#41 薬剤師は薬草茶を振る舞う
「俺たちが頼りに行くとは思えない……だと?」
男性は、落ち着きながらも驚きの含まれた声でそう言った。
「あァ、そうさね。私にゃあ、お前たちがそいつのところへ助けを請いに行く姿が想像つかないね」
よっぽど切羽詰まっていて背に腹が代えられないというような状況下なのなら、話は別だろうがねぇ。ルーナはクケケケケケッと満足そうな顔で笑った。
「知りたきゃ教えてやるさ。まあ、その情報が役に立つとは思わねえがね」
「いくらだ、情報量」
迷わず、男性がそう尋ねた。その様子を見たルーナは「ほほう」と感心する。
「クケケケケケ、使えねえって言われた情報に興味を示すたァ、随分と物好きなこって。いいさ、この店を贔屓にすることでマケといてやる」
そう言うと、彼女は軽い口で喋りながら、店の奥へと入っていく。
「来な。表に聞こえちゃマズイ話だ」
メガネの奥に、一瞬チラリと見えたその瞳が、今まで見てきた彼女の中で唯一、真剣で、真っ直ぐに見据えていて。
「……わかった」
魔薬の話だって、表に聞こえていいようなものではないのだが。
そんな話でさえ、遠慮なくしていた人が、わざわざ聞かれるのを嫌った。
男は唾を飲み込み覚悟を決め、彼女のあとに続いた。
ルーナに着席を促され、男性はそのとおりに座った。
しばらくするとガラス製のポットとカップを持ったルーナがやってくる。
「まァ、とりあえずはこれでも飲みな」
そう言いながら、彼女はポットの中身をカップに注ぐ。
やや緑がかった金色の半透明液体は、光に照らされて優雅で、神秘的で――強烈に臭かった。
「むぐっ、こ、これは……」
思わず男性が鼻をつまみながら、そう尋ねる。
「クケケケケケッ、大丈夫さァね。毒じゃねえ、ただの薬草茶さ。部下が潰れるほどの環境下なのだからお前さんもどうせ疲れてるんだろ。効くぞ? 味と匂いは大概だが」
「……ありがたくいただこう」
男性はそう言い、右手を離し、カップへと向ける。再び流れ込んできた匂いはやはり鼻がひん曲がりそうなくらいに強烈で、ふとした瞬間に手を引っ込めてしまいそうになるくらいだった。
それでもなんとかカップを握り、顔に近づける。匂いが一層キツくなる。
このままでもどうせこの匂いがキツイことには変わりない。ならば、と意を決して、思い切り口の中に注ぎ込む。
「にっっっが。カハァッ」
男性は吐き戻したくなる衝動をなんとか抑え込み、なんとか全てを飲み込む。……疲れに効く薬草茶のハズが、余計に疲れたような気がする。
「クケケケケケッ、そりゃそうさね。特別苦くて臭いやつを用意したからねぇ。まっ、その分効き目も絶大だが」
言われて確かに、と。取れきれてなかった疲れの負債が、スッと押し流されていくような感覚を覚えた。その分、精神的な負担があったような気もするが。
「それで、まさか表でできない話がこれというわけじゃないだろうな。確かに疲れが取れるから部下が魔薬に頼らなくてもいいようにはなるだろうが」
「もちろんこれじゃァねえさ、そもそも人だって言ったろう。……というか部下にこれを飲ませるつもりさね?」
「飲むのはかなりキツイが、リターンがその比ではないからな。ぜひとも導入したいところだ」
かなり真剣に検討しているらしい。ルーナはこれを飲み慣れているのでなんとも思わないが、最初は自分でも飲むのを受け付けなかったくらいの代物だ。
正直若干のイタズラ目的もあって出したところはあった。……のに、どうしてめちゃくちゃ気に入られたようだった。まあ、効き目が本当にスゴいのはたしかなのだが。
「……わかった。こいつはサービスだ。帰りにいくらか試供品としてくれてやるさね。そんでもって、次からは普通に買いに来てくれ」
「それはありがたい」
基本的に顔も知らない他人がどうなろうと知ったこっちゃないという考えのルーナではあったが、さすがにかわいそうに思い、幾ばくか飲みやすいやつをコイツに持たせて帰らせようと決めた。
「それで話の本題だが、まァ、これを見るといい」
そう言って彼女が差し出したのは、1枚の紙。裏返しで差し出されていたので、そのままではなにがなんだかわからない。
「これは……手配書?」
ペラリとめくると、それは罪人の手配書だった。
「そうさね。数日前の新聞に入っていた手配書。まァ、それに関してはお前さんたちのほうがよく見知ってるだろうが」
「ああ、よく知っている。なにせ俺たちの管轄だからな。……だが、コイツに関してはその中でも更によく知ってる」
「ほほう。それはまたなんで」
男性の言葉に、ルーナがそう聞き返した。
男性は警備隊だ。だから罪人の存在はよく知ってるし、日々手配犯についてはよく調べていることだろう。
しかし、その中でもよく知っている、ということは。
「こいつは、今俺が追っている相手だ」
「それはまた、なんて運命のめぐり合わせだろうねェ!」
ルーナは、興味深そうに、面白そうに、声を高くしてそういった、
「どういうことだ?」
「いんや? なんでも……いや、まあどうせわかることだろうしいいか。運がいいのか悪いのか、女神は誰に微笑んでいるのか。いやはや面白そうなことになってきた」
「……だからどういうことなんだ」
ひとりで納得し、解決し、明らかに楽しんでいる彼女に男性はそう尋ねる。
「ああ、いや、悪かったね。まあ、早い話がそいつさァね」
「……は?」
「だから、言葉のとおりさ。治せるのはソイツ。その、お前さんが今追っている大罪人と言ってるのさ」
ルーナはそう言って「だから頼ってる姿が想像つかないのさァね」と言う。
男性は小さく震えながら手配書を手に取り、ゆっくりと口を開く。
「ふざけてるのか?」
「いんや、これっぽっちもふざけてねえ」
「……そうか」
男性は、力なくそうつぶやいた。
「まあ、正しく言うならそいつである必要はない。……その言い方と、さっきまでの魔薬の説明である程度は察したか?」
「ああ。だが、それで正しいのかがわからないから、教えてほしい」
コクリ、とルーナがうなづくと、そのまま話し始める。
「さっきも言ったとおり、魔薬の後遺症――その最も治療しにくいところ、依存性。それを治すのは普通にやっては無理だ」
なぜなら、その依存性が魔法の力によるものだから。そして、我々は魔法を扱うことができない。
「そして、その魔法の残滓が身体に残り続ける限り、魔薬への依存性が治ることなない。逆に言えば、これさえ取り除くことができれば治療できるということだ」
しかし、それができればこんなに困っていないのだ。先述したように、人間には魔法は扱えない。
だが、扱える存在はいるのだ。
「……だから、魔法使い。魔法使いなら、魔薬の依存性を治療することができる」
「そのとおりさね。百点満点さ」
パチパチパチパチと、ルーナは手を叩く。
しかし、男性の表情は暗いままだった。
「……聞きたい。なぜ、この男なのだ。なぜコイツなのだ」
「職業上、私も何人かの魔法使いと関わってきているが、そのほぼ全員が人間に恨みを持ってる。当然さね、その存在自体を罪とされ、殺されそうになってるんだから」
だから、基本的に頼ったところで助けてくれるようなやつはいない。と、ルーナは言う。
「しかし、この世界には変人ってもんがいるもんで、自分が罪だの排斥されてるってのに、そのひとりひとりを見て判断しようとするアホがいるのさね」
ルーナはそう言うと、ニヤリと笑いながら、続ける。
「会いたいかい? そいつに。……なんの運命のイタズラか知らねえが、会いたいなら紹介してやるさァね」
運命の女神サマは気分屋なようで、いるのさァね。
今、この町に。




