#32 大罪人はもうすぐ着くと幾度と言う
「ねえエア、まだ着かないの?」
「もうすぐ着く」
「それさっきも聞いたー」
「高頻度で尋ねてくるからだろう」
木漏れ日が差す森の中。最初の頃とは打って変わって、疲れた顔に引きずるような足取り、荒い息づかいでなんとか歩いている少女、ルカは幾度目かの質問をしていた。
だが、ルカがそう思うのも仕方がない。ゼノンの村を出てから三日と半日。本当なら別の村も経由するはずだったのだが例の事件があって下手に人に合うのは危険と判断したため、ゼノンの村から一気にコルチの町まで行くことになったのだった。
いちおう、エアハルトいわくコルチの町には知り合いがいるらしい。……変わり者らしいが。
しかし、この変更がもたらしたのは移動経路の変更だけではなかった。歩いては休み、歩いては食べ、歩いては魔法の練習をし、歩いては眠る。ひたすらこれを繰り返す。
エアハルトは慣れていたか平気だったものの、ルカはというと遠出自体が初めてのことであり、年齢こそ17歳でありながはその身体はまだ幼く、これだけの運動量はその身に耐え難いものだった。
「休憩するか?」
「……まだ頑張れる」
明らかに辛そうな表情だった。しかし、彼女はグッと歯を食いしばり、一歩、また一歩を踏みしめた。
「そうか」
実を言うと、エアハルトはそろそろ休憩をとってもいい頃合いじゃないかとは思っていた。
前回の休憩からかなり経ってもいたし、もうすぐで着くというのは本当ではあったが、エアハルト自身、この移動がルカにとって大きな負担であることはわかっていたからだ。
わかってはいた、だから細かく休憩はとっていた。けれど、それでもこれだけの長距離というのはルカにとって辛いものだった。
実を言うと、森の出口はもう見え始めていた。距離はまだあったが、それでも光は確かに近づいては来ていた。森を抜ければそこには、コルチの町に続く街道に出ることだろう。
だが、ルカはそんなこと知りもしない。何度も言われた「もうすぐ着く」のせいで、本当にもうすぐなのか疑っていることだろう。けれど、
(本当に、強い子だな)
本来なら、もうへばっていてもおかしくない。ルカが魔法使いとしての力を得て、たしかに多少は頑丈になってはいるが、あくまで多少である。
使い方もままならない状態。魔力をどう身体に行き渡らせるか、その方法さえ知らないままに魔力の恩恵をキチンと受けられるかといえば、もちろん否である。
結局、魔法使いになったからといって、その身体は前述の通りの幼い身体とそう変わりはしない。
だから、本当ならとうに限界を迎えていてもおかしくないのだが。
「無理になったらすぐに言うんだぞ? 別に急ぐわけじゃないんだから」
エアハルトはそう言いながら、前を歩くルカに、そっと治癒魔法をかける。
治癒魔法に疲れを取る効果があるかといえば、ほとんどない。ではなぜ治癒魔法かというと、気休め程度とはいえ、まあこれが一番マシだからである。
……もしかしたら疲れを取る魔法もあるかもしれない。が、魔法を使うこと自体がつかれることであるので、個人での行動を得意としてきた魔法使いたちには疲れを取る魔法というものは考えもしなかったものである。
治癒魔法の、特に時間逆行に重きを置きつつ、少しでも疲れが貯まる前の状態に、少しでも楽な状態に、と。エアハルトは治癒魔法をかけた。
もちろん、言っても微々たる差で、本当に気休めにしかならないのだが、しかし、その暖かな魔法は、その優しさをルカの体中に伝播させ、彼女を少しだけ勇気づけた。……のかもしれない。
少なくとも、次の一歩、次の一歩を出すための力を添えることはできた。
そうして積み重ねた一歩が、ついに彼女の目に光を捉えさせる。
森の終わり、待ち侘びた光。ルカの目に飛び込んできたそれらは、やっと「もうすぐ着く」という言葉を実現させた。
ルカの息づかいに明確な変化が起こった。荒いことには変わりはないのだが、今のそれは疲れからくるものではなく、期待からくるものに変化しており、
「エアッ!」
「ああ。だから言ったろ? もうすぐ着くって」
ルカはエアハルトの手を取り、光へとその手を引いた。
コルチの町にも壁は設置されていない。理由はゼノンとほぼ同じで、なんならこちらの方がよっぽど大規模で安定的な戦闘力を擁している。
その戦闘力の要因となっているのは、この町にあるダンジョンと、そしてギルド連盟支部の存在だった。
この世界にはギルドというものが存在している。冒険者を主として擁し、依頼を受け派遣する冒険者ギルド。商人や運送業者たちが集まって周辺地域の物流や交易を担ったりする商会ギルド。そういった様々、そしてたくさんのギルドをまとめるのがギルド連盟だった。
そしてここ、コルチの町にあるのはその支部、しかしここ一帯では一番大きなギルド連盟支部がここにある。
理由は簡単、ダンジョンがあるから。
ダンジョンは「いつ」「なにが」起こるかわからない。人災かもしれないし天災かもしれないし、突如として超強力な魔物が現れるかもしれない。その監視にギルド連盟支部が一役買っている。
また、ダンジョンでの拾得物を買い取ったり、そしてそれを商会ギルドに流したりという仕事を行ったりもしている。
まあ積もる話、ここにあったら便利なのだ。
そして、ギルド連盟支部があるということはギルドが集まってくるということにも繋がる。特に冒険者ギルド。なにか物事、特に事務作業を行うという点では支部があることは便利である。そしてこの町のダンジョンは冒険者たちの攻略対象となる。
そうして集まった冒険者たちが、この町の戦闘力を支えている。
「さて、この町の中にいる間は絶対にエアハルトと呼ばないこと。エアなら、まあ大丈夫だろうが、たぶん」
「え? なんで?」
「さっきも説明したとおり、この町には強い冒険者がたくさんいる。まともに戦うと尋常じゃない被害が出る。避けられる戦いは、避けたい」
「あっ、そっか。そうだね」
「それじゃあ、フードを被って入るとしますか」
「はーい」
エアハルトがフードを被ると、ルカもそれを真似するようにしてフードを被る。
エアハルトが一歩進み、ルカが着いてくるかと思うと、どうしてか動かない。
「ルカ?」
「えっと、その……」
なぜかモジモジしながら、ルカはその右手をそっと差し出し、
「はぐれちゃヤだから、手を繋いでくれたらなーって」
「なるほど、それもそうか」
そういえばゼノンでも、そうしていたな。エアハルトはその小さな右手を取り、優しく引いてあげる。
「えへへ」
嬉しそうな、小さな声を聞き届け、エアハルトは前に進んだ。
しばらく街道を歩けば、段々と人が増えてくる。そのうち露店が見え始め、騒々しく、逞しい商売人の声が飛び交う。
ひと目が増えればそれだけ見つかるリスクも高まる。バレないように、より一層周囲への注意を高め、エアハルトは町の中を歩いた。
第一目的地は決まっていた。だから迷うことはなかった。
スタ、スタ、スタ、町の中を歩いていると。……エアハルトにとって、あまり嬉しくはないものが見つかった。
「……また上がってやがる」
「どうしたの?」
「なんでもない……。いや、あとで説明してやるから、今は気にしないでくれ」
これは、いちおうルカにも伝えるべき事柄だろう、と。そう思い、一旦はそれを無視しようと、そう考えた。
しかし、以前とは打って変わって、奇妙な事が追加されていた。
それは、エアハルトの指名手配書だった。上がったというのは、懸賞金。ルカと出会う直前、追ってからはなんとか逃げ切ったが、その時のことで上がったか? それとも、ゼノンでの一件に俺が関わっていたことがバレたか? まあ、上がる理由になりそうなものはあったから、それについては疑問に思うところはなかった。
おかしかったのは、条件。魔法使いの指名手配書には、原則死体あるいは生け捕りという条件が課されている。もちろん死体よりも生け捕りのほうが報酬金額が高くはなるのだが、
しかし、この手配書に書かれていたのは「生け捕りのみ」という条件。こんなもの、今まで見たことがない。魔法使いの危険性が高まり、死体での報酬が増加するのならまだわかる。が、そうではなく生け捕りのみ、と。
……他の魔法使いたちのものには、そんな記載全く無い。
(……いったいなにが起こってるんだ?)
エアハルトは、手をつないでいない右手を顎に当て、目的地に着くまでの間考えることにした。




