているのもそういう都合だ」
「なるほどね。まだそんなことを考えてやがったのかあのバカどもは」
「…………私は少し疲れた。抵抗するつもりはないから、少し眠らせてくれ。敗北に相応しいだけの情報は、提供したつもりだ」
「ああ、情報と忠告、ありがとう」
そう言って眠るバートレーを背負い、切り替えて、エアハルトは元いた中心街の方へと急ぎ向かう。
グウェルの相手を任せてしまったルカの元へと。




