#5 大罪人は昔のことを思い出す
「きゃー! かーわーいーいー!」
扉1枚挟んで、エアハルトはそんな声を聞いた。ときおりルカの怯え気味の声が聞こえたりもしていた。
「しかしまあ、久しぶりだな」
「ええ、ほんとにお久しぶりです。ダグラスさんもお元気そうで」
そしてエアハルトの目の前には、彼がダグラスと呼ぶ老齢の男性がいた。二人ともイスに腰掛けている。
「ダグでいいって言ってるだろう。それにしても、お前さんも元気そうで何よりだ」
「以前来たのは……もう数ヶ月前ですね、いつもお世話になってます」
ペコリと頭を下げるエアハルトに、ダグラスは笑いながら声をかける。
「いやいや、いいんだよ。君はミリアの命の恩人だし、何より君が来るとミリアが喜ぶからね」
「そうなんですか、私はてっきり嫌われているものかと」
きょとんとダグラスの顔を見つめるエアハルト。ふう、と。ダグラスは小さくため息をつく。
「……なんだ、アイツはまだそんなことしているのか。ああ、何でもない。ミリアが魔法使いを嫌いなのは相変わらずなのだが、君は特別だからな」
「……? そうなんですか」
「……全く、君という人は酷く鈍感なのだな。まあ、その原因の一端はミリアが担ってるのもあるが」
静かに会話が続いている横、ドアの奥からは未だ騒々しい声が聞こえてくる。
「それにしても、お前さんは相変わらずお人好しなのだな」
「どういうことでしょうか」
「あの少女、拾ったのだろう?」
ダグラスはドアを指差す。
ああ、なるほど、明らかに見た目が捨て子(実際捨てられていたに等しい訳だが)のルカを連れていてれば、確かに拾ったように見えるのだろう。
「そういうことでしたか。……でもダクさん、面白いことに拾われたのは俺の方なんですよ」
「ほう、それは興味深い」
顎あたりに手を当て、見つめられる。予想以上に食いつかれ、緊張したエアハルトはたまらず「ははは……」と苦笑いする。
「えっとですね……」
エアハルトはダグラスに経緯を伝えた。森で倒れていたところに食料を分けてもらったこと、その返礼としてともに生活することを願われたこと。
ルカの境遇については、言わないことにした。
「それでお前さんは拾われた、というわけだな」
「まあ、そういうことになりますね」
ダグラスはカップに入った紅茶を口に含む。飲み込んだらひと息つく。
「しかしまあ、やはり君はお人好しだろう。いや、律儀というべきか」
「律儀……ですか。まあ、律儀と言われるのであれば、きっとあの人の影響ですかね」
「あの人……ああ、思い出した。例のおっさんか」
おっさんとは、エアハルトが幼い頃に世話になった人物のことだ。
17年前、エアハルトが9歳のとき、魔法使いとしての能力が発現した。
そしてその直後から、彼は命を狙われることになる。一番はじめは他の誰でもない実の母親に。
ただ魔法が使えるようになった。それだけでエアハルトの腕は包丁で切りつけられた。
『あとは……脚よね…………っ!』
赤色に濡れた包丁を片手に、エアハルトへとジリジリと近づいてくる母の顔は、もはや人のそれではなかった。
当時は何をされているのか、よくわかっていなかった。
だからこそエアハルトの中は。
痛い。
痛い。痛い。
痛い。痛い。怖い。痛い。
怖い。痛い。怖い。怖い。痛い。
痛い。怖い。痛い。怖い。痛い。怖い。痛い。怖い。
……やめて。
埋め尽くされたその想いたちに、エアハルトは――魔法を暴走させた。
使い方もよくわかっていない、ベタ踏みの魔法。それは一瞬でエアハルトの母親を焼いた。
焼いたといってもそれは結果であり、エアハルトが使ったのは、容赦なき放電。四方八方に首を伸ばした雷は、無差別に周囲を侵した。
扱い方のわからない力、意味もわからないままでなぜか狙われる恐怖、臭い匂い、目の前に転がる母親だったもの、いつくもの「よくわからない」がエアハルトを突き動かし、家の外へと飛び出させた。
しかしそこにあったのは、エアハルトを更に不安の底へと突き落とすものだった。
ピッチフォーク、手鎌、鍬、ハサミ、ナイフ、弓、短剣、鉈……。多種多様な物を手にした、村の仲間だった人たちが、それらをエアハルトに向け、先程の母親と同じ顔をしていた。
エアハルトは何も考えられなかった。ただひたすらに感じる戦慄だけが、またも放電を引き起こした。
走った。エアハルトはひたすら走った。力の止め方なんてわからない。ただ漏れの雷の中ひたすら走った。
聞こえてくるのは苦しみ泣き叫ぶ声だけ。そのひとつひとつが、たとえばかつて一緒に遊んだ友人のものだったり、よくしてくれた近所のおばさんのものであったり、お菓子をくれたお姉さんのものだったり、森で狩りを教えてくれたおじさんだったり。
あまりの辛さに耳をふさぎたかったが、エアハルトの両腕はひたすら痙攣するだけで、全く動こうとしない。
村を抜け、森の奥深くまで来た頃には、鼻をすする音と嗚咽だけがエアハルトの耳に届いていた。
歩いていた。力も入らず、朦朧とする意識の中、どこへ向かうわけでもなく。
しかし終いには体力がつき、その場で倒れてしまう。
ただ、微睡んでいく意識の中で、エアハルトは確かに靴音を聞いた。
『あ……、う…………ん』
『お、やっと起きやがったか』
エアハルトが気がつくと、そこには天井があった。
『体起こせるか?』
尋ねられたので、実践しようとしたが、エアハルトの体は力を入れることを拒んでいるのか、全く動こうとしない。
『しゃあねえな。よっと』
ガサツな手つきでエアハルトの上半身が起こされる。しかしエアハルトは、何が何だか分からない様子だった。
『とりあえず食え。味の保証はしないがな』
スプーンを差し出された。エアハルトは戸惑ったが、とりあえず口を開いてみた。
熱くて、ドロリとした感覚が舌を動いた。思わず体がビクリと反応する。
『ああ、悪い。冷ましてからやればよかったか。そうだな、確かにこのままだと熱いか』
どうやらエアハルトの目の前にいるのは男らしかった。その男はスプーンにひとすくいとると、息を吹きかけていた。
『ほら、これでどうだ?』
差し出されたので、エアハルトはもう一度口を開いた。今度はそこまで熱くない。
『しっかしこれは手間がかかるな。まあ、仕方ねえか』
男は途中そうやって文句をつけながら、しかしどこも嫌そうではなく全てエアハルトに食べさせた。
『ほい、これで全部だから、とりあえず寝とけ。体力が尽きてるみたいだったからな、寝て回復しろ』
『……あな、たは?』
なんとか絞り出した言葉だった。エアハルトがそう尋ねると、男は少し驚いた様子だったが、すぐに顔を笑顔にして……少し笑ってしまいそうな顔だったが、笑顔で答えた。
『ただの通りすがりのおっさんだ。お前が道で倒れていたからな、獣やらに食われて死なないように、あとあのまま放っといても衰弱して死んでただろうし。なに、ただのおっさんのお節介だ』
そう言うと、「ほら、寝た寝た!」と催促だけしてエアハルトの視界外に行ってしまった。
しかし、どうにも体が自由に動きそうにない。否が応でもこの男の言うことを聞くしかないのか、と。エアハルトは床に臥して眠ることにした。
木の床板に、適当に布を丸めただけであろう枕。すこし破けたりしている麻布。決して心地よい寝具ではなかったはずだ。
けれど、疲れていたのだろう。寝具どうこう以前に。
エアハルトは深く深く眠りに落ちていった。