#51 薬剤師は少女の境遇を考える
扉を開けると、カランカランという鐘の音が鳴る。
その音を心待ちにしていた少女は壁際からぴょこっと頭だけを出して、その人物が会いたかった人物かを確認する。
そして、彼女はその顔を明るくして、勢いよく飛び出していった。
「エアッ! おかえりなさいっ!」
「ああ、ただいま」
己の胸の中に顔をうずめてきたルカに、エアハルトは優しく頭を撫でて対応する。
そんな様子を見ていたルーナはクケケケケッと笑いながら、奥の部屋から出てくる。
「随分とお熱いこって。私なんて近づいたら逃げられるのによォ」
「別にそういう関係じゃねえよ。……で、逃げられるってなにしたんだよ」
エアハルトが苦い顔で応対していると、ルカがエアハルトから離れないままで、その後ろに隠れるように移動する。本当になにしてたんだ。
「なにしてたってェ、そりゃあれさね。研究? 調査? まァ、少なくともお前さんたちに悪いようにはならないことさァね」
ルーナはそう言うと、ふたりに奥の部屋に来るよう手招きする。
とりあえず従っておくのがいいだろう。エアハルトはルカの手をひき、奥の部屋へと入っていく。
相変わらず散らかっている部屋ではあるが、以前と違い椅子は三脚ある。それだけなら少し片付いたように思えるが、その代わりになにかひと悶着あったかのように、めちゃくちゃに荒れている場所がある。
正直なにがあったのかと聞いてみたい気持ちはエアハルトにはあったが、まともにとりなしてくれないだろうという予想と、それから、今はこちらを優先すべきだろうと判断した。
ルーナがイスに座ったのを見て、エアハルトとルカも座る。
「まァ、話しっつーのはアレだ。前に頼まれてた、ルカの身体についてだ」
「ほう、なにかわかったのか」
「お前さんがでかけてる間にいろいろと調べさせてもらったからねェ、クケケケケケッ」
ああ、それが原因でこうなっているのか。エアハルトは、小さくため息をついた。
必要なことではあるのだが。とはいえルーナのことだ。やり方がいささか過激だったのだろう。
「まず、その身体の原因はエアハルトが予想していたとおり、極度の栄養失調が原因さね」
「やはりか」
「身体が生きるために必死にとった緊急の策とでも言おうか。本来成長に回すはずのエネルギーを生存のために突っ込んで、なんとか命を繋ごうとしたってことさね。そういう事例自体は無いわけじゃない」
人体のそのあたりの足掻きはなかなか目を見張るものがあり、極限状態に置かれた人が、生存のために成長を止めたり、或いは逆にストレスのために数日で一気に老化したり。
「そういう人は、とはいえ結局無理がたたってその後が長くないことも多いのさね。そもそも極限まで栄養が足りてない状況が続いている人間に、そのあと栄養が改善されるかといえばその可能性は、まァ少ないだろう」
だからどのみち死んでしまうことが多い。
しかし、と。ルーナはルカのことを見つめ、ジッとその顔を確かめる。
「ルカは、生きてる。ぱっと見た感じでは10にも満たないように見えるのだが、しかし歳は17だという」
エアハルトは、そうらしい、と頷く。
「まァ、そもそも王都や各主要都市ならともかく、ただの村で正しく年齢を把握できているかといえば怪しいところはあると思うが」
ルカは顎に手を当て、深く考え込む。
「それでも7年だ。いや、実際はもっと長いだろう。身体が成長を止めないとまずいと判断するほどの栄養失調状態が7年以上だ」
ルーナがそう言われ、エアハルトは改めてこの現状の異常さに気づく。
7年は、長い。生半可な年月ではない。
そんな期間中、ルカは栄養失調に晒されていたわけで。その中で生存するために成長を止めていたとはいえ、じゃあ生存できるかといえば難しいだろう。理屈だけで話すなら、そのための成長止めなのだが。
理論上可能と、実現可能とは話が違う。
「聞いたところによると、ルカがエアハルトに出会ったきっかけは親にこの樹の下で待っていろと言われて、そのときにボロボロのお前さんが現れたとのことだが、合ってるか?」
「ああ、そのとおりだ」
「つまりは、形の上では口減らしというわけだ。……だが、あまりにも引っかかる点が多い」
口減らしをするということは、それだけ食い扶持に困窮しているということになる。その事実だけ照らせば、ルカが栄養失調であったことと合致する。
しかし、見てくれこそ幼いものの、それでもルカは17歳。実際のところでいえばそこそこに労働力として数えていい範囲である。これが労働力として見ることができない老齢であったり、あるいは家庭内でどうしても食うに困っての幼子が口減らしにあうのであればわからなくもないが、17歳がその目に合うのは少し違和感がある。
そもそも極度の栄養失調状態が続くほどに食い扶持に困っていたにも関わらず、少なくとも7年はなにもなかったというのも気になるところではある。
「本当に口減らしなのかねェ。なんというか、別な理由があるように思えてしかたねェんだが」
「……たしか、ルカは村では忌み子扱いされていたはずだが」
「なるほど。……いいや、それならそれで、もっと早くに口減らしにあっていたはずさね」
「それは、俺もそう思う」
ふたりがなにか難しいことを話していてついていけていないルカは。しかし、おそらくは自分の昔の境遇について話しているのだろうと思い、少し思い出してみた。
あんまりよい思い出ではなかった。お母さんは絶対に外に出ないこと、と言って私を家の隅に座らせていた。
外で遊びたいというとめちゃくちゃに怒られて。ああ、いい歳なのだから働けと言うことかと思って手伝いを申し出たらまた怒られた。
ご飯はあまり無かった。たまにパンが少し渡される程度で、そのたびにお母さんは「ごめんね、ごめんね」と謝っていた。
たまに物凄く偉そうな人、たしか村長さんだったと思う。その人がやってくると、私はクローゼットの中に入れられた。隙間から様子をうかがったことがあるけど、お母さんは村長さんに向かって地に頭をつけてなにかを言っていたが、そのたびお母さんは殴られたり蹴られたり。ときたま外に連れて行かれたりしていたから、私は村長さんが嫌いだった。
そしてあの日。お母さんは時間が無いからと言い、私を連れて森の中に入っていった。
私の手にはパンが1つと、それから植物図鑑。お母さんが読みなさい。そして中身を覚えなさい。と、私に渡してくれたもの。
そうしてヌラヨカチの木の麓で、私はお母さんに待っていなさいと言われた。
そして待っていたら、私は。
エアと、出会った。
「まァ、そのあたりの細かな事情については当事者、特に意図あって行動していた側の人間じゃあないのでどこまで行っても推測の域を超えないが。しかしまァ、当初のお前さんの質問に関しては、ひとつ答えられるさね」
ルーナのその言葉に、エアハルトは首を傾げる。
「なんさね。せっかくお前さんのために調べてやったというのに。ルカが成長するにはどうすればいいかという話さね」
「ああ、それか。……なにかわかったのか?」
「なにかわかったかもなにも、答えは至極単純さね。むしろそれに関してはお前さんも気づいてるだろ。しっかりと栄養を摂ることさァね」
栄養失調が原因で成長を止めていたのだから、その解決策は栄養補給。当然といえば当然の話ではあった。
「もちろん、成長期は過ぎてるだろうから必ず成長するとは限らない。が、調べてみた結果、まだ第二次性徴が発生してない。成長を止めた結果、全てが止まった可能性を考えると、可能性は十分にある」
「ちなみにだが、魔法使いになったことがそれを阻害する、なんてことはないよな?」
「それこそ私の預かり知るところじゃァないさね。むしろお前さんの知るところだろう」
そう言われ、たしかにとエアハルトが合点する。
エアハルトはまだ子供の頃に魔法使いとして覚醒した。で、あるならば成長を阻害することはおそらくない。
「なんさね、お前さんもしかして子供の見た目のほうがいいのかい?」
「まさか。そんなわけないだろう」
エアハルトがそう否定するが、ルーナは面白そうにクケケケケケッと笑っていた。




