#3 大罪人と少女は街に辿り着く
「さて、やっと着いたか」
「すっごい、なんかすっごい高い壁」
森を抜けた頃、灰色した巨大な壁が2人の目の前に現れた。
「城塞都市だ。ある一定以上の規模の街の多くは、ああいう高い壁を作って外部からの襲撃を防いでいる」
それは野獣によるものだったり、また野獣よりも攻撃性の高い魔物であったり。また……人によるものであったり。
「この街には、ちょっとした知り合いがいるんだが、1つ問題がある」
「問題? どんな?」
「…………金がない」
ギリッと歯ぎしりをして悔しがる。
「お金、必要なの?」
「ああ。城塞都市のほとんどは外部の人が入る際に少額だが金を支払わないといけない」
その代わりに、内部の公共施設の利用などの権利が保証される。
「それから、ルカはともかく俺の存在は目立つ上に事件になりかねない。これについては不自然でないように体を隠せるものが必要になる」
その代わりに中での権利が保証される。
「だから、それらを何とかするために、呼ぶ」
エアハルトが地面に手を当てる。すう、はあ。エアハルトは呼吸をして、唱える。
「《信号》」
小さな緑色した球状のものが生まれる。そして上空へと勢いよく飛び出した。
頂点に達すると段々と落下を始めるが、その頃には緑色はドンッと軽く光を撒き散らして爆ぜ消えた。
「ねえ、今の何?」
「……驚いた。今のが見えたのか」
「見えちゃだめなの?」
「いや、だめなわけではない。ただ基本的には《信号》は普通の人間には見えないんだよ」
魔法使いの立場が悪くなる中で、魔法使い同士での簡易の連絡のため生まれた魔法が、この《信号》だったという。そのため《信号》は魔法への適正がよっぽどない限り、ある例外を除いて観測することができなくなっている。
「ルカって、割と魔法の適正高いんだな」
「それって、魔法を使えるってこと?」
「ああ、使えるぞ。というか、むしろちゃんと訓練さえすれば誰だ――」
バッと、慌てて手で口を塞ぐ。しかし口から出してしまった言葉はもうどうにもならなかった。
キラキラとまぶしいくらいに輝いている視線。初めて《光球》を見せたときとよく似ている。
「使いたい使いたい使いたい! エア、私にも魔法の使い方教えて!」
エアハルトの体に飛びつくようにして、というかむしろ本気で飛びつく。急だったことで何も準備できていなかったエアハルトは、ルカの小さな体躯に押し倒される。
「いってててて……」
「エア、教えて魔法の使い方! 私にも!」
「わかった! わかったからとりあえず落ち着け。……また今度にはなるが、それでいいなら」
「うん、約束だよ!」
馬乗り状態で興奮しているルカをなんとか落ち着かせ(とはいえほとんど効果は見えないが)、エアハルトはひと息つく。
(さて、勢いで教えると言ってしまったが、どうしたものだろうか)
エアハルトは教えれば。というか魔法使いが教えれば、だいたいの場合は魔法が扱えるようになるだろう。《信号》が見えたルカなら、ほぼ確実だろう。
しかしそれは、同時にルカが罪人になってしまうことに等しい。だからこそ、エアハルトは先ほど口をつぐんだのだ。
この少女なら、きっと教えてと言うだろうと思ったから。実際そうなってしまったように。
(しかしまあ)
エアハルトは、いまだ馬乗りのまま降りようとしないルカの、その表情を見た。
(やっと、ルカから子供らしいわがままを聞けた気がするし、まあ、いいか)
少しだけ、嬉しく思ったという。
少女は、机に向かって勉強していた。ギルド員採用試験のための勉強だった。
絶え間なく動き続ける右手は紙を計算式で埋めていく。
肘をついた左腕はそのまま額へと伸びていた。
カリカリと動いていたペンがピタリと動きを止めると、ペラリとページがめくられる。
ギュッと少女の眉間にシワが寄る。額に置かれていた手が前髪を斜め上にかき上げ、そのまま右手も合流して伸びをする。右手の親指にはペンを挟んだままで。
ふうっ、と。少女がひと息ついて勉強を再開する。
もとの机に再び着地したペンが、紙の上を滑る。
カリカリと動くペンが、またもピタリと動きを止める。
そして、今度は転げ落ちるようにして少女はイスから降りた。そしてそのまま部屋に備えついている扉を勢いよく開く。
半身だけ窓から飛び出させた。ペンも何もかもを、ほっぽり出して。
少女の首に下げられているペンダントには、緑色の透明な石が嵌め込まれていて、その石はやわらかに光を帯びていた。
少女はこの光を見て、こうして窓から身を乗り出していた。そして、何かを探していた。
少女の瞳に、きっと探していたものが映ったのだろう。
少女は部屋に戻ると、急いで部屋から荷物を集めて、カバンに詰め込んで、自室のドアを開け放つ。
タッタッタッタッ、階段を駆け下りて、そのまま突っ走る。
靴を乱雑に履いて。……別々の靴だったので履き直して。
「お父さん、ちょっと行ってくる!」
ドアから飛び出した。勢いよく開いた扉は、反動で元に戻る。
途中、何回かすっ転びかけながら、少女は走った。
「見逃したか? もう1発打つか?」
エアハルトはルカと並んで立っていた。道から茂みを1つ2つ越えたところあたりで。ちょっと時間がたった頃、もしかしたら《信号》を相手が見逃したんじゃないか? と思い出した頃だった。
「ねえねえエア、どんな人にさっきのシグ……シグ……《信号》? を送ったの?」
「ん? ああ、ちょっと昔に助けたことがあるやつでな、俺がそのまま買い物したり、逆に何か売ろうとしたりとかすると、問題が起こることがあるから、代理でやってくれてたやつがいるんだよ。まあ、仲介料は取られるんだけどな」
「いい人なんだね、その人」
「そう……だな。いい人なんだろうな。…………俺は嫌われてるけど」
少し遠くを見ながらエアハルトがちょっと力なく言った。顔は若干引きつっている。
「そうなの?」
「ああ、だってあいつは――」
シッ、と。エアハルトは急に言葉を止めて口に人差し指を当てた。そのジェスチャーを理解したのだろうルカは、口を両手で塞ぐ。
ザッザッザッザッ、靴で地面を蹴る音。エアハルトがジッと音のした方を見る。
1人の少女が、パンパンの袋を持ってこちらに来ていた。
それを見たエアハルトは、歩き出した。ルカもそれに続く。
「ミリア、こっちだ」
「…………エアハルトッ!」
少女――もといミリアは、その場にカバンを落として、しかしそれを全く気にしない様子でエアハルトのもとへ駆け出した。
そして、さっきのルカのごとく、エアハルトに飛びついた。
「エアハルト、あんた今までどこにいたのよ。ずっと来ないから死んだかと思って心配したじゃない!」
「……あー、それはすまんかった。が」
驚きつつ、両腕を上げたままのエアハルトは、自分に抱きついたままの少女に訊いた。
「お前、抱きつくとかするようなやつだっけ? ……いや、久しぶりすぎる俺の思い違いだったらすまないんだが」
少しおどおどとしながら、エアハルトがそう言うと、ミリアはボンッと顔を真っ赤にして、慌てて離れた。
「こここ、これは……その……あれよ! ちょっと躓いたから支えになってもらっただけよっ! べ、別にあんたが心配だったとか、姿が見えて安心したとか、そういう訳じゃないんだからね! 断じて!」
「お、おう、そう……か」
言葉の弾幕に、少し物怖じしながらエアハルトはそう言った。
ちなみに、「心配してない」とミリアは言っているが、その前の時点で「心配だった」と言っている。この矛盾については誰も気づいていないようだった。
「……で、今気づいたんだけど」
ザッと、1歩後ろに下がったミリアは、言った。
「ついに、やらかしたのね。あなた」
その視線は、まるで何が起こっているか理解していない(実際理解していない)少女、ルカを捉えていた。