#56 少女は夜の街を駆ける
夜風が頬を撫でる。やや湿り気のある空気は、嫌な温かさを孕んでいた。
「……どこいったんだろう、エア」
ファフマールの中央部は相当に広い。エアハルトが遠くまで行くとも思えない一方で、どこを探せばいいのかという検討もつかない。
外套のフードをしっかりと被り直し、キュッとカバンを握りしめる。
やっぱり、おとなしく部屋で待っていたほうがよかったんじゃないかな。不安が、そんな思いを湧き立たせる。
フルフルッと、首を横に振り、邪念を払う。
エアハルトがどこへ行ったのかの検討はつかないが、ルカには探すための目処は立っていた。
ジッと、集中して周囲を見回す。ルカの身長からでは遠くまでとはいかないものの、それでも見つけることができる。
「あった……」
まるで風が流れ込むかのように、集まる“なにか”。昔のルカにはよくわからないものとしか思えていなかったものの、エアハルトとの訓練を経た今ならば、それがなんなのかがわかる。
魔力の奔流。本来、空中の魔力は穏やかに流れているものだが、なんらかの魔法が行使されると、それに伴い周辺の魔力も消費される。その結果、一時的に魔力濃度の低い空間となり、そこに勢いよく魔力が流れ込むこととなる。
返して言えば、それは魔法行使による影響の残滓であり、それを辿れば魔法を使った人間を追いかけることができるはず。
そして。ルカは、そんな魔力の流れを視界で捉えることができた。
「こっちに流れてる……」
念の為に、と。エアハルトから唯一使用を許可されている身体強化を施しておいてから、ルカは走り始める。
おおよそその体躯からは考えにくいスピードで走るが、あいにく夜の街ということもあって、彼女の姿が見られることはない。
仮に見られたとしても、めちゃくちゃに脚の速い人物がいる程度にしか思われないだろうが。
静かな街。なのに、どこからか、嫌な吐息が聞こえてきそうで。ジワリ、と。額に汗が滲む。
ルカは魔力の示す道を辿りながら、ひたすらに駆けていった。
「……開いていたって、ことか?」
カチャリ、と。鍵を差し込み捻ったのだが。どうしてか扉が閉じている。
つまるところ、先程まで開いていたのだろうか。部屋に戻ったばかりのエアハルトは、そんな疑問を抱いていた。
たしかに鍵をかけた記憶はあるのだが。……しかし、かけ損ねていたか、あるいは本当に忘れていたか。
とにもかくにも、とりあえずは鍵を開け直し、部屋に入る。
首を傾げながら、室内に入って――自身の記憶が間違っていなかったことを再確認する。
同時に。――マズい、と。状況を理解する。
ルカが部屋にいない。鍵が開いていたのは、おそらく、ルカがなんらかの理由で外に出たからだ。
焦る気持ちがどんどんと加速していく。どこに行った、なにをしに行った。
いや、そもそも自発的に外に出たのだろうか。
考えが様々浮かんできて、思考を埋め尽くしかける。
慌てて探しに外に出ようとして、――しかし、その足を止める。
「ダメだ。冷静になれ。……まずは、状況を整理しろ」
無理矢理に頭を冷やし、ひとつひとつ確かめていく。
ルカ以外に無くなっているものはあるだろうか。最悪貴重品などは無くなったところでさしたる問題はないのだが、……こちらは無事。
逆に無いものは……ルカの外套と、カバン。
「このふたつがあるということは、おそらくは自発的に外に出た、ということだろうか」
仮に何者かの干渉によりルカが連れ去られたのであれば、このふたつが消えていることに相当な違和感がある。考えから完全に消していいわけではないが、一旦は除外しておいていいだろう。
「で、あるならば。ルカはなぜ外に出たんだ……?」
俺と同じく路地裏調査……なわけがない。ルーナに脅かされてあれほど怖がっていた彼女が、わざわざ路地裏に近づくわけがない。
ならば、わかりやすい理由とするならば。
「たまたま目が覚めたら俺がいなくて、探しに出た?」
まさかそんなことを。と、思わなくもなかったが、しかし、これに関しては無い話ではない。仮にそうだとするならば……事前にキチンと言っておかなかった俺の責任か。
「とはいえ、ルカはどうやって俺を探すつもりでいたんだ?」
純粋な疑問が、エアハルトを襲う。
いくらなんでも、策無しでルカがエアハルトを探しに行くとは思えない。
ルカ自身がそんなにバカじゃないし、そもそも基本的には怖がりな彼女がわざわざ夜中に外に出ているというのであれば、なんらかの考えがあってのはずだ。
現状、ルカには探知系の魔法は教えていない。《植物召喚》の応用で強引にやれないこともないが、まだその域には達していないだろうし、そちら向きに魔法を転換させるという発想もないだろう。
もちろん、イチから探知系の魔法を組み上げるという手法もなくはないが、これは更に難しい。そもそもルカは魔法構築の知識がまだないため、イチから作り上げたと考えるのは、さすがに無理がある。
「……目か」
唯一、ルカがエアハルトを探せそうな手段。
どういうわけか、ルカは魔力を目で見ることができる、らしい。エアハルトが直接ルカからそういうことを聞いたわけではないが、おそらく、そうだろうという推測はエアハルトの中にあった。
最初に違和感を感じたのは、ルカが《信号》を観測したときだった。魔法使いでもなく、そして対応する装飾品を装着していたりもしない彼女が、本来見えるはずのないそれを観測した。
これに関しては魔法への適性次第では見えることもあるらしいから、まだわからなくもなかったが。
しかし、その次の段階。《領域制圧》内部への侵入が可能だったこと。それにより、ただの魔法への適性の高さではない可能性が強まった。
あのときの《領域制圧》には《隠れ家》や《迷い道》の魔法が組み込まれていた。だから、本来ルカは内部の様子を観測することもできなければ、途中で迷子になるはずだった。
もちろん、そうなったらすぐさま救出する手立てを用意はしていたのだが。……しかし、彼女は独力でそれらを跳ね除けてみせた。無自覚なままに。
術者以外が対策無しにこれらを無効化する方法は、無くはない。しかしそれをするためには、原則的には術者以上の――つまりは、エアハルト以上の魔法使いでないと行うことができない。
当然、当時のルカは魔法使いとして覚醒すらしておらず――だというのに、《領域制圧》の効果を無視した。
この時点で、これが魔法への適性云々といった次元の話ではないことは、エアハルトにとって確定的だった。
その後の質問から、ルカはたしかに魔力をなんらかの形で捉えられているような、そんな発言を確認することはできた。
まだ、いろいろと仮定が多すぎる話ではあるものの。しかしそれらを真であると強引に考えてしまえば、全て辻褄がいく。
「……仮に魔力を辿って俺を追いかけているのならば、そのうち帰ってくる……のか?」
もちろん、エアハルト自身魔力を垂れ流しにしながら行動しているわけではないが。自然に使っている身体強化の分などがじんわりと滲み出ているとすれば、たしかにそれをルカが辿ることができるのかもしれない。
そして、そうであれば、彼女がそれを辿ってこれは、いずれはここに戻ってくることになる。
慌てて探しに出るのは、入れ違いを起こし、むしろ悪手だろうか。
そう、思いかけて――、
「違うッ! ……いいや、普段ならばそれで可能だったかもしれないが、今はそうはいかない事情がある」
エアハルトの頬に冷や汗が伝う。
ルカがエアハルトを辿れない可能性がある。なぜなら――、
「この街には、別の魔法使いがいる」
それも、タチの悪いやつが。




