#53 大罪人たちは農業都市に到着する
「わあっ、すっごくおっきい!」
ルカが歓声をあげる。
魔力の使い方をわかったこともあり、ファフマールまでの旅路はサクサクと進んでいた。そのため、コルチのときと違い、ルカがエアハルトに「いつ着くの?」と尋ねることはなかった。
まあ、仮に旅路にもっと時間がかかり、ルカが疲れていたとしても。おそらくは尋ねていなかっただろうが。
「あの樹のふもとに、ファフマールがある」
エアハルトが指差したのは、ルカが大きいと称したもの。ヌレヨカチの大樹だった。
そうはいっても、まだ、見えただけ。実際はまだまだ距離があるのだが。しかし、ヌレヨカチの大樹があまりに大きすぎるゆえに、ここからでも見える。
つまりはファフマールまではまだまだ距離があるのだが。とはいえ目標とするゴールが見えている状態で進むことと、見えない状態で進み続けないといけない状態とでは、対する心情が違うのも当然で。
「行こう! エア!」
「……ああ」
早く行きたい、見てみたいと言わんばかりに。ルカはエアハルトの手を引き、走り出した。
ファフマールは、ヌレヨカチの大樹を中心とした農業都市だった。
ヌレヨカチの魔物除けの影響範囲内で様々な動植物を育成しており、そしてここから各都市へと食料を出荷している。中心部、特にヌレヨカチの枝葉により木陰になる部分には農業系のギルドや商業系のギルド、運輸系のギルドが集まっており、それを中心に大きな都市を形成している。
品目や多少のシステムこそ違えど、多くの農業都市はファフマールと同様にヌレヨカチの大樹を中心に形成されている。
その際たる理由は、先述の魔物除け。本来は魔物からの襲撃に備えるために壁が設置されているのだが、農業を行う上ではこの壁が厄介極まりない。動植物の育成に影響する他、運搬の上でも邪魔になる。
そのため、壁がなくても魔物が入ってくることのないヌレヨカチの影響範囲内でこうして大規模に育成が行われている。
「畑も大きいねぇ」
しみじみと、ルカがそう言った。
ファフマールの構成上、中心街に向かう場合はどこかしらの農業地帯の隣を抜ける必要がある。今、エアハルトたちがいるのは穀物を集中的に生育している地帯だった。
そして、その規模は尋常ではない。さすがは農業都市というべきか。遠く見えなくなる場所まで、麦畑が広がっている。
「こんな大きな畑、見たことないよ」
「まあ、この規模は普通の農村じゃ無理があるからな」
この国の土地の事情を考えるなら、開墾の手間さえ無視してしまえば規模的には不可能ではない。農村同士の距離も離れているし、街道付近を弄りでもしない限りは周辺の土地を耕してなにか言われることはほとんどない。で、あるならばなぜ無理があるのか。
それは、人手と安全性の2点からくるものだった。農村では、人手が少ない。とある都合、大きな農村はほとんど無く、そのために開墾したとしても、それを維持できるほどの人手がない。
そして安全性。農村の多くは先人たちの“なんとなく”によって見つけられた安全な場所に形成されていることが多く、少し離れたところでは魔物に襲われることが多い。実際、そのなんとなくはヌラヨカチの木が近くに生えているなど、理由があることがほとんどなのだが。しかし、ほとんどの農民は魔物除けの木の存在は知っているということはあってもそれがどんなものなのかは知らない。
そのため、欲に走って開墾した結果、そこが安全でない場所だった、なんてこともあり。大抵の場合は今ある畑以上に増やそうとすることはない。
その結果、食料の量は限られることになり、その食料で支えられる人数には限りが出てくる。
そして、支えられる人数が限られればそれ故に人口が増えることもなく。
人口が増えないので人手も増えない。人でも増えないから仮に開墾できたとしても、畑に十分な手入れができない。
そうした悪循環により、本来の農村は発展が厳しい状態にある。
しかし、ファフマールなどの農業都市は。むしろ、だからこそ。強く発展していった。
多くの農村が自分たちの食料で手一杯な中、農業都市は先述の課題をクリアできる条件があった。
ヌレヨカチの大樹はあまりに大きすぎるがゆえに、明確な影響範囲を知るものは少なくとも、この樹のある程度近くであれば大丈夫だろうという推測から、開墾が容易だった。
また、ヌレヨカチの近くならば大丈夫という話は広く広まることとなり、それを聞いた者たちが農業都市で農業をしようと集まってきた。
これにより、人口と安全性を確保することができた農業都市は、下手な街なんかよりもよっぽど発展することになる。
なお、そうして広がることになった農業地帯なので。ファフマールの圏内に入ったとはいえ、中心街までは、実はここからがとてつもなく遠い。
途中にその地帯のための居住区が形成されているほどには。
(果たしてそれに気づいているのか、いないのか)
ヌレヨカチの大樹を見れば、ざっくりと距離は概算できるのだが。ウキウキとしながら街道を歩いているルカは、広がる畑に目を輝かせていた。
――うん。気づいていないな。エアハルトは確信を持ってそう思った。
そしてその確信は、しばらくあとに現実となる。
「……思ったより広いね?」
疲れたと言いたげな表情で。しかし、ルカは文句を言うではなくエアハルトにそう言ってきた。
いくらルカの身体能力が上がっているとはいえ、距離が距離だった。ここまでも歩いてきている上に、ファフマールに入ってからものすごく高いテンションで歩いてきたのだから、スタミナ切れも当然といえば当然だ。
「疲れたのなら、疲れたと言ってもいいぞ」
「疲れた!」
エアハルトがそう伝えるやいなや、食い気味でるかがそう叫んだ。だろうな、と。エアハルトはそう言うと、たしか……と、記憶を辿った。
エアハルトはファフマールに来るのは初めてではなかった。だから、ほんの少しだけ地理がわかる。この近くには、たしか旅人のための宿泊施設の多い区域があるはずだ。
そうやって見回していると、ちょうどその時。
カポッカポッカポッ、ガラガラガラ、と。音がした。
振り返ってみると、馬車。どうやら他の街から来たか、あるいは他の街から帰ってきたか、そのどちらかだろう。
ちょうどいい、と。エアハルトはその馬車の馭者に声をかける。
「すみません、この近くにある旅人向けの区域がどのあたりかわかりますか?」
「ええ。わかりますよ。なんなら、我々も今からそこに行くところですが、これもなにかの縁。乗っていかれますか?」
「それは……」
エアハルトは、一瞬躊躇う。自分自身にも立場というものがある。バレればいろいろと問題になるというのは、やはり面倒なもので。
しかし、ルカもなかなかに疲れている様子だった。
ふと見たところ、荷台には荷物を見張っている人物が数名いる程度で、広さの割には人数が少ない。
(これならば、認識阻害の魔法を使っておけばバレることはない、か?)
ルカに目を向けてみると、乗るかという提案に対して期待の目線を向けていた。これは、断るのもルカにも少しかわいそうかもしれない。
「では、乗せていただいてもいいでしょうか。お礼は――」
「ああ、大丈夫です。大した距離でもないですし、見たところ冒険者の方でしょう? ここまで来てなにかあるとは思いませんが、もしも有事の際に手伝っていただければ、それで」
有事の際に手伝う、というのはつまりは魔物の出現や盗賊の襲撃のことだ。実際、この手の馬車には移動目的の冒険者が用心棒代わりに乗ることもある。
しかしここはファフマール。街のずっと外れであればともかく、ある程度内側に入ってきたここでは盗賊が出ることは少ないし、魔物なんて以ての外だ。
つまるところ、有事はほぼ起こらない。だが、それでも乗せてくれるというのだから、これはただの親切心だろう。
その優しさに感謝しながら、エアハルトは深々と礼をした。立場上、しっかりと顔を見せられないことだけが、悔やまれるが。




