#50 大罪人は治療する
「これは、ひどいな」
顔をしかめながらそう言い放つエアハルトに、男はバツが悪そうに、ただ俯くしかできなかった。
ここはコルチの近隣にある警備隊の詰所、その牢屋……だったもの。簡易的に拘留するために作られたそれは、現在中毒者たちを収容するためのものになっていた。
その中の様子を端的に言い表すのであれば、地獄。多くこそないものの、決して少なくない人数の中毒者たちの、これまた少なくない人数が禁断症状を発症しており、魔薬を求めて暴れている。
「最初はひとりが使ったらしい。ソイツがたしかな使用感を覚えて、それを他人に触れてまわり、そこから拡がった」
恥ずかしいことに、こんなに身近で使われていたというのに、誘いを断った部下から報告が上がってくるまで気づくことができなかった。……そして、そうなるまで部下を追い詰めてしまっていた。彼は、そう言って唇を噛む。
「魔法を、使っていいんだな?」
「俺にその許可を取るな。……なにも見ないことにするだけだ」
そこになんの違いがあるのだと言いたくなるが、しかしそれが彼なりの線引きなのだろう、と。エアハルトは小さく笑うと、改めて牢屋に向き直し、腕を構える。
「《眠れ》」
とりあえず、暴れられては面倒だ、と。エアハルトは牢屋内の全員を魔法で眠らせる。この魔法自体は精神力を強く持てば眠らずに耐えることができるものではあるのだが、しかしこんな状態の人たちに精神力があるわけもなく、全員がそのまま眠りに落ちる。
エアハルトは男と互いに目を合わせると、彼から牢屋の鍵を受け取る。
男の監視の中、エアハルトは牢屋の中に入り、手近にいたひとりの身体を掴む。
両の肩に手を当て、慎重に魔力を操作する。ゆっくり、ゆっくりと彼の身体の中を蝕んでいる魔法の残滓を探して、それを的確に抜き去る。
あとは魔力が暴れまわったせいでできた体内の損傷に治癒魔法をかければ、ひととおりやることが終わる。
「次」
エアハルトがそう言うと、男はその速さに驚いたように目を丸めた。
しかし、見た目の凄惨さほどに、実は治療に必要な手順は先刻のもののみなので、そこまで時間はかからない。まあ、先程治療した人がそこまで重症ではなかったというのも理由のひとつだが。
むしろこの作業において、最も重要になるのは時間よりもいかに集中して作業が行えるかである。
元より魔力操作自体が集中力を要する技術である。それをあろうことが他人の身体の中で行うので、その難易度はその比ではない。
そして、そうして操作した魔力を目の代わりにして魔法の残滓を探し、手の代わりにしてそれを抜き去る。
この一連の作業を。いいや、最後に無理やり他者の身体へと侵入させていたエアハルトの魔力を丁寧に抜き去るまでを、集中力を途切れさせることなく行う必要があった。そうしなければ、今度はエアハルトの魔力が原因で身体へ負担がかかり、あるいは禁断症状が起きかねない。それでは本末転倒だからだ。
エアハルトはそれらをしれっとこなしたが、実際これが簡単なことかと言われれば、そんなわけがなかった。そのため、男が驚いたことはあながち間違いではない。
「次」
エアハルトが、またひとり治療を終えたようだった。
ルーナは魔法使いならできる、と言ったが、アレはあくまで技術的に可能という話であり、実は誰彼構わず治療できるほどこの作業は簡単ではない。
それはもちろん、エアハルトの魔法使いとしての技術がとても優れているというのもあるのだが、それ以外の理由として。
「慣れて、いるんだな」
「まあな」
男がこぼしたその言葉に、エアハルトは短く答えた。
エアハルトはその身の都合、様々な場所を転々としていたが、その過程で様々な街、様々な人を見てきた。中には、この牢屋の地獄よりも、より凄惨な地獄の様相をした場所もあったわけで。
そうした場所で、エアハルトは治療を繰り返してきた。どうしてもと治療を拒む人間にはさすがに行っていなかったが、しかし廃人同然という人たちを、せめて最低限人並みの生活を遅れる程度には、なんとか治療してきた。
そんなことを思ってみれば、ここは地獄なのには変わりはしないものの、規模も程度もマシな方だった。
ひとしきり全員の治療を終え、エアハルトは牢屋から出てくる。
あとは眠りから覚めるのを待って、起きた人たちの様子を確認するだけ。
エアハルトがそう伝えると、彼は安心したようにひと息つき、しかしどこか悔しそうな表情を浮かべていた。
「俺は、なにもできなかった」
それは後悔だった。自分では治療してやることができなかった、というただそれだけではない。
もっと彼らを見ていられていれば、もっと部下たちとコミュニケーションをとれていれば。あるいは、彼らが使わず、もしくは早い段階で発見できていただろうに。
そうした悔しさが、彼から漏れ出ていた。そんな彼を見てエアハルトは、別に慰めるであるとか、そういうわけではないがと言い、言葉を続けた。
「お前さんの仕事は、ここからだぞ」
エアハルトのその言葉に、男は首を傾げた。
「俺にできるのは魔法の残滓を取り除き、禁断症状を消し去るだけ。ついでに体内の損傷に治癒魔法をかけてやるくらいならできるが、返して言うとそれだけしかできない」
それは、ルーナの作っていた抗魔剤も同じで。魔力の残滓が原因で発動していた影響を無くすというもの。つまりは、それ以外が原因のものには対処しようがない。
「例えばうまい肉を食べたあとに、またあの肉を食べたいなあと思ってしまうように、魔法の残滓由来の禁断症状を抜きにしても、人の生来の癖であるその欲求はどうしても出てきてしまう」
そうしたものに関して、この治療でどうにかするということはできない。
魔法で対処できないのかというと不可能ではない。が、やり方があまりにも乱暴すぎる。
煩雑に言ってしまえば、記憶を消す。魔薬によって得られた快楽についての記憶を頭から消し去ってしまうことで対処することならできなくはないのだが、同時に周辺の記憶までえぐりとってしまう。
そうまでしてやるというのはエアハルトにしても、彼にしても本意ではないだろう。
「だからこそ、ここから先はお前さんの仕事だ」
理由はどうであれ、誤った判断をしてしまった部下たちが、その身を蝕む快楽への欲求を、なんとか振り払うことができるようになるその時まで。
「わかった。たしかにそれは、俺が引き受けるべき仕事だろう」
しっかりと見守り、支えていく必要がある。
そんな話をしていると、眠っていたうちのひとりが目を覚ました。
最初は牢屋の中にいることに驚いたものの、なんとなく自分がどういう状況だったのかは覚えていたようで、すぐに落ち着きを取り戻した。
と、いうか。
「エアハルトが、なんでこんなところにっ!? というか、どうして隊長と一緒に!? ついに捕まえたんですか!?」
と。エアハルトがいることに、一番驚いていた。
「残念ながら、捕まえていないんだ。……できることなら今この場で捕縛したいところだが、大きな借りを作ってしまった上に、そもそも捕まえないという約束のもと、来てもらっている」
「……はい?」
まあ、その反応も妥当なものだろう。札付きがそこにいるというのに、捕まえないと言っているのだ。
「詳しい話は全員が起きてからする。……だがまあ、エアハルト。君がここにいると、いろいろとややこしそうだ」
「そうだな。彼はともかく、俺を見た瞬間に襲ってくるやつがいるかもしれん。早いうちに退散するとしよう」
「ああ。今回のことは表立ってなにか言うことはできないが、しかし、本当に助かった」
「構わんさ。魔法使いとして当然のことをしただけさ」
当然と思っているのが、異常なのだが。と、男は思った。
「それじゃあ」
「エアハルト。最後にひとつ、いいか」
男が声をかけると、退室しようとしていたエアハルトが足を止める。
「あの少女は、どうしたんだ」
「……拾われたのさ」
「拾われた? 拾ったではなく?」
「ああ。俺が、拾われた」
エアハルトがそう言うと、彼は顎に指を当てて考え込む。
「彼女は、魔法使いなのか?」
「……それについては、伏せさせてくれ」
その言葉は、答えを言っているも同然なのだが。
しかし、男にもその意図は伝わった。
「わかった。引き止めて悪かったな」
「いいや。たしかに気になるのもわかるからな」
エアハルトは、そうとだけ言うと部屋から出ていった。
残された男は、はあ。と大きくため息をついて。
「面倒なことになったな……」
と。どこかで見たことのある少女の人相絵を、ポケットから取り出した。




